ポルノグラフィティのニューアルバム「暁」よりオープニングナンバーの"暁"が解禁された。
「続・ポルノグラフィティ」の先にあった景色、それはアルバムへの期待と畏怖を更に高めるものとなった。
ということで初オンエア時の感想を残しておく。
この後インタビューとかで背景が語られるとは思うが、あくまでも曲そのものから感じたものを現段階で残しておきたいのだ。
※歌詞は聞き取ったものであり、正式な表記は公表され次第直します
"暁"の曲
"暁"
作詞: 新藤晴一 作曲: 岡野昭仁, tasuku
編曲: tasuku, PORNOGRAFFITTI
先日居ても立ってもいられなくて書いたアルバム「暁」怖いという記事にも書いているが、岡野昭仁だけでなくアレンジをつとめたtasukuが作曲にクレジットされている。
アレンジャーとの制作過程でメロディをいじったり付け足したりといったことは多々あると思うので、作曲にクレジットされるくらいとなれば、かなり深く関わっているということだろう。
tasukuは近代のポルノグラフィティにとっては大きな存在となっている。
歴史的には2010年の31stシングル「君は100%」の"煙"で初めてアレンジを担当した。その後も"2012Spark"や"オー!リバル"などここ10年のポルノグラフィティの要になる曲をいくつも手掛けてきた。
同時にライヴにおいてもサポートギターとバンマスとして活躍している。
では、曲について見ていこう。
ストリングス中心のイントロは、短いけれど始まりを予感させる壮大さだ。
あゝ
刹那の静寂のあと響く岡野昭仁の声。
これだけで「ありがとうございます」と土下座する勢いだ。ファンが求めてるものをわかってる。
全体的に攻撃的なサウンドで、ストリングスがスリリングな印象を与える。アルバムの江口亮アレンジ曲でもストリングスかなり入れてるようだし、ツアー、せめて最後の日本武道館だけでもNAOTOなどが出てくれないだろうか。
"暁"はポルノグラフィティの系譜でいくと"2012Spark"、"THE DAY"、"Zombies are
standing out"辺りの流れを組んでいる曲だ。
"THE
DAY"(作曲は新藤晴一)だけでもかなりカロリー高い曲だけど、岡野昭仁はそれを上回る"真っ白な灰になるまで、燃やし尽くせ"をその後に自分で創る。
ヴォーカリストの限界に挑むような曲だったけど、"暁"に至ってはそれぞれの曲の難しい部分をいいとこ取りしたような曲になってて、さらにサビなどでかなりファルセットを多用している。どこまで自分を追い込むんだこの人は。
まるで世界新を出したランナーがまだタイムを縮めようと走り続けるようだ。そろそろ音符が岡野昭仁に追い付けなくなる。
頭からインパクトがかなりあって、いくらサブスクの時代といえど、いやだからこそアルバムの頭一発で心を掴もうとする強い意志を感じる。
たぶんポルノグラフィティをなんとなくしか知らない層でも、"暁"を聴いたら「ポルノ、ヤバくね?」と思うだろう。
"Zombies are standing
out"もテレビでは演奏していないので、是非ともこの辺りを披露して一般視聴者の度肝を抜いて欲しいものだ。
まぁ、全人類がこのアルバムを聴くと思うので余計なお世話かもしれないが、多くの人に今のポルノグラフィティが届いてくれればと思う。
それにしても、アルバムはここから"カメレオン・レンズ"につながるって、本当に狂ってる。
総すれば「ヤバい」の3文字だけで済むのだけどれなら自分は要らないので、それ意外なの言葉でヤバさを綴っていこう。
では、歌詞について見ていこう。
"暁"の歌詞
歌詞を見ていくといっても、実はテーマ的なものはかなり直接書かれていると思う。
それはまさに「今の時代」そのものである。
とりわけ今年は歴史の教科書に載るようなレベルの事件が立て続けに起こり、まさに時代が書かせた歌詞になってると思う。
