こんにちは。
ドレスコーズの新譜を聴くためにサブスクを利用し始めたら、その矢先にCDでのフィジカルリリースが決定して落ち込んでいるポンコツです。
しかしながら最近iPodも容量が危険水域まで来ていたり、買ってはないが聴いてみたかった曲がサブスクで手軽に聴けたりするのは、確かに便利だ。
気になっていながらちゃんと聴けていなかった曲の1つが中島愛の”水槽”である。
矢吹香那が作曲し、作詞は我らがポルノグラフィティの新藤晴一が手掛けている。ちなみにアレンジはトオミヨウだ。布陣が凄すぎる。
この度、色々と聴いていた中で改めて曲が刺さったので、今更ながら歌詞について書いていきたい。
曲について
この曲は2019年11月6日に発売された両A面の13thシングル「水槽/髪飾りの天使」に収録されている。
アニメ「星合の空」のオープニング曲だ。このアニメは中学男子ソフトテニス部が舞台らしく、中学男子ソフトテニス部だった自分としては見過ごせない。なんで言ってくれなかったと思ったが、当時相棒から聞いていたような、聞いてなかったような。
キラキラな青春ものかと思ったが、虐待が関わっていたり、結構重いテーマを内包しているようだ。
そう考えると、トーンが暗めなこの”水槽”という曲がオープニングだったことも頷ける。一般的なイメージとして、アニメのオープニングって結構テンポがよくて明るかったりとか、掴みのためにサビ始まったりみたいなことが多いが、こうしてじっくり時間を掛けて積み重ねていくような曲を選んだのは興味深い。
※そこまで言うなら見ろよという話だが、マジで最近時間がないため申し訳ない
歌詞については後述するとしても、まず曲そのものがとても良い。メロディは自分のドストライクだし、トオミヨウのアレンジも秀逸だ。
最初は低音中心で空間系のエフェクトが効いた浮遊感のあるサウンドで、後半に掛けてはストリングスが加わる。このストリングスが明るさというよりは、曲の主人公の意志を表しているように聴こえて、繰り返される1番と同じ歌詞のサビが違って聴こえるアレンジだ。とりわけ冒頭から要所要所で入っているアコギの短いフレーズがとても効いている。
そして中島愛の歌声。以前に同様に新藤晴一が作詞を手掛けた”サブマリーン”のトーンともまた違った、ハスキーよりの声で合っている。自分の好みとして、このくらいのトーンの歌声は特に好きなので、それがこの曲をよりリピートする要因となっている。ちなみに”サブマリーン”の歌声も、テーマと合っていてとても良いと思う。
歌詞については中島愛本人からのオファーで新藤晴一が選ばれたという。
タイアップの依頼として歌詞が少年である「僕」の目線であることは指定されていたので、少年性を描くのに相応しい作詞家として新藤晴一に声が掛かったのだ。すごいな。晴一、キミに決めた!みたいな感じでマスターボールを投げたんだと思う。
ではそんなオファーを受けた我らが伝説のポケモンこと新藤晴一がどんな言葉で世界を紡いだのか、じっくり見ていこう。
歌い手がアイドルだろうが声優だろうが憧れの明菜ちゃんだろうが、新藤晴一は一貫して曲が呼ぶ歌詞を書き続ける。もちろん歌う者への配慮や考慮もなくはないのだろうが、そうでなければアミューズで再出発したヴォーカル・ダンスグループであるBuzyのデビュー曲に”鯨”なんてタイトルを付けないだろう。嵐のデビュー曲なんて”A・RA・SHI”だぞ※。
※好きな曲です
数多き詞の書き手がいる中で自分が選ばれたということで、提供曲における新藤晴一の歌詞に対する力の入れ方は、ポルノグラフィティの時ともまた一味違う力の入れようだ。
この曲も、先に書いたようにジュブナイル的な少年性を求められたことで新藤晴一に声が掛かった。 その期待に応えるべく、自身の持つ個性(ポテンシャル)と向き合ったことだろう。
ハルカトミユキかな?と思えるほど冒頭から重いフレーズだ。
後に「クジラ」という言葉も出てくるが、まさに先にも挙げたBuzyの”鯨”の冒頭フレーズを思わせる歌詞だ。ちなみに、歌詞はこちらである。
