いつものように「関ジャム」を見ていた。
今回の特集は「この曲の『この一行がスゴイ』」特集である。
いつにも増して僕に対して挑戦的なタイトルではないか。案の定、世間はどこを見ているのか、ポルノグラフィティは出てこない。
ならば、いつものように、自分でやるしかないではないか。
正直、今までこれだけ歌詞について書いてきたので、被るものも出てくるかもしれないが、なるべく今この瞬間の目線で捉えたもの一行として挙げているのでご了承願いたい。川谷絵音のように叩かないで。
あの人に伝えて…寂しい…大丈夫…寂しい
~"サウダージ"まずは、代表格。これほど失恋の切なさを見事に切り取った表現はあるだろうか。
誰しもが共感しやすいフレーズでいながら、このたったワンフレーズに主人公が全て写っている。
主人公の強がりのようでいて、それだけではないと思う。主人公は本当に強い女性だからこそ、その最後に見せる「寂しい」という言葉が強烈なまでの慟哭となって胸を打つのだ。
なぜなら、主人公はその先で「私は生きたわ恋心と」と目をそらさずに前へ進むからである。
修羅場を演じる時代劇の ど真ん中に立ってるみたいだ
~"2012Spark"新藤晴一がこの時代に感じたのは虚構であるということなのかもしれない。
「修羅場を演じる時代劇」というフレーズが痛烈だ。刀が飛び交い、人が切られ倒れていく。しかし、それは現実ではなかただのお芝居だ。
それでも、演技であっても刀は飛んでくるから避けなければならない。戯れ言さえ遊びではない。避け損なえば怪我をしてしまう。
そんな世界と画面のアプリは、もはや同一化されたものなのかもしれない。
時計の針は緩めておいた
~"星球"Mr.Childrenのデビュー曲は"君がいた夏"という曲なのだけど、そこに「オモチャの時計の針を戻しても何も変わらない」というフレーズがある。
それも好きなフレーズなのだが、この新藤晴一の歌詞は、そんな不可逆な事を、とてもさりげなく手渡ししてくる。
使い方によってはキザ極まりない言葉で、たぶん新藤晴一に直接言われたらそのアヒル口を絞め上げたくなる。
けれど、それが岡野昭仁の声で歌われると、とても絶妙に中和され、優しさが滲み出るフレーズとなる。
決めてやるのさキミへのドライブを
~"キミへのドライブ"この曲のスゴイところはそもそも"キミへのドライブ"といういかにもなラヴソングっぼいタイトルに対して、冒頭から「魔がさしただけだよ、ちょっと。」という最悪のフレーズで始まることだ。
ならば、普通ならキミへ謝るためのドライブになるのかと思うだろう。そもそも「謝罪のドライブさ」と言っているのだから。
そして曲はもどかしくも前に進まない気持ちで進む。普通なら、キミに辿り着いて謝った!と終わる展開にするだろう。しかし、岡野昭仁はとんでもないフレーズをぶっ込む。
今夜がいよいよファイナルラウンドにしようぜ
決めてやるのさキミへのドライブを
これ、プロポーズに行く曲だった。
岡野昭仁、マジか。
この人冒頭で魔がさしたって怒りを買った人だよね。
"Devil in Angel"なんてレベルじゃない、天使のような悪魔の笑顔だこれ。
そして最も恐ろしいと思うのが、この曲の元々のタイトルが「パノラマ・ラブ」ということである。
凍えたピザ 乾いたハム 涙 古い記憶 純情のようなもの
~"MICROWAVE"散文詞的に言葉を並べていくタイプの歌詞は世にたくさんあるけれど、中には意味あり気だけで終わってしまうものも多くある。けれど、このフレーズは秀逸だ。
「凍えたピザ」という言葉。さりげなく擬人化されているのが面白い。たとえば冷蔵庫に入れっぱなしにしているものとして捉えることができるだろう。実際僕もそう思っていた。
けれど、改めて考えて、もうひとつ意味があるのではないかと思えた。ピザとハムといえば、イタリア料理。
最初のデートは 背伸びしたイタリアン
これは"約束の朝"のフレーズだ。このカップルは幸せな朝を迎えるようになる。しかし、そうでない2人もいたのかもしれない。或いは強烈な皮肉になるならば、幸せだった朝が終わった2人かもしれない。
凍えたピザ、乾いたハム、どちらも時間が経った姿だ。冷蔵庫に入れっぱなしだったとするのが多分正解だが、それが時間を忘れて君と向き合った時間ならば。
