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【ライヴレポ】ポルノグラフィティ “NIPPONロマンス ポルノ'19~神vs神~” Day.1
瞳の奥にのぞくもの。
あまりに大きなギフトを受け取った東京ドーム初日。一晩その記憶を反芻し、その場に立ち会えたことへの感謝を噛みしめていた。
同時に、恐ろしさが消えなかった。あれほどの、もしかしたらあれ以上の衝撃がもう1日残っているという事実が。
結果的には2日間で、自分のポンコツ頭には入りきらないくらいほどの感動をくれた。
ということで、初日レポよりも更にジメジメとした感情の羅列になっていることをご了承いただきたい。
※TOP画はWOWOWより引用
【ライヴレポ】ポルノグラフィティ
“NIPPONロマンス ポルノ'19~神vs神~” Day.2
ライヴレポ①
初日はバルコニー席であった。2日目は21ゲートから入場すると、席はエキサイトシート。野球だったらどちらも最高の席なのだろうが、ライヴに関してはリアクションに困るものである。この席はアリーナなのだろうか、スタンドなのだろうか。
台風が接近していたこともあり、オンタイムでの開演が宣言されていた。20周年のキックオフ、それは雨に泣いたしまなみロマンスポルノで始まった。またしても2日目に、開催そのものさえ危惧するような台風。お願いだから今この瞬間だけはライヴをやらせて、そんな願いでいた。
結果的に開催は無事されたが、その後に通り過ぎていった台風15号は、多くの爪跡を遺していった。被災された方の1日も早い復興を祈りたい。
そんな天候のなか、東京ドームの中にはまだ初日の興奮が空気として残っているようであった。
開演。
初日と同じく開幕を告げるファンファーレからスクリーンにはロゴが映り、サポートメンバーが登場。続いてポルノグラフィティが姿を現した。
しかし、2人が姿を現したのはメインステージではなく、センターステージだった。意表をついた登場にアリーナを中心に衝撃の輪が広がっていく。登場した2人の顔は、とても満足そうで、「驚いた?」と言ってるようにも見える。
岡野昭仁が雄大に歌い出す。
"プッシュプレイ"
初日はその興奮に、涙がいきなり止まらなくなった。2日目は気持ちを落ち着け、その音に耳を、姿に目を澄ませた。初日にまだ闘っている2人を見たからこそ、センターステージで音楽を奏でる姿が、どこまでも誇らしく見えた。その姿をしかと受け止めた。
初日の疲れを感じさせない岡野昭仁の伸びやかな声、少年のような表情で無邪気にギターを鳴らす新藤晴一。緊張感の強かった初日よりもじっくり見れたからこそ、よりサウンドに酔いしれることができる。
それでも始まってしまったこの瞬間が、どこまでも愛おしく、惜しむ気持ちも孕んでいる。こんな幸せな空間も数時間後には溶けて消えてしまう。映像を巻き戻すことができても、ライヴに巻き戻しはない。けれど人は、そんな儚いものに惹かれ続けてしまう。
野崎真助のドラムがリズムを奏で、岡野昭仁が「東京ドーム!『神VS神』最終日!」と煽り始まったコール&レスポンス。雄叫びが、東京ドームに木霊した。
"Mugen"
"Mugen"はやはり男の声がより強くなる。ここだけは、黄色い声よりも怒号のような男の声が似合う。17年前のワールドカップを盛り上げた曲は、今もこうして多くの人の心を熱くたぎらせている。
歌詞だけをみれば、決してサッカーと関係あるとは思えないのに、聴けばサッカーを見ていたあの興奮と熱が甦る。それは新藤晴一によって書かれた歌詞が勝負の本質的な熱を描いているからではないか。
幻想のような現実、それはライヴも同じだ。そんな日々は「今日の次にある明日」「過ぎた時間を重ねた上」にしかやって来ることはない。それは初日の2曲目の"メリッサ"の主人公のように「明日が来るはずの空」を見ていては届かないもの。
今日を重ねた先にあるものこそ人生にとって忘れることのできない"特別な日"なのだ。
"THE DAY"
"THE DAY"がライヴでより力強くなるのは、ライヴがいつだって人生に特別な瞬間をくれるからだ。
信じ続けて重ねた日々があるからこそ、特別な日になる。それは僕ら観客のことでもあり、届けたい人たちのために打ち合わせとリハーサルを繰り返してこの日を創り上げたポルノグラフィティチームも同じである。
来てくれた人たちみんなに楽しんで欲しいという想いで、大人たちが何ヵ月もかけて用意してきた特別な空間、だからこそ僕らはその場所を愛すべき空間と呼べる。
ライヴ魂と魂のぶつかり合いだ。楽しませてやろうというアーティストと楽しみたい観客、これ以上ないほどの相乗効果によって"THE DAY"は生まれるのだ。
そして、お互いの音を讃え合うように、負けまいとするかのように、声とギターをぶつけ合う2人もまた、魂と魂で会話している。
"THE DAY"がやってくるのは、時計の針が0時をさした時ではない。自分自身が一歩成長した時に、初めて日付が更新される。
何を言っているかわからないという方は『魔人探偵脳噛ネウロ』を読むこと。
昭仁:東京ドーム!盛り上がってますか!熱くなってますか!「神VS神」最終日、ポルノグラフィティデビュー20周年記念日、さあ題目は全て揃ってます。わしらがポルノグラフィティじゃ!
晴一:いやー凄いよ東京ドーム!大体いつも出てきてモニターの音を少し上げてとか指示するんだけど。今日出てきたら、お客さんの声があまりにデカすぎて音量決められんかったもん。こんなの初めてだよね。今日は昭仁の声抑え目でお客さんの声多めでお願いします
昭仁:なんでワシのを下げるんじゃ
昭仁:さっきも言ったけど、ポルノグラフィティ20周年になりました。長い歴史を感じてもらうのは大変なのですが、この人となら一緒にやれると思います。スペシャルゲスト、本間昭光!
初日と同じく、本間昭光が登場。
メドレー
"ミュージック・アワー"~"マシンガントーク"~"ヴォイス"~"狼"~"ミュージック・アワー"
曲目は初日と同じもの。だが、その分演奏の精度とまとまりが増したように感じた。もしかしたら初日は展開を追うばかりに気をとられ、気づけなかったところもあるかもしれない。けれど、たった一晩でも反省を踏まえ次の日にはそれを実行する、それがポルノチームなのだ。その証拠に「昨日は喋りが長くなりすぎた」というMCがだいぶ短くなっていた。
流されるように見ていると見逃してしまっていた点に気づく。特に印象的だったのは照明だ。1曲を抜き取れば全く違う曲たちが並んでいるのに、そのひとつひとつの世界観を壊さず、さらには照明だけでも気持ちの移り変わりを感じさせる。
演奏も、それを伝えるためのPA卓のエンジニアたちの力が絶大なのはいうまでもないが、ポルノチームは恐ろしいほど誰一人として一切の妥協がない。だからこそ、その一音一音が、決して音楽には最適とは言えない東京ドームという空間で瑞々しく爆発する。
それでも、初日のレポでも書いたが、だからこそ"ヴォイス"は特にフルでちゃんと聴きたかったという想いは増した。
2日目で思い出したけれど、"ミュージック・アワー"の最後のサビが落ちサビアレンジになってたのが、とてもグッときた。
昭仁:本間昭光!10年前も、一緒にやらせてもらいましたけど
本間:逆立ちして出てきたよね?
昭仁:三点倒立ですよ。それ以来ですね
昭仁:最初会った時どう思いました?
本間:華はあると思った。華は後からつけられないからね
晴一:じゃあ何がなかったんですか
本間:まずね、ワイヤー入りのスカーフをしてる時点で…あれが…
昭仁:風もないのになびいてるっていう。僕は西川さんより先に風を感じてましたよ
晴一:"アポロ"が出来たときのこととか覚えてます?
本間:覚えてますよ。曲出しミーティングっていうのがあって、そこに持っていった。2000年だっけ
昭仁・晴一:僕ら99年デビューですって
本間:あ、そうか。別の曲と勘違いしてた。「ロマンチスト・エゴイスト」でも最後に出来たんだよね。アルバムの曲は揃ってたけど、あとひとつ勢いのあるやつが欲しいってなって創った。タクシーでメロディが浮かんで、ゴニョゴニョと怪しい感じで録音して。それでメロディにコードをつける時に、ここぞという時に使おうと思ってたコード進行があって、それを使った
昭仁:前にも言ったことあるけど、レコーディングで歌った瞬間に「あれ、これ行けるんじゃない?」って思えてね
晴一:事務所の不良債権だったもんね。田舎からでてきた若者にバイトせんでもいい生きていけるだけのお金くれたら、働かんよね。ワシずっとレンタルビデオ屋行ってたもんね
こんな感じだったろうか。記憶とメモと他の方のツイートなどから思い出せる限り書いた。そして、デビュー曲が披露される。
"アポロ"
初日ももちろん感動的だった"アポロ"でも、9月8日という日に聴くそれは、あまりにも格別だ。丸20年、2022年に成人が18歳になるというが、今のところはポルノグラフィティは成人を迎えた。
新藤晴一が以前「売上でいけば"サウダージ"とか"アゲハ蝶"の方が多いけど、"アポロ"をやった時の反応は凄く大きかった」ということを言っていた。たしか2017年ROCK IN JAPAN FESに初出演した後の言葉だったと思う。"アポロ"が生まれた瞬間に感じた特別な手応え、それは今も"アポロ"が色褪せないデビュー曲であり続けているからこそである。
20年前の今日、大袈裟にいえば世界が変わった。初日のレポで"アゲハ蝶"か"狼"どちらをシングルにするかという話で、もしこれが"狼"だったら僕の人生は変わっていたかもしれない、と書いた。
"たられば"をいくら書いても意味はないとわかっても、もし"アポロ"がなかったら。もし、そうだったら今のポルノグラフィティはおろか、僕らの人生を変えてきた曲たちも生まれなかったかもしれない。
この2日間、そんなことばかりを考えてしまう。
"n.t."
そのイントロに、驚きの声と歓声が上がる。
初日は岡野昭仁による弾き語りで披露された"n.t."がバンドver.で演奏されたのだ。曲目が変わる驚きもあれば、こうして全く違うアプローチをしてくれるというワンダーも待っている、油断できない。
初日夜に相棒と話したけど、奴がようやく聴けた"n.t."にすこぶる感動していて、「あとはいつかバンドバージョン聴けたらいいな」なんて話していたら24時間経たずに実現してしまった。世界がアイツに甘くないか。
弾き語りの良さとして歌に一点集中させる強さ、楽器が少ない分際立つメロディが聴けるという良さがある。対してバンドでは当たり前だが、演奏の厚みは格段に違う。イントロのAmのカッティングに絡む新藤晴一の単音フレーズ、鼓動を刻むようなドラムとベース、広がりをつくるキーボードとギター、歌を支える楽器たちによって、弾き語りとはまた違う歌の強さが生まれる。
たしか弾き語りの時もそうだったが、細かいアレンジで1番サビ前が一小節ほど"タメ"をつくるアレンジになっていて、それによってサビがより心震わせるものとなっていた。
中央の「アベンジャーズ」に出てくる星のようなメラメラと燃えるものは魂だろうか、闘志だろうか、昨日の"グラヴィティ"における三日月と空中ブランコの少女のモチーフもそうだが、1日しかやらない、1曲だけのための演出でもしっかり作り込まれていて、スタッフの力に驚かされるばかりだ。
"Twilight, トワイライト"
「Twilight」は斜陽としての黄昏の意味合いとして使われるが、「Twilight」は別の意味もある。それは栄光の後の衰退という意味合いである。
リリースされた2005年は、2001年の同時多発テロに端を発するイラク戦争が続いていた。あれから14年が経過し、世界は新たな局面を迎えている。今やかつての栄光に溺れる国などない。格差、資本主義の限界それは「Twilight」へ向かってしまう予兆なのだろうか。
もし人類が暴走の果てに行き着く場所が、世界にとっての旅路の果てになってしまうのだろうか。
敵はどこだ?行き先は?
