2017年12月14日木曜日

日本のメディアが日馬富士を取り上げまくってる裏でGoogleのAIがとんでもないものを生み出す




※書いてから少し寝かせてしまったので日馬富士話題は終息気味となってしまいました


朝のニュースくらいしか見ないが、ほぼ毎日のように日馬富士、日馬富士である。

正直、どうでもいい。

語弊のある言い方だが、起きた事実は日本の神事である相撲に携わる人間として揺るぎない問題だし、怪我した本人は本当に可哀想だと思うし、許されざる行為だ。だが毎日毎日メディアでトチ狂ったように取り上げる必要がどこにあるだろうか。

そんな中、ひっそりとGoogleより未来について、恐ろしいニュースが舞い込んだ。ネットでは話題になっているが、個人的にはもっと騒がれるべき出来事ではないかと思えたので、今回簡単にではあるが、取り上げようと思う。



GoogleのAIが自力で「子AIの作成」に成功



GoogleのAIが自力で「子AIの作成」に成功、しかも人間作より優秀


というニュースである。
少し抜粋すると。


人工知能を作り上げるAI」であるAutoMLの開発に成功したと発表したのが今年2017年5月のこと。そしてこの度、AutoMLが作り上げた「子AI」はこれまで人類が作り上げたAIよりも優れた性能を持っていたのです。

これ、とても恐ろしいニュースではないですか?

少なくとも僕は、背筋がゾクっとした。

人口知能については都市伝説好きとして、興味津々の分野であるが、とうとうAIがAIを産み出したのだ。しかも、人間が発明したよりも更に進化したAIなのだ。








NASNet



生まれた子AIは「NASNet」という名前のシステムであるが、どんなものなのかというと映像の認識システムである。

僕のポンコツAIで理解した限りでは、とても優れた視覚認識システムである、ということ。



記事から引用すると、


この「NASネット(NASNet)」と呼ばれる子AIのために、タスクは映像内のオブジェクト(人、車、信号機、ハンドバッグ、バックパックなど)をリアルタイムで認識する。

オートMLはNASネットのパフォーマンスを評価し、その情報を使って子AIを改良。このプロセスを数千回と繰り返す。

「イメージネット」と「COCO」のデータセット(グーグルの研究者によれば、両データは、最も評価の高い大規模学術的コンピューター視覚データセット)でテストしたところ、NASネットは他のコンピューター視覚システムの性能を上回った。


この中で出てきたオートMLというのが、NASNetの親AIにあたるものである。

Googleでは主に自動運転技術に応用するとのことだが、もしこれが監視カメラに搭載されたとしたら。
この技術によって犯罪の解決にも繋がることにはならないだろうか。

同時にそれはAIによって人が"観測"されデータとされるということだ。

そんな可能性を生み出したのがAIである、これがいかに驚異的なことであろうか。

『Gathering』は、緑のピクセルで表現されるリンゴを集めることが目的のゲームだ。プレイヤー(この場合はAI)がリンゴを集めると、1点が加算され、画面からリンゴが消える。またビームを発射することが可能で、これを2発受けたプレイヤーは一定時間退場となる。したがって勝つためには、対戦相手を退場させた上で、リンゴをすべて集めてしまうのが有効だ。


直感的に、ゲームに勝てない戦略は攻撃的なものだ。例えば、頻繁に対戦相手をぴったりマークしてゲームからの退場を狙うようなやり方である。しかし研究者は、特にリンゴの数が少なかった場合にどうなるのか確認することにした。

ゲームを4,000万ターン試行した結果、リンゴが非常に限られており、報酬を得られない可能性がある場合、エージェントが”超攻撃的”な戦略を学んだことが明らかになった。

AI(人工知能)は自らが劣勢に立たされた場合「超攻撃的」な振る舞いを見せる(英研究)


AIの進化は止まらない。

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2017年12月12日火曜日

「面白いかどうかは二の次で、バカな子供と主婦から搾取できるガチャを設計しろ」は正論





最近Twitterで少し話題になったツイートを紹介したい。
それがこれである。




#転職を心に決めたきっかけ

長年の夢だったゲーム会社に就職。ソーシャルゲームのプランナーとして配属され、「みんなが楽しめる面白いゲームを作ろう!」と意気込んでいたところでプロデューサーから言われた言葉が

