2021年6月28日月曜日

【感想】ドレスコーズ 7thアルバム「バイエル」






ドレスコーズのオリジナルアルバム「バイエル」がリリースされた。

早速余談になるが、僕は著しいほど知性に乏しいので「バイエル」と聴くと、ピアノではなくソーセージが思い浮かんでしまう。 考えたが、おそらく伊藤ハムが「アルトバイエルン」というソーセージを発売していたからだと思う。そもそも商品名が「アルトバイエル」だと勘違いしていた。本当にどうでもいい話だ。

さて、2021年にリリースされた本作について書いていこう。
ドレスコーズについて書くと毎回しっちゃかめっちゃかになるが、今回もそうなってしまった。読みづらいがご容赦いただきたい。

注:アルバムについて、ドレスコーズマガジンの会員向けにインタビューが掲載されているが、有料会員向けのため、このブログでは一般公開されているインタビュー記事の内容を基に書かせていただく。全人類が入会購読すればこんな気を遣わなくていいのに

※敬称略





バイエルを振り返る





各所で触れられてはいるが、改めて「バイエル」の経緯を振り返ろう。

2021年4月7日。それは突然やってきた。
ドレスコーズが新しいアルバム「バイエル(I.)」の配信とツアーを発表したのだ。

僕は朝になってスマホのおすすめニュースに掲載されているのを見て知った。

しかもトラックリストは全て「練習曲」になっているし、「ピアノインスト」なんて言葉が飛び交っている。気になる。早速出勤前の朝iTunes Storeを覗いたが、探せど探せど「バイエル」が見つからない。

探してるうちに仕事を遅刻しそうになったが、よくよく読んでいると、どうやらサブスクリプションサービス限定の配信だったのだ。困った、僕はサブスクをやっていなかったのだ。

いまだにCDを買い続けている身として、アルバム1枚のために申し込むべきかしばし悩んだが、聴きたい欲求が勝りSpotifyに登録した。聴いて驚いた。本当にピアノのインストアルバムだったからである。

驚きつつも、すぐにそれを受け入れて、流れるピアノに耳を傾けた。インストだけど、流れる美しいメロディの端々に志磨遼平を感じさせるものであった。ピアノインストのアルバムはたまに聴くけれど、どれよりも歌を感じさせるメロディが並んだアルバムだった。

2021年4月21日に「バイエル」は6月16日にCDとしてリリースされることが発表になり、二日後の4月23日にアルバムは「バイエル(II.)」へと”成長”した。「バイエル(I.)」は配信が終了し、「バイエル(II.)」へ上書きされる形であった。

「バイエル(II.)」では”練習曲”として並んでいたタイトルリストに、それぞれ曲名が付き、歌詞と歌が追加された。「リアルタイムで成長していくアルバム」この時点で、興奮は計り知れなかった。

タイトルと歌詞が付いたことで、曲たちにアイデンティティが宿り、アルバムのテーマの輪郭がより明確となった。聴こえてくる言葉たちは、2020年以降の僕らにとって、とても共感しうるものばかりだ。

それは” 相互扶助”や”不要不急”などの、聴き飽きるほど耳にしてきた言葉を冠したタイトルたちからしても感じられるだろう。

その後もアルバムの成長は続き、5月25日にはギターとドラムが追加された「バイエル(III.)」がリリースされ、CDが発売される前日(いわゆるフラゲ日)に「バイエル」として遂に”完成”した。

完成というには注釈がつくが、一応の完成と呼んでいいだろう。コロナ禍というテーマ性もあるが、サブスクリプションを十二分に活用したリリース手法はまさに現代ならではといえる。









「バイエル」という体験





約10週間の成長を経て完成した「バイエル」というアルバム。「アルバムを聴く」ということにおいて、これほど新鮮で刺激的な経験は、もう二度とないだろう。

なんせインタビューでも言及されているとおり、「バイエル(II.)」と「バイエル(III.)」は”成長は不可逆”のために、もう聴くことはできない(※「バイエル(I.)」は限定版CDに収録されているので聴くことができる。云わばホームビデオを見返すようなものだ)。

このブログではちょくちょく書いているが、「時代の空気を感じながら作品を聴く」こと、すなわち「時代がミュージシャンに創らせた作品をリアルタイムに聴けるのは今この瞬間しかない」という主張を、おそらくこれ以上ないまでに完璧に体感できたのである。

これほどの喜びはない。あとは24時間ミュージシャンの制作現場に立ち会わせるしかない。

このアルバムは10年後もきっと聴かれるアルバムではあるが、この作品を「記録」ではなく「記憶」として聴くことができるのは、今まさにコロナ禍を生きてきた僕らだからこそなのだ。このアルバムの成長過程を見守ってきたからこそ味わえる感動がある。

成長の体験はもうできないが、それでもまだ続くコロナ禍の空気を感じながら聴く「バイエル」は、数年後に聴くそれとは違う感情を与えられるだろう。

ここまで読むような酔狂な人はもう聴いてる人かエゴサした志磨遼平くらいだろうが、まだ聴いていないなら、とにかく聴いてくれ。ご本人がもし読んでたらありがとうございます。

ちなみに前作の「ジャズ」に収録された” もろびとほろびて”の「ぼくらの暮らす この国でオリンピックがもうすぐある」というフレーズも、今まさに聴くべき音楽といえる。

興味深いのは、ミュージシャン側からすれば曲が生まれ”成長”していく、つまりはトラックが追加される、アレンジが変わる、そんな変貌を常に見守るミュージシャンであれば、至って普通の、日常的な行為でもあるということだ。

そうした楽曲が誕生するまでのミュージシャンの心境を垣間見るリリース手法は、今までの楽曲をリリース⇒購入して聴くという行程よりも遥かに、リスナーにとって当事者意識のようなものが芽生える結果となった。

まんまと狙い通りに乗せられたということになるが、そんなリスナーの相互扶助ということでいいですか?



