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2018年11月17日土曜日

【映画マナー】桜井和寿vsグリズリー同時上映ハリーポッターとヒグマの工藤







映画館に映画を観に行くということ。

それは、映画館という映画を見るために完成された空間で、最大限に映画を楽しむということだ。

誰しもが映画を楽しみたいがためにそこに行く。

はずなのだが、どういうわけか観に行って、明らかにマナーがおかしい人がいる。
毎回のように。

そんな人々と、僕が高校時代に映画を一緒に観に行って「コイツとは二度と映画を観に行くことはないだろう」と思わされたマナー違反全乗せ男「工藤」を紹介しよう。




マナー




まず声を大にして言っておかなければならない。


僕だって小言のようにマナーがマナーが言いたいわけではない。


しかし、世の中には明らかに目に余るマナーを逸脱した行為があるのだ。
それは終電間際の中央線くらい無法地帯だし、朝の通勤時間帯に座席に横になって寝ているホスト崩れくらい無秩序だ。

またしても声を大にして言いたいのは、


「映画は一緒に観る観客次第で何倍にも面白くなるし、つまらなくもなる」


ということだ。

コメディ系の映画で笑うシーンで、ドッと笑い声が起こればそれにつられて自分も遠慮なく笑える(最近では「カメラを止めるな!」がそうだった)し、逆に泣けるようなヒューマンものの映画で会場からすすり泣く声が聞こえれば、堪えていた涙も零れるというもの。

では反対のケースはどうだろう。


前にも書いた記憶があるが、以前Mr.Childrenのドキュメンタリー映画「REFLECTION」を観に行った。







超満員の人気であり、辛うじて取れたのが、スクリーン最前列のセンターであった。
ライヴであれば狂喜乱舞してしまう席も、映画ではまた違ってしまう。

巨大な桜井和寿のアップを109分観ることとなった。

それはもとより、問題は横にきたオバサンである。確かに夕方からだったし、お腹が空くのも分かる。

でも、上映中に徐にビニール袋をガサガサと漁ってスーパーの惣菜入れるパックを取り出すのは、どうだ。ガサガサと書いたが、それでも生易しい。それは川で鮭を獲るために川面を叩くグリズリーの様相であった。


バリッバリ
ピリピリピリー
バリバリッバリー


とグリズリースーパーの惣菜を入れるパックを想像してもらいたい。普通に持っても五月蝿い代物である。それが桜井和寿の熱唱と最前列でぶつかり合うのだ。

僕はMr.Childrenの映画を観にきたのだ。
決して桜井和寿vsグリズリーを観に来たわけではない。

音楽の映画で音楽を妨げるというのは、もはや妨害ではないか。サッカーで乱入したフーリガンがゴールを決めるようなものである。

パックをガサゴソと漁ったグリズリーは、徐に割り箸(!)を割り、ムシャムシャとなにかを食べ始めた。

嫌でも匂いでわかる、唐揚げである。

家で唐揚げを食べながらミスチルを見ることはあっても、映画館でミスチル観ながら唐揚げ食べるのはどうだろう。


その後グリズリーは唐揚げをあっという間に平らげ、もうひとパックを開けて何らかのフライものを食べながら映画を観てゲップをして帰っていった。

グリズリーの突撃となりの晩御飯を見せられた後日、あらためて映画を観に行って感動しなおした。

そもそもマナーではなくて持ち込みはルール違反である。










マナー違反全乗せの男、工藤





高校時代に工藤という男がいた。


同じクラスの男で、見た目はヒグマのような男である。もしくはハグリットを思い浮かべて欲しい。
経緯は覚えてないが、ヒグマ工藤と映画「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」を観に行くことになった。







まず工藤は言った「吹き替えがいい!チケットは俺が取る!」。一切僕の意思は訊かれなかったが、まぁこれは良しとしよう。基本的には字幕派だが、吹き替えがいいという人間と、ヒグマだが、行くのにゴネるほどこだわっているわけではない。

そして吹き替えのハリー・ポッターを工藤が予約した。

スクリーン中央最前列である。
ライヴであれば狂喜乱舞してしまう席も、映画ではまた違ってしまう。

Mr.Childrenと同じような席であるが、決定的に違うのは観た劇場は、特に他の席が埋まってたわけではないということだ。というか、結構早めに予約したのだから、予約時には選び放題という状況である。

まぁ、それも仕方ない。
と思おうとしていたが、工藤自身が「観づらい」とボヤいたのだ。それも仕方ないと思う、ヒグマの工藤はあまり森から下りてこないので、里の映画館の座席がわからなかったのかもしれない。


しかし、それなら相談しろや。「俺が取るから大丈夫!」と言っていたではないか。


恋愛ものでもよく「大丈夫だから……」「大丈夫じゃないだろ?」と交わされる台詞のようくらい大丈夫ではない。

仕方ない。若干ハリーとロンをあの大きさで観るのは厳しいが、その分エマ・ワトソン(ハーマイオニー)をアップで観れるのだから、むしろプラスかもしれない。

いや、しかしハグリットのアップはどうだ。ただでさえ横にハグリットみたいなヒグマ男がいるのだ。
暑苦しいったらありゃしない。

その後もヒグマの工藤に「今の誰だっけ」と普通に話しかけられ、話すなという風に工藤を見ると、工藤は携帯を取り出して見始めた。もしかしたらヒグマだし、わからない日本語があるのかもしれないから仕方ない、わけないだろ。


