2017年10月21日土曜日

知らないバンドのライヴに人を誘ってしまった時の緊張感は異常







今年行われていたハルカトミユキの野音ライヴ、僕は友人と2人で行く予定でいた。だが、僕の天性のアホさが出てしまい間違えてチケットを2回取ってしまった。公演直前。


あれ?チケットない?→発券のメールきてないよね?→申し込みのメールもない→もしかして取ってない?→ヤバい(申し込み&発券)→数日後チケット発券できますの案内→ダブる


結果、手元には計4枚のチケットが。

この時点で3日前なので、これはマズイと思った。そこでダメで元々で友人カップルを誘ってみると、来てくれたのでチケットは無駄にならずに済んだ。

このことが今回の本題と繋がる。
そのアーティストをよく知らない人を単独ライヴに連れてく時の緊張感は、半端ない。



単独公演という逃げ場のない空間




たとえばそれが音楽フェスであれば話が違う。フェスなら色々なアーティストが見れるし、他にステージもあったり、何ならフードコートでまったりしてても良い。
1アーティストの出演時間も短めだし、フェスということでアーティストもそれなりにメジャー曲中心でセットリストを組む場合が多い。


だが、単独公演となると話が違う。

大抵2時間~2時間半の時間をそのアーティストのみを見ることになる。知らないアーティストをその時間見るのは、なかなか大変な労力である。

そういう時に「知ってる曲」があるのは心強い。「あ!これは知ってる曲!」となるからだ。たとえばポルノのライヴに連れて行った時に"サウダージ"とか"アゲハ蝶"やると、ちょっと安心する気持ちである。
ファンはマイナーな曲をやるほど喜ぶが、そうでない人は「知ってる曲」があることが心強くなる。

しかしながらハルカトミユキはさすがに知ってる!となる一般層に浸透しているメジャーな曲がない。友人は洗脳しているので数曲知っているが、友人の彼女は名前すらろくに知らないであろうアーティストである。
一応やりそうな曲をピックアップして伝えたが、なんせ3日前である。間に合うはずがない。


誘っておきながらというものだが、この時点で誘った側はかなり不安なのである。人の人生の貴重な数時間を奪うわけである。もし「つまんない」「帰りたい」とか思われたらどうしよう。そう思うともはや僕が帰りたい。

たとえば僕はナオト・インティライミのライヴに連れ出され2時間半見ていろと言われたら、死んでしまう気がする。

いや、ハルカトミユキの音楽が間違いなく素晴らしいということは、僕は自負している。お前が自負してどうするという話だが。
それでも件の「知ってる曲問題」もあって、なかなか不安なものである。

結果的に友人カップルもそれなりに楽しんでくれたようで何よりであった。










マイノリティ



僕はそもそも人に薦めるという行為が苦手なのかもしれない。

このブログは不特定多数に向けて無責任に書いているので、そんなに気にならないが、面と向かって何かを薦めるのは不得手である。

それは、僕の趣味がマイノリティであるという自負があるからだ。僕の好きなアーティストはポルノは置いておいても「もっと売れればいいのに!」と思うアーティストばかりである。

しかし世相には届かないようで、明らかに知名度はそんなに高くない。今年のロッキンのハルカトミユキの客入り見て泣きそうになった。てか泣いた。

そんなマイノリティな趣味の人間が何かを薦められることができるだろうか、いやしない(反語)。

ドレスコーズの「平凡」なんてあんなに素晴らしいのに。もうそんな時代ではないということも分かってはいが、それでも世間は静かすぎる。騒然としていたのは山田玲司のヤングサンデーくらいなものである。


ドレスコーズビギナーがアルバム「平凡」を聴いた感想と志磨遼平の魅力


そんなこんなでライヴに人を連れてくのって緊張しますよねって話でした。


【関連記事】
タワレコのインストアライヴイベントでキョドる、あの感じ
ハルカトミユキ +5th Anniversary SPECIAL @日比谷野外大音楽堂 2017/09/02