僕らは戻れない旅を続けている。
その先にあるのはsunsetかnightmareかmoonlightか。
"Theme of “74ers”"
アウトロを引き継ぎ、そのまま新藤晴一のあたたかみのあるギターが響く。「74ers」でも冒頭は何かを導くような曲として流れるが、本編最後には希望溢れる曲として流れる。
世界がどうなろうとも、今が「Twilight」への旅路だとしても、夜がまた朝になるように、季節がまた巡るように、そこに新しい希望は残っている。
そして、また小鳥が鳴く。もう朝になったのか。
昭仁:小鳥が鳴いたらワシ1人になるということで、1人でやるわけですけど。聴いてもらう曲は、この曲が出来た時に手応えみたいなものがあって。早速レコーディングして、NAOTOさんに来てもらって1日であの印象的なフレーズを弾いてもらって、とても良いかたちになりました。そんな曲を聴いてください。
"瞳の奥をのぞかせて"
告げられた曲名に会場が沸く。10年前、この場所で初披露されたのが"瞳の奥をのぞかせて"だった。岡野昭仁作曲の三拍子の軽快なリズム、 軽やかだがどこか哀愁漂うヴァイオリンに、新藤晴一の十八番ともいえる、もどかしさが伴うビターな恋愛模様を描く歌詞が特徴だ。2015年のツアー「The dice are cast」では中盤の"ヘソ"として、オペラ風のアレンジがなされたこともあった。
今回は弾き語りのアレンジとなり、「The dice are cast」ツアーのようにしっかり間を取った歌に聴き惚れていた。場内もそんなムードが漂っていた。ところが1番が終わり間奏になったところで、センターステージ付近の観客がざわつきだした。一拍遅れて視界に入ったのは、岡野昭仁の後ろから現れた遠くからでもよく見える、その金髪。
ざわめきが伝染していった。そして誰もが姿を見てから少し遅れて浮かんだ名前に、大いなる歓声を上げた。それは、ヴァイオリンのNAOTOであった。
正直、初日のゲストがホーン隊だったこと、2日目はNAOTOのスケジュールが空いていたこと(といっても前日は別の仕事あるんだから大変なことは間違いない)もあり、予想していたファンも多かっただろう。僕も、2日目は行けないNAOTO推しの母に出るかもということを伝えると「許さない」と言われてから家を出た。
しかし、誰がこの展開を予想できただろう。この演出はどうやら岡野昭仁の発案らしい。この男は本当に、ここ一番でそういうことをやってしまう。悔しいが、完敗である。何にかはわからないが。
その姿に、これから起こる曲の展開が一瞬で頭を巡る。しかし、想像は想像に過ぎないのだ。いざ、その音色が東京ドームの空気を震わせた時、その旋律が心の琴線をなぞった。
この音だ。何がと言われたら説明できない。けれどNAOTOの奏でるヴァイオリン、この音が僕にとって美しいヴァイオリンの音色だった。
NAOTOのヴァイオリンには音楽への溢れる情熱と愛情があると同時に、優しさがある。この人でなければ、この音は出せない。その音がポルノグラフィティのライヴを支えてきた。言わなくてもわかっていることだが。だからこそ、東京ドームには悲鳴に近い歓声が上がったのだ。
サポートを離れしばらく経っているNAOTOは「The dice are cast」の追加公演で、スポット的にカルテットとして戻ってきたのが最後だろうか。けれど、全くそれを感じさせない。当たり前ではないか、離れてた時間よりも、共に音を奏でた時間の方が、こんなにも長かったのだから。いや、その信頼関係の前には時間さえ関係ないかもしれない。
広い東京ドーム、真ん中で一人歌う岡野昭仁。1番を聴いた時に、弾き語りによって剥がれ落ちた剥き出しの心がそこに写り、一人遠い星空に手を伸ばそうとする主人公の気持ちが表れているように見えた。
しかし、NAOTOが登場したことで、主人公の孤独がより一層強くなったように感じた。ファンからすれば、当たり前のようにいたNAOTOという存在、それがなくなってから想いは強まるばかりだった。人はいつだって失くしてから大切なものに気づく。そこにいないからこそ、その人が恋しくなる。
同じだ。
ないものねだりで、ワガママな僕らファンという存在と。その歓声には、「ありがとう」には、今まで伝えられなかった想い全てが詰まっている。
それを実現したのは、ポルノグラフィティがポルノグラフィティで在り続けたからこそだ。
ちなみに帰りに母へ2日目に出た旨を報告したら「そのまま地獄に落ちてきなさい」というあたたかい言葉を貰った。
この空気を真空パックして残してアポロと共に放たれたい、そう願うような気持ちで見届けたセンターステージ。そこに小鳥の声と、あのイントロが流れる。
"ウェンディの薄い文字"
場内はNAOTOの登場とはまた違った意味で歓声が上がる。
"Hey Mama"もそうだが、あどけない少年少女のストーリーは、新藤晴一のたどたどしさ漂うヴォーカルが本当によく合う。
今の岡野昭仁ならやれそうだが、少なくとも発表された当時だったら、今年の漢字一文字くらいしっかりした字を書くウェンディになっていたと思う。
新藤晴一は普段わりとキリッとツッコミ入れたりするのに、歌い出すと声にフリルが付いている。途中で原曲にはない軽いテレキャスによるギターソロが入ったりして、久しぶりに再会した幼き少女の成長を見届けるような気持ちになる。
バックには総勢12人のストリングス隊、NAOTO率いるNAOTOストリングスが美しい音色で東京ドームを酔わせる。その音色がふと止んだ時、切り込むようなギターリフで一気に持っていかれる。
"リンク"
反則だ、こんなの。興奮しない訳がない。只でさえ大切で大好きな"リンク"なのだ。そのイントロが鳴らされる度に心震わせていたのに、こんなアレンジ泣けるに決まってる。
思えばこんなにもストリングスが強い曲だったではないか。ライヴでも何度となく聴いてきたが、ヴァイオリンだけでない、弦楽団ならではの厚みある音色がスリリングな曲調を引き立てる。
切々としたAメロから展開し、解放感あるサビに入った時に、そこに大きな包容力を感じる。
真実とは何だろうか。これまで何度も確かめ合ってきたではないか。それは初日にも感じた、あのフレーズ。
真実は音の中にある。その真実を求め、ライヴで確かめ合うように心を通わす。
自分の手を重ねても悲しみが行き交うばかりでも、悲しみも喜びも持ち寄って互いに重ね合わせるのがライヴという空間だ。
昭仁:スペシャルゲストNAOTOストリングス!
一緒にやるのは、これなら皆さんも一度は聴いたことがあると思う、2000年の曲。タイトルは日本語で「情熱」……?
晴一:(違うという顔をするが、それよりもツボったらしく大ウケ)
昭仁:「情熱」じゃない?あ「郷愁」?
晴一:(口を手で押さえて大爆笑)
みんなどの曲か既にわかっているにしても、それはきっとミリオンヒットで、自身でとんでもない回数を歌っているはずの曲。
"サウダージ"
かと思えば、いざ歌が始まるとその表情は一変して切々とした想いを歌う。ヴァイオリンのフレーズだけでも切ないのに、オーケストラが支えるそれは更に「郷愁」を増す。
受け止める5万の想い。
それぞれが、それぞれの"サウダージ"を見ていた。
あの日、横浜スタジアムで新藤晴一は「あそこのホテルに別れ話をしているカップルがいたらさっきの"サウダージ"で追い討ち掛けちゃうね」と言った。
またある日は「"サウダージ"を創ってくれてありがとう」と言われた話をした。
曲は受け取った人の心で育っていく。それぞれが一度は耳にしたことのあるであろう"サウダージ"は、一人ひとりの心で違う花を咲かせている。
だからこそ、ポルノグラフィティで最も売れたシングル、最もカラオケで歌われている"サウダージ"にどれだけの想いが乗せられたことだろう。
ヒットソングにはヒットソングの理由がある。そして、ヒットソングでしか描けない景色がある。ファンでない人も想いを重ねたであろう"サウダージ"に、そんなことを考えてしまった。
初日は登場しなかったレスポールのサウンドも抜群であった。
"ブレス"
もはや何度目かわからないが、イントロだけで泣きそうになる。
「ブレス」のシングルがリリースされたのは1年以上前。ライヴで演奏されたのは、おそらくあの1回だけだったと思う。その1回とはつまり、20周年のキックオフ「しまなみロマンスポルノ」である。
しまなみの空の下、雨を受けながら聴いた"ブレス"。温かい曲だけれど、そのメッセージは決して優しいだけではない。
「自分の道は自分しか進めない」それは残酷なまでに突き放した優しさだ。どこまでいっても、君は君でしかないし、道は君が決めなければならないと伝えることでもあるからだ。けれど、"ブレス"は決して背中を押してくれる訳でもないけれど、最後までそこで寄り添っていてくれる。
ありのままでいい、そんなメッセージは世の中には溢れている。しかし、僕は"ブレス"以外に励まされるものはない。それは、どこかの誰かが書いた言葉ではなく、他ならない新藤晴一の言葉だからだ。これまで新藤晴一という男の言葉と共に生きてきたからこそ、その言葉の意味の優しさと重さを感じる。
言葉の意義は誰が言うかで決まる。僕がここまでダラダラと書いてきたことよりも、根岸さんとかはるかっぱ(エドサリ)のツイートの方がよっぽど多くの人を動かすことと同じだ。
新藤晴一の言葉で、僕の人生は変わった。この言葉たちがなかったら、僕はこんなに歌詞と向き合う人間にはなっていなかっただろう。だからこそ、そんな男が書いた「ありのまま 君のままでいいんじゃない」という言葉は、大袈裟に言えば救いだった。初めて"ブレス"を聴いた時、職場で涙が止まらなくなったのは、そのためだ。
タイミング的にもライヴではちょっとやりづらい曲かと思うので、こうして聴くことができたことが、本当に嬉しかった。
それにしても、1番サビでどうするか迷ってる人が多かったのも印象的だった(最終的にはワイパーに落ち着く)。
東京ドームライヴレポというより、脱線を繰り返す独白と化してきたが、どれだけの人がついてきてくれているのだろうか。
"愛が呼ぶほうへ"
初日は岡野昭仁のMCがあり、最後に曲名も言われたり、MCの内容からも"愛が呼ぶほうへ"が来ることを構える時間があった。しかし2日目はMCなく、NAOTOストリングスによるイントロがそのまま流れるアレンジとなっていた。
"ブレス"でじんわりとした気持ちになっていたのに、容赦なく追い討ちを掛けられる。流れでいけば初日と同じタイミング、けれどアレンジが違うだけで、その表情は全く違う。
この1年で、幾度か"愛が呼ぶほうへ"を聴いた。しまなみの空の下、映画館越しに見た高校生たちとの歌、Amuse Fes、東京ドーム初日、そのどれもが特別で、何一つとして同じものはなかった。
何度も聴いた曲なのに、こんなにも豊かな表情を見せてくれる。なぜだろうか。それは、岡野昭仁が繰り返し伝えてきた「みんなの手で大きくなった曲」だからではないか。そう、愛とは様々な表情で、僕らのすぐ傍に佇んでいる。曲への想いは日増しに増えていくばかりなのだ。これから先も、もっと大きな愛に包まれる曲になっていくのだろう。
たとえばトロンボーンは「神の楽器」と呼ばれ、トランペット(ラッパ)はヨハネの黙示録で終末を告げるとされる。ちなみにラッパを吹くのは"天使"である。
たとえばライアーという楽器がある。起源はリュアーという楽器で、ギリシア神話の神ヘルメースが発明されたとしている。弦楽器の起源とも呼べるかもしれない。
それほど、音楽は古代から様々な形で受け継がれてきた。
初日のホーンアレンジには祝福や祝祭を感じ、2日目のストリングスアレンジにはアガペー(神の人に対する愛)を感じた。なぜかというと、昔これを書いたからである。
"愛が呼ぶほうへ"の歌詞の意味をストーカーという奴を俺は許さない
"愛が呼ぶほうへ"という楽曲は、ファンによって大きくなった部分もあれば、それだけでは説明できないほど、大きな意志に導かれているような気がしてならない。
「神VS神」というタイトルにそれを感じたことが、偶然とは思えなくなった。それは僕のいつものこじつけかもしれない。けれど、そう思わされるほどの喜びに満ち溢れた瞬間だったのだ。
昭仁:ここまで楽しんでくれていますか!次はヘビーロックで、みんなを、屍にしてやります!"Zombies are standing out"!