(といいつつインタビューとかで「去年からありました」とか言ったらどうしよう)
国宝にしたい「あゝ」のあとの歌い出し。
大地に膝ついたままで 天を仰ぎ
弱き者よ どれだけ待っている 暁
タイトルでもある「暁」が早速登場する。
「暁」という言葉自体には様々な意味合いがある。
リリース発表時の言葉を借りれば「太陽が昇る前のほんのり淡く色づく時間帯」もその一つだ。辞書の言葉でいくと「夜半から夜の明けるころまでの時刻の推移
」である。
ちなみに「春はあげぽよあけぼの」でお馴染みのあけぼのよりも少し早い時間帯を示す。
つまりは「夜明け」であり、そうするとどうしてもこの曲を重ねてしまうだろう。
夜明けを待って さあ船を出そう
目指すのは 新世界
私のための 場所がそこにある
約束はついに果たされるのさ
~"IT'S A NEW ERA"
現在最も最新のポルノグラフィティであるシングル「テーマソング」のカップリングであり、ツアー「続・ポルノグラフィティ」のオープニングを飾った曲だ。
アルバムとしての2017年の前作「BUTTERFLY
EFFECT」から今に至る、5年という年月の中で変わった、いや変わってしまった世界。
では歌詞の続きをみていこう。
西の空には暁
目を背けるのは容易い
書き直したい あらすじを
隠し持っているのならば
反転させるべきは思考
論点をずらす回答
安全主義者らの敗北が
物語っているだろ
共鳴する感情 誰に響かせる?
血の滴る弱音を吐け 醜くとも
明日に生け贄 捧げるが如く
その心が澱むのなら 絶え間もなく
色を変える空のように流れればいい
暁と容易い、反転と論点と反戦など韻を踏みまくっていて、聴いててめちゃくちゃ気持ちいい。
Aメロの最初から「西の空には暁」というかなりフックのある言葉がくる。
憶測になってしまうが、あえて「西」としているのは、おそらく曲がロシア・ウクライナ問題を踏まえているからではないかと思う(始まって"しまった"ものとして)。そうしたら「安全主義者らの敗北」はまさにそのままだ。
けれど、"暁"は単純に争いの曲ということではなくてモチーフに過ぎない。それは"∠RECEIVER"の歌詞と同じように。
あくまでも新藤晴一が描いているのはそんな時代を生きる僕らへの問い掛けだ。
サビ前の「共鳴する感情
誰に響かせる?」という歌詞。直感的に「?」を自分は付けてみた。
様々な感情が飛び交っていて、舞い込むニュースの波は心ごと感情を削っていく。
そんな中で「誰に響かせる?」というフレーズが、「君自身はどう思ってるんだ」という問い掛けに聴こえたのだ。つまりは、反転させるのは外の声ではなく、内なる声なのだ。なぜかというと、新藤晴一とはそういう人だからだ。
【追記】
まさか「西の空には赤月」だとは思わんかった
代わり映えのしない世界
形だけ繕う願い女神
囃し立てては競り合い
ばかりを増殖させる
希望の旗を振りかざし
不安はいつも食い下がり
アクシデントは同時多発
手に負えなくなる前に
闇に潜むものを 陽の下に曝せ
絞り出した本音だけが 刃となり
体を縛った 鎖を断ち切る
蟻の開けた穴が壁を 崩すことも
たとえ変化の兆しは 目に見えなくても
今回の"暁"を聴いて、最初すごく岡野昭仁っぽい歌詞でもあるなと感じていた。
もちろん端々を見るとちゃんと新藤晴一印になってるんだけど、"n.t."や"FLAG"、"真っ白な灰になるまで、燃やし尽くせ"などで岡野昭仁が書いてきた感情に近いものを感じる(「希望の旗を振りかざし」が"FLAG"を連想させたのもある)。
ちょっと穿った見方なのだけど、新藤晴一は「メロディが呼ぶ言葉」を書く人で、岡野昭仁とtasukuが創り上げた曲の感情が、まさに"暁"の歌詞を呼んだのではないか。
だから、おそらく岡野昭仁が自身で歌詞を書いたとしても、かなり似たメッセージ性の曲になっていたのではないかと思う。
