2018年3月17日土曜日

【関ジャム】いしわたり淳治がやらないなら俺がやる ポルノグラフィティ失恋ソング特集








ということで。
先日放送された関ジャムの失恋ソング特集を見た。番組自体はとても楽しく見ていたのだが、ポルノファンとして納得いかなかった人も多いことだろう。


……失恋ソングといえば……!


……サウダージだろうが……!



カイジみたいなテンションになった。


ということで勝手に憤りを感じたので、いしわたり淳治に代わって俺がポルノグラフィティ失恋ソング特集してやる、と思い立った訳である。

せっかくなので昭仁さんと晴一さんの曲を2曲ずつ取り上げることにする。


1. サウダージ








まずはなんと言っても"サウダージ"だろう。

"サウダージ"のとは何か。それは男の女々しさを女言葉に置き換えて表現した手法だろう。以前にも触れたことがあるが、ここであらためておさらいしよう。

"サウダージ"の特徴といえば女言葉を用いた歌詞だが、それは実は男の心情を女言葉に置き換えて歌詞にしているのだ。その理由は心情をそのまま吐露してしまうと女々しくなってしまうからである。なので、あえて女言葉に置き換えることで、ウェットだけどドライさもあるという絶妙なバランスの歌詞になっているのだ。

もちろんそのまま女性の心情として捉えても十二分に歌詞として素晴らしいが、その裏の意図があることで、老若男女問わず人を惹きつける曲となっている。

では"サウダージ"の最も秀逸な歌詞はというと、おそらく多くの声が上がるのが2番サビの一行だろう。

あの人に伝えて…寂しい…大丈夫…寂しい


この一行だけで、主人公がどんな人物なのか滲み出ている。本当は強がりたい、しかし最後にはどうしても弱さを見せてしまう。2回目にくる「寂しい」は最初の「寂しい」の比ではないほどの哀しみが詰まっている。

この繰り返しの手法はサビにも使われている。「その日までサヨナラ恋心よ」というフレーズは1番と最後のサビで繰り返される。

1番で時系列は現在である。そこから2番では2人の過去に焦点が当たる。


時を重ねるごとに ひとつずつあなたを知っていって
さらに時を重ねて ひとつずつわからなくなって


たった二行のフレーズ、しかしこれに共感するという人は多いだろう。

こうして物語に奥行きを持たせ、過去を思い、寂しさと強がりを抱えたまま主人公はそれでも最後に恋心へサヨナラを告げ歩み出す。
この2回目のサヨナラに込められているのは、1番のそれとは違っている。

そんなフレーズの繰り返しによって深みを持たせながらも、繰り返しというものにもう1つの意味が込められている。まさにそのままの言葉が登場する「繰り返される よくある話」というフレーズだ。これがあることで"サウダージ"は聴く者1人1人の心情に染み渡り、それぞれの"サウダージ"となる。

誰しもが経験すること、人がいつまでも繰り返している出逢いと別れ。"サウダージ"は架空のストーリーでありながら受け手の中で形を変えていつの間にか"実体験"のような感覚になるのはそういうためである。それこそがいつまでも人を惹きつける理由だ。

これ以上やると"サウダージ"だけで終わってしまうので、次へ行こう。



2. 別れ話をしよう








「アゲハ蝶」のカップリングナンバーである。
そのものズバリのタイトルである。

舞台は東京のどこかにあるバー。ある2人の別れ話。

これは"サウダージ"において女言葉に置き換えられた男の心情がストレートに表現されている。
別れを切り出したのは主人公であるが、それでも残る未練。それは「この煙草を消したら」「このこおり溶けるまで」、少しでも君との時間を終えたくないと、その瞬間を引き延ばしてしまう描写に現れている。

君との時間が終わり、店を出てしまえば最後君の全ては「僕のもの」ではなくなる。

"サウダージ"での恋心への別れは、それすらも受け入れて歩き出すというものであったが、"別れ話をしよう"においての「じゃあ さよなら」は未練と弱さに飲み込まれてしまっている。だからこそ、最後に主人公は「恋人」と言ってしまう。

しかし、それも"リアル" なのだ。誰しもが強いわけではない、失恋とはむしろそういうものなのだ。それが…このような別れなら…なおさら!

すみませんカイジネタやめます。

晴一さんの歌詞はフィクションでありながらも、まるでどこかで本当に起こったことのようなリアリティを持っている。それでいて具体的な描写をあまり使わないことで、それぞれの中でストーリーが膨らんでいく。

では、ここからは昭仁さんの書いた失恋ソングを見てみよう



3. 冷たい手~3年8ヶ月~








"サウダージ"のカップリングである。

晴一さんはどちらかというとストーリーテラーのような部分があるが、昭仁さんの歌詞はまたそれとは違っていて、その表現の違いがポルノグラフィティの楽曲の裾野の広さになっているのだ。

ここで描かれるのは"別れ話をしよう"とは真逆のような、未練すら残さない愛の結末である。

3年8ヶ月、決して短くはない年月だ。
しかし、その愛はもうとっくに乾き、冷えきったものになってしまっている。

怒りにも似た諦めという感情、しかしそんな歌詞の中で1つ、あるフレーズがあることで、この曲はより心に響くものとなっている。それは

今さら確かめても? きっとそこにあるのは
ただ美しい過去だけ


そういえば、あらためて歌詞をじっくり読んで「確かめても?」に?がついているのに気づいた。

現在は冷えきってしまった2人、しかし逆説的にそれほど最初2人は熱い関係を築いていたということだ。そんな過去を否定せず、「ただ美しい過去だけ」と言い切ってしまうところに、2人の3年8ヶ月という重ねた日々の重さが詰まっている。

だからこそ君の匂いすら返してあげると言ってしまうほど乾いた2人の姿さえ、どこか愛しく写るのだ。




4. 夕陽と星空と僕








ファンの中でも圧倒的な人気を誇る「愛が呼ぶほうへ」のカップリングナンバー。

最も心を射ぬかれるフレーズがこれだ。

君の前では流せなかった涙が今ごろ頬を伝う
風もない静かな夜だからそのまま足元に落ちた


比喩でも誇張でもなく、ただありのままの光景。しかし、このフレーズが持っている哀しみはあまりに大きい。

僕の心の動揺はとてつもなく大きい。
そんな心の動揺と相反するように、その夜はあまりに静かだった。

君の前で流せなかった涙、それは素直になれなかったから。しかし、1人になってからその涙は呆気なく落ちていった、ただ真っ直ぐに。

違う部分を肯定しあうこと、それこそが愛や恋だった。しかしそれはいつしかただのすれ違いとなっていた。

これはまさに上記でも書いた"サウダージ"の「時を重ねるごとに~」のフレーズと相通ずるものですね。


どこまで行っても、最後に人と人は完全にわかりあうことはできない。しかしそれでも、いや、だからこそ人は人に惹かれ、人を愛してしまうのだ。

失恋ソングがいつまでも人を惹きつけるのは、そういった側面があるだろう。受け手によって様々に形を変える。

そう、まるでカメレオン・レンズのように。








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