"Zombies are standing out"
曲名が告げられた瞬間の割れんばかりの歓声。みんな、この光景を待ち侘びていた。5万人にぶつけられる、脳天揺さぶられる強烈な一撃。イントロではスクリーンに左右を見渡すように動く眼球が映る。初日"渦"でそれが目でもあると気づいたが、2日目にして直球でそれが示された。僕は一人「バイオ!バイオ!」※と興奮していた。
※
初日は演奏されなかったが、2018年にリリースされた強力な曲たちが、ROCK IN JAPAN FESや東京ドームを舞台でヒットソングたちと肩を並べて演奏され、同じように盛り上がる。おそらく"Zombies are standing out"に関しては随一と呼べるほどだ。
ファンがファン以外に伝えたいポルノグラフィティの姿、ラテンの曲たちだけでなく、ポルノグラフィティはこんなにも多彩な楽曲があって、こんなにもロックなんだということ、それを全て体言してくれるのがこの曲だ。
初日は"ラック"で上がった炎がここでも上がる。全てを焼き尽くすように、ゾンビがもたらすイメージはまさに終末。ノストラダムスの予言が的中していたら迎えていたかもしれない20年前の光景。
しかし、終末を迎えなかったとしても、ただ何も考えずに生きること、それはゾンビと何も変わらない。それは"ブレス"におけるメッセージ「自分の道は自分しか進めない」ように、自分の意志を意思を失った瞬間、人はゾンビと変わらない存在になるということでもある。
と言っても僕は聴くと知能指数が0.02くらいのコンドームみたいな数値になって「ゾンビ、カッコイイ……」と呟くだけのゾンビになっていた。
"サボテン"
シンセサイザーを効かせたアレンジで、入りで思わず「うへ」と変な声が出た。
ポルノ展では"小さな鉢のサボテン"の映像が見れたり、直筆の"サボテン"のインディーズ時代の歌詞が何バージョンか展示されていた。最終的に何パターンあるのかわからないが、こうして歴史を見てきたのもあって、この"サボテン"への感慨深い気持ちはとても強まった。
インディーズ時代からあった楽曲だが、大切に温められ、世の中がしっかりとポルノグラフィティの音楽を受け止めてくれるというタイミングでリリースされた。
"愛が呼ぶほうへ"が多くの人の手によって大切に育てられた楽曲ならば、"サボテン"はメンバーによって大切に育てられてきた楽曲なのだ。
"サボテン"を聴いている間、東京ドームという大舞台だということを忘れ、小さな部屋の窓辺に置かれたサボテンの光景がずっとボンヤリ頭に浮かんでいた。
"ヒトリノ夜"
ストリングス隊が再び戻り、"ヒトリノ夜"のスリリングなイントロを奏でる。"アポロ"ほどのヒットはなくても、"ヒトリノ夜"へ強い想いを抱いている人は多い。そのイントロを受けた歓声が、普段とはまた違う種類のものになるのを感じられる。
それを表すように、前にいた男性がそれまでもとても盛り上がっていたけど、跳び跳ねるほど喜んでいた。こういう光景、自然と笑顔になれて本当好き。
このステージで"ヒトリノ夜"が歌われることは、特別なのだ。"ヒトリノ夜"はNAOTOが初めて、ポルノグラフィティと関わった曲だからだ。
"ヒトリノ夜"におけるヴァイオリンは、とても印象的であり、ポルノグラフィティの楽曲にまたひとつ大切な要素となった重要なポイントなのである。
サビでは「唄え!」の声と共に東京ドームに5万人の"ヒトリノ夜"が響く。
僕がよく名前を出すアーティスト、ハルカトミユキが初めて日比谷野音でやったライヴが「ひとり×3000」というテーマであった。少し長いがその声明文を見て欲しい。
"サウダージ"の時に触れた話の続き。
たとえば「サウダージ」や「アゲハ蝶」がミリオンヒットだとしても、「100万人のために唄われたラブソング」ではない、100万の心に届いたラブソングなのだ。もしCDを買わなくても、聴いた人の胸にその人の"サウダージ"や"アゲハ蝶"が宿る。
ヒトリノ夜で歌われる孤独。誰もが一度はそんな夜があるだろう。どれだけ親しい人がいても、どれだけ寄り添っても、ひとつにはなれない。そこには2つの月が並んでいる。人は最期には孤独を迎えるのだ。
5万人とは、統計の数字でしかない。そこにいたのは、5万人の"ひとり"、それぞれの孤独と繋がりを経て、ここに集まった。その意味を、噛みしめる。
"瞬く星の下で"
ピアノの一音から世界に引き込まれる。こちらもオケが厚みを増したことで、楽曲の世界観がより広がった楽曲だ。新藤晴一によるギターアプローチも堪らなく好きなこともあって、この曲をこうした形で聴くことができて嬉しかった。
大人になってから「信じる」という言葉をどれだけ使っているだろう。その中に本当に信じられるものはいくつあるだろう。ましてや自分をどれだけ信じていられるだろう。そう多くはない信じられるものを胸に。それでもポルノグラフィティを信じてきた日々が正解だったと思えること。
ポルノグラフィティがメジャーという荒野の中で「行く先を示してきたもの」とは、THE WAYを歩いてきた足跡でもあり、気づいたら指をさして示してくれた存在なのではないだろうか。
"ハネウマライダー"
ホーンの高まるアレンジも素晴らしいが、ストリングスによるアレンジも負けてはいない。まさに「神VS神」のように"神"アレンジに酔いしれる。
2番でハンドル切ったあとに、なぜかそれをひたすら続ける岡野昭仁。途中から正拳突きに見えてきた。というかそのせいか最後の方でうっすらと「せい!せい!」と言っているように聞こえた。
センターステージ花道で「たとえばここにおるお前らと!」と叫ぶ岡野昭仁。ライヴの定番ではあるけれど、20周年の東京ドームの真ん中で叫ぶそれに詰め込まれた想いは軽いものではない。
普段は謙虚の化身みたいな岡野昭仁だが、歌ってる時だけは僕らを「お前ら」と呼ぶ。ちなみにMCでは大抵「君たち」「あなたたち」になることが多い。
その「お前ら」という言葉は、上から目線で言われるものではない。神VS神であると同時にこれは、人VS人なのだ。
対等に向き合う存在、それを認めてくれたこと、それが「お前ら」という言葉にはこもっている。※歌うとドS化するヴォーカリストへのマゾヒズムがポルノファンに発動するということももちろんある。
没入感からは少し遠いバルコニー席から見ていた初日から、2日目はこうしてエキサイトシートでアリーナの熱もスタンド熱も感じれる真ん中にいれたことで、よりそのタオルの渦に巻き込まれた一人になれた気がした。
"アゲハ蝶"
ツースリーのクラップもまた、より大きく感じれた。
9月だから厳密にいえば夏ではないが、まだ夏の名残が残る日の夜に舞い飛ぶアゲハ蝶。この日、昼に横浜に行って、山手の洋館の庭に遊ぶアゲハ蝶を眺めていた。
ポルノグラフィティに出逢えた、それだけで人生が救われた。大袈裟かもしれない、しかしポルノグラフィティがいなければ、今の自分はない。それほど自分が一方的な想いをぶつけている(心理的にはほぼ"見つめている"のストーカーではないか)のに、この2人は僕らを認めてくれて、君たちがいたから僕らがいるとさえ言った。
人生で何度聴いたかさえ分からないフレーズ。けれど、そこに"共感"という想いを抱くことはあっただろうか。
十数年好いてきたアーティストが、ここ最近で何度も僕らのことを「君たちがいたから」と言ってくれる。無論、ほとんどのアーティストはファンによって支えられている。言うも言わずも、その気持ちはどのアーティストも持っているだろう。
それでも20年という月日を経て、アーティストもファンもお互いに誇り合える関係は、そうないのではないか。
"アゲハ蝶"の中に変わらない自分と、変わった自分が写る。あの日の自分と、歳を重ねた自分、同じ感動と、今でしか味わえない感動。
夏の夜に舞い降りたアゲハ蝶、喜びも憂いも秘めたその羽が、ここまで連れてきてくれた。
"VS"
VSそれは何との戦いだろうか。かつて無邪気な地図を描いた自分だろうか、壊すべき世の中と上手くやれてしまってる自分だろうか、かつて憧れたロッカーだろうか。
ポルノグラフィティはいつも戦ってきた。同じことをすることなど、ほとんどなかった。戦い続けてきたのは、昨日までの自分。だからこそ、昨日東京ドーム公演初日を大成功させた自分たちさえ、翌日の自分にとっては越えるべき相手となる。
金色の吹雪を浴び、誇らしげに最新曲を歌い上げたポルノグラフィティ。初日に「スゲー」としか言えなかったポンコツの知能指数もいよいよ0.01を下回り、「ありがとう」しか言えないポンコツになっていた。
ここまで何万字と書いてきた人間が言うのもどうかと思うが、この2日間には感謝の言葉しかなかった。
いつか、この日さえ過去の自分になる。これからポルノグラフィティと歩む日々がどれだけ続くだろう。これから先も、きっと新しいポルノグラフィティがそこにいる。
いつの日か、ポルノグラフィティと出会った少年が、このライヴ映像を見て魂を震わせる瞬間が来るかもしれない。もし、この先に旅路の果てがきたとしても、その音楽は変わらずそこに残り続ける。受け継がれていく。
なぜなら、天国へ旅立ったミュージシャンたちに、僕らはこんなに想いを馳せているではないか。音楽に終わりはない。
同時に、歳を重ねて尚変わらぬロックンロールを奏で戦い続けるロッカー達もいる。そのハツラツとした姿に、歳を重ねることが辛いことではなくなった。歳を重ねることが老いることではない、魂が若ければ人は真に老いることはないのだ。
昭仁:アンコールありがとうございます!そない、卑猥なカタカナ3文字を叫んでくれたんなら、アンコールやるよ!晴一カモン!
晴一:……福山雅治がおりてきますように
(弾き始め、めっちゃ"的な"顔を意識した表情をするが、自分で笑ってしまう)
晴一:これ、怒られるやつ?