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2017年10月18日水曜日

【イエモン】THE YELLOW MONKEY 吉井和哉の歌詞における言葉遊びの世界






メロディに乗せて、歌とメロディを繋ぐものである。

なので、歌詞には文脈とかよりも語感を優先して選ばれる言葉も多くある。

その中でTHE YELLOW MONKEYの吉井和哉の言葉遊びのセンスは類い稀なるものがある。
といってもエロ絡みなのも多いが、それ、それこそが魅力だろう。

なぜこれを書きたかったかというと、最近はCDが売れないことに伴い、歌詞を眺めながら音楽を聴くということをする人が増えているのではないだろうか、ということへの悲しみからのものである。

もちろん音として楽しむのも音楽の魅力だが、歌詞の表記や行間から色々想像するのも楽しいということを伝えたい。

ではイエモンの歌詞における言葉遊びを見ていこう。






2017年10月15日日曜日

新藤晴一のカフェイン11レポ 2017.10.9放送分 変わる選択も変えない選択も自分次第






※赤字が自分の感想です


ポルノグラフィティ新藤晴一のカフェイン11レポ 2017.10.9放送分



オープニングトーク



体育の日で祝日。

まぁ僕決算作業で出勤しましたがね。

晴一さんはツアーに向けて身体づくり。

前回のツアーでは炭水化物を抜いたり、高タンパクを接種とやったら、頭が回らなくなったので、今回は尚更気をつけたいそう。



1曲目"Montage"



マーチャンダイジング




ツアーグッズの話。

グッズ班の方が色々と提案してくれた。
定番のTシャツやタオルなども喜んでくれるならという思いでいるが、同じくらい「チャレンジアイテム」も大切。

売れるものとなると縮こまってしまうので「売れなくてもいいから面白いもの」というコンセプトでグッズを作る。

それの始めは何年か前に「ギターストラップを作りましょう」と言われたところから。
「こんなの売れるわけない」と思っていたがスタッフが「売ってみたいんです」という声に応えて売ったら、思いのほか売れた。

OMCツアーのだね。当時は買えなかったけど、ちょっと前に縁あって譲っていただきました。


その後にチャレンジが定番化して、自転車を売ろうということになった。
ツアー初日でそこの町のどの自転車屋よりも自転車が売れた。

その後もスタッフは変わっても面白いグッズは定番化してきた。
ご祝儀袋や防災セットなど。

ご祝儀袋その後にめっちゃ使いました。


今回のツアーはまだ見ていない。スタッフは会社の社員であるけど「クリエイター」としてファンがあっと驚くグッズが見たい。

晴一さんは"ポルノ痛車"を提案したが却下された。


今浪:2人の顔のマスクあったら絶対売れますよ
晴一:見たくないなぁ。というか売れたらダメじゃもん
今浪:でもカラオケとかに着けて行きたいですもん


2曲目"応答セヨ"関ジャニ∞



政治を語ろう



10月10日に衆院選が公示。
収録時点では「意義なき選挙」ということ。

自民党だけの一強だけでなく、自民党の受け皿になれるような相手の党が必要。
何か自民党に取って変われる勢力がいれば、政治としては切磋琢磨できるのではないか。

小池氏はまだ政治家として何かをしたようには感じない。
あるものをシャッフルする姿は見えるが、まだ自分から何かを生み出す事はしていない。

たとえば共産党は公約だけ見ると良い事を言っているが、与党になることはない。

もし自民党がここで敗れると首相が変わったり、トランプの話し相手が変わったり北朝鮮対策にも影響が。

核実験の問題など北朝鮮がまさかここまでやらないだろう、ということを軽く超えてしまった今、北朝鮮がまさかここまでしないだろうという"信頼"の上に今の平和があるというのは恐ろしいこと。

僕は政治的な発言はここでは遠慮しているため、特にコメントしません


3曲目"Working men blues"










