――大切なことは、目に見えないからね
ドレスコーズのツアー「バイエル(変奏)」の最終日を見届けた。
今年、成長するアルバムというコンセプトでリリースされたアルバム「バイエル」だが、そのツアーはどのような成長を遂げたのか書いていきたい。
内容についてはナタリーとかに出ているし、映像化も決まったようなので、自分としてはこのツアーで感動させられたことの本質的な部分について考えてみたいと思う。ライヴレポとは書いたが、中身はツアーの考察だ。
※TOP画はナタリーより引用 ※敬称略
バイエル(変奏)①
辞書によれば変奏とは「音楽で、ある主題をいろいろな技法によって形を変えて表すこと」だという。
ドレスコーズのファンになってそれなりの時間が経つが、このタイトルを見て「もしかしたらツアーでは鍵盤楽器を使わないのでは?」という穿った予想をしていた。
結果的にピアニカが一部とピアノを使った演奏は2曲だけだったので、予想がニア・イコールな形でほぼ正解だったといえる。ひねくれた自分の性格はまだ死んでいなかったと喜びを覚えた。ちなみに予想は大体外れるので、ただのまぐれである。かといって、自分の予想を遥かに上回る演奏がそこにはあった。アルバムが変則的なリリース形態だっただけに、ツアーも一筋縄ではいかない。
ドレスコーズの楽しみといえば、今度はどんな編成でバンドが組まれるかというところにあるが、今回は事前に公募によって集まったメンバーでツアーメンバーが決まったのだ。
自分も一瞬応募しそうになったが、しがないサラリーマンとして日程を合わせることが難しい上に、そもそも演奏をまともにできる技量も、ステージ立てる度胸もないので、客席から見ることにした。
よく考えたら友人の結婚式で1曲演奏するだけで発狂して吐きそうになったほど緊張した人間にできるわけがない。僕はライヴを見て長々と感想を綴るのに向いている人間だ。
メンバーは発表されていないので、誰がということもあるが、どのような楽器編成になっていたかさえ、実際に目の当たりにするまではわからなかった。
入場し、客席に腰を据える。1席空けてではなかったのが意外だった。隣の席の人とこれほど近い感覚は、久しぶりだ(もちろん叫んだりしないで座って見ていたので、感染リスクは電車程度といえよう)。
定刻を少し過ぎて暗転。SEとして”スコラ”が流れる中、客席側から数人の男女がステージへ上る。「ファンからツアーメンバーが選ばれた」ということを印象付ける演出だろう。最後に舞台袖から志磨遼平が登場、赤いジャケットに、赤ボーダーのTシャツ姿だった。
先に書いてしまうと、セットリストはアルバム「バイエル」の曲順そのままに進められた。
曲順どおりなだけに、その違いもハッキリと見て取れて、コロナ禍に生まれた楽曲たちは、CDの音源とはまた違うアレンジの成長によって、新しい顔を見せた。ただ、それだけに曲順どおりにやったのに”よいこになる”はカットされたのは、何か理由があるのだろうか?
