こんな記事を見かけた。
高橋優の過剰なポジティブさで追い込まれる人を心配してみた――近田春夫の考えるヒット
記事を読んだが、どこからツッコんでいいのか分からない。
普通はこうしたつまらない逆張りの見出し記事は、そっとスルーする。
餌を目の前にぶら下げて反応を狙ってPVを稼いでいるだけなので、反応したら負けなわけだ。
しかし、今回は思うことがあり反論させてもらおう。
著者について
高橋優のニューシングル「プライド」についてのレビュー記事である。
著者は近田春夫氏。シンガーソングライターのミュージシャンである。不勉強な故、大変申し訳ないことに、僕は存じ上げない。とりあえず他の記事をざっと目を通したが、ポルノグラフィティの「カメレオン・レンズ」を褒めていたので心苦しい。
だが、今回の高橋優の記事に関しては、酷いと云わせてもらおう。
これは僕が盲目的な高橋優のファンの感情に任せた反論ではない、純粋に音楽と歌詞を愛している、いちリスナーの叫びだ。
話がそれてしまうが、今回なんでわざわざ書こうと思ったかということを書いておきたい。
普通のライターがこうした記事を書くならまだ分かる。
しかしながら、これを書いたのがミュージシャンで、しかもシンガーソングライターだというのなら話は別だからだ。
同業者として、しかも67歳らしいが、それだけ生きてきてこんなことしか書けないミュージシャンって何だよ、と悲しくなる。
他の記事でaikoの"ストロー"について触れている部分を引用しよう。
同じコトバの繰り返し部分。心地よいミニマルというより、なんかくどいだけな気も……しないでもない。
おそらく最後の「あるように」の三連打のことかと思う。
では、近田春夫氏が書いたという"クレージー・ゲームの"歌詞を見てみよう。
クククク クレージー
クククク クレージー
クククク クレージー・ゲーム
チャンスは 毎日さ
同じ歌詞が3行続くうえに、クが何度も連呼されているように、見えるのだが。
記事について
さて、話を戻して記事の内容について触れていこう。平井堅の部分は割愛する。
歌詞をいくつか取り上げて、その後に続く言葉である。
まぁね、それは歌ですからね、ついつい情熱的に、大言壮語をやらかすってのも、わたくし作り手もやっている身なので、よーくわかります。
ただ、この“君”であるが、行間から斟酌するに、結構体調的には下手をすると“鬱”をわずらっていることも充分にあり得る、そんな印象だ。
陸に上がった魚が、一瞬で空を飛んだような理論の飛躍である。
こういうことを書いてしまう人によくあるやり口なんだけど、極論を持ち出して自分の論旨に結びつけてしまうという論法だ。
この人は蕎麦屋の前を歩く度に「お前は蕎麦アレルギーの人のことを考えているのか? 」と言うのだろうか。
↑これを暴論じゃん、と思った方は正しい。これが極論を持ち出すということ。
また本文を引用する。
俺が――余計なお世話とは百も承知――つい心配してしまうのは、例えば高橋優の超熱心なファンで、しかもこの“君”にドンピシャなシチュエーションだったりするような人が、歌詞を真正面から受け止めて、追い込まれちゃうっつうか、益々病状が進んでしまうとか?
そもそも鬱を患ってたら高橋優の熱狂的なファンやれないだろ、ということは置いておいて、問題は「益々病状が進んでしまうとか?」である。本当に斟酌したのか?晩酌の間違いではないか?
これ、とてもシンガーソングライターとして言葉を扱う人の言葉とは思えない。この言葉の方がよっぽど鬱に対して理解がなくて、浅はかな発言ではないか。鬱を患ってる方の前で一字一句変えずに音読して欲しいものだ。
とは言っても、もしかしたら本当に鬱を患ってる方で、たまたま"プライド"をテレビを見たり、たまたまラジオを聴いたり、たまたま有線を聴いたりして、たまたましっかりと歌詞の内容を把握し、更に症状を悪化させてしまった、という高橋優の熱狂的なファンがたまたまいる可能性だってある。世界は広いので。
一方で近田氏は、この曲があったから救われたという人だっている。近田氏はその人たちのことには言及せず、ばっさりと切り捨てている。
余計なお世話かもしれないが、Amazonにあるレビューの一つを引用させていただく。
中間管理職のおっさんです。メジャー2ndを見て、エンディング曲となっているこのプライドという曲が気になっていました。昨年、仕事で心身ともに疲れ果て、二週間位、会社を休みました。そのような事もあってか、フルでこの曲を聴いて、身体が震え、通勤のバスの車中で涙が溢れ出ました。心から元気に、闘志が湧いてきました。久しぶりに本当に良い曲に出会えました。高橋優さん、ありがとう。
高橋優の言葉の強さは、それが安易に並べた言葉ではなくて、心の底から沸いて出てきたものだからだ。それは学生時代にイジメによって地獄を見て、捻くれた視線からのストレートな言葉だ。
それ故に僕は、高橋優の言葉は信頼できると思っていて、ずっと聴いてきた。
聴くタイミングを間違えると暑苦しく感じてしまう時もあるが。
世に出るものとして、様々な人のことを考慮する必要はある。しかし、だからといってミュージシャンが本当の想いを自粛してしまったら。それこそ、そこには薄っぺらい言葉が並ぶのではないか。
そんな音楽しかないなら、僕らは何のために音楽を聴くのだろう。
「このご時世大企業の危機管理が~」の部分は論点のすり替え。企業とアーティストは同列に語れるものではない。
ところで、近田氏がザ・ぼんちに提供している曲で"恋のぼんちシート"というのがあるが、それの歌詞を引用しよう。
云いたい事を
云って下さい
辛さに負けず
さあ! さあ!
僕が――余計なお世話とは百も承知――つい心配してしまうのは、例えばザ・ぼんちの超熱心なファンで、しかもこの“君”にドンピシャなシチュエーションだったりするような人が、歌詞を真正面から受け止めて、追い込まれちゃうっつうか、益々病状が進んでしまうとか?
しないの?
最後に。ここまで長々書いてきたが、高橋優の"プライド"の歌詞を引用して終わろうではないか。
その真逆をあおる人が手ぐすね引いてても
誰かの期待を裏切るくらいがいいのさ
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