「面白いかどうかは二の次で、バカな子供と主婦から搾取できるガチャを設計しろ」



これである。

ツイートした方と同じく云われて「カチっ」とくる方が多いだろう。

では僕はどう思ったか。これは正論ではないかということだ。理由を説明したい。




ソーシャルゲーム




最初に明記しておきたいのは、正論ではあると書いたが、しかし僕という1人の人間としては大反対であるということ。

「面白いかどうかは二の次で、バカな子供と主婦から搾取できるガチャを設計しろ」

という主張、言葉としては性格の悪さがもろに出ているのでとても良い言葉とは言いがたい。だが、これがこんな言葉ならどうだろう。

「面白いかどうかは二の次だ、学生でも忙しい主婦でもお金を払ってくれるようなガチャを設計しろ」


ニュアンスを変えてみたがいかがだろうか。だいぶ受け取り方が変わってこないだろうか。

ソーシャルゲームの動向について下記の資料を見ていただきたい。


スマホゲームの動向


言葉を引用する。


約7割がほぼ毎日ゲームをしており、若年層ほどその傾向が強い。

どの年齢層においても、月間の支払額は、1,500円未満が6~7割程度を占める。
20歳代(大学生を除く社会人)、30歳代、50歳代の年齢層は、他の年齢層に比べて支払額が高い傾向。


つまり現状では若い人ほどソーシャルゲームをしている傾向にあるが、年齢層が上がると課金する金額も増えるというところであろう。

こうして考えるとツイートのプロデューサーの「バカな子供と主婦」は、メインターゲットである層のことを捉えているように感じる。言葉は最低だけどね。

うちの母は無課金でツムツムを延々とやっているが、主婦層でもアプリでゲームをやっている層はかなり多い。









売れるダメなものか、売れない良いものか



ここからが葛藤の時間である。行き着くのは小見出しの問題だ。

クリエイターにとって納得のいく仕事をし、それが評価されたいというのは当然である。
しかし、そのエゴと大衆に届けるという使命はなかなか相容れない。

僕はそういったことにはエゴ出しまくってくれと思う人間だが、世の中そう甘くはない。
クリエイターの思惑は大衆のほとんどに理解されない。大衆に受け入れられるのは、当たり障りのない分かり易いものばかりなのである。

それでもクリエイターのエゴを押し通したのが「シン・ゴジラ」であろう。






以前の記事で触れたが、東宝からの要望を庵野秀明は跳ね除け作家性を貫き通して作品を完成させた。
このことには「製作者もお金が掛かってるんだから動員伸ばすためには必要」という反論もあることだろう。

だが、そんな大人の思惑を存分に盛り込んだ「進撃の巨人」はどうなっただろう。「進撃の巨人」の実写映画は前編が32.5億円、後編16.8億円の興行成績である。
制作費が出てこないが、興行面だけでいえば黒字で、確かに成功といえるのかもしれない。しかしこの映画当初は「前後編で興行100億突破を目指す!」と息巻いていたのだ。100億はおろか、後編では半分程度の興行に留まった上に、何よりも映画としての評価はかなり厳しいものだ。


もちろん世の中には誰しもに分かりやすいもので深いテーマを放り込んでしまうとんでもないクリエイターもいる。
最近でいえばディズニーの「ズートピア」やピクサー作品全般などがそうだろう。





表面的に受け取っても楽しめる作品でありながら、掘っていくとあまりに深いテーマ性を兼ね備えている。といっても、これは本当に世界最高峰のクリエイター集団なので、簡単に例に出してしまうのもおこがましいが。


今テレビ業界がヒット番組をなかなか創れないように、受け手もきちんと良いものは良いと評価しようという流れを感じる。それは口コミの力であり「この世界の片隅に」などが記憶に新しいように、ちゃんと伝わるのだ。
こうした正当な評価と成績が伝わるのであれば上記の「バカな子供と主婦」のような消費者を舐めきった発言を言わせないでいたいではないか。







安易に創られたものに安直にお金を落とさないということが、クリエイティブの場において重要なことなのではと考えた。



スパイ映画を観た帰り道で命を狙われている気持ちになる

アジカン「ソルファ」再録盤の是非とスターウォーズもう買いたくない話













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2017年12月11日月曜日

新藤晴一のカフェイン11レポ 2017.12.4放送分 晴一の辞書、こう書きます「本屋さんとは」






※赤字が自分の感想です


ポルノグラフィティ新藤晴一のカフェイン11レポ 2017.12.4放送分



オープニングトーク



いよいよ師走ですね。

ツアーは香川や米子、周南市などを周る予定。
(語弊のある言い方だが)大都市と比べると"地域感"があって、その土地ならではの地域感が楽しみ。

食べ物についても名物は大体東京でも食べられるが、栄えたところをちょっと離れた場所にあるようなものはそこでしか食べられない。


1曲目"スパイス"