楽器編成は曲によってドラム、鉄琴、ベース、ギター、ファゴット、チェロ、ピアノ、ピアニカ、ハーモニカが用いられた。ツアーメンバーがそれぞれ複数の楽器を担当していて、しかもどれも達者な演奏で、つくづく僕は応募しなくて良かったと痛感した。
公募で集まったメンバーという枕詞が野暮に感じるほど、全員がドレスコーズのツアーのために招集されたメンバーといっても過言ではない演奏だった。
CD音源との決定的な違いは、ツアーによって「バイエル」というアルバムの合奏が見られたことだ。
音源ではコロナ禍の生活を表現するために、iPhoneで録音したり、ミックスもヴォーカルを少し遠くしたり、距離を感じさせるアレンジとなっていた。
インタビューの言葉を借りれば「今はみんなでスタジオに集まってせーので音を合わせるのが現実的ではない」という意味合いだ(改めて考えるとバラバラにレコーディングされた音源を組み合わせて曲を完成させるという行為もまた、ミュージシャンにとっては当たり前に行っていたものであるといえる)
だからこそ、みんなでせーので音を合わせるライヴという舞台で聴く「バイエル」が、コロナ禍のまだ先が見えない状況において、とても希望に見えたのだ。
決定的に違うのがリズム隊の存在だ。
ピアノ中心のバイエルではリズムよりもメロディに重きが置かれ、グルーヴ感が出てしまうという理由からベースを入れたのも数曲だけにとどめていたという。
そのためイヤホン(ヘッドホン)で聴く「バイエル」は、少し宙に浮いたような感覚になっていた。その感覚があったからこそ、今回のツアーでライヴにおけるリズムの存在の力強さを体感することができた。
3月には中野でもドレスコーズを見ていたのだけど、その時まではどこか「バンドのライヴにおいてドラムやベースがいること」を当たり前のものとして見ていた。けれどアルバム「バイエル」を経たことで、月並みな言葉になるが、当たり前だったことが当たり前ではなく特別なことだったと思わされたのだ。
身体を震わせる力強いドラム、それをメロディへつなげるベース、それだけで感動のあまり自然と涙が出るほどだった。
このステージで演奏される楽曲が、コロナ禍の克服ではなく、受け入れた先にあるものを歌っていると感じたからだ。これが実は前のツアー「THE END OF THE WORLD PARTY」の世界が終わりを迎えた時に人類は暴動を起こすのではなく、静かにそれを受け入れるのではないかというテーマにも通じると思う。
そうしたリズム隊の力強さを感じることで、それに乗るチェロやギター、歌がより心を強く揺り動かすものとなった。
今回のツアーで特に白眉だったのがチェロの存在だったと思う。
一般的なイメージの低音を担うベース的な役割だけでなく、主旋律を奏で、楽曲のリードを果たす場面もあった。
チェロという楽器が実はこれほど表情豊かなものであるというのを見て、正直ちょっとチェロをやってみたくなった(部屋に物理的な置き場所がない)。
アルバム特典の「こどものバイエル」が少し讃美歌のように聴こえていたのもあるかもしれないけれど、チェロの荘厳さが楽曲ととても相性が良かったと思う。
4人とも凄い才能の集まりで、マジでこのステージメンバーでレコーディングしたバージョンの「バイエル」を創って欲しい(せめてライヴ音源を)。
バイエル(変奏)②
こうした楽器編成の違いによって「バイエル」というアルバムがより多面的に捉えることができた。
そしてツアーにおいて、もう一つ注目していたのは「バイエル」以外の楽曲は何が演奏されるかだ。
“よいこになる”で「バイエル」の流れが終わり演奏されたのがアルバム「オーディション」から”おわりに”であった。
演奏中、周囲でも目頭を押さえる人が見えた。自分も泣いていたので、視界はぼやけていたが。
毛皮のマリーズ時代から数えて多くの楽曲があるが、これは今まさに必要とした、最も聴きたかった曲なのだ。
新しい僕たちのベーシック
結局かわらない世界
原曲がピアノ主体なのも運命的だが、冒頭の歌詞から今の世の中に否が応でも重ねざるを得ない。 でも、だからといってこの曲がコロナ禍を予言していたとは思わない。
この曲はどちらかというとTwitterというツールがもたらした、一人ひとりが声明を上げるようになった時代のことを歌っていると思う。
しかし今の世の中において特に「はなれていてもつながる」ツールとしての役割が強くなった。それはLINEとかZOOMも一緒だけど、気軽に人と会うことができないからこそ、人との繋がり方が変わったともいえる。けれど、手段が違ったとしても大切な人とつながるということに変わりはない。
