高橋優の楽曲に"駱駝"(らくだ)という曲がある。
インディーズ時代の会場限定で発売されたアルバム「胡坐~agura~」に収録された曲であり、ベストアルバムにも収録された初期の高橋優を代表する1曲といえるだろう。
「大人はバカだから」「常識なんてクソだから」「教科書全部破こうぜ」など、かなり過激な言葉が並ぶ。
しかし、改めて聴いていて、怒りの言葉の中に纏う悲しみが心に残った。そんな話を書きたい。
駱駝
人を好きになることも 人を嫌いになることも
絶え間のないリバーシ 挟まれて裏表
手を出されることだってあるから 大人はバカだから
僕らは笑おうぜ 僕らは笑おうぜ
「大人はバカだから」というフレーズを見ると、一見子どもからの目線に見える。
しかしそれが大人の目線からだったとしたら。
大人はバカだからという言葉は、自虐的なフレーズであり、諦めさえ感じさせるものとなる。
だとすると「僕らは笑おうぜ」というフレーズは、それでも笑い飛ばしてやれだけでなく、笑顔の仮面を張り付けろというようにも見える。
「笑う」という言葉は高橋優にとってひとつキーワードだ。
高橋優のベストアルバムのタイトルは「笑う約束」。
踏まえて改めて見て欲しい。
人を好きになることも 人を嫌いになることも
絶え間のないリバーシ 挟まれて裏表
手を出されて泣いたっていいから 世間体なんてカスだから
僕らは笑おうぜ 僕らは笑おうぜ
"駱駝"に歌われる行為、それは別に破天荒に生きろというわけではない。
「大人」とは偽ることを覚えた人間だ。人は心の角を削る度に滑らかな球体になっていく。そして、誰とも摩擦を生まないことを良しとして生きていくのだ。
「偽って生きている」ことが正しいかはわからないが、それでも誰もが思うままに生きてしまえば、社会など成り立たないだろう。チープな例えをするなら、誰しもが「仮面」をかぶって生きている。
「教科書」も「世間体」も全ては、そんな「大人」も呼ばれる人がつくりあげたものなのだ。
絶え間のないリバーシを繰り返して「大人」と呼ばれるようになった人たちが作った価値観、それに縛られてはいけないと高橋優は唄う。
それは決して「大人は間違ってるから君は正しく生きろ」というだけのメッセージで留まらない。
そんな価値観に縛られず生きようとした自分という人間さえ、絶え間ないリバーシを繰り返す「人間」そのものなのだ。
情報の砂
なんにも要らないのに全て与えられて
僕らの手に余る矛盾マナーモード 捨てたいな
裏表を繰り返す、人は矛盾する生き物なのだ。
何もかもが溢れた時代が終わろうとしている。
──さよなら どうもありがとう
ムダばかりの 100年よ!
ドレスコーズ/20世紀(さよならフリーダム)
ただ消費と浪費をするだけの時代は終わった。
これからの時代において、何が自分の心を豊かにするのか考えていかなくてはならないのかもしれない。
そんな時代に、どう生きるか。
タイトルにある"駱駝"は何を示すだろう。
砂漠の中を行くラクダにまたがれず
靴の中を汚す情報の砂 重たいな
たとえば「情報の洪水」という言葉があるように、現代の圧倒的な情報(インフォメーション)に僕らは流され、埋もれて生きている。
ラクダにまたがる人、つまりはそこにあるのは使うものと、使われるものの関係性。そして駱駝は主に多くの荷物を抱えるためにいる。
世の多くは、言ってみれば使われる側にいる人間だ。けれど、悲観することがあるだろうか。カラカラに干からびた砂漠の中で、ラクダにまたがる者は生き残ることはできない。
一方、砂漠に適応したラクダはそこで生きていける。
つまり、ラクダにまたがる者はラクダによって生かされていることでもあるのだ。たとえ情報の砂にどれだけ足をとられても、正しき砂を歩くことができるならば。
教科書も、常識も、飛び交う呟きも、嘘も、本当も、情報のひとつに過ぎない。
それを見極めるのは、他ならぬ自分自身なのだから。
言葉の強さ
「・・・あまり強い言葉を使うなよ 弱く見えるぞ」
某マンガの染め物みたいな名前のキャラクターは言っていた。
強い言葉、それは当たり前だが誰が言うかによる。
たとえば吉田沙保里が「人類に敵はいない」と言われて「弱く見えるぞ」なんて藍染すれば、たちまちタックルされて死んでいることだろう。
高橋優の言葉の強さはなんだろう。
インディーズ時代にストリートで"駱駝"を唄っていて、通りすがりのサラリーマンに激怒されたという。この話を聞いて、実は激怒するからこそ、そこに強い共感(シンパシー)を抱いていたのではと思えてしまう。人が激昂する理由のひとつは図星を突かれることだ。
高橋優の言葉は強い。
その「強さ」というのは、たとえば「死ね」という言葉そのものが持つ強さとはまた違う。
感情を置き換えて伝えるものが言葉だ。高橋優の唄う言葉は、誇張するわけでなく世界そのものへ等身大の言葉として唄われる。
強がるとは誇張することだ。自分を大きく見せるために、言葉という衣を纏う。
しかし本当に強い言葉とは、さらけ出すことだ。
それは「ストレート」なんて生易しい言葉では事足りない。
ドロドロの感情を言葉に置き換えたメッセージだ。
そんな言葉を唄う。強い言葉ではない、等身大の言葉。だからこそ高橋優の言葉は強く僕らの心を揺さぶるのだ。
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