歌詞提供




関ジャニ∞への歌詞提供に引き続き、中島愛さんへの歌詞提供が決定。タイトルは"サブマリーン"。

なかなか特徴のある曲でどうやって歌詞を書いたらいいか悩んだ。
関ジャニ∞の曲はポップロックチューンでポルノでも有り得る曲だったのでやりやすかった。

フィクションの歌詞を書く身としては、今まで書いた事ない曲に挑むのはやりがいがあった。
声を張り上げるとかではなくて、熱さを伝えるような歌詞。なのでポップな曲だけれどちょっと暗い歌詞となった。

言葉数もポルノの2倍くらいあったので、その分深い部分まで書く事ができた。

ちょっと触れてたけど、「h's」は普通に喋っても大丈夫なんだね。覆面的な感じだったのに。


2曲目"応答セヨ" by 関ジャニ∞



月刊音話



年末を感じることは。

Mステのスペシャルで幕張に向かうときだそうです。
あとは紅白の発表について、マスコミの報道を見ていると年末を感じるとのこと。

今年の紅白は竹原ピストルやエレカシが出場。
エレカシがどうなるか晴一さんも楽しみにしているそうです。


コーナー:月刊音話

メール:ライヴ楽しみに待ってます。広島に行きます。晴一さんは高校時代などに購入したCDはどうしていますか。
音だけはパソコンに取り込むべきか、だけど取り込んだら処分するというわけにはいかないし。

晴一:CDを大切にしてくれるのは嬉しいけど、あれでしょ。短冊形の8cmのCDでしょ?そのうち使えなくなっちゃうかもしれないんだよね。
アタッチメント付けたりしないとね。

俺たちは25年くらい音楽やってきて、メディアもだいぶ変わってきた。最初はカセットテープだよね。メタルに入れるかノーマルに入れるかでバンドの好きさの差があったりね。その後がMDでテープが伸びないし、曲順を変えたり曲名を入れたりできたよね。それからプロになってDAT(デジタル・オーディオ・テープ)になって、そこからCD-RからUSB。

CD-Rだとダビングしている時間に色々話したりしていたけど、USBだとフラッシュメモリですぐにコピーできる。そして今は「後から送っておきます」とネットで送るようになった。携帯でも確認できるようになった。

だからメールくれた方みたいにこうして形として残してくれてる人は音楽にとってとても嬉しいことだよね。

僕は相変わらずCD派です。


3曲目"ヒトリノ夜"









月刊音話




12月の僕は全国の美味しいものを食べていました。
今まで全国を回ってきて、これはもういいやというもの?あ、岩手のわんこ蕎麦はもういいかなってなった。蕎麦って消化によくないんよ。

わんこ蕎麦をやってくれる人は雇ってるわけよ。それでもう終わりのとき蓋を閉める前に蕎麦を入れるのが技術なのよ。
それをnang-changが「究極の悪ノリだよね」って例えてた。

あとは海の方だととあるところに言って「魚が美味しいんです」とイベンターさんが鍋にしてくれて、違う地方でも「魚が美味しいんです」と鍋を食べる。なので、関取かってくらい鍋を食べる。たまにはスパゲッティとかでもいいんよ。

とになく分かったのは「日本は魚が美味しいんだ」ってこと。


コーナー:晴一の辞書


メール:晴一さんにとって本屋さんとはなんですか。本屋さん不況などが叫ばれ、私もネットなどで買う事が増えてきました

晴一:こう書いてみます、本屋さんとは「新しい世界との出入口である」
ああいう街中にあって、どこも普通の日常じゃん。でも本屋さんに入ると、色んな世界が広がってるじゃん。ネットでも買うけど、知らない世界に通じてる扉はネットではなかなか出逢えない。本屋さん離れってたまに見かけるけど、でも本屋さんたくさん人おるよ。もちろんネットも増えたんだろうけど。