と言いつつ、結局またやる(しかも舌舐めずりまでする始末)。もう直々に怒られてしまえ。
"オー!リバル"
初日の反省を踏まえてか、歌の最中の空気銃はなくなった。そのお陰で無事に歌詞間違いも飛ぶこともなくなった。そういえば、2日間を通しても、細々あった気はするがそんなに歌詞間違いもなかったのではないか。正直2日間で50曲以上演るならもっとぐちゃぐちゃになると思っていた。
今まで"オー!リバル"はどちらかというと熱量の高い演奏をしてきた。一応補足するが、もちろん熱がないという訳ではない、熱はありつつもそれを鳴らす喜びが更に強まっているように思えたのだ。
そこで1つ思い出した。
2日目は全て見れていないが、客いじりでも子どもの姿も映っていた。
コナンを、ポケモンを、マギを、もしかしたら初日はハガレンを見てきた子どもたちかもしれない。そんなアニメの主題歌になってきた曲たちが、子どもたちまで楽しめる曲になっていたのかもしれない。少しでも喜んでくれたなら、この底無し沼へようこそ、こんなに嬉しいことはない。
先にも書いた想いは、そうしても受け継がれていくのかもしれない。
"Before Century"~"Century Lovers"
フロートに乗ったまま、2日目も恒例の儀式に。それにしてもエキサイトシートからフロートの距離がめっちゃ近くて驚いた。"オー!リバル"の時、新藤晴一のギターガン見してしまった。当たり前だが岡野昭仁もめっちゃ近い。
だが、たった一つ大問題があった。「スタンド!」「アリーナ!」と煽る岡野昭仁だが、エキサイトシートは、どっちだ。隣と顔を見合せる。エキサイトシートみんな困惑していた。今も正解がわからない。
この後のMCでも言っているが、「もっと!」と言えば言うだけ、本当にもっと大きくなっていく。それは常々あることなのだけど、それでもこの夜は違った。
感覚的な話になってしまうが、この日の「Fu-Fu-」は、最初からかなり大きかった。身体にビリっとしたものを感じてしまうほどだ。いつもであれば「もっと!」の先に辿り着くような大きさであった。それが岡野昭仁が煽るほどに、まるでボリュームボタンをひとつずつ押すようにまだ上がっていく。
5万人の力とはそういうものなのだ。"ひとり"を持ち寄った5万のひとりたちは、「もはや‘ひとり’ではない何か」となっていた。
そんなパワーを受け止めた東京ドームに"Century Lovers"が轟く。終わりが近づく。だからこそ、ここに後悔を残さないよう、誰もがまだ叫び、跳び跳ね、踊る。
ボブ・ディランは"Blowin' in the Wind"(風に吹かれて)について、こんな言葉を述べている。抜粋したが、Wikipediaにも全文載っているので、興味がある方は覗いてみて欲しい。
肌を焦がすような南風が吹いた。そこで向き合うのは鏡の向こう側、ライバルと呼ばれる存在、そして昔の自分。そんな風の中で。時には風さえ「行くあてがない」と泣く。
風に吹かれ流される。"Blowin' in the Wind"の日本語訳は大抵「風に吹かれて」と訳される。Blowinには「舞う」という意味はない(はず)。
もちろんニュアンスは同じだし、響きとメロディへの当てはまり方で新藤晴一は「風に舞ってる」としたのだろう。答えは「ひらりひらりと舞い遊ぶように」姿を見せるのかもしれない。
「ただ答えは風に吹かれているということだ」、音楽には正解はない。だからこそ、自分なりに正解の線を定め、その線を基準に正解にしていくしかない。
自分なりの答えを正解にして、宛名のない手紙に込める。それはどこに向かうかわからない風に託すようなものだ。それを受け取った人が、また自分の線で正解を決める。
初日、新藤晴一は言った。
答えは、東京ドームに吹き抜けた熱い南風が教えてくれる。
その答えのひとつが、"オー!リバル"のイントロでギタリストが遂にやりおった股間パフォかもしれない。
☆メンバー紹介
最終日ということで、紹介と共に今回はサポートメンバーからもコメントがあった。
tasuku:今日はどうもありがとうございます。東京ドーム初めて立たせていただきました。ここまで連れてきてくれて、本当にありがとうございます
昭仁:声、小っさ!
皆川真人:「UNFADED」ツアーの時には人生の就活を考えてました。けど、今日こんな景色を見せてくれて、音楽やってきて良かったと思います
nang-chang:デビュー当初からやらせてもらって。テンションが高すぎず低すぎずやってきました。20周年でこうして東京ドームに立てて、次は、30周年ですかね?立てたらいいなと思います。これからもポルノグラフィティをよろしくお願いします
須長和広:20周年の舞台ということで、たくさん準備してきました。リハーサルでは想像つかなかったような景色でやれて、感動しながら弾いてました。ありがとうございます
野崎真助:nang-changの次に古株になりました。長いことやってきましたが、僕は動けないのでずっと後ろから2人を見てきましたが、今日はすごい感動した……
最後の言葉は涙とともに語った野崎真助。
昭仁:スペシャルゲストNAOTOストリングス!(1人ひとり紹介してから)代表してNAOTOさん一言お願いします
NAOTO:ご無沙汰しております。そしてポルノグラフィティのお二人、20周年おめでとうございます。10年前にもこのステージに立たせていただいて。それから更に素敵なお客さんたち、今回は2日間ですからね、そんなお客さんたちの前で演奏して、タオルを見た時に、さっきの真助ちゃんじゃないですけど、だいぶヤバかったです。
最近ご一緒できておりませんでしたが、心はいつもポルノチームのつもりです
昭仁:そして、スペシャルゲスト本間昭光!"一言"お願いします
晴一:一言ですよ?
本間:20周年、おめでとうございます。デビューから走ってきて、ちょっと距離を置こうということになりまして。寂しいという訳ではないんだけど、家に帰って泣けてしまいまして。でもこうしてまた一緒にやらせていただいて、ありがとうございます。
これからも走り続けると思いますが、時には休んで、とにかく、続けてください。それが大事です
野崎真助が言葉にサングラスの下の涙を拭った時に、胸に熱いものが込み上げてきた。ポルノグラフィティとファンの20年だったと共に、それはポルノグラフィティを支えてきたミュージシャンたちの20年でもある。
どれだけのミュージシャンが関わってきただろう。サポートメンバーはもちろん、スタジオミュージシャンたち、その周りでさらにそれを支えるスタッフたち。本当に、多くの人によってポルノグラフィティは支えられている。
アーティストによっては、サポートはあくまでもサポートで、それに徹するというスタイルもあるだろう。けれど、ポルノは、1回1回全てが"バンド"になる。
離れたサポートメンバー同士が今も仲良くしていたり、新しいことを始めてみたり、ファンもサポートメンバーたちのおかげで音楽の視野がかなり広がった。そんな関係にしたのは他ならぬ、中心にいるポルノグラフィティの力なのだろう。
ポルノグラフィティが挑戦を続けるということは、それを支えるミュージシャンたちも挑戦なのだ。特に近年の多彩な楽曲を叩きわけてきた野崎真助の功労はどれほど大きいものか。
ドラムはバンドでも基礎の土台となる最重要のポジションだ。ジャンルなし、容赦なしのポルノグラフィティの飽くなき旅路に付き添うのは、容易いことではないはずだ。
長い付き合いだからこそ、その言葉たちの重みと感動は大きい。
それはプロデューサーとして支えてきた本間昭光も同じである。支えてきた人たちからこんなにも愛されているのがポルノグラフィティなのだ。
そして、ギタリストの紹介へ。
晴一:ありがとうございます。これからのことも言えるんだけど、やっぱこういう場だから思うことがあって、ポルノグラフィティは高校の文化祭から始まって、そこから地続きできてるのね。だから、続けてきますってこともあるけど、その青春を汚したくなくて。だから本当にポルノとしてやりたいことをやってるか確認しながらやっていきたい。そうした姿で皆さんの前に立ちたいと思います。
そして最後はもちろんこの人。
昭仁:こうして20年やってきて。どう思うんだろうと思ってたんです、僕は現実的な人だから? それでもね、今日は、キたよ!今までも熱い姿を見てきたけど、今日ほんまにみんなのデッカイ声を聴いて、今までの20年があったからなんだなと思えました。
偉そうなことを言ってしまうけど、よくやってきたと思うんです。何かになりたいかとかじゃなくて、何かになれるんじゃないかってだけ信じてここまでやってきました。だから偉そうだけど、何か信じれるものがひとつあれば、こんなに素敵な景色が見れるようなことが起きると思います。
本当、何度でも言います、素晴らしいファン。何回でも言います、君たちがポルノグラフィティを求めてくれるから、僕らはやってこれました。なんて、なんて居心地が良い場所なんだここは!けど、その居心地の良さに甘えず、これからもやっていきます!
