正解は今、この瞬間にある。
ポルノグラフィティの20周年を記念して開催された東京ドーム公演2days。
20th Anniversary Special LIVE
NIPPONロマンスポルノ'19〜神vs神
と題されたタイトル。「2日間でセットリストを変えてどちらも『神セトリ』だったと言わせる」という浦沢直樹ばりに広げた風呂敷と高すぎるハードルに、ポルノグラフィティは挑んだ。
これを書いてる今はまだ、初日が終わったばかりである。2日目に何が起こるかわからないままだ。
兎に角、あの夜に感じた全てをここに残しておきたい。
※今回いつもにも増して気持ち悪いほど個人の想いが強すぎる文章が延々と続くのでご了承ください
※TOP画はナタリーより引用
【ライヴレポ】ポルノグラフィティ
“NIPPONロマンス ポルノ'19~神vs神~” Day.1
@東京ドーム 2019.9.7
ライヴレポ①
残暑がぶり返した2019年9月7日。焼けつく日差しは強烈で、じりじりと肌を焦がしていた。
15時過ぎに東京ドームに到着すると、会場周辺には人、人、人。ここ最近でポルノ展や喫茶ポルノでもポルノファンをたくさん見たが、これから東京ドームを埋め尽くす人々の数には、わかっていても目を見張ってしまう。
最初は「埋まるのか」とさえ心配された東京ドーム2days。そんな思いはどこへやら、この人波を見れば、彼らがいかに多くの人から愛されているかわかるだろう。
初日はバルコニー席だった。
41ゲートから入場で、ここから入る場合は大抵2階スタンドなので、そのつもりでいただけに、バルコニーの表記に思わず面を食らう。5列しかないちょっとスタンドとも違う雰囲気の席だが、椅子はゆったりしているので、気持ちを高めるための特別なドリンク(ビールというらしい)を呑みながら待つ。
ステージセットを見て、どこか「惑ワ不ノ森」を思い出したりしていた。場内に入る前も遂にこの日が来たのだと実感していたつもりでいたのに、こうして待っているとこれこそが本当の実感なのだと気づかされる。
楽しみでしかなかった。
もはや聴きたい曲さえわからない。唯一これだけは聴きたいというのが"VS"という気持ちだ。「UNFADED」でも"Zombies are standing out"を聴きたい一心だったので、最新曲を欲してしまうようなポルノグラフィティが恐ろしい。
それでも、この場所に来れたこと、それだけで有り難さに胸が高まってしまう。
いつもの客いじりがあり、5分ほど押してその瞬間がやってきた。
待ち侘びた月日ほど、幸せな瞬間は瞬く間に終わってしまう。だからこそ一瞬一瞬を逃したくないと願い、その強さだけ、残る記憶は強いものになる。しかしながら、あまりに貰ったものが多すぎると、このポンコツの頭には入りきらない。レコードの溝のように、この場所で流れた音がそのまま脳に刻まれて欲しいとさえ願う。
廊下の照明は落とされたが、場内は暗転しないまま始まった。スクリーンにはファンファーレと共にロゴが映し出され、爆音とともに花火が上がる。ステージにサポートメンバーが現れ、続いて色彩の暴力みたいな衣装の新藤晴一と、ジャケットスタイルの似合う岡野昭仁が登場。
暗転しなかったのは、見たかったからだろう。埋め尽くした人々、その待ち侘びた顔を。ES-335を構えた岡野昭仁がゆっくり歌い出し、それにフライングVを背負った新藤晴一のコーラスが重ねられる。そのアレンジがあまりにも美しく、耳が音よりも先に幸せに震えた。
狂喜する声が満ち溢れていた
立ち向かうように髪を振り乱し
「その拳突き上げろ」と唄う
あのロッカーまだ闘ってっかな?
"プッシュプレイ"
これだけで、もう涙が止まらなかった。いや、これだからこそ涙は止まらなかった。それは偶然でしかないが、全シングルレビューのために直前まで「ネオメロドラマティック/ROLL」のシングルを聴き返していた。
「あのロッカー まだ闘ってっかな?」という問いは、かつて自分が憧れたロッカーたちが今も変わっていないか、そしてそんな彼らに憧れた自分の衝動は変わっていないかという問い掛けでもある。
同じ音楽という土俵に立って、共に闘う存在。同時に自分自身が「まだ壊すべきこの世の中」とそれとなくうまくやれてしまってる自分に言い聞かせているようでさえある。
プッシュプレイ、プレイボタンをひとたび押せば、そこに忘れられぬ若き衝動が甦る。
その衝動がある限り、その信念は潰えることはない。
それは作り手のことでもあり、僕らリスナーのことでもある。
それもまた一つの「VS」なのである。
これを書いたのがライヴ前日。そんな頭に、この出だしのフレーズを喰らったのだから。2人になったポルノグラフィティが未来を見せるためにライヴ「Purple's」で演奏した"プッシュプレイ"、再び押されたボタン、そこに映る姿は、変わらない憧れと信じた夢を唄う。
歌とコーラスで魅了しながら最初のサビを終えると、そこに野崎真助のドラムがリズムを刻み、そのオープニングを彩る。
掲げられた5万人の拳、そのひとつひとつに人生がある。その手は"プッシュプレイ"のサビだからと拳を突き上げたのだろうか、いや違う。身体が自然と動いていた。それが拳を突き上げるという行為だったのだ。理由などない、理由のない感情を表すのがロックンロールなのだから。
10年前の東京ドームのそれとは全く違う。フライングVを掻き鳴らす新藤晴一も、どこまでも伸びる声を響かせる岡野昭仁も、東京ドームという大きな舞台を集まった5万人の人々の期待をしっかり背負って、それに負けない強さで返してくる。背負うものが大きいほど、この人たちはその何倍ものエネルギーを放つ。
ライヴのエネルギーが生み出すのは熱であり、光でもある。本当に良いライヴはそこに音が見える。そんな魔法のような瞬間があって。この"プッシュプレイ"は、まさにそんな光が輝いていた。
野崎真助のドラムのリズム、「東京ドーム!神VS神始まるよ!」という岡野昭仁の声から須長和広のベースがあの曲のフレーズを奏でる。
"メリッサ"
まさに愛に焦がれた胸を貫くような、岡野昭仁のどこまでも伸びる声。このロングトーンは何度聴いても心が沸き立つ。
定番とか、スタンダードとか、ファンからしたら「いつもの」曲かもしれない。けれど、スタンダードになるということの難しさはファンだからこそわかるのではないだろうか。
集まった人々は皆が皆熱心なファンばかりでない。そんな人々が「"メリッサ"!」と喜んでいる姿を、ファンだからこそ忘れてはならないのではないか。だって、つま恋でやったときに無理矢理連れてった友人の近藤くんがめっちゃ喜んでたもん。
それにしても、序盤にくる"メリッサ"はペース配分というものを狂わせる。もう翌日の心配なんてしてられない。だって、本人たちが一番ペース配分なんて無視で飛ばしているのだから。
"THE DAY"
曲数の少ないフェスを除けば終盤に配備されることの多かった"THE DAY"が。いや本当に最初から容赦ない、ポルノグラフィティは全力だ。"THE DAY"はいつだって、特別な日にしてくれる。それはライヴの日だけではない。
地獄でも天国でもないミシン目の上で、今日という日の特別さを思い出させてくれる。それはただ「明日が来るはずの空」ばかり見ていては見逃してしまうもの。
思い描いた空想、いつかの夢も、たとえ恥ずかしいほど壮大な絵空事だったとしても、それでもせめて自分の信じた夢なら、忘れてはいけない。
聴くたびにどんどんと大きくなっていく、そんな曲だ。
昭仁:東京ドーム!盛り上がってますか!楽しんでますか!
