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2017年4月28日金曜日

【映画】「LION」あらすじ&ネタバレ感想 「感動もんだろ?」と思ってたら返り討ちにあった






映画「LION」を観てきた。


正直なところよく知らないままに観た作品である。
母が主演のデーヴ・パテルが好きということで観たいと云っていたので付いていって観てきた次第である。

簡単なあらすじこそ知ってはいたけど、予備知識はほぼなしという状態で観た。


やられました。



参りました。



ズドーンとやられてしまった。今年まだ4月終わりかけくらいだけど、おそらく今年のベストと成りうる映画になった。



映画「LION」ネタバレ感想




ストーリー







オーストラリアで幸せに暮らす青年サルー。しかし、彼には隠された驚愕の過去があった。インドで生まれた彼は5歳の時に迷子になり、以来、家族と生き別れたままオーストラリアへ養子にだされたのだ。

成人し、自分が幸せな生活を送れば送るほど募る、インドの家族への想い。人生を取り戻し未来への一歩を踏み出すため、そして母と兄に、あの日言えなかった〝ただいま″を伝えるため、彼は遂に決意する。

「家を探し出す―」と。



原題 LION
製作年 2016年
製作国 オーストラリア
配給 ギャガ
監督ガース・デイビス
製作 エミール・シャーマン、イアン・カニング、アンジー・フィールダー
製作総指揮 アンドリュー・フレイザー、シェイヘン・メカーティシアン、ダニエル・レビン、
ボブ・ワインスタイン、ハーベイ・ワインスタイン、デビッド・C・グラッサー
原作 サルー・ブライアリー
脚本 ルーク・デイビス
撮影 グレイグ・フレイザー
美術 クリス・ケネディ
衣装 カッピ・アイルランド
編集 アレクサンドル・デ・フランチェスキ
音楽 ダスティン・オハローラン、ハウシュカ
主題歌 シーア
出演:デヴ・パテル,ルーニー・マーラ,デヴィッド・ウェンハム,ニコール・キッドマン










ネタバレ感想





実話を元にしたストーリーである。

先に明言しておきたいのだけど、邦題のサブタイトル「〜25年目のただいま〜」は個人的にはいらないなぁと思う。

この作品のタイトルが「LION」であるという意味は、本当にラストで語られる。
それを見ればこのタイトルを一言で言い切るというのは、この映画にとっては大切ではないかと思う。


僕は観ながら何が「LION」なのだろうと考えていたけど、最後まで分からなくて、まさかエンドロール前に答えが出るとは思わなかった。
とても驚いたとともに、電気が走るようだった。


あとサブタイトルある方が若干安っぽく見えてしまう。
原作の邦題が『25年目の「ただいま」 5歳で迷子になった僕と家族の物語』なので致し方ない部分もあるのだろうが。


それはそれとして。


物語は主人公サルーの少年時代から始まる。


少しだけ見た宣伝広告などからしても「幼い頃に離ればなれになった家族をGoogle Earthをもとに探しだす」というのは知っていた。

なので、自分としては正直なところそこまで大きな期待はしていなかった。
結末それでは分かってたし、「スラムドッグ$ミリオネア」で デーヴ・パテルの演技の良さも分かってた。だからこそ「こういう良い話なんだろう」という勝手な線引きをしていたのだ。


ところが、いざ映画を観るとその想像は間違っていたと気づかされるのだ。


もちろん映画の結末は兄クドゥの死という衝撃はあるものの、母親と妹と再会を果たして終わる。

しかし全ての水準が自分のちんけな想像を遥かに越えていた。

そうなったのは、長編映画初監督とは思えないガース・デイヴィスの演出やストーリーもあるけど、何より役者陣の演技である。




サルー(サニー・パワール/デーヴ・パテル)




この映画を"とんでもない映画"にしていると思う1つがこの少年時代のサルーを演じたサニー・パワールである。





この子の演技があまりにも素晴らしい。

僕は基本的に英語もろくに理解できてないので、海外の役者の演技は語れるほど分からない。

それでもたまに「この人の演技凄い」と感じることがあって、それを感じるのが目の演技だ。
この数年の中で一番それを感じたのは「ゴーンガール」のロハザムンド・パイクだ。



そして今回、の子は凄いと思わされたのがサニー・パワールなのである。
5歳だというのに、彼の目の説得力は言葉の壁を越えた演技だと思う。それでいてまだあどけなさの残る喋り方と可愛らしさは観る人を魅了する力がある。


