※TOP画はTOWER RECORD ONLINEより引用
コロナウイルスが猛威を奮い、行くはずだったライヴやイベントが次々と延期または中止になっている。
おかげでブログを書いていくモチベーションが上がらないまま、生ぬるい気持ちで日々を過ごしていた。
書くことが、それこそ習慣であったけど、ここ最近は惰性の癖のようになっていた。
しかし、リリースされたなきごとの新譜「sasayaki」を聴いて、居ても立ってもいられない気持ちになった。
毎回ワクワクさせてくれるなきごとの音楽。
今回も歌詞考察ギターオタクには堪らない3曲が届けられた。
兎に角、こんな駄文長文は読まなくていいから聴いてほしい。
なきごと「sasayaki」全曲感想・歌詞解釈
1. セラミックナイト
以前、ハルカトミユキについて書いた時に「簡単に共感などしない」と書いた。
世間的になんでも「共感しました!」と云われる風潮にあまり納得がいっていないからである。「共感」とは文字通り、相手と感情を共にすることなのだ。
たとえば、失恋ソングを聴いて自分の失恋に重ねて「分かるぅ悲しいよね🥺ぴえん」というのは共感ではない。共感とはあくまでも「"相手の気持ち"を共有」することなのだ。自分の失恋を思い出して悲しむのは「共感」ではなく「同感」なのである。
いきなり堅苦しいことを書いてしまったが、理由がある。
"セラミックナイト"に僕は過去最高に、猛烈に共感しているのだ。
"セラミックナイト"は"抜歯"の恐怖を唄った歌なのである。そして、僕はまさに親不知の抜歯を続けている真っ最中なのだ。
傷ばかりついた 使用済みのカケラ
ぽってり丸く晴れた頬に
伝う透明な筋
僕は現在上の2本を抜いて、下の2本に取り掛かるのだが、「ここだと対応しきれないから大学病院ね」と紹介状を貰ったところにいる。
と、いうことで勝手に強烈なシンパシーを抱いてしまった。
イントロから、今回も強烈な岡田安未のギターリフが切々とした感情(もはやこれは「切ない」と「切迫」の切々である)を引き立てる。
ぽっかりと丸く開いた穴
そんな場所を僕は舌でなぞっている。意外とものが詰まってしまうのだ。
この餅のことだって君は
知ったこっちゃないから
餅つついて笑う
歌詞の中で何度も出てくる「餅」が何を表しているのだろうと思っていた。
食べる餅かと思っていたけれど、もしかしたら「血餅」※のことなのではないか。
※血餅(けっぺい):血餅とは、血液が凝固したものをいう。溜まった血液が空気に触れると上澄みと凝固部分に分かれるが、この凝固部分を血餅といい、止血や創傷の治癒などに重要な役割を果たす。抜歯をすると一時的に歯槽骨が露出するが、その抜歯窩には血液が溜まり、凝固して血餅となる。血餅は露出した歯槽骨を覆い、抜歯窩を細菌や刺激から守るため、創傷の治癒がスムーズに進む。
Quint Dental Gaより
これ自体は抜歯の時に体験したが、それを「血餅」ということは初めて知った。そもそも「けつもち」って読んでしまった。
そう思うと、歌詞の流れもとても繋がるので、自分ではそうではないかと解釈している。
ちなみに歯医者に行った元々の理由は虫歯で、悪化したせいでセラミック案件(保険不適用)になったことなので、タイトルを見ると思い出して震える。
正直、コロナウイルスを理由に病院に行くのを逃げているのだが、これは行くしかないないところに来てしまったのかもしれない。
このタイミングで、なきごとがこんな曲をリリースしたことは、運命だ。覚悟を決めなければならないのかもしれない。
もうダメだ。
ぴえん。
2. アノデーズ
最後は笑顔で終わらせてよ
どうにもこうにも好きになれないのよ、ねぇ
本当にこれでよかったのって病んでる
あたまいっぱい…