わしらがポルノグラフィティじゃ!
晴一:いやーすごいよ!東京ドーム!前回やった時は、ここは野球場だから、野球する場所で音楽をやってるような感覚でいたの。けど、今日は出てきた時から、ちゃんとライヴ会場になってた。
晴一:今日そんなとこにも(ステージサイドの辺りを指さして)人がいるんだね。そこって昭仁の危なくなってきた後頭部しか見えんでしょ?
昭仁:危なくなっとらんわ!
昭仁:今日は「神VS神」ということで盛りだくさんでやるよ!みなさんにはポルノグラフィティの20年を感じてもらおうと思います。そんなメドレーを聴いてもらいます。けど、20年を遡るのはなかなか大変じゃけど、この方となら奏でられると思います。スペシャルゲスト、本間昭光!
自分でも意味がわからないのだけど、本間昭光が出てきた瞬間にまた泣いた。ポルノグラフィティのヒット曲の数々を手掛けた、まさに「この人なくしてポルノグラフィティなし」と言える人物が、本間昭光だ。せり出してきたピアノの前に座して浮かべる笑顔はとても嬉しそうだ。この人ほど、この20周年を迎えたポルノグラフィティをお祝いしたいと思ってた人はいないだろう。
メドレー
"ミュージック・アワー"~"マシンガントーク"~"ヴォイス"~"狼"~"ミュージック・アワー"
本間昭光と共に届けられたメドレー。"ミュージック・アワー"のお祭り感に始まり、"マシンガントーク"は今回は死の淵を彷徨わなかったモンキーダンス、一転して切々とした響きの"ヴォイス"、そして浮かれた夏を描く"狼"からまた"ミュージック・アワー"に戻る。
"ミュージック・アワー"
どんな時でも一瞬で幸せな空間にしてくれる魔法のような曲。何度聴いても、心の底からライヴに来る楽しさを味わせてくれる。(後のフレーズだけど)張り切りまくっているミュージシャンたちが誰もが夢見た場所で奏でる音に、感動を覚える。
"マシンガントーク"
メドレーで短いことと、ドクターストップがかかっていたこともあって、死の淵を彷徨わなくて済んだ岡野昭仁。
GOOD TIMEもBAD TIMEも人生にはあって、"幸せについて本気出して考えてみた"のように、もしかしたらトータルして半分になってしまうかもしれない。けれど音楽はいつでも僕らにGOOD TIMEをくれて。それがある限り、ひょっとしたら勝ち越せるかもしれないと思わせてくれる。なぜなら、それこそが幸せの種なのだから。
"ヴォイス"
久しぶりに聴けて、本当に嬉しかった気持ちもあれば、それならフルで聴きたかったという想いもある。メドレーは一長一短があって。曲を多く聴ける嬉しさと、好きな曲が半端にしか聴けないというジレンマがせめぎ合う。それでもメドレーででも、入れてくれた嬉しさが……という延々と終わらない堂々巡りを繰り返す。それほどいつまでも浸っていたい演奏と歌声だったのだ。
それでも、何より演奏しているミュージシャンたちが本当に愉しそうで。これこそまさに「音楽で会話してる」状態なんだろうなと。
"狼"
夏の残り香がまだ消えない夜。そこに鳴った"狼"が放つ香りは、まさに20周年という時がもたらす熟した果実から放たれる芳香だ。
雨のしまなみを思い出して、またいつかあの場所で、晴れ渡った空の下で"狼"を聴きたいなと思った。
そして"ミュージック・アワー"に戻りメドレーは終わる。
そういえば新藤晴一がここまで全てフライングVで通して演奏してたのが印象的だった。
メドレー終わりで長めのMC。長いので、ざっとだけ。
本間昭光のレコーディングでの厳しい指導で6時間歌い続け、その後にまた6時間コーラス録りした話(深夜1時から本間昭光がどんどん元気になるそう)。
良かったことは沢山話してるから、うまくいかなかったことは?というフリに。
昭仁:あのタイミングで「ノンプロモーションでやりたい」と言って出した「音のない森」
晴一:力を抜いたものを出そうってことで選ばれた"NaNaNa サマーガール"だけど、力を抜きすぎた
と答えたり。
ポルノを甘やかしてはいけないとの本間節があったり。
6万人(本間談)でやってみたいことで、ウェーブしたり、誕生日が近いということで新藤晴一にハッピーバースデーを歌ったり、ついでにと岡野昭仁にも歌ったり。
等々あまりに長いので、別記事にしようかなと思います。
色々喋ってた中から1つ抜粋させてもらうと。
本間:「アゲハ蝶」のシングルはずっと"狼"と"アゲハ蝶"どちらをシングルにするかで最後まで迷った。名古屋でやったときに2曲ともやって、そこで"アゲハ蝶"のラララも録音したんだけど、"狼"の方が反応がよくて「"狼"にすれば良かったかな?失敗したかな」と不安になった(この時には"アゲハ蝶"でいくことが決まっていた)。けど、蓋を開けてみたら。
僕は、「アゲハ蝶」のシングルで人生の全てが変わった。もっといえば、"アゲハ蝶"だったから人生が変わった。だから、もし"狼"が表題曲になっていたら、と思ってしまう。
もちろん"狼"も大好きな、大切な曲のひとつだ。けれど、もし"アゲハ蝶"がカップリングの1曲に過ぎなかったら、僕の人生はどうなっただろう。だとしても、遅かれ早かれ結果は同じだったかもしれない。けれど、人生は何がキッカケで変わるかわからないものだ。
"アポロ"
1番は岡野昭仁、新藤晴一、本間昭光の3人だけで演奏という特別なアレンジ。そして1番終わりで金テープとともにバンドが雪崩れ込む展開。アレンジもさることながら、やはり"アポロ"の力強さは強烈だ。
人生は「たられば」ばかりだ。"アゲハ蝶"か"狼"か、もし"アポロ"が生まれてなければ、もしもは尽きない。けれど、確かなことは"アポロ"があったから、全ては始まったということだ。
結果論で物事を語るほど容易いことはない。たらればを語ればキリがない。しかし、明日の忘れ物が今日にあるように、本当に大切なものは、今この瞬間にもたくさん落ちている。それを見逃さないように、僕らは一音一音に想いを馳せる。
実はここまで客電が点きっぱなしだったが、ここで一転、一気に場内は暗転した。
そんな場内に、あのイントロが鳴る。
ライヴレポ②
"グラヴィティ"
新藤晴一によるアコギのアルペジオが鳴った瞬間に、息が止まった。聴きたかったそのフレーズが、あまりにも美しかったからだ。
ブランコ乗りたちの物語。暗闇のなか、相手を信じて身を投げ出す。それは、思えば音楽も同じだ。最初は宛名のない手紙であったとしても、たしかに届いた想いはライヴで繋がる。