涙の確変が止まらない。メンバー紹介だけで、何回泣かせるつもりだ。
岡野昭仁という人は本当に。歌えば「お前ら!」と言うのに。本当に、どこまで謙虚で優しいの。きっと5万人が思っただろう、その言葉は全く偉そうなんかではない。むしろ毎回のように知ったようなことを書いてる僕のような人間のがよほど偉そうだ。灰になりたい。
自分自身でもこの日の声の大きさに驚いたのもあって(横にいた、事あるごとに叫ぶ五月蝿い男は除く)、このMCがとても共感できるものだった。
横浜アリーナの、あの日。東京ドーム公演の発表がされた日。
「ワシらに格好つけさせてくれ」
岡野昭仁はそう語った。
満員の東京ドーム、そんな事言わなくったって、あなたたちは本当に格好いい。僕が何度も憧れた、あのロッカーの姿そのものなんだから。
憧れがいつまでも憧れのままでも、それはきっと夢を願ったままだから、ミュージシャンはいつまでも、張り切って。
奇跡はいつまでも続いてゆく。
"ライラ"
2日間、正真正銘最後の曲。
僕は、ここで燃え尽きることができなかった。
2日目の流れで思っていたことが、初日は中盤くらいでやった"ジレンマ"がなかったことだ。だから、2日目は"ジレンマ"が最後のパターンなのではと思っていた。「最後」とは言っても、そこでサプライズで「やっぱりまだ終わりたくない」と"ジレンマ"をやるかもしれないと、"ジレンマ"をやるなら、あわよくば……とも。
だから、ここで力を使い果たしていいのか、葛藤があった。そもそも体力が無さすぎだろうというのは、至極正論である。
「何が起きても」受け止められるつもりでいただけに、本当に"ライラ"で終わって、残念な気持ちになってしまったことも事実だ。
そんなモヤモヤが、心に引っ掛かったまま東京ドーム公演は終わった。もちろん、それが全てではなくて、それ以上の幸福と感謝の上でである。
最後の曲なのに懺悔を書いてしまった。
それでも"ライラ"はやはり楽しい。
晴一:思えばこの20年ポルノグラフィティで良かったなと思います。僕らを新しい景色を見せてくれたり、新しい場所に連れてってくれたりしてくれました。ポルノグラフィティが今の幸せの全てをくれたと思います。僕らにとってはそんな存在です。皆さんにとってポルノグラフィティは、幸せを与えられたのでしょうか。これからも色々あると思いますが、そんなときは、岡野さんお願いします……
という新藤晴一の言葉も、なんならソロ回しもっと長くてもいいのになと思う(20周年ライヴで一番盛り上がって声が出たのが「ウルトラソウッ!ハイ!」"でいいのか?どうしようもなく楽しい)
"ライラ"の全力投球、ステージメンバーの挨拶のあと、ファンファーレ、はっさくメガネのアナウンスが流れ、スクリーンには「祝 20周年」の文字。バックの音楽が"はなむけ"になる。ステージにはビールの売り子さんが現れ、2人にジョッキにビールを注ぐ。さりげなく最初に貰ったビールを相方に渡してやる優しさよ。
岡野昭仁がどれだけ謙虚な人間か、まだ疑心暗鬼な人はいないとは思うがダメ押しを書いておこう。この男は"ライラ"の中で「主役は君たちです」と言っていたのだ。20周年デビュー記念日の東京ドーム最終日で主役はあなたたちでなくてどうする。それでも、そう言ってくれるのが、岡野昭仁という人なのだ。
20周年を祝して乾杯。思いっきり飲もうとするが、あれだけのライヴの後でしっかり喉を通っていかない。途中まで飲んで2人してステージに座り込む。10年前、あれだけ大きかった東京ドームを、20周年の今2人は"ホーム"にしたのだ。
座りながら岡野昭仁はなんとか飲み干した、かと思いきや口からダラダラと垂れ流す。新藤晴一も呑もうとするが、こちらも飲むそばから口から溢れて垂れる。あれだけ格好良かった20周年ライヴの締めがそれでいいのか。
いや、これがポルノグラフィティなのだ。
たくさんのギフトと、たくさんの涙があった。
そんな2日間が終わろうとしていた。
しかし、本当の結末はこの後にやってきた。
家に着いてから、そのツイートを見た。
20周年、お疲れ様でした!そしてありがとう。
#ポルノグラフィティ #神vs神
「ありがとう」
東京ドームで枯らしてきたはずの涙がドバドバと出た。
なんて優しい言葉なのだろう。
彼もまたあの空間を共にした1人だった。
アンコールでメンバーが着ていたTシャツと同じTシャツの写真、それが何も言わなくとも岡野昭仁、新藤晴一、白玉雅己の変わらない気持ちを映していた。
そうだ。
たとえ同じステージで音を奏でなくとも、気持ちは変わらない。2人の届けたい人たち、その宛名には、もちろんその名前も書かれていた。それは決して薄い文字なんかではなく、とても力強い文字で書かれていることだろう。
それを想ったとき、自分の中で様々な想像が巡った。
岡野昭仁と新藤晴一が奏でた"サボテン"を、どう受け止めただろう。
そして"VS"に、何を想ったのだろう。
考えるほど、涙が止まらなくなる。
彼は、その瞳の奥に何を見たのだろう。
それを知る由はなくとも。
それでも。
「ありがとう」
白玉雅己の言葉に詰まっているような気がした。
彼もまだ闘っているロッカーなのだから。
以上が、ポルノグラフィティ20周年の東京ドーム公演の記憶である。
あわよくば「2日ともどちらも神レポ」と言われるように、と思って書いたが、想像以上に自分の想いが出てしまった。決して良いレポとは呼べないけれど、自分にしか書けない言葉たちが、ここに記されている。
それでも、MCや演出については、かなりの部分を色々な方のツイートを参照させていただいた。それがなければ、我が家で飼ってる金魚並の記憶力ではここまで書けることはなかった。これは、読んでいただいた方も含めた、あの5万人の記録でもある。改めて、全ての方に感謝を。
長い、あまりに長い文章をここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
セットリスト(公式HPより)
【9/8(日)公演】
M01 プッシュプレイ
M02 Mugen
M03 THE DAY
M04 メドレー
ミュージック・アワー
マシンガントーク
ヴォイス
狼
M05 アポロ
M06 n.t.
M07 Twilight,トワイライト
~Theme of “74ers”~
M08 瞳の奥をのぞかせて
M09 ウェンディの薄い文字
M10 リンク
M11 サウダージ
M12 ブレス
M13 愛が呼ぶほうへ
M14 Zombies are standing out
M15 サボテン
M16 ヒトリノ夜
M17 瞬く星の下で
M18 ハネウマライダー
M19 アゲハ蝶
M20 VS
【ENCORE】
EN1 オー!リバル
EN2 Century Lovers
EN3 ライラ
【おまけ】
晴一:気をつけて帰ってください
昭仁:皆さんはポルノグラフィティのファンで良かったと思いますか!僕はポルノグラフィティをやってきて良かったと思います!ありがとう!
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ポルノ全シングルレビュー50th「VS」
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m-FLOOD 僕らを未来へ連れていってくれる波
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↑12月25日発売のスペシャルライヴBOX。ここから買うとAmazonの特典トートバッグが付いてくるばかりか、僕が紹介料を貰えるという素敵な特典があります。自分へのクリスマスプレゼントに!
台風が接近していたこともあり、オンタイムでの開演が宣言されていた。20周年のキックオフ、それは雨に泣いたしまなみロマンスポルノで始まった。またしても2日目に、開催そのものさえ危惧するような台風。お願いだから今この瞬間だけはライヴをやらせて、そんな願いでいた。
結果的に開催は無事されたが、その後に通り過ぎていった台風15号は、多くの爪跡を遺していった。被災された方の1日も早い復興を祈りたい。
そんな天候のなか、東京ドームの中にはまだ初日の興奮が空気として残っているようであった。
開演。
初日と同じく開幕を告げるファンファーレからスクリーンにはロゴが映り、サポートメンバーが登場。続いてポルノグラフィティが姿を現した。
しかし、2人が姿を現したのはメインステージではなく、センターステージだった。意表をついた登場にアリーナを中心に衝撃の輪が広がっていく。登場した2人の顔は、とても満足そうで、「驚いた?」と言ってるようにも見える。
岡野昭仁が雄大に歌い出す。
"プッシュプレイ"
初日はその興奮に、涙がいきなり止まらなくなった。2日目は気持ちを落ち着け、その音に耳を、姿に目を澄ませた。初日にまだ闘っている2人を見たからこそ、センターステージで音楽を奏でる姿が、どこまでも誇らしく見えた。その姿をしかと受け止めた。
初日の疲れを感じさせない岡野昭仁の伸びやかな声、少年のような表情で無邪気にギターを鳴らす新藤晴一。緊張感の強かった初日よりもじっくり見れたからこそ、よりサウンドに酔いしれることができる。
それでも始まってしまったこの瞬間が、どこまでも愛おしく、惜しむ気持ちも孕んでいる。こんな幸せな空間も数時間後には溶けて消えてしまう。映像を巻き戻すことができても、ライヴに巻き戻しはない。けれど人は、そんな儚いものに惹かれ続けてしまう。
野崎真助のドラムがリズムを奏で、岡野昭仁が「東京ドーム!『神VS神』最終日!」と煽り始まったコール&レスポンス。雄叫びが、東京ドームに木霊した。
"Mugen"
"Mugen"はやはり男の声がより強くなる。ここだけは、黄色い声よりも怒号のような男の声が似合う。17年前のワールドカップを盛り上げた曲は、今もこうして多くの人の心を熱くたぎらせている。
歌詞だけをみれば、決してサッカーと関係あるとは思えないのに、聴けばサッカーを見ていたあの興奮と熱が甦る。それは新藤晴一によって書かれた歌詞が勝負の本質的な熱を描いているからではないか。
幻想のような現実、それはライヴも同じだ。そんな日々は「今日の次にある明日」「過ぎた時間を重ねた上」にしかやって来ることはない。それは初日の2曲目の"メリッサ"の主人公のように「明日が来るはずの空」を見ていては届かないもの。
今日を重ねた先にあるものこそ人生にとって忘れることのできない"特別な日"なのだ。
"THE DAY"
"THE DAY"がライヴでより力強くなるのは、ライヴがいつだって人生に特別な瞬間をくれるからだ。
THE DAY HAS COME
信じ続けて重ねた日々があるからこそ、特別な日になる。それは僕ら観客のことでもあり、届けたい人たちのために打ち合わせとリハーサルを繰り返してこの日を創り上げたポルノグラフィティチームも同じである。
来てくれた人たちみんなに楽しんで欲しいという想いで、大人たちが何ヵ月もかけて用意してきた特別な空間、だからこそ僕らはその場所を愛すべき空間と呼べる。
ライヴ魂と魂のぶつかり合いだ。楽しませてやろうというアーティストと楽しみたい観客、これ以上ないほどの相乗効果によって"THE DAY"は生まれるのだ。
そして、お互いの音を讃え合うように、負けまいとするかのように、声とギターをぶつけ合う2人もまた、魂と魂で会話している。
"THE DAY"がやってくるのは、時計の針が0時をさした時ではない。自分自身が一歩成長した時に、初めて日付が更新される。
何を言っているかわからないという方は『魔人探偵脳噛ネウロ』を読むこと。
昭仁:東京ドーム!盛り上がってますか!熱くなってますか!「神VS神」最終日、ポルノグラフィティデビュー20周年記念日、さあ題目は全て揃ってます。わしらがポルノグラフィティじゃ!
晴一:いやー凄いよ東京ドーム!大体いつも出てきてモニターの音を少し上げてとか指示するんだけど。今日出てきたら、お客さんの声があまりにデカすぎて音量決められんかったもん。こんなの初めてだよね。今日は昭仁の声抑え目でお客さんの声多めでお願いします
昭仁:なんでワシのを下げるんじゃ
昭仁:さっきも言ったけど、ポルノグラフィティ20周年になりました。長い歴史を感じてもらうのは大変なのですが、この人となら一緒にやれると思います。スペシャルゲスト、本間昭光!
初日と同じく、本間昭光が登場。
メドレー
"ミュージック・アワー"~"マシンガントーク"~"ヴォイス"~"狼"~"ミュージック・アワー"
曲目は初日と同じもの。だが、その分演奏の精度とまとまりが増したように感じた。もしかしたら初日は展開を追うばかりに気をとられ、気づけなかったところもあるかもしれない。けれど、たった一晩でも反省を踏まえ次の日にはそれを実行する、それがポルノチームなのだ。その証拠に「昨日は喋りが長くなりすぎた」というMCがだいぶ短くなっていた。
流されるように見ていると見逃してしまっていた点に気づく。特に印象的だったのは照明だ。1曲を抜き取れば全く違う曲たちが並んでいるのに、そのひとつひとつの世界観を壊さず、さらには照明だけでも気持ちの移り変わりを感じさせる。
演奏も、それを伝えるためのPA卓のエンジニアたちの力が絶大なのはいうまでもないが、ポルノチームは恐ろしいほど誰一人として一切の妥協がない。だからこそ、その一音一音が、決して音楽には最適とは言えない東京ドームという空間で瑞々しく爆発する。
それでも、初日のレポでも書いたが、だからこそ"ヴォイス"は特にフルでちゃんと聴きたかったという想いは増した。
2日目で思い出したけれど、"ミュージック・アワー"の最後のサビが落ちサビアレンジになってたのが、とてもグッときた。
昭仁:本間昭光!10年前も、一緒にやらせてもらいましたけど
本間:逆立ちして出てきたよね?
昭仁:三点倒立ですよ。それ以来ですね
昭仁:最初会った時どう思いました?
本間:華はあると思った。華は後からつけられないからね
晴一:じゃあ何がなかったんですか
本間:まずね、ワイヤー入りのスカーフをしてる時点で…あれが…
昭仁:風もないのになびいてるっていう。僕は西川さんより先に風を感じてましたよ
晴一:"アポロ"が出来たときのこととか覚えてます?