新宿のタワレコ行くたびに「CD不況は本当なのか」って思ってしまう。結構みんな買ってるよね。
CDも本屋さんも行ったから出逢えた作品がたくさんあるなぁ。

ちょっと長くなりますが、自分が今年打ちのめされた歌詞の一つがハルカトミユキの"Fairy Trash Tale"って曲なんだけど、その中のフレーズで。

記憶を断ち切る鋏が欲しくてガラスの靴が欲しくて幻をうつす鏡がほしくておとぎ話を買いに行く

ってフレーズがあるんですよ。これがとても大好きで、この言葉が晴一さんの言葉ととても共鳴した。


メール:晴一さんに訊いてみたい言葉「アイドルとは」なんですか。私にとってはアイドルは「窮屈」です。恋愛禁止とか。

晴一:こう書いてみます、アイドルとは「時代の鑑」である。
日系エンタテイメントみただけど。その時代の大人たちが創り上げてくから、時代を映すようになってる。ミュージシャンは突発的に出てくることがあるけど、アイドルは創り上げていくもので造形物に近いから、会いに行けるアイドルみたいなのがあったりする。

今までは受け取るだけだったものが、応援したり参加型に変わった。昔だと聖子ちゃんとかのアイドルはテレビの中、夢の中の存在だったわけ。だから今ならアイドルが休みの日はジャージでゴロゴロしてますとか言えるけど、昔は「家でクッキー焼いてます」と言わなきゃいけなかった。だからキティちゃんとかリカちゃんみたいなものなんよ。


4曲目"君の愛読書がケルアックだった件"








では今週も閉店です。










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2017年12月7日木曜日

【感想】THE YELLOW MONKEY「Horizon」歌詞解釈 映画「オトトキ」主題歌






映画「オトトキ」のテーマ曲として書き下ろされた菊地英昭(エマ)作詞作曲によるナンバー"Horizon"。

映画の感想で書いてしまうと長くなるということで、ここであらためて楽曲について触れたいと思う。



曲について






まずは曲について書きたい。

映画のエンドロールに相応しいバラードである。

始まりと終わりに使われてるキーボードの音がどこかノスタルジックであり、この音を聴くだけでも映画が甦り涙腺を緩ませさせる。

吉井和哉の歌い出しもとても優しい。

ここ最近brainchild'sの曲をよく聴いていたこともあり、こうしてあらためて聴くと歌のメロディがとても菊地英昭らしさに溢れている。

個人的に最も強く感じたのは最後のサビの「あの夏の夕立くらい泣いていいから」の部分である。ここのメロディ等は特に顕著ではないだろうか。

当然のことながらTHE YELLOW MONKEYの楽曲として吉井和哉の歌声も素晴らしい、同時にこれを菊地英昭本人が歌ったらどう聴こえるのか、いつの日か聴いてみたいものである。








線路




本題に入ろう。歌詞についてだ。
曲と同じくとても血の通った温かみを感じる優しい歌詞だ。

自分への呼び掛け、そして

《真っ直ぐ西に延びる線路》

とはなんだろうか。西といえば太陽の沈む方角である。50歳を越えたメンバーたちは今、確実にそちらを見据えている。

その死生観には「オトトキ」の映画にもあった父親の死が影響しているのではないだろうか。

そしてそれに続く《オレンジの箱》とは何か。それは吉井和哉の映画へのコメントに表れている。
線路の後に続く言葉として、コメントを読めば何を意図しているか掴めるのではないだろうか。

「僕たちが再びオレンジ色の中央線のラインに繋がったドキュメンタリーです。怒涛のような1年を松永監督の目線で追いかけます。ファンの方々にとっては、イエローモンキーの映画であると同時に皆さんの映画でもあると思います。」――吉井和哉


また《ベゼルの中の鼓動は戻せやしないけど》というフレーズも印象的だ。
ベゼルとは「枠・額・額縁」などを表す言葉である。そして、サビの頭に出てくる「アルバム」という言葉。

歌詞の内容からも写真を綴じ込めるアルバムのことかと思ったが、もう一つ音楽としての「アルバム」のことも同時に示しているのではないだろうか。
アルバムとして枠組みに形として込めたもの、それはバンドの歩みを止めても決して止む事のない鼓動であったのだ。

再集結したツアーでも、当時そのものの鼓動を蘇らせることは決してできない。それは年齢を重ねてしまったからだ。けれど、だからこそ見えてくる景色が打ち上げ花火の向こうに待っている。



