全曲ノンタイアップ新録曲という挑戦的なアルバムとなった。
アルバムを引っ提げたホールツアーはすでに始まっている。
ホールツアーって規模に、当初「お前ら自分たちの人気履き違えてんのか?」と思っていたが、アルバムを聴けば納得。なるほど、たしかにこれはアリーナやドームで鳴らすアルバムではない。
リリースされてから凄まじい賛否が飛び交った今作について、アルバム全体を通して感じた僕なりの記録を残したいと思う。
先に結論を書いておくと、「miss
you」はMr.Childrenが残した最初で最後のアート作品だと思う。
ノン・プロモーション
まずはリリースの手法について。
先行配信された曲はあれど、完全新録の13曲か収録されている。
アルバムによってはシングルが溜まってきたのでリリースするという手法もある。
おい、星野源いつアルバム出すんだよ。
シングルというものはタイアップとかリリース時の状況とかで個性がより強くなりがちなため、アルバムの流れでは浮くことが度々ある。
「HOME」の"フェイク"を思い浮かべるといい(まぁ今回もシングル関係なく浮いてる曲がなくはないが)。
何が言いたいのかというと、シングルがない=今伝えたい曲を詰め込んでるってことだ。
ある種のコンセプトアルバムとさえ言えるくらい、テーマがまとまっている。
僕はそもそもそういうアルバムに弱いので、このアルバムを考えずにいられないのは、そういう面があると思う。
これを書いている今時点でまだインタビューなども出てこないところを見ると、本当にこのアルバムだけでメッセージを伝え切ったものだと考えている。
※FC会報やツアーで語っているかもしれないが、今の自分に知る由がないので、あくまで一般的な目線として
ということで、ここからアルバムテーマに踏み込んでいきたいと思います。
目的・手段・目標
「目的と手段と目標のバランス」
その一致が僕にとって、音楽を聴く悦びに大きな影響を与えている。
ということを念頭においていただけると、このトチ狂った人間の頭を多少理解いただけると思う。
①目的
明確に死をテーマを据えていた前作「SOUNDTRACKS」から、また一段強く死=終わりというものをより現実的に、生々しく残酷に見つめているように感じる。
折しも前作のラストトラック"memories"は、最後にレコーディングされた、桜井和寿以外のバンドメンバーは参加していない曲であった。
それから"永遠"と"生きろ"を経てはいるが、そのアルバムから「miss you」に繋がるのは、自分としては意外だった。
なぜかというと、「SOUNDTRACKS」が内向きなアルバムだったので、次作はもっとポップで「重力と呼吸」寄りになるんじゃないかと思ってたわけですよ。
それが、もっと内省的なもん出してきた。
「この人たちレディオヘッドかな?」って思った。
(レディオヘッドが2016年にリリースした「A Moon Shaped Pool」という異様にアンビエントでバンド感ないアルバムにも通ずる)
手段の話にも通ずるけど、何故あえてバンドサウンドを抑えているかというと、それが孤独の強調に繋がっているからじゃないかと思う。
年齢を重ねるほど人は失うものが増えていき、誰もが最後には一人で死ぬ。
このアルバムにはそんな境地さえ感じさせられる。
②手段
このアルバムは桜井和寿のプライベートスタジオで、メンバー4人を中心にして創られたという。
それでなお、これほどバンド感を薄れさせているのは、音楽性としてのバンドサウンドよりも、メッセージに賛同したからじゃないかなと思う。
正直「このアルバムツアーってメンバーやることなくね?」と思うくらいでもあるんだけど、内容は見ていないので、実際のツアーがどうなっているか、今の僕には判らない。
1つのトピックとして、こうした宅録的なミニマルな構成は、とても現代的といえる。
では何故その手法かというと、もちろん桜井和寿を中心としたモードもあるかもしれないけど、とにかく「自分たちの現在(いま)」を残しておきたかったからじゃないかなと思う。