本間:覚えてますよ。曲出しミーティングっていうのがあって、そこに持っていった。2000年だっけ
昭仁・晴一:僕ら99年デビューですって
本間:あ、そうか。別の曲と勘違いしてた。「ロマンチスト・エゴイスト」でも最後に出来たんだよね。アルバムの曲は揃ってたけど、あとひとつ勢いのあるやつが欲しいってなって創った。タクシーでメロディが浮かんで、ゴニョゴニョと怪しい感じで録音して。それでメロディにコードをつける時に、ここぞという時に使おうと思ってたコード進行があって、それを使った
昭仁:前にも言ったことあるけど、レコーディングで歌った瞬間に「あれ、これ行けるんじゃない?」って思えてね
晴一:事務所の不良債権だったもんね。田舎からでてきた若者にバイトせんでもいい生きていけるだけのお金くれたら、働かんよね。ワシずっとレンタルビデオ屋行ってたもんね
こんな感じだったろうか。記憶とメモと他の方のツイートなどから思い出せる限り書いた。そして、デビュー曲が披露される。
"アポロ"
初日ももちろん感動的だった"アポロ"でも、9月8日という日に聴くそれは、あまりにも格別だ。丸20年、2022年に成人が18歳になるというが、今のところはポルノグラフィティは成人を迎えた。
新藤晴一が以前「売上でいけば"サウダージ"とか"アゲハ蝶"の方が多いけど、"アポロ"をやった時の反応は凄く大きかった」ということを言っていた。たしか2017年ROCK IN JAPAN FESに初出演した後の言葉だったと思う。"アポロ"が生まれた瞬間に感じた特別な手応え、それは今も"アポロ"が色褪せないデビュー曲であり続けているからこそである。
20年前の今日、大袈裟にいえば世界が変わった。初日のレポで"アゲハ蝶"か"狼"どちらをシングルにするかという話で、もしこれが"狼"だったら僕の人生は変わっていたかもしれない、と書いた。
"たられば"をいくら書いても意味はないとわかっても、もし"アポロ"がなかったら。もし、そうだったら今のポルノグラフィティはおろか、僕らの人生を変えてきた曲たちも生まれなかったかもしれない。
この2日間、そんなことばかりを考えてしまう。
ライヴレポ②
"n.t."
そのイントロに、驚きの声と歓声が上がる。
初日は岡野昭仁による弾き語りで披露された"n.t."がバンドver.で演奏されたのだ。曲目が変わる驚きもあれば、こうして全く違うアプローチをしてくれるというワンダーも待っている、油断できない。
初日夜に相棒と話したけど、奴がようやく聴けた"n.t."にすこぶる感動していて、「あとはいつかバンドバージョン聴けたらいいな」なんて話していたら24時間経たずに実現してしまった。世界がアイツに甘くないか。
弾き語りの良さとして歌に一点集中させる強さ、楽器が少ない分際立つメロディが聴けるという良さがある。対してバンドでは当たり前だが、演奏の厚みは格段に違う。イントロのAmのカッティングに絡む新藤晴一の単音フレーズ、鼓動を刻むようなドラムとベース、広がりをつくるキーボードとギター、歌を支える楽器たちによって、弾き語りとはまた違う歌の強さが生まれる。
たしか弾き語りの時もそうだったが、細かいアレンジで1番サビ前が一小節ほど"タメ"をつくるアレンジになっていて、それによってサビがより心震わせるものとなっていた。
中央の「アベンジャーズ」に出てくる星のようなメラメラと燃えるものは魂だろうか、闘志だろうか、昨日の"グラヴィティ"における三日月と空中ブランコの少女のモチーフもそうだが、1日しかやらない、1曲だけのための演出でもしっかり作り込まれていて、スタッフの力に驚かされるばかりだ。
"Twilight, トワイライト"
「Twilight」は斜陽としての黄昏の意味合いとして使われるが、「Twilight」は別の意味もある。それは栄光の後の衰退という意味合いである。
リリースされた2005年は、2001年の同時多発テロに端を発するイラク戦争が続いていた。あれから14年が経過し、世界は新たな局面を迎えている。今やかつての栄光に溺れる国などない。格差、資本主義の限界それは「Twilight」へ向かってしまう予兆なのだろうか。
もし人類が暴走の果てに行き着く場所が、世界にとっての旅路の果てになってしまうのだろうか。
敵はどこだ?行き先は?
僕らは戻れない旅を続けている。
その先にあるのはsunsetかnightmareかmoonlightか。
"Theme of “74ers”"
アウトロを引き継ぎ、そのまま新藤晴一のあたたかみのあるギターが響く。「74ers」でも冒頭は何かを導くような曲として流れるが、本編最後には希望溢れる曲として流れる。
世界がどうなろうとも、今が「Twilight」への旅路だとしても、夜がまた朝になるように、季節がまた巡るように、そこに新しい希望は残っている。
そして、また小鳥が鳴く。もう朝になったのか。
昭仁:小鳥が鳴いたらワシ1人になるということで、1人でやるわけですけど。聴いてもらう曲は、この曲が出来た時に手応えみたいなものがあって。早速レコーディングして、NAOTOさんに来てもらって1日であの印象的なフレーズを弾いてもらって、とても良いかたちになりました。そんな曲を聴いてください。
"瞳の奥をのぞかせて"
告げられた曲名に会場が沸く。10年前、この場所で初披露されたのが"瞳の奥をのぞかせて"だった。岡野昭仁作曲の三拍子の軽快なリズム、 軽やかだがどこか哀愁漂うヴァイオリンに、新藤晴一の十八番ともいえる、もどかしさが伴うビターな恋愛模様を描く歌詞が特徴だ。2015年のツアー「The dice are cast」では中盤の"ヘソ"として、オペラ風のアレンジがなされたこともあった。
今回は弾き語りのアレンジとなり、「The dice are cast」ツアーのようにしっかり間を取った歌に聴き惚れていた。場内もそんなムードが漂っていた。ところが1番が終わり間奏になったところで、センターステージ付近の観客がざわつきだした。一拍遅れて視界に入ったのは、岡野昭仁の後ろから現れた遠くからでもよく見える、その金髪。
ざわめきが伝染していった。そして誰もが姿を見てから少し遅れて浮かんだ名前に、大いなる歓声を上げた。それは、ヴァイオリンのNAOTOであった。
正直、初日のゲストがホーン隊だったこと、2日目はNAOTOのスケジュールが空いていたこと(といっても前日は別の仕事あるんだから大変なことは間違いない)もあり、予想していたファンも多かっただろう。僕も、2日目は行けないNAOTO推しの母に出るかもということを伝えると「許さない」と言われてから家を出た。
しかし、誰がこの展開を予想できただろう。この演出はどうやら岡野昭仁の発案らしい。この男は本当に、ここ一番でそういうことをやってしまう。悔しいが、完敗である。何にかはわからないが。
その姿に、これから起こる曲の展開が一瞬で頭を巡る。しかし、想像は想像に過ぎないのだ。いざ、その音色が東京ドームの空気を震わせた時、その旋律が心の琴線をなぞった。
この音だ。何がと言われたら説明できない。けれどNAOTOの奏でるヴァイオリン、この音が僕にとって美しいヴァイオリンの音色だった。
NAOTOのヴァイオリンには音楽への溢れる情熱と愛情があると同時に、優しさがある。この人でなければ、この音は出せない。その音がポルノグラフィティのライヴを支えてきた。言わなくてもわかっていることだが。だからこそ、東京ドームには悲鳴に近い歓声が上がったのだ。
サポートを離れしばらく経っているNAOTOは「The dice are cast」の追加公演で、スポット的にカルテットとして戻ってきたのが最後だろうか。けれど、全くそれを感じさせない。当たり前ではないか、離れてた時間よりも、共に音を奏でた時間の方が、こんなにも長かったのだから。いや、その信頼関係の前には時間さえ関係ないかもしれない。
広い東京ドーム、真ん中で一人歌う岡野昭仁。1番を聴いた時に、弾き語りによって剥がれ落ちた剥き出しの心がそこに写り、一人遠い星空に手を伸ばそうとする主人公の気持ちが表れているように見えた。
しかし、NAOTOが登場したことで、主人公の孤独がより一層強くなったように感じた。ファンからすれば、当たり前のようにいたNAOTOという存在、それがなくなってから想いは強まるばかりだった。人はいつだって失くしてから大切なものに気づく。そこにいないからこそ、その人が恋しくなる。
同じだ。
ないものねだりで、ワガママな僕らファンという存在と。その歓声には、「ありがとう」には、今まで伝えられなかった想い全てが詰まっている。
それを実現したのは、ポルノグラフィティがポルノグラフィティで在り続けたからこそだ。
ちなみに帰りに母へ2日目に出た旨を報告したら「そのまま地獄に落ちてきなさい」というあたたかい言葉を貰った。
この空気を真空パックして残してアポロと共に放たれたい、そう願うような気持ちで見届けたセンターステージ。そこに小鳥の声と、あのイントロが流れる。
"ウェンディの薄い文字"
場内はNAOTOの登場とはまた違った意味で歓声が上がる。
"Hey Mama"もそうだが、あどけない少年少女のストーリーは、新藤晴一のたどたどしさ漂うヴォーカルが本当によく合う。
今の岡野昭仁ならやれそうだが、少なくとも発表された当時だったら、今年の漢字一文字くらいしっかりした字を書くウェンディになっていたと思う。
新藤晴一は普段わりとキリッとツッコミ入れたりするのに、歌い出すと声にフリルが付いている。途中で原曲にはない軽いテレキャスによるギターソロが入ったりして、久しぶりに再会した幼き少女の成長を見届けるような気持ちになる。
ライヴレポ③
バックには総勢12人のストリングス隊、NAOTO率いるNAOTOストリングスが美しい音色で東京ドームを酔わせる。その音色がふと止んだ時、切り込むようなギターリフで一気に持っていかれる。
"リンク"
反則だ、こんなの。興奮しない訳がない。只でさえ大切で大好きな"リンク"なのだ。そのイントロが鳴らされる度に心震わせていたのに、こんなアレンジ泣けるに決まってる。
思えばこんなにもストリングスが強い曲だったではないか。ライヴでも何度となく聴いてきたが、ヴァイオリンだけでない、弦楽団ならではの厚みある音色がスリリングな曲調を引き立てる。
切々としたAメロから展開し、解放感あるサビに入った時に、そこに大きな包容力を感じる。
「愛」という名の心に刻まれたしるしを
僕らは今 指先でなぞるように確かめ合う
真実はこんなにも「ぬくもり」を持っていて
君と僕の繋がりを重ねた手で通わせてる
真実とは何だろうか。これまで何度も確かめ合ってきたではないか。それは初日にも感じた、あのフレーズ。
たった一つの音にさえ真実があるんだよ
それを追いかけてここまで来たんだけど、僕のはどうかな?
~"ダイアリー 00/08/26"
真実は音の中にある。その真実を求め、ライヴで確かめ合うように心を通わす。
自分の手を重ねても悲しみが行き交うばかりでも、悲しみも喜びも持ち寄って互いに重ね合わせるのがライヴという空間だ。
昭仁:スペシャルゲストNAOTOストリングス!
一緒にやるのは、これなら皆さんも一度は聴いたことがあると思う、2000年の曲。タイトルは日本語で「情熱」……?
晴一:(違うという顔をするが、それよりもツボったらしく大ウケ)
昭仁:「情熱」じゃない?あ「郷愁」?