もしかしたら、時間さえ忘れて君と夢中になった夜かもしれない。もしかしたら、君と時間を忘れて感情をぶつけあった夜かもしれない。
「冷めてしまったもの」
いつしか遠い記憶となってしまったもの。欠片(ピース)として残された断片たち。
もう戻れない2人。
「アタシが包んであげる」
~"愛なき…"たとえばこれが「ワタシが包んであげる」であったなら、全く違う印象とならないだろうか。
そもそも「アタシ」という人称自体、そうそう日常生活で耳にすることはない。それに対してスゴイと思うのが、そんな自分を「アタシ」と呼ぶ相手に対して「キミ」と呼ぶ主人公である。
「愛なきこの時代」という退廃的な雰囲気すらある世界。僕は少し「アタシ」という響きに自暴自棄さも感じてしまうのだけど、だからこそ孤独の闇に覆われた主人公と通じるものがあったと思える。
「アタシが包んであげる」というキミに対して「出会うため生まれてきたんだ」というボク。それが決して甘いラヴソングではない、愛し合うことが2人にとって生きていることを実感できる唯一の行為なのだ。
核心を飲み込んだら 欺瞞と虚言の臓器で消化して
~"Fade Away"ある時久しぶりに歌詞をちゃんと見ながら聴いていて、自分の中で思い違いをしていることに気づいた。僕は「確信を飲み込んだら」というフレーズだと思っていたのだ。
ニュアンスとしては「確信を持った思いさえ、欺瞞と虚言というフィルターに通して歪んで放ってしまう」というイメージでいた。しかし「確信」ではなく「核心」だったのである。
「核心」とは中心にある大切なもの。
そしてスゴイと思うポイントは、本来飲み込むものが欺瞞やと虚言であってもおかしくないし、それがどちらかといえば自然にも見える。
しかし、それを内包するのは自分の中にある臓器だ。本来飲み込むことは、本音を飲み込むというように、口にしないことである。それが、核心となるものであり、しかもそれが欺瞞と虚言の臓器に流れていくという表現に。
街に溢れる欺瞞も虚言も、全ては人から生まれるのだ。
冷たい骨を晒した解体途中のビルの上を舞うムクドリ
~"素敵すぎてしまった"「関ジャム」の井上陽水のくだりでも出てきたけど「叙事詩」というものがあって、それは感情をそのまま歌うのではなく、景色や風景から想像させるものを言う。
この歌詞のスゴイと思うのは、無機物である解体されているビルが、まるで巨大な生命体の果てのように感じるところにある。
そもそもこの"素敵すぎてしまった"では風やニュースも擬人化させているのだが、それらと空を舞うムクドリと同列に生命体として感じられることにある。
それこそがタイトルでもある"素敵すぎてしまった"幻想のような夜を過ごした主人公と重なる心情を見事に表しているのだ。
『あいまい』という文字の中には『あい』という文字も含まれる
~"曖昧な人たち"僕は岡野昭仁の説明過多シリーズが好きなのだが、他には"真っ白な灰になるまで、燃やし尽くせ"の「三秒後の世界だってわかるはずもない 予言者じゃない」もそうである。
それでいて、本当に「曖昧」という言葉を説明したいなら、歌詞表記は漢字にしそうなものだ。しかし、岡野昭仁のスゴイところは『あいまい』も『あい』も、わざと平仮名が使われているところにある。
ポルノグラフィティの魅力は新藤晴一の文学的な歌詞と、岡野昭仁のフィジカルから生まれる肉体的な歌詞どちらも兼ね備えているところにあると思う(もちろん全てそうではないという注釈もつくが)
漢字の表記ではない、岡野昭仁はその「あい」という言葉そのものに、「愛」を見ているのだ。
君なのにさよなら お別れね
~"フィルムズ"間違いなく前にもどこかで触れているのだけど、外せなかった。
「君なのにさよなら」
なんて切ない言葉なのだろう。
この短いフレーズに込められた、もう戻ることはない別れの余韻。
こんなにシンプルな言葉なのに、どこにもないフレーズ。これこそが僕の歌詞が好きな理由であり、その衝撃に心悶える喜びなのだ。
ということで、あまりに勢いで浮かんだものを並べてしまった。
あと300個くらいある気がするので、またいずれ書くかもしれないが、僕が「関ジャム」を見た衝動で選んだのはこの10の「この一行がスゴイ」である。
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