2019年9月30日月曜日

なきごと「夜のつくり方」全曲感想・歌詞解釈







ギリギリ昭和生まれの人間として、CDを買うことはやはり楽しみである。それはもはや性癖ともいえる。

ストリーミングで音楽がいくらでもお手軽に聴けるようになったとはいえ、CDを買いに行く、パッケージを開ける、ディスクをコンポに入れる、再生ボタンを押す、その過程が必要なのだ。

なぜか。それは「過程」にこそ魅力があるからだ。再生ボタンを押す、その瞬間までの過程が、自分を焦らすプレイそのものなのだ。

只でさえ発表されてから数ヶ月待ち侘びる。それからすれば、たかが数時間かもしれない。しかし、その数時間の焦らしこそが、自分を高める上で欠くことのできない行為なのだ。

いきなり本筋と全く関係ない話を書いてしまったが、なきごとのミニアルバム「夜のつくり方」が素晴らしい、あまりに素晴らしいということを伝えたい。




なきごと
ミニアルバム「夜のつくり方」














歌詞カードを読むという人は、今の時代どれくらいいるだろうか。CDを買ったとしても、歌詞カードまでしっかり読んで聴くという人は、そう多くないと思う。レディオヘッドみたいに、デザイン凝りすぎて歌詞カード読ませる気のないアーティストもいるが。

しかし「夜のつくり方」は歌詞カードを読みながら音楽を聴くことの意義を思い出させてくれる。





本当に多くの仕掛けが仕込まれている。CDを手に取った者しか気づけない特権。どこまで書いていいのか、ネタバレという概念があるのか、わからないけれど、こうして考察しまくって欲しいということなので書いていこう。

読んでて少しでも興味がありそうと思ったら、できればそこで止めてCD買ってみて欲しい。

歌詞好きとしてこんなに興奮させられたアーティストと出会ったのはハルカトミユキ以来かもしれない(印象派も最高だがぶっ飛び度が凄すぎて比較できない)。

歌詞と歌だけでもかなり満足していたのに、ギター岡田安未のギターがこれまたどれもツボで、またひとつ人生になくてはならないバンドと出逢えたと思えた。


1. 合鍵




失恋の曲。
ハルカトミユキもそうだけど、女性アーティストの書く一人称が「僕」の歌詞が好きだ。比較的ストレートにいなくなった君が歌われる。


朝日がやけに煩い土曜日
怠さが残る起き上がれないなぁ

ひとりの朝は思ったより寂しくて
光に透けた君が隣で笑う


君がいなくなった土曜、朝日の眩しさ。君だけがいなくなった部屋に差し込む朝日。
少し前まで、朝日と僕の間には君がいた。

「起き上がらなくちゃ」というフレーズのように、ダブルミーニングが効果的に使われる。

他にもサビ終わりの「生ぬるい日々が続く」は今の失恋した気持ちを引きずったままの日々と同時に、君がいたありふれて心地好さを感じた日々も示している。


ここまでは自分の想像。ここでインタビューから引用しよう。



この曲のテーマは“金曜日の女”なんです。金曜日に浮気相手の男性と飲んで、すごく楽しい夜を過ごすことができたのに、でも結句翌土曜日の朝は一人で迎えて気怠いっていうストーリーが冒頭と最後の歌詞の部分に繋がっていて。合鍵をもらっても、愛しているよって言われても結局大切な部分でお互いに繋がっていないと哀しい気持ちが残るんだなっていう心情を描いた楽曲です。


なきごとの曲の多くは、水上えみりの中である程度、テーマとか場面設定が為されていることが多い。それはどちかというと「裏テーマ」に近い感覚だ。

なので、自分なりになんとなく感じたことを踏まえてからインタビューを読むと、こういう「なるほど」や"メトロポリタン"のように「そんな設定想像つくか」という気持ちになるのが楽しい。大抵斜め上に行かれる感覚が最高だ。


2. メトロポリタン









以前「nakigao」の時に書いたので、今回は割愛。どういうテーマかわかって聴いた時の痛快さは最高だ。

改めてそのテーマはなかなかぶっ飛んではいるが、それがただ奇抜なことをやりたいというよりは、そういう夜がさもあって、それを自然に思い出しているような感覚にさえなる。



3. ユーモラル討論会









ライヴで聴いてとんでもない曲だなと思っていたが、音源になってもぶっ飛んでいた。この曲がミニアルバムのリード曲となった。
シンセっぽいアプローチの歪んだギターが最高で、その狂って狂気を感じさせる世界観に負けない歌詞が印象的だ。



夜は君を連れて
メランコリーとぼくと一緒に
後悔の航海をするのさ


ライヴで聴いた後、曲名を"メランコリー討論会"と勘違いしててなんでだっけと思っていたら、曲中で「メランコリー」が何度か歌われているから耳に残っていたんだなと気づいた。

あまりにぶっ飛んだ世界観なので、「サンギン参議院落選」で正直どんなテーマか全く読みとれなくなった。なので先にインタビューを引用する。


――歌詞に《四体液... 死体遺棄… 》という言葉が出てくるのが、グロテスクな感じもしますけど。これはどういう意味ですか?