ライヴで聴いたのはFCUW4以来。それから幾ばくかの月日が流れ、20年の集大成ともいえる東京ドームに響いた岡野昭仁の歌声は、間違いなく一番素晴らしい歌声だった。それはもちろん高音まで綺麗に出ているという意味でもあるが、東京ドームという空間が幻想的で、まるで巨大なサーカスのテントになったように錯覚させてしまうほどの表現力もだ。
永遠の中に一瞬があって、一瞬の中に永遠がある。
永遠と一瞬を繋ぐもの、それは永遠で一瞬で、僕らにとっての全ての、あれだ。
アウトロでは上から三日月のオブジェが出てきて、そこにぶら下がるブランコに乗る少女の姿が。そう、歌だけでなく演奏、照明、演出など全ての要素が曲の世界観をいかに伝えるかプロフェッショナルたちによって考え抜かれている。そんな光景が心に響かないはずがない。
"グラヴィティ"の後、空気さえ止まったような場内を切り裂くような音色。
"Twilight, トワイライト"
2人になったポルノグラフィティが初めてリリースしたアルバム「THUMPx」。そのなかで、終盤にできたという楽曲。岡野昭仁による作詞曲だが、この曲ができたことについて新藤晴一はこうした曲を創れたことに意味がある、という旨の言葉を残している。
恋愛にまつわるテーマの楽曲もあれば、こうして時代と向き合うこともポップソングの役割だ。そしてそうした時代を切り取るような楽曲は、歌われるタイミングによって違って響く。けれど、この曲がテーマにする争いは、2019年になった今も悲しいほどに変わっていない。
新藤晴一による長尺のギターソロアレンジ。毎回何かしらのアレンジが為される間奏部分だが、その切なくも美しいメロディは今まででともまた違う印象を与えてくれる。
そんな憂いを帯びたアウトロを見届けていると、ステージに残った新藤晴一とキーボード皆川真人。新藤晴一が奏でる音色は、生で聴くことは一生ないと思っていたメロディ。
"Theme of "74ers""
原曲ではコーラスだった部分を新藤晴一の優しいギターがなぞる。公式のセットリストにも記載されていない、インタールードとして演奏された曲。しかし、「74ers」というツアーを見ることができなかった僕にとっては、とても意味のある曲。「74ers」というツアーのために書かれた曲だからこそ、もうこの曲がライヴで響くことなどないと思っていたのだから。
記憶を辿るように、スクリーンには歴代のライヴやバックステージの写真たち。それはポルノグラフィティが歩んできた歴史そのもの。同時にそれはこれまで参加してきたファンたちの記憶でもある。
そんな歴史の先に最後映し出されるのが、東京ドームのリハーサル風景。全てがここに繋がっているのだ。
そんなインタールードに酔いしれていると、間髪入れずに小鳥のさえずり。本当に定番化してる。
岡野昭仁が1人登場。
昭仁:あの、小鳥のさえずりが鳴るとワシ1人になるっていいうのみんなわかってくれてるみたいなんだけど、それにしても、もうちょっと出てきた時に「ワー!」とか「キャー!」とか言って…
昭仁:さて、1人でやる訳ですけど、せっかく東京ドームなんで、真ん中に行こうかな。
センターステージへ。
昭仁:なにをやろうかな、やっぱりこれ?「♪君はまた美しくなった~」
昭仁:1人でやるということで、自分が詞曲した曲を聴いてもらおうと思います。歌詞を書いてて、自分の気持ちを込めるんだけど、たとえば「怒り」の感情をそのまま詰め込んで書いたとしても、決して良いものにはならなかったりするんです。でも、次の曲は僕の鬱期?いや、鬱だったというわけではないんだけど、もどかしい気持ちとか、自分の立ち位置がわからなくなったような時期の曲で。その時の想いを詰め込みました。では「佞言絶つべし」、"n.t."を聴いてください。
"n.t."
まさか聴けるとは思ってもみなかった曲のひとつ、しかも弾き語りでなんて。"n.t."から感じるのは、MCの通りもどかしさとか、上手くいかない気持ちだけれども、同時にそれを乗り越える強さも持っている。それを感じさせるのが最後の問い。
風が舞う空にその身を投げることができますか?
大きな悲しみを前に耐えることができますか?
固く握り締めた拳を振り下ろさずにいれますか?
そしてそれ が生きる事だと胸を張って言えますか? 嗚呼・・・
そのフレーズを歌う岡野昭仁の声。その力強さ。この曲が書かれた時のもどかしい想いから20周年という節目になり、しまなみロマンスポルノでの一連の出来事、そして「UNFADED」ツアー、それを越えた岡野昭仁の声は「ポルノグラフィティのヴォーカリストとして生きている」という自信に満ち溢れた声であった。
再び暗転して、小鳥のさえずりが響く。
ステージには新藤晴一が現れ、あの曲を弾き出す。
"Hey Mama"
途中の歌い出しで自分で思わず笑ってしまう新藤晴一。
途中では軽くソロを回したり、幻の日本語バージョンを披露したりとスペシャルアレンジが施されていた。tasukuのバンジョーの音色がカントリー感を際立たせていて楽しい。
この曲の時に警備の人が横を通って何事かと思ったら、階段を歩きながら"アポロ"で飛んだ金テープを渡してくれたのだ。
こんなバルコニー席までわざわざ来て配ってくれてるのかと思うと、驚きとともに、なんて優しさに溢れてる空間なのだ。バファリンより優しさが詰まってないか、東京ドーム。2本貰ったので、横の方と分けあった。
"Hey Mama"の和やかなムードが一転。
ステージのバックにはホーン隊が現れ、一気に呑み込まれる、その渦に。
ライヴレポ③
"渦"
まるで目眩のように、スクリーンの映像はぐるぐると回っている。その演出があまりにも見事で、リアルタイムでここまでの映像見せれるのかと、驚かされる。
そしてここでようやく気づいた。そうか、これは目だったのか。ステージを囲う半円とセンターを丸く囲う円、そこまで気づかなかったポンコツということもあるが、気づいた瞬間にある気持ちになった。
見ているはずが、見られていた。
その目はステージから、僕らファンを見ているかのようではないか。まさに"渦"という深淵を覗いた時、深淵はこちらを覗いていたのだ。
重厚なホーンに気圧される。身体がビリビリと震え、心にまで鳥肌が立つようだ。2年前にROCK IN JAPAN FESで披露された"渦"も強烈だったが、やはり室内の暗転した場内で見るそれは格別だ。
油断すれば、あっという間にその渦に呑まれてしまう。いや、この東京ドーム自体がもう深い胃液の底、一度その魔力にはまれば、もう戻れないライヴという場所なのだ。
昭仁:本日のスペシャルゲスト二組目!FIRE HORNS!