“水槽”の歌詞は、かなり色濃くBuzyの”鯨”を思わせる。なぜデビュー曲に業を背負わせたがるのか。
この”鯨”の主人公は、失恋してそれでもあなたを想い続けてしまう自分を悔いている。なので”水槽”の主人公とは設定は違うのだけど、自分の心に抱えた「罪」と向き合う根幹は確実に繋がっている。なぜなら、2人の主人公たちはどちらも自分自身を赦せ(許せ)ないままでいるからだ。鯨についての考察は最後に。歌詞の続きを見て行こう。
サビまでで、改めて主人公の置かれた状況が、辛く苦しいものだと描かれる。
それでも主人公はたしかに「ここではない場所」に希望を見出す。
最初は低音中心で空間系のエフェクトが効いた浮遊感のあるサウンドで、後半に掛けてはストリングスが加わる。このストリングスが明るさというよりは、曲の主人公の意志を表しているように聴こえて、繰り返される1番と同じ歌詞のサビが違って聴こえるアレンジだ。とりわけ冒頭から要所要所で入っているアコギの短いフレーズがとても効いている。
そして中島愛の歌声。以前に同様に新藤晴一が作詞を手掛けた”サブマリーン”のトーンともまた違った、ハスキーよりの声で合っている。自分の好みとして、このくらいのトーンの歌声は特に好きなので、それがこの曲をよりリピートする要因となっている。ちなみに”サブマリーン”の歌声も、テーマと合っていてとても良いと思う。
歌詞については中島愛本人からのオファーで新藤晴一が選ばれたという。
タイアップの依頼として歌詞が少年である「僕」の目線であることは指定されていたので、少年性を描くのに相応しい作詞家として新藤晴一に声が掛かったのだ。すごいな。晴一、キミに決めた!みたいな感じでマスターボールを投げたんだと思う。
ではそんなオファーを受けた我らが伝説のポケモンこと新藤晴一がどんな言葉で世界を紡いだのか、じっくり見ていこう。
水槽
歌い手がアイドルだろうが声優だろうが憧れの明菜ちゃんだろうが、新藤晴一は一貫して曲が呼ぶ歌詞を書き続ける。もちろん歌う者への配慮や考慮もなくはないのだろうが、そうでなければアミューズで再出発したヴォーカル・ダンスグループであるBuzyのデビュー曲に”鯨”なんてタイトルを付けないだろう。嵐のデビュー曲なんて”A・RA・SHI”だぞ※。
※好きな曲です
数多き詞の書き手がいる中で自分が選ばれたということで、提供曲における新藤晴一の歌詞に対する力の入れ方は、ポルノグラフィティの時ともまた一味違う力の入れようだ。
この曲も、先に書いたようにジュブナイル的な少年性を求められたことで新藤晴一に声が掛かった。 その期待に応えるべく、自身の持つ個性(ポテンシャル)と向き合ったことだろう。
僕にも来るのかな? 自分を赦せる日が
今まで罰してきた ずっと背負ってきた 黙ったまま
ハルカトミユキかな?と思えるほど冒頭から重いフレーズだ。
後に「クジラ」という言葉も出てくるが、まさに先にも挙げたBuzyの”鯨”の冒頭フレーズを思わせる歌詞だ。ちなみに、歌詞はこちらである。
生まれ落ちた罪 生き残る罰
私という存在
一瞬のトキメキ 永遠のサヨナラ
いつかは許して下さい
~Buzy”鯨”
“水槽”の歌詞は、かなり色濃くBuzyの”鯨”を思わせる。なぜデビュー曲に業を背負わせたがるのか。
この”鯨”の主人公は、失恋してそれでもあなたを想い続けてしまう自分を悔いている。なので”水槽”の主人公とは設定は違うのだけど、自分の心に抱えた「罪」と向き合う根幹は確実に繋がっている。なぜなら、2人の主人公たちはどちらも自分自身を赦せ(許せ)ないままでいるからだ。鯨についての考察は最後に。歌詞の続きを見て行こう。
真水の水槽に放たれた熱帯魚のよう
尾ビレを揺らしているけど 泳いでいるわけじゃないんだ
溺れて身をよじっている
遠い海からかすかに届く 潮騒はけして幻じゃないはず
ただ僕は耳を澄ましているよ クジラたちが声を合わせ歌っている