トレーラーで敢えて最後の方のサビを使っているのが、巧いなと感じた。「あのdays」を彷彿とさせる"アノデーズ"というタイトルと、このフレーズだけ聴けば、もう戻れない二人を唄った恋愛の曲に聴こえるだろう。
まさかそれが「マヨネーズが嫌いな歌」だとは到底思えない。知り合いに生クリームが苦手という人がいて、歌詞カードのイラストを見て自分はぼんやりとそっちの想像してた。
※インタビュー読んでそういうばTwitterか何かで見たなと思い出した
3曲とも最高です参りました、という大前提の上で個人的には1番好きな曲。こういうメロディラインは、もう脳ミソ1mmも使えなくなるくらい好きなのだ。
後述するが「マヨネーズが嫌い」という歌なのにパーソナルな曲ではなく、どこか普遍的なメッセージが伝わってくる。
そこが水上えみりの歌詞の魅力であり、僕が最も惹かれるところである。
「ランデブー」という歌詞が何回か出てきて不思議だなと思っていた。水上えみりは本当に平成生まれなんだろうか。
ただ、それと「病んでる」の韻の踏み方が最高だ。
絶対違うんだけど「マヨネーズ」のためか「RUNデブ」ではないかとさえ思えた。マヨネーズ食ってないで走れ。
歌詞で特に興味深いなと思うフレーズがあって、それが。
どっかいってよ。
大切な日だから。
「大切な日だから。」というフレーズ、どんな意味で特別なのか。
それはたとえば初デートかもしれない。
それはたとえば大事な会食かもしれない。
もしかしたら、向かい合う相手がマヨネーズ大好きと舐め始めたかもしれない。
何にしても、付いているマヨネーズといった些細なことが、自分をこんなにも揺らがせる。
そうすると、正直残したと思っていたマヨネーズが、その場のためになんとか食べてゲンナリしているというようにも見ることができる。
ちなみに僕は漬け物が食べられないので、当たり前の顔していたるところにいるアイツがどうにもこうにも好きになれない(これが「同感」)
歌詞と同じくらい毎回、岡田安未のギターが楽しみなのだけど、アウトロのギターソロが今回も最高でありながら、音づくりがまた少し違うアプローチをしている気がした。
最新のなきごとがまだその歩みを止めないことが、嬉しいとともに、恐ろしくもある。
3. 癖
なきごとにとっては最初期の楽曲。
ライヴでずっと演奏されてきた楽曲なので、なきごとのファンにとっては待望の音源化となった。
なきごとの魅力がすべて詰まっている楽曲と言えるだろう。
裏を返せば結成直後より、今のなきごとの魅力は確立されていたということでもある。
好きと嫌い。
それは対極にあるものではない。
それは表裏にあるものだ。
では、対極にあるものとは、なんだろうか。
人は記憶と共に生きていく。もう過ぎ去ってしまった出来事に好きも嫌いもなく、ただその記憶を抱えていくしかない。
なぜなら記憶は過去ではないからだ。今を、未来を生きていく自分が抱いていくものこそが記憶だからだ。
匂いが記憶と結びつくというのは、プルースト効果と呼ばれている。それについては以前にポルノグラフィティの香りが出てくる楽曲について記事を書いた時に色々調べた。
端的に書くと嗅覚は感情を司る大脳辺縁系と直接繋がっているため、匂いを嗅ぐと感情が呼び起こされる効果があるというものだ。
「癖」というのは習慣の中でも「無意識にやってしまう偏った行為」である。"癖"において描かれる癖たち。
帰り道 自販機でいつも買ってしまう
缶コーヒーに2人を重ねてしまう
あぁこんなにあたたかいだなんて
あぁほんとにあなたでよかったな
今でも家に帰れば
換気扇の前少し大きな背中が
私の帰りを待ってる
そんな気がしてる
出だしから切ない。缶コーヒーを買うのは、主人公の習慣ではなく、あなたのために買っていたもの。
だから、本当はもういないとわかっていても、缶コーヒーを買って帰ればいつかあなたが部屋で待っていてくれるかもしれない。