「バイエル」の言葉たち





歌詞についてはなるべく平易な言葉が使われているし、内容はまさに”今”を歌っているので「平凡」「ジャズ」の苦行のような歌詞の考察は必要ない。ちなみに僕はマゾなので苦行のような歌詞解釈でも幸せである。

ということで次は「バイエル」の反動で凄まじく面倒で小難しいのがくるのではないかと勝手に期待している。

なので、特に気に入ったフレーズや書いておきたいことがある歌詞を2つ紹介しよう。



あの ころな らば そばにいて
ふれあうなんて そんなこと
あたりまえだったけど だけど

今は ふれないで
今は 話さないで
はなれたままで そこにいて
~”はなれている”




作詞者が時に歌詞カードに仕掛ける言葉遊びが好きだ。

「あのころならば」と聴こえたフレーズを「あの頃ならば」として受け取っていたので、歌詞カードを読んで舌を巻いた。海原雄山だったら「ぬう」みたいなことを言ってると思うし、溝口安二郎だったら「うまい!」と柏手を打っているはずだ。

最近の若手ミュージシャンの中でも「なきごと」のように、歌詞カードでの言葉遊びを大切にしているミュージシャンがいて、僕は本当に嬉しい。

「あの ころな らば」ものすごくさり気なく仕掛けられているからこそ、気付いたときに思わずニヤリとしてしまう。ちなみにこのフレーズについてはインタビューでも触れられているが、インタビューの記事公開前、リリース日に気付いてツイートしたという自慢は残しておきたい。




だれとも だれとも
そろわなかった ハート
だれとも だれとも
そろわなかった ハート

黄金の 黄金の
ぼくの このハートが
最後の 最後は
ぼくの このハートが
ああ それだけ あれば
それさえ あれば
~”不良になる”



“不良になる”を聴いて、ドレスコーズのファンはあの日のライヴを思い出すのではないだろうか。

2021年3月31日 中野サンプラザホールで行われた「志磨遼平『IDIOT TOUR 2020』-TOKYO IDIOT」だ。映像化も決まったので発売された際には是非、幕間で志磨遼平が朗読した「THIS HEART OF MINE」という詩を聴いてもらいたい。

カットされていなければだが、たぶん残すだろう。





ドレスコーズマガジンの課金ユーザーであればコラム「本と音」にも丸ごと掲載されている。
会員でなければ今すぐ入会しよう。

全文引用はできないので、一部だけ紹介したい。


もうすこしハートに余裕があれば、いろんなものを立ち止まって眺め、それを楽しんだり、あるいは惜しんだりすることもできたかもしれない。

けれども、ぼくのこのちいさなハートはすぐにいっぱいになり、あふれ、からっぽになるので、ただ足早に通りすぎるしかないのだった。

~「THIS HEART OF MINE」より




よくわからないが生き急いでいるように生きている僕は、とても身に染みた(簡単に共感とは言い切れない感情だ)。

インタビューなどでもしばしば触れられているが、今回のようなリリース手法について「誰かにこのアイデアを先にやられてしまうかもしれない」という想いがあったという。

1年かけてレーベルと権利関係などをしっかり確認していた時間はあったそうだが、それでも「このアイデアが誰かに先を越されるかもしれない」というのはクリエイターなら誰もが思うことだろう。僕はクリエイターではないが。

この”焦り”と呼ぶのが正しいのかわからないけど、ソワソワした気持ちは、歌詞においても表れているのではないだろうか。

新型コロナウイルスのパンデミックが世にもたらした影響は計り知れない。表現者に与えた影響もまた同じだ。
これほどまでに世界規模で「価値観の変貌」が起こることは、100年単位で見てもそうないだろう。

インタビューでも触れているが「会わないこと「触れ合うこと」が愛情表現になるというのは、2019年までの世界とは全く違って、真逆の価値観ともいえる。

この変貌をした価値観を歌うことって、ミュージシャンにとっては「全く新しい表現」を生み出す機会ともいえる。機会という言葉が正しいのかわからないのだけど、少なくとも上記のような新しい愛情表現は、これまでなかったのだ。

従来のラヴソングというものはかなり表現が出尽くしていて、それでも歌詞を書くものは新しい表現を探して言葉の海を泳いでいる。しかし、コロナパンデミック以後の世界では、全く違う価値観の上に立ち、言葉の海を泳ぐことができるのだ。

その海は10年後にはなくなっているかもしれないし、多くのミュージシャンが「コロナ禍」という新しい世界の中で新しい表現を模索して新たな作品を生み出している。

早い者勝ちという表現が正しいのかわからないけど、「バイエル」に収められた言葉の表現たちが、誰かに先を越されてしまうかもしれない、そんな想いもあったのではないかと感じた。

実際はそれほど意識してはいないかもしれないけど、これほど世界規模の異常事態はそう起こり得るものではない(起きてたまるか)。

その時、表現者は何を想うか、それをいち早く、まだ誰も表現していない音で、言葉で、手段で出したいというのは、真っ当な感情といえるのではないか。再三書くが表現者ではない僕が偉そうに書くのもどうかと思うが。

ちいさなハート、余裕のなかったハートだったとしても、こうして時代を切り取って生まれた「バイエル」という作品が今たしかに胸に響いて、きっと何年も後にこの辛い時代を振り返る一つの語り部となる作品となっていることだろう。

それまで僕らはこのハートをふるわせながら生きていく。



最後の 最後は
ぼくの このハートが
ああ それだけ あれば
それさえ あれば

THIS HEART OF MINE




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