2017年6月7日水曜日

アミューズフェス(Amuse Fes)に見るライヴマナーとルールの違い





アミューズ・フェス(Amuse Fes)が終了した。

終了後にTwitterでは「楽しかった」という声が沢山上がっていたが、一部マナーについて指摘しているツイートもあった。

マナーの悪さを指摘するツイートもあれば、そんな指摘に反論するようなものまで様々である。

どちらが正しいとか間違ってるか、それで結論は出ないと思っている。

しかしながら、ライヴを生きがいとしている人間として、思うところはある。そんな事をつらつらと書きたい。



最大公約数がライヴで気持ちよく楽しむには





あなたは道端に唾を吐き捨てますか?


え?吐く?いますぐシンガポール行って捕まってくれ。
踏んだ俺の気持ちになれ。

基本的にみんな道端に唾は吐かないですよね?
それはシンガポールのように法律が定められているわけではないのに、みんな守ってますよね。


それは「道はみんなのものだから綺麗にしなくちゃいけない」ってマナーを誰しもが意識的にも無意識にも守っているからである。


この「みんなが気持ちよくなるために」行うルールにない行為がマナーである。


大前提として、ライヴを見る上でルールはない。


その上で「ライヴを楽しむ」という目的には人それぞれの楽しみ方が関わってくる。

後ろからじっくり見るのが好きな人、前方でもみくちゃになりそうになりながら騒ぐのが好きな人、前で見たいが静かに見たい人。
たったこれだけでも、楽しみ方が相容れないと分かるだろう。


今回、実際に自分で見た観客にはあるアーティストの時に途中から前に3人組が現れそれなりに大声で話し、笑って、一人はスマホを見ていた。
演奏していたのはバラード曲である。

明らかに周囲はそちらを見て不快感を示していた。


だが、ライヴにルールはないので、彼女たちはルール違反でもなんでもない。ただその場で思い通りの行動をしていただけである。
彼女たちに悪意があるわけでもない。











ルールとマナー






その「周りが明らかな不快感を抱く」を少しでも無くしていこう、とすることがマナーなのである。

それを突き詰めてしまうとファンの中でも暗黙のルールとなってしまう。この辺の兼ね合いが更に揉める原因となる。


朝井リョウの小説に『スペードの3』という作品がある。その中である劇団(限りなく宝塚モチーフ)のミュージカル女優のファンたちが自主的にファンクラブを作って活動している描写がある。







そのファンクラブ「ファミリア」では明確に"ルール"として、幹部にあたるファンが服装などの規律を正していく。
それに対してあるファンが現れたことで規律が乱れていくというストーリーなのだが、そこから先は読んでもらいたい。

何がいいたいのかというと、マナーを押し付けるということは、行き着くところそういった行為なのだ。

そうではなくて、マナーとは自発的に行われるものだ。
言われたから守ったというところで終わってしまってはルールになってしまう。


以前、誰か(晴一さんだったかな)が言っていた言葉がある。


フェスについてだったと思うが「足を止めさせたり、ちゃんと聞いてくれないのであれば、それはそうさせられなかった演奏側の力が足りなかった」というニュアンスだったと思う。


話していることを思わず止めて聞き入らせるような演奏をしていかなければいけないという想いからだろうが、アーティスト側にもそう思ってる人もいるのだろう。

しかしながら、今はSNSであっという間に当事者間の問題を越えた大きな問題に発展してしまうケースもある。


「マナーが悪いね」と言われて気持ちいい人なんていないし、「マナーいいね」と言われて不快になる人は相当ひねくれていない限り、そういないだろう。


あなたにこうしてくれとは言わない。

でも、その行いをするときちょっと周りを見てみよう。
そして胸に手を当ててみて欲しい。


「ライヴはみんなが幸せになれる素敵な場所」


そう言ってくれたアーティストのために。


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