缶コーヒーを買ってかえることも、洗濯物の匂いにあなたを重ねることも、記憶に縋ることも、"癖"において描かれる主人公の癖とはつまり、願いなのだ。
そんな癖たちの中で「癖」ではなく「くせ」と書かれている言葉にこそ、主人公が意識せずともやってしまう、本当の「癖」が潜んでいる。
あなたがこんなにも好きなくせに
だからこそ、偏りではなく願いとして主人公は習慣を癖として続けてしまう。
その感情が最後の一言をより切なくさせる。
「待ってる。」
最後の言葉には唯一、鉤括弧が付いている。
声に出した、いや思わず出てしまった気持ちを表していて、そこに強さ(強がりと言っていい)と弱さのどちらもが内包されている。
さて、全曲感想を書いたが、少し全体の所感も残したい。
まず、ジャケットが素晴らしい。
書かれたイラストはタイトルである「ささやき」をそれぞれ言っている口になっている。
そして裏ジャケでは、また違う口の形が出ている。
ジャケットがヒントになっていて、ほぼ間違いなく「なきごと」と言っているだろう。
今回もまた、CDを購入して歌詞カードを眺めながら聴く悦びに満ちている1枚である。
そして一癖も二癖もあるなきごとの楽曲。
今回の3曲についてインタビューでこのように答えている。
水上:そうです。今回のシングルは3曲とも、周りで色々なことが囁かれているなかで、自分がどう思うか?というのを歌ってると思ったんです。
3曲とも自分と向き合う何かを歌っている。
向き合うのは歯だったりマヨネーズだったり、"癖"もある意味では残された吸殻入りの缶コーヒーの空き缶かもしれない。
けれど、それを「2人」の歌にすることで、普遍性あるポップスに昇華している。なきごとの音楽がここまで人を惹きつけるのは、多くの人が「私の歌」と受け取れるからではないだろうか。
たとえば「マヨネーズが嫌い」ということを歌ってしまえば、マヨネーズが嫌いという人にとっては大きく共感できる曲になるが、好きだったり、あっても気にしないという人には響かない。
けれど、なきごとの曲はそこに留まらない。
その理由こそが、なきごとの曲が持つ普遍性を表しているのではないか。
独り、部屋にいたとしても、そこにいる自分は誰かとの、何かとの記憶に繋がっている。記憶とは過去のものであるのだけど、これからも自分につきまとう今であり未来でもある。
「好きでもないのに付いてくるマヨネーズ」は、ある意味"癖"における、あれだけ好きだったあなたの癖にもどこか通ずる。自分の意思に反して付き合い続けなければならないものだ。
つまり、今作で通じて描かれるのは「好むと好まざるにかかわらず、関わらざるをえない他者と自分」なのだ。
なきごとの曲が普遍性を持っているのは、いやが応でも自分と繋がってる存在と向き合っているからだ。誰しもがひとつは持っているであろう、付き合って生きていかざるをえない存在が頭にオーバーラップさせるのだ。
そこに「共感」は必要ではない。聴き手がそれぞれの自分に重ねて「同感」できれば、音楽が伝えたいメッセージは十分伝わるのだ。
それが折しもこんな時世になってしまったが由、より人々の心を打つ3曲が並んだ作品になった。
いつも言ってるけど、今を生きる僕らの特権は、今の時代の空気を感じながら今の時代の空気から生まれた音楽をリアルタイムで聴けることなのだ。
そして、そんな作品を引っ提げたリリースツアー最終日。
2020年5月29日東京 TSUTAYA O-WEST
僕の誕生日である。
ウイルスの影響で、ツアーがどうなるかわからない。
けれど、なんとかこの日だけは、見させて欲しい。
縋るように。
「待ってる。」
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