家族



個人的に一番胸を打たれたフレーズが、

《外からなんて何もわからないさ/そうだろう?》

というフレーズだ。

映画「オトトキ」の中でも「パンドは家族みたいなものだ」という言葉がある。家族は不思議な繋がりだ。

今年は星野源の"Family Song"においても、先日号泣しながら観た映画「gifted/ギフテッド」においても、血の繋がりだけが家族の姿だけではないというメッセージが込められていた。

たとえ血の繋がった関係だけではなくとも、家族になることはできる。
家族だからこそ、外からは分からない喜びと苦悩がある。

僕なんかよりも長年のファンの方ほど、その紆余曲折を痛いほど身に染みて感じることだろう。

しかしながら4人で人生を歩むこと、それを一度諦めたこと、そして再度それを続ける決意をしたこと。それはどんなファンであっても、当の本人たち以外には決してわからないことなのだ。

最初は自分への問いかけから始まる歌詞は、やがて君への問いかけとなる。そして最後には《君の味方だよ》という力強いメッセージへと昇華する。

最初の線路から始まり、未来図、カラフルなトンネルを抜けたら、川のような道みたいに流してくれるだろう、など先へ歩み続けるという意志が随所に散りばめられている。

そしてそこには大いなる決意が、意志が込められている。

そう、まだまだ彼らは「Horizon(地平線)」を見つめているのだ。


【感想】「オトトキ」 THE YELLOW MONKEYドキュメンタリー映画














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2017年12月6日水曜日

【感想】「オトトキ」 THE YELLOW MONKEYドキュメンタリー映画




THE YELLOW MONKEYのドキュメンタリー映画「オトトキ」先日見て参りました。

正直僕が感想を書いて良いものかと躊躇してしまっていたが、やはり気持ちの整理のために書き残しておこうと思う。

素晴らしいドキュメンタリーである。

ちょくちょく書いているが、THE YELLOW MONKEYは相方さん経由で再結成後にハマった口である。
相方は解散前からのファンなので、これを語る上では彼女の方が胸に降り積もったものは多いだろう。

だが、僕も音楽好きをこれだけ続けてきただけに、音楽として、ロックとして、スクリーンに映るTHE YELLOW MONKEYについて沢山のことを感じた。その記録である。




あらすじ





THE YELLOW MONKEYの音楽は「SHOW」である。
THE YELLOW MONKEYのライブは「SHOW」である。
THE YELLOW MONKEYの存在は、それ自体が「SHOW」である。
なぜ今彼らは再集結したのか?
「ザ・イエロー・モンキーはもう一生解散しない」、吉井和哉の言葉は本当なのか?
2004年の申年に解散し、2016年の申年に再集結。
あまりにドラマティックに復活した彼らの記録を新進気鋭の映画監督、松永大司が切り取る。




ツアードキュメンタリー①




2016年に再終結を果たしたTHE YELLOW MONKEY。その復活から2017年を迎えた約1年を追ったドキュメンタリーである。
合間にはこの映画のために撮りおろされた渋谷La.mamaでの客を入れない、メンバーだけの演奏シーンが挿入されている。

そもそも僕はドキュメンタリーが好きで、とりわけ音楽系ではよく特典映像などでドキュメンタリーなどは大好物だ。

その「オトトキ」は僕が生涯ベストの音楽ドキュメンタリーとしているのが「ヤング@ハート」である。それに勝るとも劣らないほどの作品であった。

こんなに泣かされた作品はそうない。

まず骨格となるドキュメンタリー部分。
再終結後、初のライヴとなった代々木第一体育館公演の様子が映る。"プライマル。"が演奏されるシーンは生中継もしていたし、何度も見たシーンである。だが、それでも鳥肌が立ってしまった。

特に良いと思ったのが、映画ではメンバーの姿よりも、この日を待ち詫びたファンたちの姿を中心に捉えていたことだ。生中継では当然ながらメンバーの姿を中心に捉えていたので見守るファン中心の映像は新鮮であった。
場内も場外のスクリーンでも涙するファンの姿に、もらい泣きしてしまった。早速である。

僕に解散後この瞬間を待ち詫びたファンの気持ちに重ねる権利はないが、音楽が好きだからこそ、ライヴを見ることの喜びは痛いほどよく分かるのだ。活動休止から15年、解散から12年の月日。その重さが画面からしっかりと伝わってきた。