晴一:(口を手で押さえて大爆笑)
みんなどの曲か既にわかっているにしても、それはきっとミリオンヒットで、自身でとんでもない回数を歌っているはずの曲。
"サウダージ"
かと思えば、いざ歌が始まるとその表情は一変して切々とした想いを歌う。ヴァイオリンのフレーズだけでも切ないのに、オーケストラが支えるそれは更に「郷愁」を増す。
受け止める5万の想い。
それぞれが、それぞれの"サウダージ"を見ていた。
あの日、横浜スタジアムで新藤晴一は「あそこのホテルに別れ話をしているカップルがいたらさっきの"サウダージ"で追い討ち掛けちゃうね」と言った。
またある日は「"サウダージ"を創ってくれてありがとう」と言われた話をした。
曲は受け取った人の心で育っていく。それぞれが一度は耳にしたことのあるであろう"サウダージ"は、一人ひとりの心で違う花を咲かせている。
だからこそ、ポルノグラフィティで最も売れたシングル、最もカラオケで歌われている"サウダージ"にどれだけの想いが乗せられたことだろう。
ヒットソングにはヒットソングの理由がある。そして、ヒットソングでしか描けない景色がある。ファンでない人も想いを重ねたであろう"サウダージ"に、そんなことを考えてしまった。
初日は登場しなかったレスポールのサウンドも抜群であった。
"ブレス"
もはや何度目かわからないが、イントロだけで泣きそうになる。
「ブレス」のシングルがリリースされたのは1年以上前。ライヴで演奏されたのは、おそらくあの1回だけだったと思う。その1回とはつまり、20周年のキックオフ「しまなみロマンスポルノ」である。
しまなみの空の下、雨を受けながら聴いた"ブレス"。温かい曲だけれど、そのメッセージは決して優しいだけではない。
「自分の道は自分しか進めない」それは残酷なまでに突き放した優しさだ。どこまでいっても、君は君でしかないし、道は君が決めなければならないと伝えることでもあるからだ。けれど、"ブレス"は決して背中を押してくれる訳でもないけれど、最後までそこで寄り添っていてくれる。
ありのままでいい、そんなメッセージは世の中には溢れている。しかし、僕は"ブレス"以外に励まされるものはない。それは、どこかの誰かが書いた言葉ではなく、他ならない新藤晴一の言葉だからだ。これまで新藤晴一という男の言葉と共に生きてきたからこそ、その言葉の意味の優しさと重さを感じる。
言葉の意義は誰が言うかで決まる。僕がここまでダラダラと書いてきたことよりも、根岸さんとかはるかっぱ(エドサリ)のツイートの方がよっぽど多くの人を動かすことと同じだ。
昭仁、晴一20周年おめでとう🎊— 根岸孝旨 (@negimisoitame) September 7, 2019
構成も照明も音も全てが日本トップクラスの凄いライブでした👏
明日も皆んなでブチ上がってね💪
そうそう自分のカードもらってないんだけど😢 pic.twitter.com/I5H8hJypTW
— はるか (@retrock_haruka) September 8, 2019
新藤晴一の言葉で、僕の人生は変わった。この言葉たちがなかったら、僕はこんなに歌詞と向き合う人間にはなっていなかっただろう。だからこそ、そんな男が書いた「ありのまま 君のままでいいんじゃない」という言葉は、大袈裟に言えば救いだった。初めて"ブレス"を聴いた時、職場で涙が止まらなくなったのは、そのためだ。
タイミング的にもライヴではちょっとやりづらい曲かと思うので、こうして聴くことができたことが、本当に嬉しかった。
それにしても、1番サビでどうするか迷ってる人が多かったのも印象的だった(最終的にはワイパーに落ち着く)。
東京ドームライヴレポというより、脱線を繰り返す独白と化してきたが、どれだけの人がついてきてくれているのだろうか。
ライヴレポ④
"愛が呼ぶほうへ"
初日は岡野昭仁のMCがあり、最後に曲名も言われたり、MCの内容からも"愛が呼ぶほうへ"が来ることを構える時間があった。しかし2日目はMCなく、NAOTOストリングスによるイントロがそのまま流れるアレンジとなっていた。
"ブレス"でじんわりとした気持ちになっていたのに、容赦なく追い討ちを掛けられる。流れでいけば初日と同じタイミング、けれどアレンジが違うだけで、その表情は全く違う。
この1年で、幾度か"愛が呼ぶほうへ"を聴いた。しまなみの空の下、映画館越しに見た高校生たちとの歌、Amuse Fes、東京ドーム初日、そのどれもが特別で、何一つとして同じものはなかった。
何度も聴いた曲なのに、こんなにも豊かな表情を見せてくれる。なぜだろうか。それは、岡野昭仁が繰り返し伝えてきた「みんなの手で大きくなった曲」だからではないか。そう、愛とは様々な表情で、僕らのすぐ傍に佇んでいる。曲への想いは日増しに増えていくばかりなのだ。これから先も、もっと大きな愛に包まれる曲になっていくのだろう。
たとえばトロンボーンは「神の楽器」と呼ばれ、トランペット(ラッパ)はヨハネの黙示録で終末を告げるとされる。ちなみにラッパを吹くのは"天使"である。
たとえばライアーという楽器がある。起源はリュアーという楽器で、ギリシア神話の神ヘルメースが発明されたとしている。弦楽器の起源とも呼べるかもしれない。
それほど、音楽は古代から様々な形で受け継がれてきた。
初日のホーンアレンジには祝福や祝祭を感じ、2日目のストリングスアレンジにはアガペー(神の人に対する愛)を感じた。なぜかというと、昔これを書いたからである。
"愛が呼ぶほうへ"の歌詞の意味をストーカーという奴を俺は許さない
"愛が呼ぶほうへ"という楽曲は、ファンによって大きくなった部分もあれば、それだけでは説明できないほど、大きな意志に導かれているような気がしてならない。
「神VS神」というタイトルにそれを感じたことが、偶然とは思えなくなった。それは僕のいつものこじつけかもしれない。けれど、そう思わされるほどの喜びに満ち溢れた瞬間だったのだ。
昭仁:ここまで楽しんでくれていますか!次はヘビーロックで、みんなを、屍にしてやります!"Zombies are standing out"!
"Zombies are standing out"
曲名が告げられた瞬間の割れんばかりの歓声。みんな、この光景を待ち侘びていた。5万人にぶつけられる、脳天揺さぶられる強烈な一撃。イントロではスクリーンに左右を見渡すように動く眼球が映る。初日"渦"でそれが目でもあると気づいたが、2日目にして直球でそれが示された。僕は一人「バイオ!バイオ!」※と興奮していた。
※
初日は演奏されなかったが、2018年にリリースされた強力な曲たちが、ROCK IN JAPAN FESや東京ドームを舞台でヒットソングたちと肩を並べて演奏され、同じように盛り上がる。おそらく"Zombies are standing out"に関しては随一と呼べるほどだ。
ファンがファン以外に伝えたいポルノグラフィティの姿、ラテンの曲たちだけでなく、ポルノグラフィティはこんなにも多彩な楽曲があって、こんなにもロックなんだということ、それを全て体言してくれるのがこの曲だ。
初日は"ラック"で上がった炎がここでも上がる。全てを焼き尽くすように、ゾンビがもたらすイメージはまさに終末。ノストラダムスの予言が的中していたら迎えていたかもしれない20年前の光景。
しかし、終末を迎えなかったとしても、ただ何も考えずに生きること、それはゾンビと何も変わらない。それは"ブレス"におけるメッセージ「自分の道は自分しか進めない」ように、自分の意志を意思を失った瞬間、人はゾンビと変わらない存在になるということでもある。
と言っても僕は聴くと知能指数が0.02くらいのコンドームみたいな数値になって「ゾンビ、カッコイイ……」と呟くだけのゾンビになっていた。
"サボテン"
シンセサイザーを効かせたアレンジで、入りで思わず「うへ」と変な声が出た。
ポルノ展では"小さな鉢のサボテン"の映像が見れたり、直筆の"サボテン"のインディーズ時代の歌詞が何バージョンか展示されていた。最終的に何パターンあるのかわからないが、こうして歴史を見てきたのもあって、この"サボテン"への感慨深い気持ちはとても強まった。
インディーズ時代からあった楽曲だが、大切に温められ、世の中がしっかりとポルノグラフィティの音楽を受け止めてくれるというタイミングでリリースされた。
"愛が呼ぶほうへ"が多くの人の手によって大切に育てられた楽曲ならば、"サボテン"はメンバーによって大切に育てられてきた楽曲なのだ。
"サボテン"を聴いている間、東京ドームという大舞台だということを忘れ、小さな部屋の窓辺に置かれたサボテンの光景がずっとボンヤリ頭に浮かんでいた。
"ヒトリノ夜"
ストリングス隊が再び戻り、"ヒトリノ夜"のスリリングなイントロを奏でる。"アポロ"ほどのヒットはなくても、"ヒトリノ夜"へ強い想いを抱いている人は多い。そのイントロを受けた歓声が、普段とはまた違う種類のものになるのを感じられる。
それを表すように、前にいた男性がそれまでもとても盛り上がっていたけど、跳び跳ねるほど喜んでいた。こういう光景、自然と笑顔になれて本当好き。
このステージで"ヒトリノ夜"が歌われることは、特別なのだ。"ヒトリノ夜"はNAOTOが初めて、ポルノグラフィティと関わった曲だからだ。
"ヒトリノ夜"におけるヴァイオリンは、とても印象的であり、ポルノグラフィティの楽曲にまたひとつ大切な要素となった重要なポイントなのである。
サビでは「唄え!」の声と共に東京ドームに5万人の"ヒトリノ夜"が響く。
僕がよく名前を出すアーティスト、ハルカトミユキが初めて日比谷野音でやったライヴが「ひとり×3000」というテーマであった。少し長いがその声明文を見て欲しい。
自分は負け犬だって思ってる人、友達がいない人、家から出れない人、
いじめられてる人、それを誰にも相談できない人。
ぼっち
例えば、ハルカ、ミユキ。
自分の居場所がないと感じてる人、コミニュケーションが下手な人。
ひとりひとりは、どこまで行っても、ひとりでしかないけれど、
ひとりぼっちも、あつまれば、
それは、もはや‘ひとり’ではない何かで。
3000 人の‘ひとり’に、
私達2人を加えた、
3002人の‘ひとりぼっち’が
日比谷の野音に大集合して、
星空を見上げてみたっていい。
錆びつくくらいなら
一瞬の光を放ち、燃え尽きよう
流れ星のように
ハルカ と ミユキ
"サウダージ"の時に触れた話の続き。
たとえば「サウダージ」や「アゲハ蝶」がミリオンヒットだとしても、「100万人のために唄われたラブソング」ではない、100万の心に届いたラブソングなのだ。もしCDを買わなくても、聴いた人の胸にその人の"サウダージ"や"アゲハ蝶"が宿る。
ヒトリノ夜で歌われる孤独。誰もが一度はそんな夜があるだろう。どれだけ親しい人がいても、どれだけ寄り添っても、ひとつにはなれない。そこには2つの月が並んでいる。人は最期には孤独を迎えるのだ。
5万人とは、統計の数字でしかない。そこにいたのは、5万人の"ひとり"、それぞれの孤独と繋がりを経て、ここに集まった。その意味を、噛みしめる。
"瞬く星の下で"
ピアノの一音から世界に引き込まれる。こちらもオケが厚みを増したことで、楽曲の世界観がより広がった楽曲だ。新藤晴一によるギターアプローチも堪らなく好きなこともあって、この曲をこうした形で聴くことができて嬉しかった。
大人になってから「信じる」という言葉をどれだけ使っているだろう。その中に本当に信じられるものはいくつあるだろう。ましてや自分をどれだけ信じていられるだろう。そう多くはない信じられるものを胸に。それでもポルノグラフィティを信じてきた日々が正解だったと思えること。