兄が浮気




空港まで人を見送ったことはありますか。
空港の見送りが国内線に限り搭乗口まで延長。搭乗口付近のお店まで栄えることを期待する動き。ただし、保安の問題はある。

アリアナ・グランデの件もあったり、今は新幹線に検査なしで乗れるということは、将来なくなるかも。

見送りの人も荷物の検査を行う


コーナー:相談するほどじゃないけど相談室

メール:兄が私のクラスの子と浮気をしたということで別れて顰蹙を買った。それが元カノとよりを戻した。

晴一:16歳で凄いね。うちの田舎だと16歳で付き合うってだけで周りの目が光るのに、浮気なんて次元はなかった。
浮気って何なんだろうね。
今浪:キスしてるとこ見られたとか
晴一:そういうフランクな時代なんだね。今は週刊誌とかでも報道されるけど、学校なんて周り全部記者みたいなもんなのにね。

学校という狭い世界での浮気かぁ。


4曲目"Stand Alone"


選挙について、考えて投票に行こう。

変わる選択も変えない選択も自分次第。


では今週も閉店です。










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2017年10月14日土曜日

【感想】印象派 アルバム「印象派は君に問いかける」は"今"聴くべき傑作






大阪-東京の遠距離OLテレパシーユニット印象派がアルバム「印象派は君に問いかける」をリリースした。

これまでは1年ごとにミニアルバムをリリースしてきたが、今作はアルバムとしては2年ぶり、初のフルアルバムとしてのリリースとなった。2016年はミニアルバムのリリースはなかったものの、「LOVELETTER FROM KAMATA .ep」のリリースであったり、ライヴ活動などで精力的に活動していた。そんな印象派が満を持して(これほど似合う言葉はない)リリースしたフルアルバムこそが今回の「印象派は君に問いかける」である。

「LOVELETTER FROM KAMATA .ep」に収録された"連れてって"(epとはバージョン違い)や薬師丸ひろ子の""Woman"Wの悲劇"よりのカバー。さらに、突然配信リリースされた"Kiss!Kiss!Kiss!もいっちょKISS!!"や"秘密"を含む2016年から2017年の印象派の今を総括するような10曲。その内容は印象派らしくジャンルレスで個性豊かな曲たちだ。アルバムの中で似た曲がないどころか、これまでリリースされている既存曲とも似て似つかないものばかりである。

ロック、ダンス、ファンク、ヒップホップ、フォーク、ヒップホップ、そしてJ-POPなどなど、ありとあらゆる音楽のエッセンスが散りばめられている。毎回不思議に思ってしまうが、普通であれば跛行的になりかねないその多彩さが、それであることが必然であるかのようにスッと箱に収まってしまうことだ。そしてそれを力業と思わせないスマートさが印象派の魅力がある。

どこまで意図的なのかは分からないが「形態の明確な描写よりも、それをつつむ光の変化や空気感など一瞬の印象を捉え、再現しようとする様式」という印象主義と呼応しているような気がして、印象派という名前の意義はここでより一層強まったように感じた。





リード曲となった"檸檬[le: mon]"。梶井基次郎の『檸檬』が基となっており、歌詞中においても檸檬が登場する。小説『檸檬』では「以前の私」と「その頃の私」が居て、元気であった「以前の私」から生活がむしばまれてしまった「その頃の私」との対比が描かれる。むしばまれた生活に幸せをもたらしたのが果物屋で買ったひとつの檸檬であった。
「以前の私」が拠り所としていた丸善を檸檬が爆弾となって吹き飛ばさないか、という妄想で終わる。





歌詞の中でも《吹き飛ばせ檸檬》と歌われている。
檸檬の爆弾は抑圧からの解放である。小説では何か得たいのしれない不吉な塊に押し付けられている心に対してであるが、印象派はこれを現代社会で歌う。

現代社会において得たいのしれない不吉な塊とされるものは歌詞の中に登場する。《互い違いのライフ見せ合って/陰部見せつけてるふりわして/こぼれそうなのに見張りあうのどうして?》《加害者になれない/逆は言うまでもない》などテンポ良く歌われる歌詞の中でピリピリとしたスパイスのように散りばめられている。アルバムタイトル「印象派は君に問いかける」の名のとおり、1曲目からあまりにも強烈な一撃だ。

