ハルカトミユキの昨年リリースしたアルバム「LOVELESS/ARTLESS」の中の収録曲”夜明けの月”
アルバムの感想でも好きだと書いたし、日比谷野音の感想でも書いたけど、まだ書き足らない。
ということで2017年にもなって、いまだに熱が冷めないこの曲についての想いを書いていく。
と思ったが、あまりにも思い入れが強すぎてとんでもない文字数になりそうである。
※かなり削りました
こういう感情が先走った記事はきっと多くの人に読まれるものにはならないだろう。だが、たった1人であっても伝わればいい、そんな気持ちを全身全霊込めて書く。
ハルカトミユキの時代性
アルバムのラストナンバーでもあり最大のハイライトともいえる楽曲である。
アルバム「LOVELESS/ARTLESS」自体がハルカトミユキの2016年の"今"を切り取ったアルバムであった。
ハルカトミユキの音楽は常に時代を意識していた。
目まぐるしく動く時代を切り取っていながら、普遍的なテーマを投げかけているのだ。
しかしながら、そのメッセージ性が強すぎるあまり、逆に万人に届くタイプのアーティストではないことも確かである。
以前知り合いにハルカトミユキを薦めてみたが「歌詞が重い」といってthe telephonesを聴いていた。とりあえず殴っておいたが、ほとんどの人がそんな感じだろう。娯楽として聴く音楽にメッセージ性を求めたくない気持ちは分からなくはないが。
その反面、そのメッセージが伝わる人間には響きすぎるほど響く曲たちとなっていることが多い。
良くも悪くも今の時代はメッセージ性の強い曲を求められていない時代になっている。
個人的な見解になってしまうが、それはSNS等で個人が声を挙げられるようになったからではないか。
つまり、音楽に代弁してもらわなくて良くなったのだ。
代わりに求められたのが「共感」である。
この共感というやつは、アーティストにとっては果たしていいものかと思っている。
共感という言葉の意味が軽くなった。
共感が必要とされる時代になり、安易で安っぽい共感が溢れた。
安易さが蔓延してしまうとどうなるか、人は考えなくなるのだ。
物事を深く考えようとはしなくなる。もちろん全ての物事について考えていては、消耗しすぎて壊れてしまうだろう。先の知人の話も同様である。
しかしあまりにも感覚が優先されすぎてないだろうか。
何事もバランスなのだ。
思考と感覚をシーソーにかけて、釣り合うくらいがちょうどいいのではないか。
最近そんなことを考える。
何を思ってこんなことを書いてるかといえば、残らないからだ。お手軽な共感は心に深い傷をつけて残ることはない。
僕は心に刻みつけられるような音楽を聴きたい、そのために音楽を探し続けているのだ。
そんな中でハルカトミユキを知り、沢山の曲に触れ、そして2016年にこの"夜明けの月"と出会えた。
ここでようやく前置きを終える。
夜明けの月の真っ直ぐさ
長々と書いてしまったが、なぜ僕がこれほどこの曲に思い入れが深くなったのかを書くためには必要であった。
ここからが本題である。
ハルカトミユキの音楽はどこかひねくれていることが多いのだが、"夜明けの月"は今までの中でも随一の真っ直ぐな歌詞とアレンジである。
この曲の特徴はメンバーの作曲ではないことだと思う。
アルバムのプロデューサーやここ最近のライヴのサポートギターとして参加している野村陽一郎氏の提供曲である。
この曲についてアルバムの特設サイトにて2人はこんなコメントを寄せている。
それぞれ一部を抜粋する。
夜明けの月は、消えそうで頼りないけれど、絶対に消えないでいつもそこにある。
そんな風に大切な人を守りたいし、歌を歌う人間として、そっと心に寄り添える歌を作りたい。
そう思ったら、今までにないくらいまっすぐな、優しい歌が書けた。
ハルカ
そんな風に大切な人を守りたいし、歌を歌う人間として、そっと心に寄り添える歌を作りたい。
そう思ったら、今までにないくらいまっすぐな、優しい歌が書けた。
ハルカ
こんなにもストレートな愛の歌ができるなんて!
