ロン・ハワード×トム・ハンクスによるロバート・ラングドンシリーズ最新作『インフェルノ』が公開されました。
僕は初日の金曜に見ようと思ってバルト9でチケット予約して、翌日に「ジェイソン・ボーン」を豊島園でIMAXで見ようと思って一緒にまとめてネットで予約しました。
そうしたら間違えてどっちも「インフェルノ」のチケット予約してました。
払い戻しできません。
おかげで2日連続で見ました。
ちなみに「ジェイソン・ボーン」は土曜の朝に見ました。
ダン・ブラウン原作のこのシリーズですが、都市伝説好きとしては原作小説もやはり好きな部類。しっかり毎回読んでます。
とはいうものの、今回の『インフェルノ』は読んだはずなのに原作の内容をスコーン!と忘れてました。
なので、ほとんど原作知識ないという状態での観賞でした。
結局観賞後にネタバレあらすじ見て原作思い出しました。
ということでそんな程度の記憶ですが、映画の感想と原作との比較を書いてみたいと思います。
ということで原作と映画どちらのネタバレもそれなりに全部書くのでネタバレにご注意を。
あらすじ
記憶喪失状態でフィレンツェの病院で目覚めたロバート・ラングドン教授(トム・ハンクス)は何者かに命を狙われるも、医師のシエナ・ブルックス(フェリシティ・ジョーンズ)の手引きで事なきを得る。やがて二人は、人口増加を危惧する生化学者バートランド・ゾブリスト(ベン・フォスター)が人類の半数を滅ぼすウイルス拡散をたくらんでいることを知る。彼らは邪悪な陰謀を阻止すべく、ゾブリストがダンテの叙事詩「神曲」の「地獄篇」に隠した謎の解明に挑むが……。
ネタバレ感想
ということでネタバレ有の感想を書いてこうと思います。
結論から言うと僕は結構楽しめました。
ダンテのデスマスク盗んだのにおとがめ無しかよとかストーリー的にいくつか穴はあるけれど、ハリウッドのこの手の映画でそういう重箱の隅をつつくのが不粋かなと思って見ているので、あんまり細かいことにこだわりがないんですよね。
そもそもダン・ブラウンの原作小説もまぁまぁ色々ツッコミどころありますしね。
なので、とにかく綺麗なイタリアとかの景色を眺めたりあちこち振り回されるラングドンを楽しむ映画と考えれば、まぁ楽しめる作品じゃないかと。
映像はとても綺麗なので可能な方は是非IMAXで見て欲しい映像です。
そもそも僕はヒントや暗号を辿ってくような作品が好きなので、あれだけ世間からクソ映画扱いされてる『ナショナル・トレジャー2』だって僕は好きですからね。
過去二作『ダヴィンチ・コード』と『天使と悪魔』は宗教色が強い作品でしたが、今回の『インフェルノ』は宗教ではなくて、人口の増加による地球環境の悪化というかなり現代的なテーマです。
簡単に言えば「この先人間が増えすぎてしまって環境に良くないから、人口減らすためにウイルス撒くよ」って大富豪の話。
この人口増加の問題って、実はかなり深刻なんですよね。
先日挙げ直した記事では不老不死が実現した世界の話を掘り下げましたがそれに通ずるような話でもあります。
【関連記事】
【都市伝説】田畑藤本の藤本淳史が語るテロメア不老不死
映像的な面で言うと序盤のラングドンが見る幻覚の映像が素晴らしいですね。視覚的に強烈なビジュアルで映像にした醍醐味があったシーンだと思います。
あと危機管理会社の総監のハリー・ シムズが良いですよね。なんか飄々としていて死んでしまったのが勿体ないキャラでした。
原作との相違点
さて、映画は頭に怪我を負い記憶を失ったロバート・ラングドンが病室で目覚めるところから始まります。
厳密に言うと今回のキーパーソンのゾブリストのシーンから始まるんですけど、まぁ置いといて。
最後まで見た人はご存知のように、このシーンから仕掛けがあるわけですが、手口が回りくどすぎる気もしますね。
そこからゾブリストが残したヒントを元にあちこちに行って、ゾブリストが仕掛けたウイルスを医師のシエナ・ブルックスと共に探す話になります。
しかし、実はシエナはゾブリストの恋人でした。彼の考えに元々賛同していたんですよね。
そこから先で原作と映画の決定的な違いが出てくるのですが、シエナが原作ではゾブリストの目的を知ったことで、ゾブリストの目論みを食い止めようと動くのに対して、映画では最期までゾブリストに心酔しウイルスをバラまこうとするシエナが描かれました。
物語の中でも重要なキャラだけに、映画で悪役になったシエナの変更理由が気になります。
「頭の良い人間が極端な思想に影響されて道を踏み外してしまう」というのは、宗教などでもよく言われることですよね。具体名は出さないですが。
もう1つ映画と原作での決定的な違いがウイルスについて、原作ではラングドン達がウイルスに辿り着いた時にはすでにウイルスが拡散されてしまった後でした。
しかし映画ではウイルスの拡散前に食い止めました。
原作のウイルスは人の生殖機能を奪うもので、人類の1/3に効くという類いのものでした。
どうやら映画的な盛り上がりを考慮してこの変更が決断されたようです。
確かに「散々振り回されてようやくウイルスに辿り着いたけど、ウイルスはもう拡散されちゃってたよ」って展開だと映画的にはちょっと、と思われるかもしれませんしね。
あと違う点はWHOのエリザベス・シンスキーが原作では老女でしたが、映画ではラングドンとの恋仲に違い存在となっていました。
映像化について
評価をいくつか見ましたが、ちょっと評価は芳しくないようですね。
相変わらず二時間に押し込めるためにエピソードをいくつかカットしていることと原作とラストが違うということで、原作ファンからもちょっと評価が別れるでしょうね。
そして、未読の人からするとかなり展開も早いので、ついていけない部分があるかもしれません。
この点に関しては有名作品では「ハリーポッター」シリーズもそうですが、原作ものの難しいところですよね。
時間の制約の関係で本筋ではないエピソードはカットされ、本筋も重要な部分のエッセンスを拾っていくことで展開も駆け足になってしまいがちです。
毎回思うのですが、前後編にしてじっくり描けば原作のテイストにさらに近づけられるんだろうなと思います。
しかし映画としては間延びしてしまうということもあるでしょうし、僕はこういう点に関しては仕方ないと思って割りきることが多いです。
ハリウッド的なこういう大味な部分を割り切れる方はわりと楽しめるんじゃないかと思います。
ストーリーの緻密さとかを求める方にはあんまり向いてないかなと。
あと「ラングドンシリーズである必要あるの?」みたいな指摘がありましたが、それはダン・ブラウンに言えと。
今までの作品もそうですが、映画しか見てないかたは是非原作小説も読んでいただきたいです。
ツイート
0 件のコメント:
コメントを投稿