ホーン隊は岡野昭仁がスガシカオのライヴで見て、いつか自分たちも一緒にやってみたいと思っていてオファーしたとのこと。
昭仁:そんなFIRE HORNSとともに、20周年を、セレブレーション!
"俺たちのセレブレーション"
自分でも意外というと変な感じがするが、聴けて本当に嬉しい曲だった。元々「見んさい」というテーマで発表された曲だけに、CDよりもライヴで視覚的な情報が入ると更に高揚感が増す。
Going to the moon 飽きもせずに夢を見る
黄金の大地踏んで ゴールのテープを切ろう
幻想じゃなくアポロは降り立ったんだ
俺にでもきっと行けるイメージが離れないよ
星空のセレブレーション
途方のない夢のなかに、まだいるのかもしれない。
後のMCになってしまうが「夢にも思わなかった場所」で20周年で2日間のステージ。夢を見るより先の夢に辿り着いたなら、人は何を求めるのだろうか。
切ったはずのゴールのテープは、また新しいスタートでもあった。そう思っていたら、気づいた。さっき警備員さんが持ってきてくれたテープ、あの金に輝くテープは、まさにゴールであり、始まりの合図でもあったのだ。
そして、そのテープはいつか来るはずの「旅路の果て」のゴールを切るためのものなのかもしれない。
"ジレンマ"
「UNFADED」ツアーよろしく、中盤で披露された"ジレンマ"。ポルノ展で、初期の"ジレンマ"の映像が流れていて。その初々しさが楽しかった。同時に、当時にしかない熱を感じることもできて、映像からでも伝わってくるその熱気は、今は出せない力で奏でられる。
"ジレンマ"は一時期やらなかった時期もあるが、毎回のように演奏され続けてきた。"ジレンマ"が特別なのは、教えてくれるからだ。変わってく時代や音楽の中で、確かに変わらないアーティストとファンという関係を。
山もあれば谷もあって。ファンの中には気持ちが離れてしまった時期もあるかもしれない。それでもこの日、この瞬間に東京ドームに居ることを選んだことは、揺るぎない事実なのだ。変わってしまったこともたくさんある。けれど、そんな中で"ジレンマ"はいつまでも変わらない繋がりを教えてくれる。アーティストとファン、それを繋ぐのがライヴなんだと。
だからこそ、この夜に演奏された"ジレンマ"は、かつての若者たちの溢れるエネルギーでも出せない、積み重ねた経験と信頼で、負けないほどの熱量を生み出していた。
昭仁:もう少しFIRE HORNSと一緒にやります。20年やってきて、リリースした曲がみなさんの手で育てられた、みなさんの手によってどんどん大きくなっていった曲があります。それを今回はFIRE HORNSとのスペシャルアレンジで聴いてもらいます。"愛が呼ぶほうへ"。
"愛が呼ぶほうへ"
20周年は涙で始まった。しまなみロマンスポルノ初日の感動的な"愛が呼ぶほうへ"。しかし、その2日目、高校生たちとの"愛が呼ぶほうへ"の合唱が予定されていた舞台は、雨に流れた。
その日、ステージ裏で高校生たちが「歌って」と言って、突発的に"愛が呼ぶほうへ"が歌われた。いつかの記事にも書いたが、あの歌が、大袈裟に言えばポルノグラフィティを救ったとさえ思える瞬間だった。
その雪辱はライヴ・ヴューイングで叶えられ、そこで岡野昭仁は言った。
僕らはなんて素晴らしいファンに愛されているのだろう。
ポルノファンは思っただろう。
あなたたちが素晴らしいから、自分たちもこうなったんだよ。
あの日高校生たちが繋いでくれた想い。それは高校生たちがとても素晴らしい子たちだったと同時に、ポルノグラフィティだったから、こうなったんだと改めて思えた。
中止を告げた岡野昭仁の涙も、新藤晴一の辛そうな顔も、あれは自分に向けたものじゃない。この舞台を用意してくれていた人たちへ、待っていてくれた人たちへ向けてのものだった。
そんな時を経て。2019年5月になった。「恋とか愛とか」と題されたAmuse Fes。そこでまた僕らのことを言ってくれた上で「僕らも人の親になって、大きな背中を見せなくては」と語った。ここまで赤裸々な想いを言ったのはおそらく初めてのこと。そんなことを思わなくても、この人たちの背中は、もう十分大きい。
いつだってこの人たちは、人のために一生懸命だ。そういう人たちだから。だから、僕らはポルノグラフィティを誇りに思う、胸を張ってこの人たちのファンだと言える。
そんな1年だった。
だから"愛が呼ぶほうへ"が大きく育ったのは、ポルノグラフィティがポルノグラフィティだったからだ。
ホーンのアレンジが施された"愛が呼ぶほうへ"。イントロのトランペットがあまりに素晴らしく、一瞬で心を掴まれる。
永遠で一瞬、"グラヴィティ"を改めて噛みしめてから聴く"愛が呼ぶほうへ"、元々泣けてしまうのに、何倍にもなって気持ちが膨れ上がり、溢れていく。
ライヴでも何度も聴いてきた曲。けれど、こんなお祝いのライヴでまた新しい顔を見せてくれた。
音楽に完成はない。同じ演奏は二度とない。だから、僕らはライヴに行く。アーティストがその日にしか鳴らせない音を求めて。そんな未来が、まだこれからも続いていく。
そう思えたら、どれだけ日々が辛くとも、これからの未来を乗り越えていけるだろう。
……すっかり締めの文章みたいになってしまったが、ライヴはまだまだ終わらない。
ライヴレポ④
昭仁:ここまで楽しんでくれてますか!盛り上がってますか。さあさあ、最初にも言ったけど、今日は盛りだくさんでいくよ。覚悟はできてますか!次はへヴィーロックであんたらをアゲてやる。
"ラック"
轟音のリフとともに上がる炎。身体の芯にあるものに火をつける。刻まれる一音一音が、鼓動を強くする。
真偽はよくわからないが、へヴィーロックが好きな人間は自己評価が低い傾向にあり、へヴィーロックを聴くと怒りがおさまり前向きになれるという研究結果があるらしい。
"ラック"で歌われる閉塞感、欠落感、それは"n.t."で岡野昭仁が抱えていたものとも通ずる。そうであるならばまだ辛い時期だったはずの精神状態で歌われた原曲の"ラック"の方が切々としたヴォーカルに聴こえてもおかしくない。
けれど東京ドームに響いたその声により焦燥感を強く感じた。それは岡野昭仁がそれを乗り越え、ヴォーカリストとしてより洗練された表現をしているということだ。それは新藤晴一がフライングVを掻き鳴らして生み出すサウンドも同じである。それこそがライヴでなければ味わえない、甘美に酔いしれる瞬間だ。
星のなくなった空、それはもしかしたら午前5時かもしれない。その焦燥感が力に変わり、噛んでいた爪を磨ぐ。午前5時に反転するもの。夜と朝。恐れと自信。
"キング&クイーン"
"ラック"の焦燥感ある暗い夜空とは打って変わり、青空の下を駆け抜けるような照明。このいきなりの緩急に面をくらいながらも、聴いてるうちに、ひとつの考えが浮かんだ。
"キング&クイーン"で歌われるのは、輝ける栄光の日々、ではない。輝ける栄光の日々に向かおうと走り出す曲だ。
壊さぬように 大切に 幼い頃の憧れを
胸に抱き続けた未来 今どの辺りにいるのかな?