「ペッパ!」の可愛らしさよ。



監督のガース・デイヴィスの言葉にもそれが溢れている。


「サニーは自然体でいるだけで80%の演技になり、過ごしてきた時間や美しい素養など、目の奥に秘めたものを持っていた。部屋に座る彼にカメラを向けるだけで、観る者は彼の物語と表情の虜になるんだ。」



数千人のオーディションから勝ち取った役というの納得である。

とにかく彼の演技にすっかり魅了され、その時点でこの映画の虜となった。



そこからバトンを引き継ぐ青年時代のサルーを演じるデーヴ・パテルの力ももちろん大きい。





サルーは養父母の元で家族想いの青年となる。

理想的なくらいの"良い子"に育つのだが、それだけではなく、本当の家族や義理の弟マントッシュのことでどこか陰も宿している。

このバランス感覚こそデーヴ・パテルの力だろう。



スー・ブライアリー(ニコール・キッドマン)




映画のもう一人の主役とも云えるのがニコール・キッドマン演じるスーである。






"良い子"に育ったサルーだが、弟として迎え入れたマントシュは精神に障害もあり、苦悩する場面が描かれる。サルーはそんな姿を見て、夕食の席でマントシュに強くあたる。

しかしながらスーと夫のジョン(デビッド・ウェナム)は最後までマントシュへの愛情を失わない。
だからこそ、最後にはサルーはマントシュを家族として認めるのだ。


本当の家族として再会したことを伝える電話をするサルー、この時最後にマントッシュの名を出した場面が本当に感動的でもう。


この映画はサルーの物語だが、同時にスーの物語でもある。


スーがサルーへ「なぜサルーとマントッシュを養子に迎え入れたのか」と語る場面の言葉である。

世界には人があふれてる。それなのに子供を産んで何になるの?
それなら恵まれない子たちを助けるほうが、意義があるわ。


スーを演じたニコール・キッドマン自身が2人の養子を迎えているからこそ、説得力が増している。

ニコール・キッドマンがスー役となったのは、スー本人からの要望でもあったという。


「ネコリパブリック」という猫カフェがありまして。





全国で何店舗かあって、相方さんが猫好きなので行ったことがあるんですが、この猫カフェは「2022年2月22日までに猫の殺処分ゼロに」をモットーに、猫の里親を探す役割も兼ねている。


猫カフェの売上で店舗を増やし里親募集の活動を広げている。


世の中には殺処分されてしまう命がありながら、ペットショップでは何十万という金額で猫が売られている。

そんな現実を観ているからこそ、この猫カフェの方針に2人で共感した。


スーの言葉でそれを思い出した。

映画の話題とそれてしまったけど、是非利用してみてください。




クドゥ(アビシェーク・パラト)








映画のラストでクドゥはサルーと駅で別れたすぐ後に電車の事故で亡くなってしまったことが分かる。

しかし、劇中では何度かそれを暗示するシーンがある。

その1つは幻影である。


母親については回想という形で出てくるが、クドゥはサルーの目の前に幻影という形で現れる。
それは最後の線路のシーンまで共通している。


他にもそもそものキッカケとなったサルーとはぐれるシーンでの「迎えに来るから待ってろよ」という言葉はこの場所に戻って来れないことの裏返しである。


僕も母もエンドロールの最後の最後、もう一度クドゥの姿がスクリーンに映り「クドゥに捧げる」という製作者たちのメッセージが流れて映画は終わる。


そのクドゥは序盤で列車から石炭を盗み出すときのトンネルでのシーンが映されるのだけど、とても良い画だなと思ってたんですよ。

ていうか最初の場面だけ観てクドゥが主人公なのかと思ってたくらい。

その前の"蝶"のシーンもあまりに美しいんだけどね。






この鮮やかなシーンたちがあるからこそ、その後サルーが行ってしまうコルカタの街の汚さとサルーの孤独が強調される。


「ソーシャル・ネットワーク」以来にルーニー・マーラを観たけど、この人もとても好きです。
芯の強さを見せながらも守りたくなるような人ですよね。





他に何出てたっけ?とGoogleに名前入れたら、1番上にサジェストされたのが、


「ルーニー・マーラ 胸」


でした。日本人ってやつは。

一応調べたけど。




最近のハリウッドはアメコミ作品をやるか、ヒット作の続編を創るか、実話を基にした作品がやたらと多い。

この謳い文句に正直食傷気味になっている面もあるだろう。

そんな気持ちを越えて、僕はこの映画を観て良かったと思っている。この映画と出逢えて嬉しい。

多くの人に観て欲しい。

基本的にひねくれてる自分がここまで入れ込めたんだから、多くの人に響く作品だろう。


二時間の映画でここ数日はずっと場面場面を思い返してはジンときてしまう。


そんな映画である。



それが映画である。



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2017年4月27日木曜日

【映画】「ラ・ラ・ランド」あらすじ&ネタバレ感想






映画「ラ・ラ・ランド」を観てきた。

公開からだいぶ経ってはいるけれど「確かに動いた心をなかったことにしてしまうのが、自分の心に失礼だと思うから」という晴一さんの言葉を思い出し、自分も確かに動いた心を書きたいと思う。