誰が聴いてもわかる歌詞。誰が聴いても自分のことに置き換えられる歌詞。
不器用な人が不器用なりに愛を訴えていて、私はハルカの歌詞にこんなに共感できたのは初めてかもしれない。
ミユキ
誰が聴いてもわかる歌詞。誰が聴いても自分のことに置き換えられる歌詞。
不器用な人が不器用なりに愛を訴えていて、私はハルカの歌詞にこんなに共感できたのは初めてかもしれない。
ミユキ
2人も「まっすぐ」だったり「ストレート」という言葉を使っている。
さらに、skreamのインタビューでは
この曲は、ひねくれた私が(笑)飾らない状態で、今まで書けなかったまっすぐさが初めて表現できたと思うから、すごく好きな曲になりました。まさに曲に呼ばれた歌詞だと思うんですけど、これが書けたことっていうのは、これから歌詞を書くうえでもすごく大きいなって。
ハルカ
http://skream.jp/interview/2016/08/harukatomiyuki_3.php
ハルカ
http://skream.jp/interview/2016/08/harukatomiyuki_3.php
と言っていたり、提供曲であったからこそ真っ直ぐで素直な言葉が並んだということを伺わせる。
僕はどちらかといえばひねくれている人間なので、ストレートな歌詞よりも、ひねくれた歌詞が好きな傾向にある。ハルカトミユキについても、そこに惹かれていた。
しかし、そんなひねくれていた2人(特にハルカ)をずっと見てきたからこそ、結果的にこのストレートな歌詞が、どんな尖った言葉よりも突き刺さるものとなっている。
そんな真っ直ぐな言葉を生み出したくらい"飾らない"真っ直ぐなメロディだったのだ。
太陽になれないそんな僕だけど、君の足元を照らす月になろう
1番サビの歌詞
太陽になれないそんな僕だけど
君の足元を照らす月になろう
君の足元を照らす月になろう
僕はいつ聴いてもこの部分に涙してしまう。
少し身の上話になってしまうが、僕は恋愛ということにおいて不安になってしまうことがある。
こんな自分でいいのだろうかといつも自問自答してしまう。
スマートな立ち振舞いなんてできないし、気も利かない、人には迷惑掛けっぱなしである。だけどそれでも、そんな気持ちを抱えていた。
そして、2016年になりこの曲と出会った。
太陽のように君を明るく照らしてあげられなくても、闇夜を薄明かりでも照らす月になろう、そう言われた時に、こんな自分でも良いのではないかと、肯定された気がしたのだ。
ハルカトミユキの2人はたぶん自分より2~3歳年下だけど、その人たちの言葉にこんなに揺さぶられていいのかと恥ずかしさもあるが、事実なので仕方あるまい。
自分の抱えた、沢山の醜さや不安、ありとあらゆるものを取り払って残ったもの、それがこの歌詞に共鳴した。
ライヴレポでも書いたが、そこで僕は真の意味での"共感"を抱いたのだ。
大袈裟かもしれないけど「俺のために歌ってくれた」くらいまで思ってしまっている。
この2行はとても綺麗な言葉が並んでいる。しかし、それが綺麗事にはなっていない。
それはこの言葉がドロドロと汚れた泥の中から掬い上げた光る言葉であるからだ。
その感情こそが、自分の漫然と抱えていた想いの答えであり、願いであった。
僕は本来の共感はそんなに生易しいものではないと思っている、それは自分の本心と向き合ってさらけ出すことであるからだ。
僕がなぜハルカトミユキに惹かれたのか、これほどまでに強い思い入れをもってきたのか、その答えが"夜明けの月"全てに集約されているのだ。
あの日の野音で
幸せでいっぱいの時は、歌なんて忘れてください。つらくてしかたない時は思い出してください。夜明けの月みたいにずっとそこにいます
あの日の野音、"夜明けの月"はこの言葉で始まった。
音楽に救われたことがあるだろうか。
僕は何度となく救われた。
こうして言葉にすると陳腐に聞こえてしまうが、あの日の野音でまた僕は音楽に救われた。
CDの時から掛け値なしに素晴らしい曲だと思っていた。
しかし、あの日、あの時野音で聴いた"夜明けの月"は何もかもを超越していた。
単に「感動」と言ってしまうことも惜しい。そんな一言に押し込められるほど単純明快な気持ちではないのだ。
心にある綺麗なものも汚いものも全部散弾銃で打ち抜かれた。
ポール・オースターの作品に『ムーン・パレス』という小説がある。
ここ数日でたまたま再読していた。
その中でこんな言葉がある「太陽は過去であり、地球は現在であり、月は未来である」
月は未来なのだ。
一人悩みを抱えているのは、いつも夜である。
そんな夜を乗り越えた先には「夜明けの月」が浮かんでいる。
たとえ見えなくても、確かにそこにある。
僕にとってその月は音楽なのだ。
昨年の野音の"奇跡を祈ることはもうしない"の前にハルカが前口上で語っていた、
慰めも同情も幸せも、あなたにくれと頼んだ覚えはない
その代わり、もう、他人のせいにはしない
奇跡を祈ることはもうしない
その代わり、もう、他人のせいにはしない
奇跡を祈ることはもうしない
僕には「奇跡を祈ることはもうしない」と言い切れる強さはない。
だからこそ僕は音楽にすがって生きている。
夜明けの月を見上げながら。
さて、当初この調子でひたすら書こうと思っていた。
なんせサビの2行だけでここまで書いてしまったのだ。
他の歌詞にも書きたいことはたくさんある。
たとえば2番のサビと、ポルノの"アゲハ蝶"の自己犠牲との対比とか、そんなことを書いて行くと1万字を余裕で越えてしまう。
最初に書いたとおり、ここまででもかなり文章削ったくらいだ。
もしかしたら、いずれ続きを書くかもしれないけど、とにかく今はここまで書けて満足してもいるのだ。
ここまで読んだ人がどれほどいるか分からない。
でも、誰か1人でもここまで読んでいただけたのなら、僕はそれでいい。
ありがとうございました。
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