僕は反省していた。
このブログの中心はポルノグラフィティである。割合でいうと記事全体のうちの3分の1はポルノ関連の記事だ。
その中で僕は反省しなければならなかった。
あまりにも、岡野昭仁という人間をなおざりにしすぎていたといいうことを。
いつものように長めで読むの大変だと思うので要所要所で画像挟んでます。
岡野昭仁の扱いを反省
このブログは2016年5月に開設、本来はギタリストの機材紹介がメイン、になるはずだった。
それがいつしか歌詞の話を書き、都市伝説まで書いて、しまいにはなぜか昔話の疑問点まで書く何でもありのブログとなった。
ギタリストの機材ということで、主立ったものは晴一さんの機材についてのものであった(昭仁さんの機材についても書いてはいる)。
そして、途中から書き始めた歌詞解釈の記事も今のところは晴一さんが作詞しているものだ。
ポルノグラフィティは(現在)2人組である。
昭仁さんも晴一さんも(本当はTamaさんも…)なくてはならない存在である。
それなのにこのブログは晴一さんの話題ばかり書いてしまっていた。
ということで、岡野昭仁という才能を褒めちぎる記事を前後編に分けて書くこととした。
すっかり言い訳の前置きが長くなってしまった。
ビールでも飲みながらお楽しみください。
岡野昭仁という才能
まずは本職であるヴォーカリストとしての才能からだ。
昭仁さんの声質はまさに唯一無二のものだと思う。特徴的な声はファンでなくても聴けば「あ、ポルノだ」と分かるだろう。
昭仁さんのヴォーカルはいわゆる歌唱力の高さを売りにしているというタイプではない。
しかし「ポルノグラフィティは岡野昭仁の声でなくてはならない」という絶対的な説得力がその声には備わっている。
ちょくちょく書いてきているが、アーティストにとって歌唱力があることも大切ではあるけど、それよりも大切な武器となるのは強烈な個性である。
仮にMr.Childrenのヴォーカルがオペラ歌手のごとき歌唱力だったらどうだろうか?絶対売れない。ミスチルは桜井和寿だからミスチルなのである。
一声聴いただけでその人と分かる声、そして決して真似できない個性こそがアーティストの武器なのだ。
昭仁さんもその1人である。たまにモノマネの人とかもいるけど、やっぱり厳しいなと感じる。
大丈夫だと思うけど、捕捉しておくと昭仁さん歌は間違いなく上手い。
だてに「喉からCD音源」といわれていない。
昭仁さんの歌を語る上でもう1つ外すことができないポイントが「滑舌の良さ」である。
「普通に喋るとカミカミだが、歌うと圧倒的な滑舌の良さ」
「歌詞をよく間違える」
この辺りは、もはやファンじゃなくても知っている人いるんじゃないか。
「滑舌の良いヴォーカル」というのはまさにポルノグラフィティの2大ヒット曲である"サウダージ"と"アゲハ蝶"で強く表れている。
「歌詞を間違える問題」はあらためて書きたいなぁ。
ファンからするともう1つ挙げたい魅力があって、それはライヴでの圧倒的な歌声ではないだろうか。
ここの線引きは難しいんだけど、決して最後まで声が衰えないということではない。どうしてもライヴ終盤になってくると辛そうになる瞬間はある。特に最後のバラード曲などは顕著だ。
しかし、ライヴの終盤。ひたすらアグレッシブな曲が立て続けに演奏されても昭仁さんは走り回ったり客を煽ったりしながらも歌声は決して衰えないで力強いままである。
むしろ年々凄みを増しているとさえ感じる。
当然ながら人間は年々体力が低下していくものだ。
だから普通であれば年を取るほどヴォーカルは動けなくなってくるのだが、昭仁さんは今でもストイックにトレーニングをして肉体的にもヴォーカルにもまだ磨きをかけている。
曲目も未だに"真っ白な灰になるまで、燃やし尽くせ"みたいなアグレッシブな曲作ってるしね。
後編に続きます!
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