喜びの歌
サビまでで、改めて主人公の置かれた状況が、辛く苦しいものだと描かれる。
それでも主人公はたしかに「ここではない場所」に希望を見出す。
罪
僕には選べない この眼に映るものを
今も残像が 胸に貼り付いてる
紅に染まってく 夕日が今日を過去にする
まだ見ぬ真新しい朝 孕んで闇夜よ深くなれ
冷たい夜風にも耐えよう
2番に入っても主人公の葛藤は続く。
「まだ見ぬ新しい朝」というのは、希望のようにも思えるのだけど、主人公にとっては変わらぬ1日の始まりでもあるように聴こえる。
「僕には選べない」というフレーズがキーになっていて、これが新藤晴一の歌詞における「選択」というテーマに通ずる。これも最後にクジラとまとめて書くことにする。たしかに聴こえたクジラたちの喜びの歌、しかし目の前にある光景は主人公が選べないまま佇む現実だ。
冒頭で「今まで罰してきた」とあるが、主人公の抱えている感情については具体的には描かれない。Buzyの”鯨”のあなたとは違って、どこか内面に抱えているもののように感じる。
見てないのに書くのは心苦しいが、アニメ「星合の空」ではXジェンダーやトランスジェンダー(FTM)のキャラクターがいるという。性自認などにおける自分自身のアイデンティティと向き合うこと、それと周囲の人々との関係などから生まれた葛藤に見えるのだ。
そうすると「今まで罰してきた」というのは、主人公が持っているアイデンティティに対して生まれる周囲の「偏見」などに対するものではないかと思える。理解が得られるとは限らない世の中の不条理、それを直接受けたのかもしれないし、「自分は”フツウ”ではない」と主人公自ら抱いてしまっているものかもしれない。
ほとんどの人にとって、「差別はいけない」とわかっていながら、差別は世の中からはなくならない。
そうした現状を主人公は「罪」として、「自分は”フツウ”ではない」と思わされてしまうほどに追い込まれているとするならば、この曲は残酷なまでに今の世界を歌っているといえる。それが表れているのが、2番のサビだ。
膝を抱え泣きじゃくるほどに 僕はもう弱くもないんだけれど
この世界がどんな人にとっても 素晴らしいものだと 言えるほどに強くは
なれてないんだ
新藤晴一らしいフレーズで、とても好きな歌詞だ。
曲として聴くとわかるが、この歌詞は完全にメロディに乗って滑らかに歌えるようにはなっていない。 特に「この世界がどんな人にとっても 素晴らしいものだと」の部分は音節と言葉数の語感が合っていないように感じる(「この世界 が」のように切れ目に少し違和感がある)。
これは完全に憶測なのだけど(ていうかそれを言ったら考察全部憶測だが)、このフレーズこそが”水槽”において新藤晴一が最も伝えたかった、譲れなかった言葉なのではないだろうか。だからこそ、メロディよりも言葉を優先した、そう思えて仕方ないのだ。
思い出したのが、ポルノグラフィティの”Century Lovers”で、サビの「次の千年の」の「せんねん」が歌メロとしては歌いづらかったけれど、そこだけは歌詞を変えることを譲らなかったというエピソードだ。
主人公は決して弱い存在ではないが、強くもなれない。なぜなら、それが主人公のありのままの姿だからだ。それを変えてしまっているのは、決して素晴らしいことばかりではない、世界そのものなのだ。ありのままに見つける主人公が強くないと思わされてしまうのは、主人公が弱いからではなく、世界そのものが強く歪んでいるからではないだろうか。
※これはあくまでも一つの解釈の例なので、聴いた人それぞれに重ねられるようになっていると思う
そんな世界の中で、主人公はそれでも前を向く。
不安は誰にもあるって本当? もしそれが本当なら
もうちょっとはこの水槽の中 泳ごう 空気を探して
もうちょっと
このフレーズの後、1番のサビが同じ歌詞で繰り返される。
けれど、その希望という感情は最初の時とは違って、より力強くなっているように聴こえる。