まだ夢の途中。戦いは、まだ終わっていない。それは"Rainbow"のテーマにも通ずる。"Rainbow"で戦うのは相手だろうか。それよりも、主人公が打ち勝とうとしているのは誰だろうか。風、山、太陽、君?
"VS"を聴いてから、この君が「かつての自分」というように思えてきた。それは、アスリートが昨日の己を越えようと汗を流すように。輝ける栄光の裏には、決して輝かしいわけではない、積み重ねた日々がある。
それは人知れぬ努力かもしれない。プレッシャーかもしれない。それが"ラック"の世界のような心象風景なのではないかと思えた。明るさと暗さは対極ではなく表裏一体にある。塞ぎ込む気持ちが強いほど、見えた光は強くなる。それはきっと眩しくて、遥か遠い場所ならば。
愛する人のことを思えたとき。おぼろげだった会いたい人の指さして示した場所こそ、自分が目指す先になる。それは、それは"塞ぎ込んだ空気"を吹き飛ばすほどの想い。
閉じ籠る心が目的を見つけたとき、そこに光が差す。そこに輝ける栄光の日々は待っているのではないだろうか。
なぜなら。
20周年イヤーのキックオフ、困難も涙も汗も入り交じったしまなみロマンスポルノは、この曲から始まったのだから。
"Mugen"
再びFIRE HORNSが登場。ホーン隊がいるからこそ、さらにこの曲はさらに熱を増す。「惑ワ不ノ森」もあったが、自分が思い出したのは「BITTER SWEET MUSIC BIZ」だった。
WOWOWで中継された、そのライヴを画面で見ていた。それが自分にとって初めて触れたポルノグラフィティのライヴだった。
アンコールで登場したTHE THRILLと共に"Mugen"が演奏された。そこから放たれるのは、まさに「いけない本」を開いてしまったような、妖艶な色気に満ちた世界。その時の自分が想像できただろうか。17年後に東京ドームで"Mugen"に心を踊らせている自分を。
無理に決まってる。"キング&クイーン"でも歌われたように、想像を超えた時こそ、新しい自分になることができる。ポルノグラフィティとの出逢いで、人生は全く違うものになった。たくさんの喜びと忘れられない夜、たくさんの忘れられない出逢いをくれた。当時の自分からしたら、まさに空架ける虹を渡るような出来事ばかりだ。
そんな想いを重ねながら見る"Mugen"は、ホーン隊のパワフルな演奏と、それに負けないステージメンバーたちの熱で、音楽への喜びを爆発させていた。
"ネオメロドラマティック"
"Mugen"のアウトロからそのまま続いて新藤晴一のチョーキングがうねりを上げた。直前までずっと向き合っていたからこそ、このイントロがどれほど嬉しかったことか。
これだけ歌ってきた終盤でなお、岡野昭仁の歌声はまだまだ力強く、これだけ歌数の多いメロディを相変わらず滑舌よく歌い上げる。見てる側すら少し、いやだいぶ疲れが出てきてるのに、この人はどれだけ凄いのだろう。
それでも。
最高のエンドに辿り着けるから
もう終盤であることは、身体が感じている。情熱の歌たちが、ここまで連れてきてくれた。そのエンドはいつだろう。この場所でこの日音が鳴り止むとき?それともいつか来る旅路の果て?果てるとき?