移り変わりの早すぎる音楽界ではちょっとギリギリのタイミングではあるんだけど、あえて現代的なアレンジとモードを取り入れることで、2023年という今に足跡をつける、というニュアンスも含まれてるんじゃないだろうか。
先にも書いたけど、このアルバムの曲たちを描くのに、僕はこのミニマルな宅録的なアレンジは正しいと思う。
このメッセージで、このテーマでビッグバンドなアレンジだったら、逆に面食らったと思う。
そこに対してこのアレンジを持ってくることに確信があって出してくるからこそ、僕はMr.Childrenというバンドが信頼できるし、心底怖いなと思った。
③目標
ここでいう目標というのは、ターゲットと言い換えてもいいかもしれない。
では、このアルバムでうたわれる「you」とは誰を示しているだろうか。
僕は"Fifty's map ~おとなの地図"で歌われる、
「孤独の意味を知った友」
「同じ迷路で彷徨う友」
のことだと思う。
このアルバムには常に「孤独」が纏わりついていて。
人と人は繋がるほど孤独の谷も深くなる。
なんとなくそんなようなイメージが浮かんで、その解釈が一致していくような印象である。
アートは大衆の理解を介さない。
アートとデザインを決定的に分けるのはクリエイターのエゴだと思っていて。
Mr.Childrenというバンドがこのタイミングでエゴを選んだことが、僕は嬉しい。
伝えたい想いやメロディがあって、それをどう届けるかにミュージシャンの苦悩と悦びが詰まっている。
だから僕は「◯◯らしさ」みたいなものはどうでもよくて、エゴが出れば出るほど喜ぶ性癖(たいしつ)である。
求められているものよりも、自分たちのやりたいことを選ぶミュージシャンが好きなのだ。
(そのわりにクリス・マーティン(Coldplay)はナポレオンジャケット脱いで、狭い部屋で"Yellow"歌ってろと言ってた自分が言うのもどうかと思う)
桜井和寿なら、Mr.Childrenならもっと大衆に寄せたアレンジの取っ付きやすいアルバムにもできたとも思う。
それでもあえて、伝わる人に伝わるように、自分たちの今の正解を信じてこのアルバムを創り上げたことは、ミュージシャンとしてのプライドを賭けた奢りだ。
そこには間違いなく「このメッセージが届く人がいる」という意図が込められていて。
だとすると、僕が心底失望した「重力と呼吸」リリース時の桜井和寿の言葉。
「リスナーの想像力をあまり信用していないっていうか、もうきっとここまでのことを深く掘り下げて書いても理解しないだろうな、ただ通り過ぎていかれるだろうなっていうのがあるんです。だから、意図的に淡泊に言葉を書いているところはあります」
という意識の真逆にあるもので、そうであるなら、僕はやはり桜井和寿という人をまだ全幅の信頼を置いて身を委ねることができる。
そうであるから、僕はまだMr.Childrenを信じていられる。
ちょっとゴチャゴチャしてしまったけど、改めて結論を書くと。
このテーマにおいてMr.Childrenは最適なアレンジを選んでいるし、そこにそつが無く仕込んだ毒と救いのバランスが異常値である。
たしかにこれは万人に薦められないし、これがミスチルデビューってなるアルバムではないと思う。
けれど、半世紀へのエントランスに歩み入れた
Mr.Childrenの今に、間違いなく必要な一歩になっていると思う。
Mr.Childrenなんてふんぞり返っていても三世くらい豪遊できるくらい売れてるんだから、本来こんな挑戦もいらないはずなんですよ。
そこにこんなアートを持ってくるから、そんなWonderが、僕の胸を掻き立ててくるのです。
以下は全曲というわけにはいかなかったけど、いくつか印象的な歌詞を抜粋したい。
「miss you」の言葉たち
"I miss you"
何が悲しくってこんなん繰り返してる?誰に聴いて欲しくってこんな歌 歌ってる?