全体的には決して明るい曲ではないのだけど、それでもここで見える光は、暗さの分だけより明るく輝いて見えるのだ。
なぜ「クジラ」なのか
新藤晴一はこれまでそれなりの数の歌詞の提供をしているが、それでもここまで明確にモチーフとして「クジラ(鯨)」を使ったのには、理由があるのではないかと思う。
1つにはBuzyの”鯨”のテーマに対する今の新藤晴一の挑戦だったのではないかという点だ。折しも昨年から新藤晴一はnoteで自身の著書である『自宅にて』のテーマを今の自分で書くという取り組みをしている。年齢を重ね経験を積んだ今の目線を語り口として、対照的なコラムを書いているのだ。”水槽”において、ここまで”鯨”のテーマやモチーフを取り上げたのは、今の自分が”鯨”を書いたらこうなる、という意志表示もあったのではないだろうか。
そして、もう1つは鯨という生き物の特性にあるのではないだろうか。
鯨は水中で生活する哺乳類だ。生物の進化において、最初は海の魚類、そこから陸にも上がれる生き物(両生類)が生まれ、爬虫類へと進化していった。その後翼を広げた格好で助走をつけて走った鳥が生まれたり、陸地で生活する哺乳類が誕生した。諸説あるだろうが意見はダーウィンに言って欲しい。
クジラやイルカのような哺乳類は、魚類と近い系譜だと思われるだろうが、実は陸で生活する哺乳類の中でまた水中で生活することを選んだ結果生まれたのだ。これを進化と呼ぶか、退化と捉えるか。僕はどちらでもないと思う。
これは生きてく上の「選択」の話で、「選択」は新藤晴一の歌詞にとっては重要なテーマの一つだ。
たとえば進化の過程で、陸上で生活していた哺乳類の中に「この場所は合わない」と思った生物がいたのかもしれない。理由はエサの確保かもしれないし、天敵から身を守ることだったかもしれない。もしかしたら、ただノリでそう思ったからというだけかもしれない。
この考えから導かれるものは「自分の生まれた場所や姿が全てではない」というメッセージに繋がるのではないかと思う。決して容易く起きることではないが、長い歴史の中でその場所を離れることも、陸ではなくて海で生きていくために変化するということが起こり得たのだ。それは神様が起こした奇跡でもなくて、自らの選択から生まれた結果だ。
それを踏まえて”水槽”と”鯨”の歌詞を見ると、今の自分の置かれた状況が苦しく、それでも声に出せず、自分を罰することしかできないことへの叫びが詰まっている。新藤晴一はBuzyへの提供曲で”パシオン”という曲の歌詞も手掛けているが、この曲の主人公もまた、燃え尽きることがわかっていてもあなたを想ってしまう主人公を描いている。
離れることのできない場所、離れたくない場所、選んだ場所、選べなかった場所、それぞれどんな場所であっても、そこで生きる自分は、たしかにそこにいる。
選べないもの、それは自分が持っているアイデンティティや家族かもしれないし、教室の中の世界かもしれない。たとえどんな場所であっても自分は自分であって、そこでどう生きるかを選ぶこと、それこそが人生にとって大切なことだと新藤晴一は書き続けてきた。
同時に、選ばなかった道に進めないように、自分で選んだ道だからこそ、その選択に責任を持って生きていかなければならないのだと教えてくれる。
それは厳しさであるように見えるけど、優しさでもあると思う。
なぜならこの曲がリリースされる前の年、新藤晴一はこう書いている。
簡単に語るんじゃない 夢を わかろうとしない 他人がほら笑っている
簡単に重ねるんじゃない 君を すぐに変わってゆくヒットチャートになんか
君は君のままでずっと 行くんだから faraway
~ポルノグラフィティ”ブレス”
過去の生物たちが生きる場所を選んできたように、これから先の未来もまた、僕らの無数の選択肢の先にあるのだ。
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