「蟻の開けた穴が壁を 崩すことも」というフレーズは、「BUTTERFLY
EFFECT」的なものにも見える。けど、"Working men
blues"の歌詞に出てくる小さな歯車と同じように、小さくとも想いが連なっていくことで大きな意志につながっていくというようにも捉えることができる。
さて、残りの部分を一気に見ていこう。
続・"暁"の歌詞
期待と失望とは いつだって共犯者
乱反射をして 視界を奪う
その手口は見抜いているのに
それは暗示 それは予告 暁
すべてを語らず 試されている
弱き者よ 目覚めたなら 決意を込め
狙いを定めて 明星を撃てよ
大地に膝ついたままで 天を仰ぎ
弱き者よ どれほど待っている 暁 暁
何回か聴いていて、"暁"の歌詞についてメッセージ性が強すぎるのではないか、と感じた。気がかりのなったともいえる。
人はそう強くない。
その上で、コロナ禍以降の様々な出来事は1人の人間が抱え込むには、あまりに重すぎるものばかりだ。
なので「声を挙げよ」というメッセージが、人によっては重く辛い言葉にもなってしまうのではないかと思えたのだ。
けれど改めて曲を聴いたとき「共鳴する感情
誰に響かせる?」というフレーズで、はたと気づいた。
この曲には「僕」や「私」みたいな一人称の代名詞がない。これは最近では"REUNION"も同じであった。
意思を紡いで 縒り合わし 幾千の
決して切れない意図に変えて 張り巡らせる
~"REUNION"
そう思ったとき、この"暁"は「時代と向き合え」と歌うのではなく「時代と向き合うには」ということを歌っているのだとわかった。
「絞り出した本音だけが
刃となり」本音とは歯向かうことだけではない。たとえ目を背けることであっても、自分で出した答えであれば、それも一つの決意だ。
決意を求めてるのではない、意志を選ぶ前に心を止めてしまうことを憂いているのだ。
我と彼を隔てるのは 此処と其処を割かつのは
止まった思考と
固定された視点だ
~"REUNION"
この街をべったりと覆いつくす 無感覚と無関心が混じる大気汚染
~"Zombies are standing out"
前に「DISPATCHERS」で岡野昭仁がMr.Childrenの"HANABI"をカバーしたときに書いたものを再び引用したい。
桜井和寿が飼っていた金魚が死んでしまい、ペットショップに行ったところ「水というのは絶えず新鮮な空気を取り込まないと、腐ってしまうんです」と聞いたという。そこで桜井和寿は「動かさないでいると腐ってしまう、それは心も同じなのかもしれない」と考えたことからCメロの歌詞が生まれた。
少なからず、新藤晴一もこういった思いを抱いているのではないだろうか。なぜなら彼は「確かに動いた心をなかったことにしてしまうのが、自分の心に失礼だと思うから」と書いてきたのだから。
結論に移りたい。
これはあくまでも、リリース前の初オンエアで自分なりの結論だ。
最初の方に書いたように、「暁」という言葉には「夜半から夜の明けるころまでの時刻の推移」という意味がある。
午前5時に反転するものも、爪を研ぐことも。
そして「暁」にはもうひとつ意味がある。
よく「~した暁には」と使われる意味合いだ。
暁には、始まりも終わりもそこにある。
これってまさに「続・ポルノグラフィティ」でポルノグラフィティが見せたテーマそのものだ。
終わりは新たな始まりとなり、次へと進んでゆく。
僕らがこれまで生きてきた暁は、これからの人生の暁でもある。
それぞれの選択があって、それぞれの決断があて。
そして、それぞれの道が僕らにはある。
ポルノグラフィティこそ、今の僕らにとっての暁なのだ。
【アルバム「暁」特集】
1. "暁"初オンエア感想・歌詞解釈
7. "バトロワ・ゲームズ"感想・歌詞解釈 ~赤い目で見る世界は赤い
8. "メビウス(仮)"の歌詞について本気出して考えてみた