それが僕らしくて
殺したいくらい嫌いです
急なですます調オチに本気で怖いと思った。
完全に不意を刺された。「優しい驚き」ってそういうことじゃないだろ。
穿った見方をすると、「miss you」というアルバムタイトルに対して、あえて"I miss
you"と表題曲を一致させなかった点。
これって「僕(I)を殺す=Iの消失」なんじゃないかと思って。
"青いリンゴ"
傷んだリンゴをゴミ箱に放り投げて出掛けにコーヒーをすすりながら少しだけ心が傷んだ
青さという青春のようなテーマの冒頭にこれをもってくる。
この微細な心の機微を「傷んだ」をリフレインさせて挟んでるところとか、凄い怖くて心が痛みかけた。
"LOST"
尖った分 その痛みが走った分 その衝撃が自分に返って来るから星でも眺めて暮らしていたい
アルバムの中では比較的キャッチーな部類の曲かなと思う。
それでもなお、「こんな自分を見たくない」とか、想いが伝わらないことの絶望が歌われている。
安直にセックスを匂わせて倫理 道徳に波風を立てて普遍的なものを嘲笑って僕のアートは完成に近付く
アルバムの中では最も異色の曲ではあるんだけど、自分は正直これは最も分かりやすく表面化させている曲だとも捉えている。ちょっと捻くれすぎた考えかもしれないが。
アルバムを通して良いアクセントと刺激にもなっているが、ちょっとこのわざとらしさを感じるほど直接的な攻撃性が、逆に冷静にさせてくれる。
本当に怖いのは"miss you"みたいに油断させといて最後に刺してくるやつ。
すごくサービス的に「このアルバムはアートです」「こういうテーマを内包してます」と宣言してくれている曲。
それでいて、この曲が騒がれるほど「刺激を求める」社会性の揶揄が強調されるのが、本当に意地悪で最高だなと思う。
このバランス感覚で出せるのは桜井和寿か新藤晴一しかいないと思っている。
"Party is over"
多分そうだ初めから君が書いたシナリオの通りキャリーオーバーできず未来へ何も残せやしない心の中まで空っぽさ
この辺りの展開で明確に終わりが歌われる。
ただ、未来についても触れていても、ここではやはりネガティブなままである。
この曲は「バーボンソーダ」「Party is over」「多分そうだ」「キャリーオーバー」と韻を踏みまくっていて、そういうそつがなさに"炎"が燻っているんじゃないかと思う。
"We have no time"
だけどスキルは尚も健在まだまだいけんじゃない?とか思っちゃう
全体的にIとyouで歌われてきたアルバムで、ここでWeに変化する。
どう考えてもやはりこのWeはMr.Childrenそのものとしか思えないわけで。
"Party is over"に続いた明確な終わり。
けれど、ここでは諦めかけていた未来に「まだまだ行けんじゃない?」という匂わせを醸し出す。
まさに先の燻っていた炎が再燃するように、ただ消えていくだけでないというファイティングスタイルも垣間見える。
"おはよう"
賞味期限ギリギリのチーズも入ってるはずだよただそれだけの食卓幸せすぎる食卓
全体的には毒を羽二重餅で包んだアルバムだと思っているんだけど、それが最後に優しすぎる解毒剤をくれて終わる。
とても精細な日常描写が、どこか懐かしさも感じさせる(なんとなく"Mirror"が浮かぶ)。
このテーマからしたらもっと突き放した最期を見せてもいいくらいなのに、なんでこんな優しいの。これDVの心理じゃね?
嘆きまくったアルバムの最後に今日という未来をそっと差し出してくる。
そつがなさすぎる。
怖い、本当に怖い。
チーズだけの食卓=削ぎ落とした音と言葉?
チーズ≒地図?
とか、実は……っていうものもありそうだけど、今は素直に受け取っておきたい。
ちょっとまとまりがなくて申し訳ない。
それくらい、リリースから10日以上経った今も、これくらいまとまらないのだ。
ひとつの確信としてこの今作はアート作品だと思っていて、今後これからこれほど振り切ったアルバムはないんじゃないかと思い「最初で最後のアート作品」と評した。
今後ツアーの映像作品とかで、またアルバムの片鱗が見えるかもしれないので、それまでこの怪作を味わうこととしよう。
マジでこのアルバムで「失望した」とか言ってる人は、関東圏なら僕にツアーのチケットを譲って欲しい。
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