後程書く予定だけど「ラ・ラ・ランド」を観る前にもう1本映画「LION」を観たんですよ。

こちらがまぁ凄い映画で、ちょっとまだ気持ちの整理がつかないので先に「ラ・ラ・ランド」を書こうと思った次第で。1日の流れとしてもこれを後に観たおかげで「LION」を見終わったあとのズドーンとした気持ちがだいぶ中和された。


立川のシネマシティの極音上映で観てきました。
公開からこれだけ経っている平日の昼間にも関わらず場内はだいぶ賑わっていた(自分は振休)。









ストーリー








何度もオーディションに落ちてすっかりへこんでいた女優志望の卵ミア(エマ・ストーン)は、ピアノの音色に導かれるようにジャズバーに入る。そこでピアニストのセバスチャン(ライアン・ゴズリング)と出会うが、そのいきさつは最悪なものだった。

ある日、ミアはプールサイドで不機嫌そうに1980年代のポップスを演奏をするセバスチャンと再会し……。


原題:La La Land
2016/アメリカ 上映時間128分
監督・脚本:デイミアン・チャゼル
製作:フレッド・バーガー、ジョーダン・ホロウィッツ、ゲイリー・ギルバート、マーク・プラット
製作総指揮:モリー・スミス、トレント・ラッキンビル、サッド・ラッキンビル
撮影:リヌス・サンドグレン
美術:デビッド・ワスコ
衣装:メアリー・ゾフレス
編集:トム・クロス
音楽:ジャスティン・ハーウィッツ
作詞:ベンジ・パセック、ジャスティン・ポール
エグゼクティブ音楽プロデューサー:マリウス・デ・ブリーズ
音楽監修:スティーブン・ギシュツキ
振付:マンディ・ムーア
出演:ライアン・ゴズリング、エマ・ストーン、キャリー・ヘルナンデス、ジェシカ・ローゼンバーグ、ソノヤ・ミズノ、ローズマリー・デウィット、J・K・シモンズ、フィン・ウィットロック、ジョシュ・ペンス、ジョン・レジェンド



感想(ネタバレ)




賛否が分かれているけど、自分はとにかく好きな作品。
ミュージカルそんなに観ていないため、元ネタがあっても分からない自分だったが、それでも何回も観たくなるような作品だった。


夢を追うある男女の恋の話、本当にそれだけの話。


それぞれの夢を追って、時には夢を諦めて、惹かれあって、時にはぶつかりあって人生を歩んでいく。


ラストはお互いにそれぞれの形で夢を掴んで終わる。
各方面で言われているけれど、ラスト10分は鮮やかに目まぐるしく移り変わるシーン展開に圧倒されてしまう。


ラストの振り替えるエマと見つめるセブのシーンも良いんだけど、僕はラスト10分に入る導入のすれ違い様にキスする2人のシーンでグッときてしまった。






云うまでもなく冒頭の2人の初めての出逢いのシーンとの対比で、実現しなかった"if"のストーリーがここから始まるんだけど、このキスシーンがあまりに鮮やかで既にウルっときてしまった。



何よりも音楽がどれも素晴らしい。ミュージカルにおいてこれよりも重要な点はないだろう。
特にエマの唄う"Audition(The Fools Who Dream)"が圧巻だ。







2人の唄ももちろんだし、3ヶ月特訓したライアン・ゴズリングのピアノも素晴らしい。スーツを着こなしピアノを華麗に奏でるライアン・ゴズリング、素敵すぎるだろ。こんなの勝ち目ない。何に対してか分からないが。


「バードマン」でも素晴らしかったエマ・ストーン、本当に好きです、この人の眼力。

色とりどりのドレスを着こなしているけど、それがどれも似合ってるから凄い。キービジュアルでもあるダンスシーンの黄色のドレスとか普通着こなすの難しいよね。



この映画を観て思い出した作品がある。

それがズーイー・デシャネルとジョセフ・ゴードン=レヴィット主演の映画「(500)日のサマー」。






なぜと云われると説明しづらいけど、恋に恋するボーイミーツガールのストーリー、ハッピーエンドじゃないはずなのに、どこか清々しさすらあるラスト、音楽が繋ぐストーリー、見終わってふと思い出した。




