悲しみとはなんだろうか。
シングル「シスター」のシングルレビューを書き、"シスター"の歌詞を考えていた。
そこで「暗い曲だけど前向きな気持ちで出した」「Tamaのことを書いた訳ではない」という言葉は当時からインタビューなどで見受けられた。
それを踏まえて"シスター"の歌詞を見ていて、いくつかの想いが浮かんだ。
それをここに記したい。
シスターの祈り
東から陽が昇る。
それは新たな1日のはじまりでもあり、夜の終わりでもある。
1番と2番を通して主人公の、深い喪失と悔恨の念が根差しているのが描かれる。
舟という象徴。舟は漕いで進むものだが、時には水の流れ、波によって行き先を左右される。
「僕に宛てた風は吹いていない」という言葉の通り、主人公は風によって舟の行き先を運命に任せようとしている。つまりは、起きた出来事に対して受け身の心のままでいるということだ。もちろん「風の便り」や「東から西に流れる舟」で"素敵すぎてしまった"や"月飼い"を想像してしまう。
それでも主人公が求める方向へは進んでくれない。
そんな主人公が唯一能動的に行おうとするのが「あなたのために祈る」こと。
ポルノグラフィティにとっての祈り。
それは「ライヴで雨が降らないように」というもの以外にもある。
冷えた指先を温めようと
自分の両手を合わせてみても
僕の悲しみが行き交うだけで
それは祈りの姿に似ていた
~"Mugen"
手を合わせること、それは相手を思う気持ちとともに、自分の心に対しても祈りを捧げることだ。
"Mugen"や"シスター"がリリースされた2002年、2003年頃は日韓ワールドカップで盛り上がっていたが、世界的には2001年のアメリカ同時多発テロに端を発したアメリカのイラク進行が始まっていた時期でもある。
テロによって、数多くの哀しみが祈りとして送られた。
そしてアメリカは海を越え、銃口をイラクに向けた。その先にもまた新たな哀しみが生まれる。
数えきれない人の涙で夜明け前の海は今日も蒼い
東の海とは、つまり極東の海でもある。
海に溶けた無数の祈り。その中で、せめてあなたのことを想いたいという主人公の気持ちなのではないか。
終盤でシスターが祈りを捧げる場面が出てくる。その祈りは。
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を
今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなく汝のものなればなり。
アーメン。
『マタイによる福音書6章9~13節』
父、子、聖霊なる神の三位一体。
天の神に対して、イエスを通して祈る。それは「賛美と感謝」であり、慈愛に対する感謝の祈りなのである。
※自身がキリスト教に根付いてないため、細かい点で色々あると思いますが、ご了承ください
主人公の願いはシスターの捧げた祈りとは違う。どこまでも個人的な、あなたへの想い。それでもせめて、あなたのために祈りたいと願う。
白い花と赤い傘
あなたが欠けた世界、それはまるであなたと繋がっていた歯車が外れてしまったような世界。
それがないことで、自分の時間を動かしていた歯車が、無数に繋がっていて。その中のひとつが消えてしまった。決定的でなくとも、その先に繋がっていた世界とも途切れてしまうことでもある。それでも世界は、歪になりながらも動いていく。
2番のサビで出てくる「白い花」。
"シスター"というタイトルからキリスト教と連想していくと「白い百合(ユリ)」のことだと思われる※。
※あくまでも自分は、ということ。他にも色々な花を重ねてみると面白いと思う
百合が咲き誇る季節とは春から初夏の辺りだろうか。
白い百合、つまりマドンナリリーは純潔のシンボルとして、聖母マリアへ捧げられる花だ。花言葉も「純潔」や「威厳」である。
百合はアダムとイヴが禁断の果実を食べてしまい、楽園を追放される時に流したイヴの涙から生まれたと云われている。