それは音楽の届け方が変わっても音楽そのものは変わらないことや、環境や状況が変わってもライヴという場所が音楽を伝える大切な場所に変わりはないことと同じだと思う。
そして“人生Ⅱ”。どちらかというと静かに聴かせるライヴだったセットリストの中で最も激しい曲だ。 流れもあるのだろうけど、「バイエル」と”ピーター・アイヴァース”を繋ぐような感情を歌っているように感じた。
「バイエル」のテーマが「まなびと成長」だからだ。
人は成長するたび、世界の見え方が変わっていく。そこで見える大人の矛盾や欺瞞。
知ることが理解することではないことを。
本編最後は“弦楽四重奏曲第9番ホ長調「東京」”
偶然なのだけど、会場の川崎の駅に着く時にちょうどこの曲を聴いていたので驚いた。聴いていた理由は最後まで読んでいただければわかると思う。
「それぞれの日々よ」というフレーズがとても胸に響いた。
「それぞれ」というのが"おわりに"にも通ずることもあるし、上の方に書いた楽曲のレコーディングの話にも少し繋がるが、ライヴという空間は普段それぞれがそれぞれの場所で音楽を聴いていて、それを持ち寄る場所でもある。そして一つの空間を少しの時間共有して、またそれぞれの生活へと帰っていく。
それは観客だけじゃなくて。ステージ上のメンバーは数ヶ月前まではそれぞれの日々を過ごしてきた。(NHKへの出演は決まったが)ツアーが終わり、またそれぞれの日々へと戻っていく。
それがコロナ以前の世界であっても、コロナ禍であっても、それぞれの日々は続いていく。
数多くの名曲がある「東京」というタイトルは、ミュージシャンにとって一つ挑戦ともいえるテーマだと思う。僕は生粋の八王子シティボーイなので違うが、特に東京へ上京してきたミュージシャンの心情がとても情緒的な気持ちが表れていると思う。シティボーイって自分で書いて気持ち悪くなってきた。
東京の良さって人と人が程好い距離感を保っているところにあると思う。他人に干渉しすぎないというのは冷たく感じる人もいるかもしれないけど、よりそれぞれの生活をしているという実感が強いと思う。僕は東京でも田舎寄りなので近所の人との距離感が近いが。
だからこそ会場で聴く「それぞれの日々よ」という言葉が、より感動的だったのだと思う、と書いたがよく考えたら会場、川崎だったわ。
ライヴはアンコールへ。
アンコール
“星の王子さま(チェロのための)”
楽器編成に合わせてタイトルが「チェロのために」になっているのが心憎い
その日、朝にトレンドワードを見ていたら「星の王子さまの日」というのが目に付いた。 どうやら6月29日は『星の王子さま』の作者であるアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの誕生日からきているようだ。
それが頭に残っていたので、この曲が演奏されて驚いた。
ネタバレ防止に絶対的な信頼のおけるドレスコーズファンたちによって、他の公演でもやったかは定かではないが(基本セットリストは変わらないはずなのでやっただろう)、最終日が「星の王子さまの日」でこの曲が演奏されたのは、狙ったとしか思えない。偶然なら運命的だ。
『星の王子さま』という作品の解釈には通説と異説があった、通説は「大人は愚か」(ものすごい要約)というものだが、異説は、「ヨーロッパで戦争に巻き込まれて辛い思いをしている人々への勇気づけの書」であったとされる。
どちらの説を支持するかみたいなというよりは、今の世の中に当てはめると、どちらの説も含まれているのではないかと思える。まさに”しずかなせんそう”というワードのようだけど、至る所で社会の歪みが浮き彫りになっているこの曲でも「大人と子ども」という対比が描かれている点に注目すると興味深い。
また、歌詞の五億の鈴と赤いバラはキツネとのエピソードを指している。そこで語られるキツネの言葉が有名で、作品を象徴するこの言葉だ。
それはね、ものごとはハートで見なくちゃいけない、っていうことなんだ。
大切なことは、目に見えないからね
サン=テグジュペリ『星の王子さま』より
目に見えないウイルスに怯える僕らが、目に見えない音楽で受け取るもの。
そのハートはきっと黄金の、いびつな、だれともそろわなかった、けれど最後に残ったハートなのではないだろうか。
ライヴは終幕へ。最後の1曲だ。
“ピーター・アイヴァース”
志磨遼平が曲名を告げイントロが鳴った瞬間、あまりの多幸感で完璧に泣いた。
もう理屈どうこうじゃなくて、ただただ音に感動して泣いた。
“ピーター・アイヴァース”は3月にも一度聴いている。