工藤に限ったことではなく僕は映画館で携帯(現スマホ)を観る人間(とヒグマ)が許せないし、心の底から憎んでいる。

画面の明るさが目に入り映画に集中できないのだ。

いくらスマホに洗脳されている現代towsie、映画観てる間の2~3時間くらい我慢できないのか。もちろん時間確かめたいくらいつまらない映画だったのかもしれないが、普通にLINEとかしてるやつとか、なんなの。

本気で画面を女子大生のiPhoneくらいバリバリにしてやろうかと思う。


映画館で映画を観る良さのひとつが没入感である。たとえば「ミッション:インポッシブル」シリーズは画面に没入することで次々イーサン・ハント(トム・クルーズ)に訪れる危機を共有しながら進む。

そこにスマホの画面の光が入ると、没入感は一気に削がれてしまう。危機で焦ってるイーサン・ハントの手前でLINEの画面を見ることで緊張と恐怖は失われる。ちなみにその緊張は横のグリズリーに自分まで捕食されることの恐怖ではない。


話を工藤に戻そう。

ハリーのとんでもないアップで度肝を抜かれながら映画は終わり、エンドロールである。

ここで好みが分かれるだろうが、僕は絶対映画は最後まで観るというポリシーで生きている。かといって、それを無理強いはしない。確かに最近の映画のエンドロールは長すぎる。ましてや大作となれば、関わるスタッフの人数は膨大になり、軽くゲシュタルト崩壊を起こしそうになるくらい長い。

だから別に見ないなら構わないし、黙って先に出ててくれればいい。だから工藤、「えーもう出ようよー」と俺にゴネるな。お化け屋敷に入った彼女かお前は。なぜヒグマに急かされなければならないのだ。

結局工藤が五月蝿いため、僕はそのまま映画館を出た。人生でエンドロールで出たのはこれきりである。トイレ行きたくても「漏らしてもやむなし」と思ってまで観てたのに(※良い子は真似しないように)。

映画館は誰と言っても楽しめる場所だ。
それは、誰しもが観ている時は1人、孤独だからだ。

それは人生にも似ているかもしれない。

孤独になり画面の向こうの人物に人生を重ねる。
観客はそれを同じ場所で共通の体験をする。


だからこそ人はより感動するのだ。


途中入場やトイレなどで中座するのはやむを得ない事情かもしれないので仕方ない。でも少なくともスマホについては、上映中に見る必要ないだろう。もし緊急の報せが入るというなら、映画観てる場合じゃない、帰れ。

スマホの画面は見えなくても、その明かりは予想以上に目立つ。それが続くと映画館に行くのが億劫な気持ちになる。

それは映画という文化を破壊してくものだ。

そんなことにならないように、1人でも多くの人が楽しめる空間になればと願ってこの記事を終える。

ライヴと同じなのだ。


「ルールはないけどマナーはある」


ファンがアーティストを殺すとき、King&Prince新幹線問題とミスチル地蔵事件から

【ライヴマナー】ライヴ中よく分からないタイミングで叫ぶ人のことを例えると……

アミューズフェス(Amuse Fes)に見るライヴマナーとルールの違い



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2018年11月16日金曜日

SVB東京で新藤晴一考案オリジナルビール「THE BAY」を呑んだのでレポする





スプリングバレーブルワリー東京(以下SVB東京)で新藤晴一考案のビール「THE BAY」を呑んできた。

このビールは新藤晴一のレギュラーラジオbayfm「カフェイン11」の800回記念の公開収録した際に作られたオリジナルフレーバーである。


今回、新藤晴一オリジナルビールが11月の間限定発売されるというので、ポルノグラフィティとビールのために生きている僕のような人間が行かないわけにはいかないではないかということで、お邪魔した次第である。

しかし、今回初めて食レポ的なことに挑みたいと思う。
食レポなんて僕にできるわけないだろう。食レポってこれくらいの語彙力いるわけでしょ?


レビュー:響21年 -生真面目な、日本人-

グラスを鼻に近づけると、ナスとトウモロコシ。有機溶剤。雨をはじいたオーク材。
群生した夏草に感じる香りの奥行きと清涼感。土。
口に含めば、一瞬で溶ける飴。渋みを感じさせず、しかしバランスの取れた重量感。余韻は長く続く。
柔らかいアプローチの中にすべてを徐々に明かしていく。
前へ前へとグイグイとこないが、静かに「いつでもここにおいで。待っているよ」という貫禄。
鉄、赤土、水、草。
日本的な静かな主張とバランスの中に、フローラルを感じるウィスキー。


詩じゃん。


ということで僕には敵わないが、僕なりに色レポに挑戦する。




2018年11月11日日曜日

ネオメロドラマティックの歌詞の意味を読み解きました







ポルノグラフィティの楽曲"ネオメロドラマティック"について。

おそらく、ポルノグラフィティの中でも最も難解な歌詞といえるだろう。

その歌詞は意味よりも、音に当てはめる言葉を選んで書かれたように思う。だからこそ歌詞の深読みをし続けているこのブログでも取り上げることはなかった。"稲妻サンダー99"の歌詞解釈とかやってるくせに。

しかしながら、会報の言葉なので詳細は伏せるが、新藤晴一自身によって「意味がわかったら教えて欲しい」というコメントがあった。

やってやろう。

歌詞を書いた本人ですら読み解けない難解な"ネオメロドラマティック"、その言葉の真意を。

という経緯で今回の記事と相成った。



ネオメロドラマティック歌詞解釈