2018年11月22日木曜日

高橋優が歌ってきたリアルタイムの時代といつかくる未来







このブログではちょいちょい触れるテーマであるが「今の時代に音楽を創ること」「音楽の時代を切り取る役割」ということについて、1つ印象に残っている言葉がある。

それは高橋優の言葉だ。


「昔書いた曲を今歌っても当時と同じように響く」


出典を失念してしまったし、朧な記憶を頼りに書いているのでニュアンスは多少違うだろうが、意味合いは捉えているはずだ。

高橋優はデビュー当初より「リアルタイム・シンガーソングライター」として「今日思ったことを今日歌う」アーティストで在り続けている。


楽曲に社会性を持たせることについて、そして人間についてを歌い続けてきた。

そんな高橋優の、その言葉の意味を見ていきたい。






世界は素晴らしい








では具体的にその歌詞の中身を見ていこう。

まずはデビュー曲である"素晴らしき日常"。
タイトルから皮肉が効いていて、素晴らしい曲である。


麗しき国に生まれすこやかに育んで この上ない程の幸せを僕は知ってて
それでいても尚湧いてくる欲望の数々 「満たされない」「 物足りない」何かに腹が立つ


出だしから強烈だが、誰しもが納得してしまうものがないだろうか。

20世紀、資本主義の終焉、それは2017年にリリースされたドレスコーズの大傑作アルバム「平凡」で取り上げたテーマとも通じる。






飽和の時代、何に価値を見出だすのか。21世紀はそれを求める時代となった。その求めるものこそが「満たされない」という言葉の先にあるものなのだ。


"素晴らしき日常"のラストはこんな歌詞で終わる。


間違いだらけでいいじゃないか 街が腐りきってていいじゃないか
そこから覗いてる景色は天国にも地獄にも変えられるよ
まだ笑うことはできるかい? まだ歩くことはできるかい?
その通じ合っているような気がする人を連れて
愛し合う人の間から生まれてきた僕らの明日が待ってる
僕らの明日が待ってる きっと世界は素晴らしい


タイトルこそ皮肉であるが、最後の最後でもう一度世界を信じるのだ。

このメッセージはその後もずっと変わることなく、代表作"明日はきっといい日になる"と全く同じ方向を向いている。

"明日はきっといい日になる"の曲はかなり唄う人間を選ぶ。これは高橋優が歌うからこそ、綺麗事で終わらずに胸に刺さる曲となっているのではないだろうか。





明日へ、未来へ




高橋優のメッセージは、世の中には何もかもが溢れていて、それは汚いものも多く混じっている。けれどその中で希望を見つけ明日を信じようというものである。

「今が辛くてもいつか笑える日がくるから」ということは簡単である。でも今僕が書いたところで、それはただの綺麗事になってしまう。

それが高橋優の言葉になると。


今を好きになることも 今を嫌いになることも
誰のせいにも出来ない悔やんでるなら置いてくさ
「さぁ行こう」と決めたその日から 常識なんてクソだから
ありったけの愛を込めて 教科書全部破こうぜ

"駱駝"


胸に刺さらないはずがないだろう。

そうした葛藤と希望はいつの時代になっても消えることはない。だからこそ、高橋優の音楽は、言葉は時代を越える。いつになっても時代に響き続ける。

それがたとえ悲しい現実を唄うものだったとしても。



失ったもの指折り数えたその後で
今ある希望とこれから手にする光を 数えてみるんだ

"現実という名の怪物と戦う者たち"



愛を歌うように殴るんだよ
まるで他人事のように通り過ぎてくだけの大人の目は死んでいるから

"16歳"


どんな過去も未来にするために高橋優は唄い続ける。
その言葉と歌で命を繋げるために。


そして今も高橋優は唄う。
ばか正直なまでに世界と向き合って。いや、あなたと向き合って。


ありがとう この世界に君という人が生まれてきてくれたこと
ありがとう そして今ここで君と僕とでいられるということ
ありがとう 生きていこう

"ありがとう"



いつの日か"素晴らしき日常"が「響かない」世界になるように。

きっと世界は素晴らしい


その言葉から「きっと」が取れるように。


そんな日がくるように。


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