水上:感情について調べたんですよ。「四体液説」というのがあって。簡単に言うと、それが、全部人間の感情を表してるんです。メランコリー(憂鬱)とサンギン(陽気)、フレグマティック(冷静)っていう。怒っちゃう自分とか、悲観的になる自分とか。それを読んで、わたしがいつも思ってるのは「これだ!」と思ったんですよ。

――というのは?

水上:自分の中にポジティブな自分とネガティブな自分がいるんですよね。で、「メランコリー」と「夜」が、「ぼく」を連れ去って、ネガティブにするみたいなことを歌ってるんです。1番の「ぼく」と、Cメロの「僕」で、ひらがなと漢字を使いわけてるんですけど、ポジティブな「僕」を引っ張って、どんどん闇落ちしていく感覚というか。「ぼく」が「僕」を殺して、死体を引きずってる。で、最後は自殺しちゃうんです。


これが斜め上を行かれる感覚である。「四体」は頭・胴・手・足の方かと思ってた。四液は以下の通り。

血液:サンギン(サングイン)→陽気
黒胆汁:メランコリー→憂鬱
黄胆汁:コレリック→怒り
粘液:フレグマティック→冷静

歌詞では直接的に怒りは描かれないが、迎える結末を「開放」とするなら、主人公がずっと囚われていた感情のひとつとしてずっとそこにあったものだろう。

「ぼく」と「僕」、こうした人称の表記の違いを効果的に使った表現は他の曲でも使われている。

「スターウォーズ脳」としてはアナキン・スカイウォーカーが思い浮かんでしまう。あと、脳内での感情ということでピクサーの「インサイド・ヘッド」をティム・バートンが創ったような感覚。

この曲を聴くと、真っ暗な海の中で泳いでいて酸素がなかなり海面を目指して泳いでいたつもりが実は、方向感覚を失ってどんどんと海の底へ向かっていたという話を思い出し、そんな感覚になる。答えを見つけようと思うほど深みに嵌まっていく、なんて気持ちいい。








4. のらりくらり





一転してリラックスしたムードの穏やかな曲。
それは曲を聴いただけで、歌詞はやはり一筋縄ではいかない。

何となく、何気ないまま過ぎていく日々。
それを「勿体ない」と憂いつつも、それが「贅沢」とも感じる。

何に対しても効率化され、簡略化されていく。無駄にしないことが善しとされる。その感覚は今更ながら現代的だなと思う。

浪費と消費に終わった20世紀。
たとえば(体験してないけど)バブルみたいな、消費することが贅沢とされた時代がかつてはあった。けれど、今この時代は隙間は次々埋められていく。

矢継ぎ早に情報は流れていき、常に何かしらの情報に触れている。

だからこそ、ここ数年「何もしない贅沢を」という言葉がよく見られる(疲れてそういう情報を選んでるところも多々ある)

何もしないことを卑下した「贅沢」という言葉、ネガティブにとらえもできるけど、それが今の時代には誰もが求める時間でもあるというのが面白い。

人が猫を愛するのは、何にも振り回されない自由の中に生きているからではないだろうか。


5. 深夜2時とハイボール




ここでもまた歌詞カードの妙がいくつか隠されている。
表記の変化もあれば、歌にはあって歌詞カードには書かれていないフレーズがあったりと、目と耳でそれぞれ楽しめる。
歌詞カードにはないフレーズがどんなものになっているかは、是非歌詞カードを手に聴いて欲しい。この一言で曲の切なさが増している。

死にたくなった 死にたくなった
そしたらキミが笑ってバカっていうから
いきたくなった いきたくなった
やっぱりキミには敵わないなぁ



「死にたくなった」に対して「いきたくなった」が平仮名表記になっている。ダブル、或いはトリプルミーニングになっている。「死にたくなった」さえ、その状況によって軽い愚痴もあれば、深く重い絶望まである。それによって「いきたかなった」はカタチを変える。どの「いきたくなった」をとらえても、それは命に触れる想いと行為だ。

これは明らかにこじつけなのだけど、そうすると「ハイボール」がとても興味深い。ハイボールそのものが混じり合うことを示しているようだし、ウイスキーの由来は「aqua vitae」でラテン語で「命の水」となる。それが刺激である炭酸水と混じることでハイボールとなる。しかも、甘さのない炭酸水もあれば、時にはコーラやジンジャエールのような甘ったるい炭酸とも混ざることもある。


「キミ」「きみ」「君」と人称も次々変化していく。
直接的にそれぞれ別人を表しているのか(入れ替わり立ち替わり一緒になるバイトのシフト的な感覚)、それか「いきたくなった」のように、その時の気持ちによって見え方が変わるということも考えられる。


「死にたい」と思うことは、それだけ生きているということでもある。

だからこそ最後のフレーズ、


生きてることをどうにか正当化したくて
なんでもない夜に溶け込んだ



が心に刺さるように残る。
(このフレーズは"Oyasumi Tokyo"の「夜の街に溶けた」とも通ずる)


6. ドリー





ミニアルバムの中でも最も好きな曲で、ずっと聴いている。イントロやアウトロのギターフレーズが最高だ。
ライヴで聴いた時も印象的だったけれど、デモCDが売り切れてしまったこともあって、YouTubeの視聴動画とバズリズムを狂ったように見て発売まで気を紛らせていたほど。

その時「ドリー」とはなんだろうと考えていて、やっぱり思い浮かぶのはクローン羊のドリーであった。なきごと気に入ってくれたフォロワーさんとも話してて、調べてみたらドリーは1996年~2003年の6年半ほどを生きた羊だ。なので、なきごとの2人の世代的に有り得るかと思ってた。



――ラストソングの「ドリー」は、子守歌みたいだけど、このドリーっていうのは?