主人公の別れ、それがどのようなものであったかわからない。それでも、別れ際にもし君の涙がその海に溶けていたなら、波間に預けた白い花に込められた主人公の想いは健気さすら漂う純粋なものだ。
ここで、「赤い日傘」が出てくる。いつも君が差していたそれは、白い花と対比になるようだ。
たとえば、キリスト教で赤は「神の愛とキリストの贖罪の血」として、愛と寛大さを表す色だ。
去ったあなたは、主人公に対して大きな愛を残していく。
それを受け止め、少しでも返したいと願い、主人公は花を手向ける。
そして、鳴り響く鐘の音。
教会の鐘は「アンジェラスの鐘」と云われている。アンジェラスとはつまりエンジェル、天使の鐘なのだ。そして、大抵は1日3回、朝昼晩で祈りの時間に合わせて鳴らされる。
それを受け主人公が感じるのは「時間の移り変わり」。
朝の鐘の音を聞き、そしてまた新しい鐘の音を聞く。果たしてそれは、昼のものか、夜のものか。それほど長い時間、主人公はそこで過ごしている。
主人公はあなたを想い続ける。
時間の移りを優しく告げていく
朝が昼になり、昼が夜になる。しかし、この歌詞はもっと大きな悠久の時の流れを表しているように聴こえる。それは人の一生かもしれないし、或いは人類そのもの。
なぜならシスターの祈りは、変わることのない祈りなのだから。
ポルノグラフィティという決意
歌詞について見てきたが、ここからが冒頭に書いた内容、本題とも言える。
「暗い曲だが前向きな気持ちで出した」
「Tamaのことを書いた訳ではない」
そのタイミングで一番シングルとして相応しい曲として選ばれたのが"シスター"だった。
この曲がいつ生まれたのか、それはわからない。
ここからは、僕の想像でしかないことを念頭に置いて読んでいただきたい。
本間昭光は、いつこの曲を書いたのだろう。
もし、Tamaの決意を聞いた後なら。本間昭光は脱退後もTwitterで報告をしたり、現在またベーシストとして活動を始めた際にもバックから支援している。
自分がデビューから見守ってきた、一人の大切なミュージシャンとして、今も変わらない愛情を持って接している。
それだけ親心を持った優しい人なのだから、どんなに出そうとしなくても、そこに必ず潜在的な感情が滲み出てしまうのではないか。
それは残された岡野昭仁と新藤晴一のポルノグラフィティを続けるという決意を後押ししたいという想いでもあるかもしれない。
"シスター"のメロディとアレンジに滲み出ている悲しみと新たな決意、それを作詞家として新藤晴一は。
新藤晴一という人は、メロディに言葉を乗せることに長けているとともに、曲が呼ぶ言葉を歌詞として落とし込む才を持っている。
だからこそ本間昭光の曲から読み取るはずなのだ、潜在的な感情を。そうして生まれたのが"シスター"であるならば。仮にTamaへ向けて、という意図で書かれた曲があったとしてもそれより遥かに強まった感情がそこに乗っている。無論、それを表現しきった岡野昭仁のヴォーカルの素晴らしさは言うまでもない。
そこに普遍性が生まれ、まさにシスターの祈りのように、時代を越えて受け継がれるようになる。
作詞家が「愛してる」という言葉を何倍も強める言葉を今日も探しているように、選んだ言葉が本来表す感情の100%を越えていく瞬間がある。
そんな言葉にできない感情を表現することが音楽で、それを追い求めることが、アーティストなのだ。
そして時にアーティストの意志を越えて、時に生まれた音楽はより強い力を持つ。
ポルノグラフィティが一度は歩みを止めてしまいそうになった時に、再び奮起してリリースしたシングル「シスター」。ポルノグラフィティが歩み続けてくれた今この時代を生きていること。
僕も主人公と同じくシスターと同じように祈ることはできない。
しかし、それでも大好きなアーティストを受け止め愛することができる。未来を信じることができる。
"シスター"とは。
これまでもこれからも、大切に受け止めていきたい曲だ。
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