それがいつだろうと、過去でも未来でもない、今ここに響く情熱の歌は、いつだって僕らに寄り添ってくれた。これからも、変わることのない歌の力がそこにある。
"ハネウマライダー"
新藤晴一のソロから、岡野昭仁がタオルを掲げ、リフが切り裂く。5万人が一斉に回すタオルたち、バルコニー席から見ると、アリーナもスタンドも全てが見渡せる。それぞれの想いを胸に。FIRE HORNSも加わり、その力強い音色は未来にしか走らない不器用な青いバイクを加速させる。
今回、このフレーズが引っ掛かった。
days of the sentimentalを駆け抜けたい
前時代のままセンチメンタル
~"ラック"
もしかしたら、閉塞感に支配された星空を失くした場所は、街の胃袋の中かもしれない。そんな中で抱えたセンチメンタル。ネジをなくしたガラクタとは、もしかしたら自分でもあり、ハンドルのないバイクかもしれない。青いバイクと青いままのセンチメンタルを抱えた自分。それでも、前に走り続けた。
Amuse Fesの最後に確かに見えた大きな背中、その背中に、僕らはしがみついてきた。一緒に走り抜け、素晴らしい景色を僕らに何度も見せてくれた。そして今、また人生で忘れることのない景色を共に見ている。ポルノグラフィティにとって忘れられない景色であるように、僕らにとっても、この光景を忘れることは、一生ないだろう。それを共にできる喜びを抱えて、不器用なバイクはまだ走る。
"アゲハ蝶"
最近、"カメレオン・レンズ"とか"Zombies are standing out"とか、自分のオールタイムベストを更新する曲たちが届けられた。どちらも大好きでタイミングによっては、もしかしたらオールタイムベストでも1位か?とさえ思えるほど入れ込んで聴いてきた。
それでも。ツースリーのクラップから、このイントロが鳴った瞬間に、中学時代の自分が甦ってくる。まさに色褪せることのない、自分の人生が決定的に変わってしまった瞬間。やっぱり"アゲハ蝶"なんだ、と思わされてしまう。
終わりのない、終わらせることのできる旅。ミュージシャンとはそんな旅ではないだろうか。歩みを止めることはできる。しかし、生まれた音楽がある限り、終わりはない。どんな時代になっても、その色褪せない音は届き続ける。
音楽は宛名のない手紙と、新藤晴一は言った。しかし、僕らに届けられた"プリズム"も"一雫"も、そこには宛名が書かれていた。
眩い光のなか指を差して示してくれた存在。
この旅路の果てで待っててくれる存在。
僕ら、ポルノグラフィティを愛する全ての人へ。
詩人がたったひとひらの言の葉に込めた意味に想いを馳せてきた。
風に散ったはなびらのよう 君の肩に止まれ
~"一雫"
僕の肩で羽を休めておくれ
あの日、中学生だった僕の肩に止まった"アゲハ蝶"。それは、宛名のない手紙だったかもしれない。それでも、それを受け取って、大切に握りしめて、ここまで歩いてきた。いつしか、ライヴで聴いたとき、そこになかったはずの自分の名前が宛名として書かれていた気がした。
人生は「たられば」ばかりだ。でも、運命なんてものがなかったとしたら、自分が選んできた道が、この東京ドームだったのなら、僕の人生は間違っていなかったと胸を張れる。
昭仁:ありがとうございます。楽しんでくれてますか。ポルノグラフィティという名前で大阪で活動を始めたのが、25年前。大阪の吹田というとこにある、フリーバードという六畳もないような狭いスタジオで音を出したのが最初でした。
まだなんにも形になってないけど、ただ音を出してるだけでも楽しかったのよね。そんな僕らでも、夢だけは朧気にも描いていました。
それから25年経って、想像さえできなかったような場所に、立てています。みんな、ポルノグラフィティを連れてきてくれてありがとう。音楽を届ける幸せな時間を作ってくれてありがとう。今までで一番良い景色を見せてくれてありがとうございます!最後の曲です。
"VS"
今、最も聴きたかった曲。最初にも書いたが、もう遠い文字数の向こうなので、改めて書こう。「UNFADED」ツアーでは"Zombies are standing out"、そして今回はこの"VS"だった。こうして、20年経ちながらも最新の曲を毎回楽しみにしていられるアーティストは、そういない。あまりに聴きたかったのでROCK IN JAPAN FESでやらなかったとき泣きそうになった。
音楽番組では歌はさておき、演奏はどれもアテフリだった。なのでこうして生で奏でられる"VS"は、全員が初めて聴いたことになる。ピアノのイントロはCDでも十分に美しいのに、皆川真人の弾く音色はより輝いて聴こえた。ライヴでは初めてなのに、上から見下ろす光景は、同じ動きであり、同じ感動に揺れていた。それは誰もがこの瞬間を、同じ気持ちで待っていたからではないか。
生で聴く"VS"は、凄かった。ライヴで聴けばパワフルになることはわかっていたのに、その想像すら生易しいものだった。そのあまりに想像以上の衝撃に語彙力をなくし、聴いてる間ゾンビの如く「スッゲー」「スッゲー……」と呟くしかできなかった。スクリーンに映された歌詞を噛みしめながら。
こんなにも晴れ渡ってる
この歌詞は、現実の空よりも心の中の風景だろう。そう思ったとき「UNFADED」ツアーを思い出した。
それはきっと、天気職人から少し借りた青い色で心のカンバスに描く青い鳥。その美しい羽を持つ鳥はもしかしたら、届く心によっては不吉な声でなくカラスになってしまうかもしれない。けれど、せめて同じ空を見れたら。
きっとそこには、パレットな上の青色じゃ描けそうにない空が広がっていることだろう。
最後、センターステージへ花道を歩きながらギターソロを奏でる新藤晴一、その後ろから追いかける岡野昭仁。新藤晴一のギターは歌う、唄うのだ。そんなギターソロの最後、ピックスクラッチから岡野昭仁が歌い出す瞬間、そこに見えないバトンがあるように思えた。もしかしたら、ポルノ展のポスターを見たからそれを思い出したのかもしれない。
元々新藤晴一がヴォーカルだったバンドに、岡野昭仁が加わった(ポスターでは「ヴォーカルを譲った」となっていたが、ファンなら本当は新藤晴一がヴォーカルをクビになって岡野昭仁がヴォーカルになったのは言うまでもない)。それから長い月日が経った。共に音を奏でた友が道を違えても、2人は歩みを止めなかった。そして、ポルノグラフィティを支えた本間昭光から巣立ち、2人のポルノグラフィティはいくつもの景色を越えてきた。
そんな2人が東京ドームの真ん中で、ギターで夢を描き、どこまでも貫くような声で歌っている。その音には宛名が書かれている。届けたい相手がいる。
それは、この場所に集まった人々へ、ここへ来れなかった人たちへ、このステージを創り上げた人へ、あの日の少年へ、音楽を愛する全ての人たちへ、そして横にいる大切なメンバーへ。
ポルノ展に飾られた年表、そこに記されていた20年。それは歩みを止めずに戦い続けてきた歴史だった。求めるものとは。
たった一つの音にさえ真実があるんだよ
それを追いかけてここまで来たんだけど、僕のはどうかな?
~"ダイアリー 00/08/26"
永遠も一瞬も愛も、そこにある。今ここにある。センターステージでキラキラとした金色の輝きのなかに。それは目に浮かべた涙がより幻想的な絵を見せたのかもしれない。本編ラストの余韻、その瞬間は感動と共に切なさも伴う。アンコールはあるにせよ、本編とはひとつの作品だからだ。だから、その音が鳴り止む瞬間まで、拍手はしながらも耳をより澄ませていた。そこに聴こえたのは、終わりを告げる声ではなかった。
あのロッカー まだ闘ってっかな?
