2019年8月9日金曜日

アニメ「さらざんまい」応援上映レポート @シネ・ルーブル池袋







アニメ「さらざんまい」の応援上映に参加してきた。


途中、20分の休憩が挟まるにしても17:00~21:45(4時間45分) ということは、「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」エクステンデッド・エディションより長いのだ。

そもそも「さらざんまい」全11話を一挙に見るというだけでも体力を使うのに、更にはひたすら声を出すのだ。さらっとというレベルでなく、自分の体力との闘いである。


アニメ「さらざんまい」応援上映レポート @シネ・ルーブル池袋









さらざんまいとは









そもそも「さらざんまい」が何なのかということを話すと。

浅草と合羽橋を舞台に中学生男子3人が河童になり、歌い躍りながらゾンビになった者の尻子玉を抜いて、警官2人組が歌い躍りながらBLする話である。

何を言ってるかわからないと思うが、これ以上に要約しようがない。

監督は「少女革命ウテナ」「廻るピングドラム」「ユリ熊嵐」を手掛けた幾原邦彦。

文明が飽和し、テクノロジーの進化で誰とも繋がれる今だからこそ、本当に大切な「つながり」を描いた作品である。
深夜アニメながら、最終回にはトレンドとなった上に2019年春アニメとしてはトップとなる残留率(127%)を誇る人気を見せた。

1話だけでも情報量は多く、提示されるテーマ、謎、全く意味がわからない世界観に理解は追いつかない。

それでも、魅力的なキャラクターたちと、次が気になる謎によって、次第に世界観に浸っていける。

僕は敬愛している「山田玲司のヤングサンデー」でウテナ、ピンドラが取り上げられ幾原邦彦作品に興味を持ち見始めた。






↑ぜひ見てください。


ヤンサンでリアルタイムで解説していくことと、彼女さんがウテナ好きだったこともあり、2人揃って「さらざんまい」を見ていった。

それからは会う度、ほとんど「さらざんまい」の話しかしないほどハマっていった。

幾原邦彦作品特有の「語りたくなる」テーマが山積みで、ネットで語られた考察や玲司先生の熱い「イクニ」語りも交え、あれこれと話していた。

そんな折、応援上映開催がアナウンスされ、乗るしかないこのビッグウェーブに状態でチケットを取った。



前半戦 1~6話





ということで応援上映レポに移ろう。





昼にはサンシャインで名前だけで選んだ「サラディッシュ」で昼を食べ、水族館に行きイクニ気分を高めまくり、サンシャイン水族館はピンドラであると共に、カワウソをしっかり見た。

水族館から映画館なんて定番デートコースなのに、全てイクニの手中である。

そもそも応援上映が初めて、ましてやアニメの応援上映など経験がないので、どんな雰囲気になるのか、ビクビクしながら会場に向かったのである。

僕の行った回がそうだったのかもしれないが、ペンライトとかは思ったよりもいなかった。
コスの方々もいたけれど、全体的には緩やかな空気だった。

1話が始まっても、まだ手探りの人が多く、どうすればいいのか戸惑っていたようだ。それは僕も彼女さんも同じだったので、似た気持ちの人が多かったのだろう。

こう書くと盛り上がっていないようだが、ギャグシーンでみんな笑ったり、そもそも「さらざんまいを一緒に見る」ということ自体がレアであり、あの世界観を映画館という"ハコ"の中で共有できたことが異常な体験なのだ。

応援の声は少なくとも、同じ感動を共有できること、それが劇場で作品を見ることの醍醐味でもある。
劇場の空気によって、作品の良さは何倍にも引き立つ。

画面サイズと音響のおかげで、テレビで見た時に気づかなかったような演出があったり、音楽の良さが更に増したり、何より視界いっぱいに広がる「さらざんまい」の没入感が半端ではない。


しかし、ある勢力が口火を切ってくれたことで、雰囲気は変わっていく。

燕太ガチ勢の面々である。

燕太の登場とともに「かわいいーーー!」の声が木霊した。それから、助走はありつつも少しずつ声があちらこちらから漏れてきた。


燕太ガチ勢が盛り上げてくれたり、歌のシーンの合いの手(「ハコハコ~」「ソイヤ!」等) なんかも入りつつ、会場は少しずつ応援上映らしい雰囲気に。

そして6話で最初のピークを迎える。

拐われた春河を取り戻すために奮闘する河童たちに「がんばれー!」という声が挙がり、春河の想いに胸が熱くなる。何度も見ているはずなのに、どこまでも純粋に物語を楽しんでいる。