そんな抑圧からの解放は何か、それこそが《やめないでダダダンスビート溺れて》である。このフレーズを聴いてドレスコーズの"ゴッホ"における《悲しい時代でもぼくらは踊ってすごしたよ》というフレーズを思い返した。
更には「ロックンロールは、別に俺たちを苦悩から解放してもくれないし逃避させてもくれない。 ただ、悩んだまま躍らせるんだ」というピート・タウンゼントの言葉に繋がっているのではないか。

アルバムの中盤は"秘密"からそのまま音が続く形でタイトルトラック"印象派は君に問いかける"に繋がる。この曲は歌詞カードには、ある仕掛けがあり、まさにタイトルのとおり聴き手は印象派から問いかけられる。それがどのような仕掛けかはCDを手にとっていただきたい。この仕掛けはまさに《脳みそで考えた》にあるとおりであり、人のものではなく自分の言葉で物事を考えよというメッセージにも見えた。


アルバム後半は比較的ミディアムで黄昏色のナンバーが並ぶ。だが、 前半よりもさらに刺さる言葉が散りばめられている。僕はその言葉たちに何度も涙腺をやられてしまうことになる。

"球状"における《悲しいこと忘れたいこと/ないことにするのもどうかな/伝えにくい事なんかは/胸にしまっちゃうもんだな》
"僕らは永遠じゃない"における《2度と明けない夜が来る わからないよ僕は/二人の時は流れてる 漕げない舟のように》
"夢であった猫"における《くりかえしだね まわる時間は/思い出とよぶか 日常とよぶか》

例を挙げればきりがない。

特に後半の曲たちは歌声にさらに重きが置かれている。とりわけ、フジファブリックを連想させる"球状"や"僕らは永遠じゃない"のような郷愁さがアフレル2人に歌声は自然な程に涙を呼ぶ。パツパツに音が詰まったダンサンブルなナンバーが印象派のイメージだが、"キューポラ"にあるようにこうした旅情的な曲も僕はとても好きだ。






印象派の音楽性は確かに奇抜である。毎回褒め言葉として使うが、正気の沙汰ではない。全ての要素が暴走しているのに、不思議なバランス感覚で印象派という音楽の筐体に収まってしまう。

奇抜を演じることは簡単だ。しかし奇抜さを必然とさせ、そこに説得力を持たせる力がなければ奇をてらうことはただのパフォーマンスとなってしまう。印象派の曲にはその説得力がある。それは、一見してふざけているようで、そこにしっかりと日常が根付いていて、日常の中にある異常をトリミングして忍ばせている。
だからこそ奇抜なだけで終わらず、普遍的な音と言葉となり、僕らに響き渡る。


音楽は時代から生まれる。だからこそ今まさに生まれて放たれていく音楽をリアルタイムで聴いていくことが、今を生きているものの特権なのだ。「印象派は君に問いかける」は2017年の今だからこそ響く、必要とされる言葉が詰まっている傑作である。














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2017年10月13日金曜日

BUMP OF CHICKEN「天体観測」歌詞解釈~イマは過去になりイマに至る






誰にでも青春の曲というものがあるだろう。

ヒット曲である場合が多いが当時のことを思い出すスイッチになるような曲である。

僕の世代(1987年生まれ)くらいでいえばBUMP OF CHICKENの"天体観測"などがそれに当たるのではないか。

今またバンプ人気は復活したが、当時のバンプは凄いものがあった。
当時のバンプファンは狂気をはらんでいたものである。アンチとバンプファンのののしり合いが連日のようにインターネット上で飛び交っていたのだ。

まさに厨二まっさかりの頃に"天体観測"があったので、誰もが見えないものを見ようとしていたものだ。

思い出話はさておき、久しぶりに聴いてもこの曲のパワーは凄いものがある。

それを最も感じたのが2015年のVIVA LA ROCKである。亀田誠治さん主導のVIVA LA J-ROCK ANTHEMS!という催しがあって、これでJ-POPの名曲たちをカバーした。
その1曲目がまさに"天体観測"であった。