岡野昭仁が最後の最後に歌ったワンフレーズ。
「UNFADED」で"∠RECEIVER"のイントロが鳴ったあの瞬間のように、また膝から崩れ落ちそうだった。本当に、なんてことをしてくれるんだこの人たちは。
浮かべていた涙は、呆気なく落ちていった。
それは当然のように風のない東京ドームで、そのまま足元に落ちた。
あのロッカー、それはかつて自分が憧れていたビデオの中のロッカー、そしてかつて無邪気に描いた夢と理想の姿。
この問い掛け、それは「UNFADED」における「今までの曲が色褪せてない?」という確認と似ているように聴こえた。それが、ポルノグラフィティが信頼し、誇りに思ってくれた僕らファンへの「ワシらはまだ闘ってる?」という問い掛けに見えたからだ。
答えはもう決まってる。
ポルノグラフィティは、こうして20周年を迎えた今でさえ、まだ挑戦を続けているではないか。そんな決意の"VS"の最後に歌われる「あのロッカー まだ闘ってっかな?」というフレーズにどれだけ胸打たれたことか。
万雷の拍手のなか、誇らしげで満足そうな2人の表情が、全てを物語っていた。
……すっかり締めの文章みたいになってしまったが、ライヴはまだまだ終わらない。アンコールである。
ライヴレポ⑤ ~アンコール~
昭仁:アンコールありがとうございます!そんなにもあんたらが卑猥なカタカナ3文字を連呼するけえ、アンコールやるよ!ここまでだいぶやったけど、まだまだ聴きたい?
観客:イエーイ!
昭仁:ここまでまあまあやったよ?体力は残ってますか!
観客:イエーイ!
昭仁:凄いな君たちは、晴一いってみよう!
晴一:……ディーン・フジオカが……おりてきますように
昭仁:今回ディーンなんじゃ
晴一:斎藤工にすれば良かったかな?
ディーンがあまりおりてこない新藤晴一がエレガットで、あのイントロを奏でる。
"オー!リバル"
近年のポルノグラフィティにとって、重要なターニングポイントとなった"オー!リバル"、そのパワーでここまでかなりやってきた会場をまだまだ盛り上げる。
イントロまで終わると3塁側から岡野昭仁が、1塁側から新藤晴一がフロートに乗り移動。岡野昭仁は、空気銃で客席へ色々なもの(後にサイン入りのボールやTシャツ等と判明)を撃ち込む。ただ、それに気を取られ、1番のAメロはグチャグチャに(というかほぼ歌ってない)。そして2番では1番をずっと歌っていた(自分でも途中で間違いに気づいて笑いながら歌っていた)。
クラップも、合唱もまだまだ衰えない。むしろ、スタンド席は近くにきた2人を祝うように、強い熱を帯びる。
"VS"を聴いたときに、あの少年は同時に鏡の向こう側に映る姿ではないかとも思えた。だからこそ、本編を受けて聴く"オー!リバル"はその印象を更に強いものとした。
フロートに乗ったままそのまま次へ。聴き馴染みのあるサウンドが流れ、"儀式"の時間だ。客席の真ん中を抜けながら「スタンド!」「アリーナ!」「男!」「女!」「東京ドーム!」など盛り上げていく。
ステージに戻ってカウントダウンに入ってからも「ラスト8!」「ラスト7!」「やっぱりラスト10!」となったり、楽しい。
「ラスト!」と共にこの日一番の「Fu-Fu-」が東京ドームに響いた。そして岡野昭仁がその曲名を叫ぶ。
"Century Lovers"
終盤で疲れていようと、この曲がきて気持ちが上がらない訳がない。今となっては懐かしさすら覚えてしまうようなディスコチューンも、ポルノグラフィティのライヴで聴けば、一瞬で心踊るダンスフロアになる。
次の千年の恋人達に 誰も解いたことない謎を残そう
誰も解いたことのない謎とはなんだろうか。それはきっと、この街がジャングルだった頃から変わらず探し続けているもの。それは。
「愛のカタチ」
愛とはなんだろうか。そう、それはこのライヴでとっくに歌われている。
何度でも出逢っているもの
悲しみでもあり喜びでもあるもの
永遠で一瞬で君にとってのすべて
そしてAmuse Fesにて、ポルノグラフィティが向き合ったもの。その時の感想をここにも記そう。
「恋とか愛とか」というサブタイトル。
しかし、ポルノグラフィティはその先の言葉を紡ごうとしたのではないか。
「最後に伝えよう」という言葉は、まるで「UNFADED」にも現れた天使のようで。天使が伝えようとした言葉があるとしたら「恋とか愛とか言っても100年後には誰もいなくなるだろ?」という問い。
違う。
「立ち上がった猿」が、この街がジャングルだった頃から探し求めているもの。変化を続ける社会で、変わらないもの。たとえ僕らが100年後にいなくなったとしても、僕らが探し続けている愛のかたちは、いつまでも受け継がれていく。
決して潰えることのない糸によって。
その答えはたったひとつ。
「愛とは愛されたいと願うこと」
いつかの言葉と記憶が甦ってくる。
君たちがポルノグラフィティを求めてくれるから──と岡野昭仁は言った。
こうしてやれてきたのは、みんなが支えてくれたからで、感謝しかないです──と新藤晴一は言った。
そんな彼らを前に、僕らはいつでも思うではないか。
ポルノグラフィティがいてくれたから。
「愛とは愛されたいと願うこと」
これ以上のものがあるだろうか。
この愛にはカタチはない。
目に見えない、音楽で繋がっているのだから。
それでも、いつも傍にいるそれが、確かにそこにある愛は、この光景に広がっているではないか。だから、素晴らしい音楽とは、そこに光が見えるのではないだろうか。
☆メンバー紹介
tasuku→皆川真人→nang-chang→須長和広→野崎真助の順に紹介し、スペシャルゲストの本間昭光、FIRE HORNSを紹介。
昭仁:サポートメンバーに大きな拍手を!そして残った2名がポルノグラフィティという訳なんですけども、まずはギタリストの名前をでっかい声で呼んでやってください。オン・ギター!
観客:晴一!
晴一:ディーン・フジオカって言って欲しかったなぁ。
晴一ポルノはそれこそ、名前は違ったけど高校の文化祭から始まって、そこから地続きできてる。だから、デビューというよりは、高校の文化祭まで歴史を遡らないといけない。
みんなにもあると思うけど、そういう汚したくない思い出とか……なんだろうなぁ初恋の相手とかそういうのがあると思うんだけど。自分にとってポルノがそういうもので、自分の手で汚したくないなって思っていて。
部活、部活っていうには大きいとこでもやらしてもらえるけど、やりたきゃやるし、やりたくないならやらないし、行けるなら行くし、辞めるやつもいるし。けど、そうやってポルノとしてやりたいことをやっていけば、また新しいポルノを見せれるんじゃないかなと。
……つまり、今日はありがとう!