面白い。

6話で一旦区切りとなり、20分の休憩へ。










後半戦 7~11話




僕らはここから物語が加速し、辛い場面が待ち受けていることも知っている。

それでも一度映像が始まれば、逃れることのできない現実でもある。それは、人生と同じようだ。

レオとマブの物語にも焦点が辺りだし、やはりファンが多いのか、反応が大きくなっていく。あとはおそらく前半で消耗しきらないように、後半に体力を残していた人も多かったのだろう。

いくつか面白かったとこを。


・レオの完璧な朝食
レオ「いただきまーす!」
観客「召し上がれー!」
※わりとこういうベタなのに弱い


・汚された練習場所
燕太「誰が汚したんだ」
観客「ちょwおまw(お前だ!)」


・観客「マサーーーーーーー」



終盤に行くほど応援どころではなくなっていく。


9話

久慈兄弟の物語。

終盤9~11話は話の密度がかなり濃く、目まぐるしいスピードで展開していくが、9話ラストで命尽きる久慈誓の場面は、場内に嗚咽が溢れるほど、ほとんどが涙していた。

僕もこの場面が一番しんどかったので、わかっていても、わかってるからこそ、「カヴァレリア・ルスティカーナ」の旋律が涙を誘う。







自分が男兄弟の弟だからかもしれないが、境遇はまったく違うけれど、無意識のうちに色々なものを重ねてしまった。

夜の暗い場面だからこそ、映画館の場内で見るそれは、まるであの船に同乗しているかのような錯覚にまでなる。

9話の余韻尽きぬうちに突入する10話。








1話の中でレオとマブの物語は完結する。レオが河童になる場面は、面白おかしい場面なのに泣いてしまうという、精神異常に陥る。このバランスこそ、「さらざんまい」の恐ろしいところだ。

最後に明かされるマブの真実と想い。消えてしまうものと、消えないもの。

長いと思っていた上映時間もあとわずか、最終話を残すのみとなった。

最終話ともなると、場内の盛り上がりは凄かった。物語のクライマックスとともに、応援上映も最高潮となった。


「がんばれー!」


と誰しもが叫んでいた。

改めて、これだけ大きな画面で見ても全く遜色のない、なんと美しい作画なのだろうか。
文字通り「命が吹き込まれた」キャラクターたちが、本当に浅草の街にいるかのような錯覚にさえ陥る。

これは只のアニメの上映などではない。この世界を、キャラクターたちをみんな愛しているからこそ、心からの声が出ていた。二次元も三次元も超越した何かが、そこにあった。

喪失に哀しみ、希望に涙する。それぞれの人生に確かなものを残した、それこそが「さらざんまい」なのだ。

偶然と運命が一希、悠、燕太を繋げたように、「さらざんまい」によって場内につながりをもたらした。

「意味がわからない」と云われがちな作品だが、そのメッセージは驚くほどストレートなものだ。
そのテーマも、最終話でサラの口から直接云わせるほど、今回はなるべく多くの人に伝わるようにチューニングしてある印象だ。

だからそこ、次が気になる演出もあるが、最後まで視聴者は離れず、多くの人が最終話を見届けたのだろう。


人が物語を見るのは自分の人生を変えるためである。

見る前と後で決定的に人生を変えてしまうもの。

それはたかがアニメかもしれない。

しかし、そのアニメは命あるクリエイターたちが人生と魂を削って創り出した世界なのだ。

本気で何かを伝えたい人たちの想いは、こうして届いた。
それが応援上映としてひとつの形となったのだ。

そこで挙がった声、流れた涙は確かなものだったと、創り手に届いて欲しいと願い、この文章を終えることにする。

いざ、未来へ。


正直、老体になりつつある身体が耐えきれるか不安があった。
何より、あれだけ濃い物語を一気に見ることができるのか、と。

もしかしたら、疲れ果ててしばらく見たいと思わなくなるかもされないとさえ思って構えていた。
これを書いてる正直な気持ちを残そう。

なんと、晴れやかな気持ちだ。

さらざんまいが見たい。

そして。

何より。

さらざんまいを、愛してる。


(※機械の心臓が爆発し筆者死亡)


アニメ「さらざんまい」劇中歌"さらざんまいのうた"と"カワウソイヤァ"の歌詞から考察する

「トイ・ストーリー4」ネタバレ感想 ラストのボニーの行動とウッディの決断の意味


ポルノファンへハルカトミユキの歌詞と音楽をプレゼンさせてください




このエントリーをはてなブックマークに追加
 













0 件のコメント:

コメントを投稿