イントロが流れた瞬間、遠巻きに見ていた観客たちが最前のモッシュピット目指して駆け出した。

確かキュウソネコカミのヴォーカルが歌っていたのだが、記憶が定かではない。だって、みんな歌っているから。会場全員ヴォーカルである。

自分含め、あの高揚感は説明ができないものがある。藤原基央の姿すら幻影で見えかねないほどであった。

すっかり前置きが長くなってしまったが、たまにはバンプに思いを馳せて歌詞解釈でも書こうと思った次第である。



BUMP OF CHICKEN / 天体観測 歌詞解釈








not ラブソング




有名なエピソードではあるが、大前提としてこの曲はラブソングではない。
それは藤原基央が再三発言しているので間違いないだろう。異論があるなら藤原基央に言って欲しい。

では何の曲か、ということになる。

僕はそもそもが"天体観測"をラブソングと思ってなくて、ジュブナイルな歌詞だと思っていた。PVもそうだしね。

つまりは恋愛ではなく友情についての唄であると解釈していた。仮に男女の曲であったとしても恋愛とはまるで関係のない、限りなくプラトニックな間柄でいられる時期を唄っているものだろう。

歌詞の前半は冒険譚が語られる。幼心にしてみれば午前二時というのは、未だ見ぬ世界なのである。真夜中の街は、慣れ親しんだ景色を一転させる。

中~高校生くらいになれば午前二時なんてなんとも思わないだろうが、もっと幼い小学校低学年くらいの想定なのだろう。
それくらいの年頃は、目に見える何もかもが神秘的に映るものである。



思い出として




天体観測というタイトルであるが、最大のテーマはそこではない。

この曲が最も訴えかけるテーマは、幼き日の経験と友情である。もしかしたら、家族に内緒で布団を抜け出し、午前二時のフミキリへ行ったのかもしれない、ささやかでありながらも、小さな身体にとっては大冒険だ。

そんな大冒険を君としたこと、それこそが主人公にとって最も心に残る思い出なのだ。
この曲には僕と君以外出てこない。まるで午前二時の世界に二人取り残されたように。ある意味での"セカイ系"ともいえるかもしれない。

たとえ天体観測で星が見えようが、見えまいが、君と「イマ」を生きる。そこに僕らの全てなのである。

たとえ君が二分後に来なくとも、僕は変わらず「イマ」を追いかけている。

主人公が感じる痛みは、君の手を握れなかったこと。

君と追うはずの光を一人で追っていたこと。
それこそが後悔に似た主人公の心残りともなる。

しかし、同時にそれが現実として君がいたことを思い出させる確たる事実ともなる。

危険を予測して、回避して、すぐに明日を諦めてしまう僕たちには、この純粋さはもう戻ることはないのだろうか。

降られた雨に傷んだ心を主人公は忘れることはない。体験は経験となり、人生に広がりをもたらす。
僕らはいつも頭の中だけで痛みを予測して作りあげて、それを避ける。いや、もちろんケガするのは嫌だけどさ。









流星




さて、ここからは蛇足である。

この曲を聴くと僕はある作品を想像してしまう。

それは伊坂幸太郎著『終末のフール』である。





読んだことのない方のために簡単にはあらすじを。
八年後に小惑星が衝突し、地球は滅亡する。そう予告されてから五年が過ぎた頃、そこで残された三年を生きている人たちを描いた連作の短編集である。マンガ版も最高。





パニックも一段落した世界で、諦める人、淡々と日々を生きる人、大切なものを見つける人、見つめ直す人、購おうとする人、様々な人間模様が描かれる。

もし"天体観測"の世界がこの世界なら。
面白いと思ったのが「天体観測」がリリースされたのは2001年、『終末のフール』の出版が2006年。つまり、五年後なのだ。

もし、隕石の落下が発表された世界で、"天体観測"の主人公がそれを訊いたとしたら。
もし、見えないものを見ようとしたあの日を思い出したなら。

君と見れなかった流星、主人公の心はあの日に還る。そうしたなら、主人公は居ても立ってもいられなくなる。

たとえそこに君が現れなくても、僕は変わらずに「イマ」を生きて、「イマ」を追いかけている。

そんな短編があったらなと思い描いて、僕はこの記事を終えよう。







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