水上:クローンで作られた羊のドリーです。

――ああ、なるほど。世界初のクローン羊?

水上:そうです。でも、ドリーは6歳で死んじゃったんですよ。同じ遺伝子を使って生まれた羊はそのあとも生き続けたんですけど。それで、まったく同じものが生まれたら、結局、自分じゃなくても代わりができちゃう。それって悲しいなと思ったんです。


あった。この子たち恐ろしい。たしか2人とも20~21歳くらいと書いてあったから、ドリーより後に生まれた世代だ。

人類が遂に生殖以外で命までも創り出した。今のところ(少なくとも表向きには)人間のクローンは禁忌とされているが、技術的には人間のクローンも十分に可能だろう。


――それは羊じゃなくて、人間社会にも置き換えられることですよね。

水上:そう、バイトとか会社とか、自分じゃなくても代わりはたくさんいる。結局、使い捨ての時代だなと思いながら書いた曲なんです。ライブでも、会場が大きくなると、お客さんが入れ替わっていくじゃないですか。見た目は同じ「大勢」だけど、そのひとりひとりに生活とかドラマがあって、喜んだり、悲しんだりするって考えると、代わりっていないなって思うんですよね。だから、この曲でいちばん伝えたいのは、「君は君でしかいないんだ」ということ。それを、ドリーへの鎮魂歌として書いたんです。


たとえばMr.Childrenが"フェイク"で「『愛してる』って女が言ってきたって誰かと取っ替えのきく代用品でしかないんだ」と歌っていた。

代用品であったとしても、それはひとつひとつ命が宿る。
この感覚、折しもちょうど今年何度か味わった感覚で。ひとつ引用すると、ROCK IN JAPAN FESのポルノグラフィティ。


"アゲハ蝶"


2年前のハイライトとなったのは、間違いなくこの"アゲハ蝶"だろう。またあの景色が見たいと願ったポルノグラフィティの想いだ。また、もしかしたら映像を見て「これを見たかった」と思ったファンの願いかもしれない。

広がる景色、ラララと響く歌声は、あの日と同じではない。
2019年8月12日、この時にしかない光景。この瞬間にここに居た人たちでなければ生まれなかった光景。

そうだ。ここに居るのは「観客」でも「ファン」でも「ファン以外」でもない。一人ひとりが音楽を愛して止まない人たちだ。



2年前と同じく6万人がGRASS STAGEを埋め尽くした。しかし、一人一人は違い、同じような景色であったとしても、それは同じ光景にはならない。一人ひとりが人生を重ねて、ハルカトミユキから言葉を借りれば「それぞれのドアをくぐって」ここに着いた人々。

だからこそ、漠然と感じていた感覚をこうして歌詞として聴けることが、とても嬉しかった。

「君は君でしかない」

そうであるからこそサビのフレーズ「これで最後なんだね」が、締めのフレーズでは「これで最期なんだね」と変化した時に、そこに本当の喪失を見る。

それだけでなく同時に「受け継がれていくもの」もあるといいう希望もあるのではないかと思う。それはクローンとして受け継がれていくことであり、「クローン羊のドリー」を忘れないことでもある。


そして、CDを買った者にはもうひとつ嬉しいサプライズが待っている。それはBUMP OF CHICKENが好きな人ならわかると言えば、通じる人が多いと思う。おそらくサブスクではないと思うので、是非CDを手にとって体感して欲しい。



ということで6曲を見てきた(実質5曲だが)。
インタビューや歌詞と引用が多くなってしまったが、まだ紹介しきれないほどの魅力が詰まった作品だ。

歌詞だけよりも、実際に歌として聴くとより印象は異なることだろう。

奇をてらった歌詞は誰でも書ける。それっぽい言葉を繋げて、意味深「っぽい」歌詞になってしまってるアーティストも言葉は悪いがとても多い。

しかしながら、なきごとは曲ごとに描きたいテーマがはっきりしているので、どの曲も芯がしっかりと通っている。だからこそ多彩なアレンジをしてもぶれずに聴こえるのだと思う。何より落としどころがとてもポップなので聴きやすい点も大きい。


ライヴで披露されまだリリースされていない曲たちもあり、これからのなきごとも楽しみでしかない。いずれ本当に「ロックのほそ道」とかでスピッツと共演して欲しいなと願ってこの記事を終えることにする。


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↑3曲入りのシングル。"Oyasumi Tokyo"と"忘却炉"も名曲。







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