しかし、それはステージに一人ギターを手に歌う志磨遼平の姿だった。曲中、バックでは並べられた機材が撤収されていき、最後にはステージに一人佇む志磨遼平が残された。
それはそれとして豪華ゲスト目白押しの華々しい本編と対照的な演出で素晴らしかったのだが、それを見ていたからこそ、この“ピーター・アイヴァース”の合奏が感動的だったのだ。
まさしくそれぞれ録音した音が並んだ「バイエル」が、ツアーのステージ上で合奏されたことの感動にも通じると思うのだけど、ライヴを見ることの喜びが全て詰まった瞬間だった。この多幸感は以前サマソニで見たThe Flaming Lipsの”Race For The Prize”のイントロが鳴った瞬間と同じくらいの感動だった。
ツアーファイナルならではだと思ったのは、終わった時のステージメンバーの終わったという達成感と安堵と名残惜しさが混じった表情が印象的だった。
震えたハートと共に家路についた。
……と本来ならここで終わりなのだが、「バイエル」のアルバムについて書いた時にボツったことが繋がってきたので、深読みという名の自分の拡大解釈考察、つまり蛇足をセットリストの後に記録しておく。
【セットリスト】
SE. スコラ
1. 大疫病の年に
2. はなれている
3. ちがいをみとめる
4. 不良になる
5. ローレライ
6. しずかなせんそう
7. 相互扶助
8. 不要不急
9. ぼくをすきなきみ
10. おわりに
11. 人生Ⅱ
12. 弦楽四重奏曲第9番ホ長調「東京」
―アンコール―
13. 星の王子さま(チェロのための)
14. ピーター・アイヴァース
ティン・パン・アレイ
アルバム「バイエル」について書いている時にふと、昔の疫病が流行した時の音楽はどうだったのだろうということでスペイン風邪について調べた。
スペイン風邪の流行は第一次世界大戦中の1918年で感染者数は当時の世界人口の3分の1、推定死者数は1700万人(諸説あり)と云われている。1920年に収束をした。
志磨遼平がコロナ禍のスケッチとして作品を創ったように、当時の音楽を調べてみてはどうかと考えた。
パンデミック最中ではクラシックでいくつか残っているくらいだったのだけど、パンデミックが収束した1920年代の音楽情勢が興味深かったのだ。
大学生が最も使用する参考資料ことWikipediaによると1920年から30年にかけてはティン・パン・アレイがメインストリームであり、全盛期だったというのだ。背景には1920年代にラジオや映画が浸透し、それに伴って音楽も浸透していったという。
セルフライナーノーツによれば毛皮のマリーズの「ティン・パン・アレイ」はもっと後の時代のものから取ったようだが、パンデミックとティン・パン・アレイの関係はちょっと興味深いと思う。
こんなことを調べていたところに星の王子さまの日の話があったので、ライヴ当日に「ティン・パン・アレイ」を聴き返していたのだ。
ちょうど今年アルバム発売から10周年なので、年末のライヴで完全再現をやってくれたらいいなと密かに願っている。DVDで見た「ティン・パン・アレイ」の再現ライヴが大好きだった。
もうひとつ興味深かったのが、同時期の1920年代にはダンスミュージックが流行り始めていたことだ。そこでスウィング・ジャズが地下で楽しまれていたそうだ。なぜ地下かというと、当時は禁酒法の時代だったからだ。そのため地下の酒場でミュージシャンたちがダンスミュージックを楽しんでいた。
「バイエル」の前作にあたるアルバム「ジャズ」は、ジャンルミュージックとしてのジャズではなく、人類初のポピュラーミュージック、時代の浮き沈み、語源の「騒々しくて中身がない」などに由来する。
そこで描かれたのは「世界の終わり」であったことを思うと、「THE END OF THE WORLD PARTY」で描かれた終末のあとの音楽が「バイエル」や「ティン・パン・アレイ」が中心となったというツアーの流れが非常に面白いと思った。それもスペイン風邪から100年後の世界でだ(となると次のドレスコーズはスウィング・ジャズでダンスミュージックでは…?)
実際のところコロナ禍がこの先どうなるかはわからないんだけど、それでも世界大戦や疫病を乗り越えた1920年代の人々たちが音楽で踊っていたように、しずかなせんそうとコロナ禍の先に、新しい音楽が待っていればいいなと願う(その先に世界恐慌と第二次世界大戦があったことは考えないことにする)。
歴史は繰り返すとかいうけれど、眉唾なところもありながら、奇妙な一致をするのもまた歴史の面白さだ。
【感想】ドレスコーズ「バイエル」
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