人生のわかれ道




このブログではポルノグラフィティ関連で何度か書いている人生の分かれ道、選ばなかった道の話。


人生では何度も「もし、あの時こうしてたら」という瞬間が訪れる。
「ラ・ラ・ランド」のラスト10分で語られるのはそんな"if"の人生だ。


しかし、この"if"の物語は決して叶うことはない。


やり直しはできない、選ばなかった道の先は知る由はない。だからこそ人生は辛くて楽しいのだ。


ラストシーンをハッピーエンドと取るか、バッドエンドと取るか。

僕はハッピーエンドだと思う。


食事のシーンにもあるように、この2人の恋が叶うことは決してハッピーエンドではないからである。

夢を追うことについて、意見がすれ違う2人。


売れるためにやりたい音楽ではないのに演奏を続けるセブ。
これは音楽だけにいえることじゃなくて、多くの人が夢を持っても実現出来ず、特にやりたいと思ってない仕事に毎日励んでいるのではないだろうか。

だからこそ、最後の2人の表情の眩しさに泣いてしまうのではないだろうか。






夢についての意見のすれ違いによる夕食での喧嘩、これより先に自分は音楽に対しての意見の食い違いがこの2人の運命を表していると思う。


エマは最初全くジャズに興味がない女性である。

それがセブと出逢ったことからジャズにも興味を抱くようになる。
それに対してセブは徐々に自分の追い求めるジャズではない"稼げる"ための音楽に向かう。

この音楽のすれ違いこそ2人の運命を決定付けたのだ。
その運命は「ジャズ?そんな好きじゃない」と最初に云うエマの台詞からもう始まっている。


それにしてもあんな音楽性であってもジョン・レジェンドの歌声が素晴らしい。





人生の選択ということで、ポルノの"スロウ・ザ・コイン"が頭に浮かんだ。



選ばなかった未来の方を
時々覗き見したくなるよ


そしてもう1曲浮かんだのがハルカトミユキの"バッドエンドの続きを"だ。


選ばなかった道の
その先にもしも行けたなら
「都合がいいね」と記憶の中
君は笑った


どちらも選ばなかった道の先を歌っている。

行けなかった道だからこそ、その未来は美化されてしまう。




ミュージカル映画として




この作品について脚本を取り上げてこき下ろしてる人もいるみたいなんですけど、僕はそれは愚行というか、野暮なんじゃないかなと思ってまして。
(アカデミー脚本賞ノミネートされたのが輪をかけてしまったと思うが)

上にも書いたが僕はミュージカル作品そんなに明るいわけではないので偉そうなことは言えないけど、ミュージカルにおいて、脚本の持つ役割はそこまで高くないと思うのですよ。


なぜなら、主役は音楽だからだ。


ミュージカル映画は極端な話、音楽の場面だけ切り取って繋いでも成り立つものだと思ってる。でなければミュージカル映画にする理由とならないから。


では、なぜ音楽に託すのか、それは音楽が言葉を越えたコミュニケーションだからである。
(もちろんダンスも同じくらい重要な要素なんだけど、音楽好きとして音楽主体で書かせてください)


もちろん自分は英語できないので、和訳見ながらでないとストーリーわかるってほどではないのだけれど、それでも曲を聴いただけで、どんな心情なのか伝わってくるものは必ず誰しもあると思う。少なくとも僕はそう。


音楽は聴覚、ダンスは視覚に直接訴えかける言語なのだ。


カラフルな色彩、鮮やかなダンス、表情豊かな唄、そして素敵な男女。
これさえ十二分に揃ってるだから僕は、最高じゃん!と納得してしまう。

そこに更に人生においての夢の選択というストーリーが1本筋で通っている。これだけ揃ってれば僕は大満足です。


音楽の力を信じている。

夢を叶えることもなく生きている。

そんな僕にとってこの映画は、もしこんな人生を歩んでいたらという"if"をこれでもかと見せつけられるのだ。


眩しい。


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2017年4月23日日曜日

ポルノグラフィティ's ヒストリー chapter.1「因島」




どうでもいい前置きや目次についてはchapter.0を参照してください。

chapter.0「前置きと目次(随時更新)」


ポルノグラフィティ's ヒストリー chapter.1「因島」


※長いため改ページしております