2017年11月22日水曜日

嘘喰いのエアポーカー編がなぜギャンブルマンガ最高峰か、それは主人公が死ぬからだ





ヤングジャンプ連載中のマンガ『嘘喰い』

現在は最終章(たぶん)の屋形越えであるハンカチ落としをやっているが、その前段となったエアポーカーのことを語りたい。
僕はエアポーカーはギャンブルマンガ史上最高傑作であると思っていて、多くの人に届いて欲しいと思っている。

それくらい好きなストーリーなので、後半はネタバレ全開で語らせて欲しい。

まずはエアポーカーの簡単な説明とネタバレなしのオススメする理由です。



エアポーカーとは





水槽の中で行うゲーム。ベットするのは酸素の入ったビオス(プロトポロス世界における通貨)。

数字の掛かれた手札を互いに5枚ずつ所持し、そこからそれぞれ1枚を選択し卓上に提出。
その数字から勝敗を読み合いながらビオス(酸素)をベットする。

単純に数字の大小での勝負ではなく"あるルール"によって互いの数字が提出された"後で"勝敗が決定する。

何が勝敗を決めているのかというロジックの組み上げ、水中で数字の札と酸素を掛け合うだけでどのような心理戦を仕掛けるかというところが注目ポイントだ。

水中で言葉の駆け引きができない縛りの中でこれほど緊張感ある心理戦を見せられるというだけでも、このエア・ポーカーをひたすら推したい点だ。




ネタバレなしはここまで。


ここから先はネタバレ全開で語ります。






主人公が死ぬ、という可能性





ギャンブルマンガにおいて最も大切なことは何か。
それは先読みのできない展開だろう。そもそもギャンブルというものは、先読みにこそ醍醐味がある。
自分の経験や勘から予測をして、結果に対して一喜一憂する。

ギャンブルマンガにおいて、ロジック騙し合いが魅力であるが、1つだけ枷となるものがある。それこそが、主人公は最後に勝つというお約束である。
もちろん例外もたくさんあるだろうが、あくまでも一般的にはという話だ。

知略の攻防の末、一時劣勢になった主人公が最後には逆転して勝利することにカタルシスを持ってくるのだ。カイジとかは全てそうなってる。
つまり「最終的に主人公は勝つ」というある種のお約束こそが、終着点を見せてしまうという枷となるのだ。カイジが鉄骨から落ちたら本投げ捨てるだろう。

「LIAR GAME」においては、ある種開き直っているほど「最後には秋山が起死回生の切り札で逆転して勝つ」という構図を貫き通した。
最終話は、まぁ闇が深いんだろう。



その如何にして劣勢を挽回するかに手腕が問われるのだが、嘘喰いのエアポーカーはそのお約束が通じないのだ。

それはここまで読んできた読者だからこそ先が読めない展開なのだ。エアポーカーは文字通りのデスマッチ。普通であれば「どうせ最後は嘘喰いが勝つんでしょ」と思わせるのだが、嘘喰いが敗北してもおかしくないと思わせる要素があった。

それこそが梶隆臣の存在である。
あの場で誰よりも早くエアポーカーの役の作りに気づいたのが梶である。そして、手で嘘喰いに暗にそれを示してみせた。



ただの一般人であった梶は嘘喰いとの出会いで圧倒的な成長を遂げた。プロトポロス編ではアイデアル側の協力者に勝利し、更には立会人をも出し抜くほどの洞察力を見せた。

その上で嘘喰いの過去の発言が嘘喰いのファンを惑わせた。Q太郎から奪い取った賭郎の会員権を獏はは梶に譲る。その時の発言こそが「屋形越えをするのは梶である」というもの。

そこから梶の成長を見ていた読者にとって、屋形越えをするのは梶であるということが、それ相応の説得力を持ってきたのだ。
そこに最終決戦であるエアポーカーである。もしかしたらここで嘘喰いはラロと相討ちになり、その意志を継いだ梶が屋形越えに挑むというストーリーもあり得ると思わせた。

ここで「どうせ最後は嘘喰いが勝つんでしょ」という"お約束"がぐらつくのだ。
そこに先読みできない面白さが宿るのだ。




今までの嘘喰いの集大成





そしてエアポーカーは今までの『嘘喰い』の伏線が終結したことへの興奮が魅力でもある。

エアポーカー編は傑作であることは間違いが、それまでの文脈と伏線があったからこそ、最高傑作と成ったのだ。ここだけ読んでもその魅力を十二分に楽しむことはできないといえる(というよりも『嘘喰い』は基本的に最初から読まないと理解できない)。

特に獏と創一の不思議な関係性は、過去編を読まないことには掴めない。この過去編というのも曲者で、おそらく必要な話なのだと分かってはいながら、これを読んだ当時は正直「記憶が消えるとかいいから先に進めてくれ」と思っていた。

しかし、ここで描かれたHALという名前、そしてその由来がエアポーカーの決着への最後のキーに繋がった時の興奮といったらない。
その上に、記憶喪失の件やなぜ完璧にこだわるのかといった件まで次々回収されたのだから、浦沢直樹には爪の垢を煎じていただきたいものである。

最近ある話を聞いて「お約束を破る」のが何がいいかという話で、それはお約束を破るという行為でそれまでの展開全てを肯定してくれるというものであった。

連載が長くなるほどマンネリ化してくる。つまりはマンネリがお約束となる。ドラマだが水戸黄門を思い浮かべれば想像しやすいだろう。
そのマンネリを打破したとしたら、絶対ないとしても水戸黄門が印籠を出しても悪代官が「構わん。切ってしまえ」と言うとしたら。良し悪しは置いておいて(明らかな改悪だが)、ある種新鮮さを戻すことはできるだろう。

例えたせいで逆に分かりづらくなったかもしれないが、これと似たような気持ちである。
これを読んだ瞬間に、あの何とも思ってなかった過去編がとても愛しいものとなった。

同様に、創一と梟との因縁、それがポーカーによって決着するなど、とにかく過去の出来事の総決算であったのだ。
40巻以上続いたストーリーの全てに意味があったのだ。あまりに見事にストーリーをまとめていくのでもはやマルコの歯医者の話すら意味があったのではないかと勘繰りたくなる。

その上で最高峰の駆け引きが見れる。これが僕がエアポーカーを愛する最も強い理由である。


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