新藤晴一にとって、ポルノグラフィティとは汚したくない青春そのもの。今もその青春は終わることなく続いている。そうだとしたら。
「特別な時間を青春と言うのなら」
「楽器を持って、あなたの前で演奏することが特別な時間だとしたら」
「その度に青春と言って大丈夫ですか?」
「青春は終わるものではなく、繰り返すもので」
「だから季節の字が使われているのだと思いませんか?」
「そう考えると愛と青春の日々はこれからも続くと思いませんか?」
あの日の言葉。
今さら気づいた。10年前には「東京ロマンスポルノ」と題されたタイトル、それがなぜ今回「NIPPONロマンスポルノ」となったのか。
その旅は因島から始まった。その場所は大阪になり、やがて東京へ。それからいくつかの旅の先に、全都道府県を回りきった。その記憶の欠片は、日本全国に散らばっている。
旅路の中で何度も青春を繰り返してきた。
だからこそ、その集大成は「東京」ではない「NIPPON」になったのではないか。
晴一:さて、ヴォーカルは?
観客:昭仁!
晴一:ヴォーカル、岡野昭仁くーーん!
恒例のやりとりから岡野昭仁が語り出す。
昭仁:ありがとうございます。えー20周年ということで、あらためてこの場を借りて、色々な方へのがお礼を言いたいと思います
。
いつも、こんなステージを造りあげてくれて、ライヴをやらせてくれるスタッフの皆さん、ありがとうございます。
地方とかでライヴをやるときに、必ずイベンターさんがおって、この人たちがいなければライヴはできません。イベンターさんありがとうございます。
サポートミュージシャンもそうですが、20年間本当に色々なミュージシャンの方たちに助けていただきました。ミュージシャンの方々ありがとうございます。
それぞれには友人もいるし、家族がいます。因島から支えてくれた友人もいれば、家族にもお礼を言いたいと思います。ありがとうございます。
そして。この1年、20周年として色々なイベントやライヴがあったけれど、そこで今まで以上に愛されていると感じました。去年、しまなみでやって二日目が中止になっても、クレームも出なくて。払い戻しはいりませんから寄付してくださいとかそんな声まであったりして。感謝感謝ですよ。
ポルノ展とか喫茶ポルノとかやってますけど、僕らが出るわけでもないけど、それでも皆さんの愛があるからあのイベントが成り立ってます。ファンがあったからこそ、この20年があったと思います。本当に、ありがとうございます。
そして「最後はみんなで大いに歌って踊って終わりましょう」という言葉から、ラスト1曲へ。
"ライラ"
「UNFADED」ツアーと同じく"ライラ"がトリを飾る。
「歩き疲れたら帰っておいで」手招きしながら歌う岡野昭仁、ソロ回しでやっぱり"ultra soul"した新藤晴一。
明日もあるから、とかそういうことはない。ただ今この瞬間に過ぎてく時を惜しむように、逃さないように、声をあげる。
「UNFADED」ツアーの最後に思ったように、もし30周年とかでまた東京ドームをやることがあるなら、「懐かしい歌など唄いましょう」とこの光景がまた見れたらいいなと思えた。
印象的だったのは、新藤晴一の語り。「UNFADED」ツアーでは岡野昭仁が"ライラ"の間奏部分で色々な願望を語っていたけど、今回は新藤晴一が語る。
晴一:"アポロ"でデビューして20年。その年はノストラダムスの大予言で、7月に人類は滅亡と言われていました。けど、なんか生き残って、デビューすることができました。
たしかに、イイ気になっていた時期もありましたし、調子に乗っていた時期もありました。大変な時期もあったし、上手くいかない時期もありました。でも、20年でこうして東京ドームに立てているってことは、その全てが正解だったと思っていいんでしょうか。君たちがその全てを正解にしてくれるんでしょうか。これからも色々あると思いますが…昭仁さんよろしくお願いします。
昭仁:さあ、まだまだ踊りましょう、唄いましょう、泣きましょう、笑いましょうー!
それは「THE WAY」の言葉。このブログでは事あるごとに書いてしまうほど、印象的だった言葉。
「選んで来なかった道の先を確かめることはできない。だから、選んだ道を正解にしていくしかない」
「BUTTERFLY EFFECT」ツアーで新藤晴一は言った。
「こうして18年やってきて、18年までくれば、じゃあ20年って軽く考えてしまう。でも200m走の最後の20mを足がもつれつつ走って、なんとかゴールではいけないのよ。
デビューしたころは、そこは可能性の大地で、どこを見ても可能性しかなかった。そこからいくつかを選んでここまでこれた。でも「もうやれることないんじゃないか?」と思ってしまうこともあって。でもさっきの新曲の"カメレオン・レンズ"みたいに新機軸になるような曲を、自分たちで探していかなければいけないし、長いツアーだけど1本1本可能性を見つけていきたい」
この日から惰性で続いていたことなど、何もない。
2018年「カメレオン・レンズ」「ブレス」「Zombies are standing out」「フラワー」という強烈なシングルたちにやられた。
雨に泣いたが、故郷での喜びに満ち溢れたライヴがあった。
ファンですら驚くようなセットリストの「UNFADED」ツアーがあった。
連日、超満員で盛況のポルノ展、喫茶ポルノがあった。
ファンへの感謝が詰まった「VS」があった。
インコも拾った。
またGRASS STAGEを満員にしたROCK IN JAPAN FESがあった。
ファンとしての時間。その中にも決して順風満帆とはいえない時期もあった。首を傾げてしまうような時期もあった。
けれど、20周年を迎えるポルノグラフィティをこれほど誇らしく思えるのであれば、ファンからだって言いたい。ポルノグラフィティを支えてきた日々は間違ってなかった。
かつてポルノグラフィティに焦がれた少年は、まだこうしてポルノグラフィティに焦がれている。
ここはまだ旅路の果てではない、新たな旅へのスタートラインだ。
だからこそ、「せーの」でまた走り出すその時に、この場所にいれたことが、どれほど嬉しいことだろう。
あのロッカーは、まだ闘い続けてる。
夜ごとの約束はまだ果たせなくても。
正解は今、この瞬間にある。
セットリスト(公式HPより)
【9/7(土)公演】
M01 プッシュプレイ
M02 メリッサ
M03 THE DAY
M04 メドレー
ミュージック・アワー
マシンガントーク
ヴォイス
狼
M05 アポロ
M06 グラヴィティ
M07 Twilight,トワイライト
~Theme of "74ers"~(interlude)
M08 n.t.
M09 Hey Mama
M10 渦
M11 俺たちのセレブレーション
M12 ジレンマ
M13 愛が呼ぶほうへ
M14 ラック
M15 キング&クイーン
M16 Mugen
M17 ネオメロドラマティック
M18 ハネウマライダー
M19 アゲハ蝶
M20 VS
【ENCORE】
EN1 オー!リバル
EN2 Century Lovers
EN3 ライラ
※Theme of "74ers"は入れてあげたくて追加しました
おまけ(生声)
晴一:東京ドーム最高でした!
昭仁:バンド人生、最高の夜になりました、ありがとう!
2日目のレポはこちら
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ポルノ全シングルレビュー50th「VS」
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