そして開始されたアリーナツアーの最中、菊地兄弟の父親が亡くなっていたという事実が明かされる。

エマ、アニーのそれぞれが語る父親のこと、そしてそれを受け止めたメンバー。神戸公演の舞台袖で出番前にヒーセがエマとアニー(ついでにロビン)を無言で抱き締めるシーン。

このシーン、これにバンドの良さが全て現れてるような気がした。
その公演で演奏されたエマの長いソロからの"球根"。菊池兄弟の心中を重ねると、凄まじいほどのエモーショナルがそこにあった。

ちなみにシングル「砂の塔」に収録された"球根"のライヴ音源はこの日のものとのこと。





ツアードキュメンタリー②




映画の前半は菊池兄弟が主役といえるほどの展開であった。
しかしながら終盤ではTHE YELLOW MONKEYはやはりこの人なのだ、というほど吉井和哉がフィーチャーされる。

それが映画のラストで最もエモーショナルなCOUNTDOWN JAPAN FESの映像であろう。

武道館でのメカラ・ウロコ、紅白と充実した一年を過ごしたTHE YELLOW MONKEY。
そんな2016と2017年を繋ぐイベントがCOUNTDOWN JAPAN FESであった。

そこでそれまで絶好調であった吉井和哉の声に異変が表れる。
声が枯れてしまい、思うように声が出せない吉井和哉。やむを得ずステージを一度退き、しばらくの時間ステージを止めることを余儀なくさせられた。

激動の一年を過ごしたTHE YELLOW MONKEYが、最後にこんな試練を受けるのだ。
もしこれが脚本であったとしたら、こんなクライマックス、あまりに嘘のような展開に見えることだろう。しかし、これは事実であり、これこそがあの瞬間を生きたTHE YELLOW MONKEYの姿なのだ。

騙し騙しであったとしてもステージに再度上り懸命に歌う姿に胸を打たずにいられるだろうか。

ここの場面、淡々と状況を整理して、少しでも声を戻そうとする吉井和哉の姿をはじめ、置かれた状況で最善の道を探すメンバー、スタッフの姿が映る。
そのプロフェッショナルな姿勢に、本来の悔しさといった感情を乗り越えて今出来る最善を求める姿、そこにまた涙してしまう。









渋谷La.mama





先にも触れた通り、ドキュメンタリー映像の合間に、撮り下ろした渋谷La.mamaでの演奏シーンが挿入されている。

観客のいないライヴである。
「誰に向けて」を取り除いた時にどんな演奏になるのか、という監督の意向により撮影された映像である。

最初こそ戸惑いを見せていたメンバーであるが、途中、吉井和哉が客席に降り、演奏しているメンバーを見つめるシーンがある。

映画公開記念の特番で語っていたが、ここで何かが掴めたそうである。それこそが、ドキュメンタリー部分と呼応しているものではないか。

具体的にいうと、スタジオでのツアーリハーサルのシーン。吉井和哉が某知恵袋で調べた「バンドの音を良くするためには」という質問。その答えが「自分の演奏を3、他のメンバーの演奏を7くらいの割合でよく聴くこと」というものがあったそうだ。

ドキュメンタリー部分ではちょっと面白おかしくするシーンであるが、まさにそれがあの渋谷La.mamaでメンバーを見つめる吉井和哉の顔に宿ったのだ。
メンバーそれぞれが笑顔で向き合い、演奏するシーン、これこそが「バンドの音を良くするには」ということへの最適解ではないか。

その最高の顔でエンドロール、"Horizon"が流れ始めるというのは、僕はちょっとこれ以上素晴らしいラストシーンはないのではないかと思う。
"Horizon"については書き出すと1記事分になるので今回は割愛させてください。名曲。





先日感想も書いたが、少し前に「パンドラ」を見たこともあって、それとの対比をしてしまう。あの映画は最盛期であったバンドが長いツアーによって「壊れてゆくバンド」を克明に捉えた映像であった。

そして今回の「オトトキ」ではファンですら感じていた一抹の不安から始まり、これからの新たな最盛期に向かうメンバーが映される。
まさに"ALRIGHT"の歌詞にある《もう一度運命のタイマーを回して》ではないか。

もう一度言おう。本当に素晴らしいドキュメンタリーである。

演奏シーン含め、できるだけ劇場で見て欲しい。

音楽って、バンドって、面白い。



【感想】パンドラ ザ・イエロー・モンキーPUNCH DRUNKARD TOUR THE MOVIEを観た















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