ポルノグラフィティがメジャーという荒野の中で「行く先を示してきたもの」とは、THE WAYを歩いてきた足跡でもあり、気づいたら指をさして示してくれた存在なのではないだろうか。
"ハネウマライダー"
ホーンの高まるアレンジも素晴らしいが、ストリングスによるアレンジも負けてはいない。まさに「神VS神」のように"神"アレンジに酔いしれる。
2番でハンドル切ったあとに、なぜかそれをひたすら続ける岡野昭仁。途中から正拳突きに見えてきた。というかそのせいか最後の方でうっすらと「せい!せい!」と言っているように聞こえた。
センターステージ花道で「たとえばここにおるお前らと!」と叫ぶ岡野昭仁。ライヴの定番ではあるけれど、20周年の東京ドームの真ん中で叫ぶそれに詰め込まれた想いは軽いものではない。
普段は謙虚の化身みたいな岡野昭仁だが、歌ってる時だけは僕らを「お前ら」と呼ぶ。ちなみにMCでは大抵「君たち」「あなたたち」になることが多い。
その「お前ら」という言葉は、上から目線で言われるものではない。神VS神であると同時にこれは、人VS人なのだ。
対等に向き合う存在、それを認めてくれたこと、それが「お前ら」という言葉にはこもっている。※歌うとドS化するヴォーカリストへのマゾヒズムがポルノファンに発動するということももちろんある。
没入感からは少し遠いバルコニー席から見ていた初日から、2日目はこうしてエキサイトシートでアリーナの熱もスタンド熱も感じれる真ん中にいれたことで、よりそのタオルの渦に巻き込まれた一人になれた気がした。
"アゲハ蝶"
ツースリーのクラップもまた、より大きく感じれた。
9月だから厳密にいえば夏ではないが、まだ夏の名残が残る日の夜に舞い飛ぶアゲハ蝶。この日、昼に横浜に行って、山手の洋館の庭に遊ぶアゲハ蝶を眺めていた。
ポルノグラフィティに出逢えた、それだけで人生が救われた。大袈裟かもしれない、しかしポルノグラフィティがいなければ、今の自分はない。それほど自分が一方的な想いをぶつけている(心理的にはほぼ"見つめている"のストーカーではないか)のに、この2人は僕らを認めてくれて、君たちがいたから僕らがいるとさえ言った。
あなたに逢えた それだけでよかった
世界に光が満ちた
夢で逢えるだけでよかったのに
愛されたいと願ってしまった
世界が表情を変えた
世の果てでは空と海が交じる
人生で何度聴いたかさえ分からないフレーズ。けれど、そこに"共感"という想いを抱くことはあっただろうか。
十数年好いてきたアーティストが、ここ最近で何度も僕らのことを「君たちがいたから」と言ってくれる。無論、ほとんどのアーティストはファンによって支えられている。言うも言わずも、その気持ちはどのアーティストも持っているだろう。
それでも20年という月日を経て、アーティストもファンもお互いに誇り合える関係は、そうないのではないか。
"アゲハ蝶"の中に変わらない自分と、変わった自分が写る。あの日の自分と、歳を重ねた自分、同じ感動と、今でしか味わえない感動。
夏の夜に舞い降りたアゲハ蝶、喜びも憂いも秘めたその羽が、ここまで連れてきてくれた。
"VS"
VSそれは何との戦いだろうか。かつて無邪気な地図を描いた自分だろうか、壊すべき世の中と上手くやれてしまってる自分だろうか、かつて憧れたロッカーだろうか。
ポルノグラフィティはいつも戦ってきた。同じことをすることなど、ほとんどなかった。戦い続けてきたのは、昨日までの自分。だからこそ、昨日東京ドーム公演初日を大成功させた自分たちさえ、翌日の自分にとっては越えるべき相手となる。
金色の吹雪を浴び、誇らしげに最新曲を歌い上げたポルノグラフィティ。初日に「スゲー」としか言えなかったポンコツの知能指数もいよいよ0.01を下回り、「ありがとう」しか言えないポンコツになっていた。
ここまで何万字と書いてきた人間が言うのもどうかと思うが、この2日間には感謝の言葉しかなかった。
いつか、この日さえ過去の自分になる。これからポルノグラフィティと歩む日々がどれだけ続くだろう。これから先も、きっと新しいポルノグラフィティがそこにいる。
いつの日か、ポルノグラフィティと出会った少年が、このライヴ映像を見て魂を震わせる瞬間が来るかもしれない。もし、この先に旅路の果てがきたとしても、その音楽は変わらずそこに残り続ける。受け継がれていく。
なぜなら、天国へ旅立ったミュージシャンたちに、僕らはこんなに想いを馳せているではないか。音楽に終わりはない。
同時に、歳を重ねて尚変わらぬロックンロールを奏で戦い続けるロッカー達もいる。そのハツラツとした姿に、歳を重ねることが辛いことではなくなった。歳を重ねることが老いることではない、魂が若ければ人は真に老いることはないのだ。
ライヴレポ~アンコール~
昭仁:アンコールありがとうございます!そない、卑猥なカタカナ3文字を叫んでくれたんなら、アンコールやるよ!晴一カモン!
晴一:……福山雅治がおりてきますように
(弾き始め、めっちゃ"的な"顔を意識した表情をするが、自分で笑ってしまう)
晴一:これ、怒られるやつ?
と言いつつ、結局またやる(しかも舌舐めずりまでする始末)。もう直々に怒られてしまえ。
"オー!リバル"
初日の反省を踏まえてか、歌の最中の空気銃はなくなった。そのお陰で無事に歌詞間違いも飛ぶこともなくなった。そういえば、2日間を通しても、細々あった気はするがそんなに歌詞間違いもなかったのではないか。正直2日間で50曲以上演るならもっとぐちゃぐちゃになると思っていた。
今まで"オー!リバル"はどちらかというと熱量の高い演奏をしてきた。一応補足するが、もちろん熱がないという訳ではない、熱はありつつもそれを鳴らす喜びが更に強まっているように思えたのだ。
そこで1つ思い出した。
2日目は全て見れていないが、客いじりでも子どもの姿も映っていた。
コナンを、ポケモンを、マギを、もしかしたら初日はハガレンを見てきた子どもたちかもしれない。そんなアニメの主題歌になってきた曲たちが、子どもたちまで楽しめる曲になっていたのかもしれない。少しでも喜んでくれたなら、
先にも書いた想いは、そうしても受け継がれていくのかもしれない。
"Before Century"~"Century Lovers"
フロートに乗ったまま、2日目も恒例の儀式に。それにしてもエキサイトシートからフロートの距離がめっちゃ近くて驚いた。"オー!リバル"の時、新藤晴一のギターガン見してしまった。当たり前だが岡野昭仁もめっちゃ近い。
だが、たった一つ大問題があった。「スタンド!」「アリーナ!」と煽る岡野昭仁だが、エキサイトシートは、どっちだ。隣と顔を見合せる。エキサイトシートみんな困惑していた。今も正解がわからない。
この後のMCでも言っているが、「もっと!」と言えば言うだけ、本当にもっと大きくなっていく。それは常々あることなのだけど、それでもこの夜は違った。
感覚的な話になってしまうが、この日の「Fu-Fu-」は、最初からかなり大きかった。身体にビリっとしたものを感じてしまうほどだ。いつもであれば「もっと!」の先に辿り着くような大きさであった。それが岡野昭仁が煽るほどに、まるでボリュームボタンをひとつずつ押すようにまだ上がっていく。
5万人の力とはそういうものなのだ。"ひとり"を持ち寄った5万のひとりたちは、「もはや‘ひとり’ではない何か」となっていた。
そんなパワーを受け止めた東京ドームに"Century Lovers"が轟く。終わりが近づく。だからこそ、ここに後悔を残さないよう、誰もがまだ叫び、跳び跳ね、踊る。
ディランはこんなふうにうたってる
そうさ「答えは風に舞ってる」って
ボブ・ディランは"Blowin' in the Wind"(風に吹かれて)について、こんな言葉を述べている。抜粋したが、Wikipediaにも全文載っているので、興味がある方は覗いてみて欲しい。
ただ答えは風の中で吹かれているということだ。答えは本にも載ってないし、映画やテレビや討論会を見ても分からない。風の中にあるんだ、しかも風に吹かれちまってる
肌を焦がすような南風が吹いた。そこで向き合うのは鏡の向こう側、ライバルと呼ばれる存在、そして昔の自分。そんな風の中で。時には風さえ「行くあてがない」と泣く。
風に吹かれ流される。"Blowin' in the Wind"の日本語訳は大抵「風に吹かれて」と訳される。Blowinには「舞う」という意味はない(はず)。
もちろんニュアンスは同じだし、響きとメロディへの当てはまり方で新藤晴一は「風に舞ってる」としたのだろう。答えは「ひらりひらりと舞い遊ぶように」姿を見せるのかもしれない。
「ただ答えは風に吹かれているということだ」、音楽には正解はない。だからこそ、自分なりに正解の線を定め、その線を基準に正解にしていくしかない。
自分なりの答えを正解にして、宛名のない手紙に込める。それはどこに向かうかわからない風に託すようなものだ。それを受け取った人が、また自分の線で正解を決める。
初日、新藤晴一は言った。
大変な時期もあったし、上手くいかない時期もありました。でも、20年でこうして東京ドームに立てているってことは、その全てが正解だったと思っていいんでしょうか。君たちがその全てを正解にしてくれるんでしょうか。
答えは、東京ドームに吹き抜けた熱い南風が教えてくれる。
その答えのひとつが、"オー!リバル"のイントロでギタリストが遂にやりおった股間パフォかもしれない。
☆メンバー紹介
最終日ということで、紹介と共に今回はサポートメンバーからもコメントがあった。
tasuku:今日はどうもありがとうございます。東京ドーム初めて立たせていただきました。ここまで連れてきてくれて、本当にありがとうございます
昭仁:声、小っさ!
皆川真人:「UNFADED」ツアーの時には人生の就活を考えてました。けど、今日こんな景色を見せてくれて、音楽やってきて良かったと思います
nang-chang:デビュー当初からやらせてもらって。テンションが高すぎず低すぎずやってきました。20周年でこうして東京ドームに立てて、次は、30周年ですかね?立てたらいいなと思います。これからもポルノグラフィティをよろしくお願いします
須長和広:20周年の舞台ということで、たくさん準備してきました。リハーサルでは想像つかなかったような景色でやれて、感動しながら弾いてました。ありがとうございます
野崎真助:nang-changの次に古株になりました。長いことやってきましたが、僕は動けないのでずっと後ろから2人を見てきましたが、今日はすごい感動した……
最後の言葉は涙とともに語った野崎真助。
昭仁:スペシャルゲストNAOTOストリングス!(1人ひとり紹介してから)代表してNAOTOさん一言お願いします
NAOTO:ご無沙汰しております。そしてポルノグラフィティのお二人、20周年おめでとうございます。10年前にもこのステージに立たせていただいて。それから更に素敵なお客さんたち、今回は2日間ですからね、そんなお客さんたちの前で演奏して、タオルを見た時に、さっきの真助ちゃんじゃないですけど、だいぶヤバかったです。
最近ご一緒できておりませんでしたが、心はいつもポルノチームのつもりです
昭仁:そして、スペシャルゲスト本間昭光!"一言"お願いします
晴一:一言ですよ?
本間:20周年、おめでとうございます。デビューから走ってきて、ちょっと距離を置こうということになりまして。寂しいという訳ではないんだけど、家に帰って泣けてしまいまして。でもこうしてまた一緒にやらせていただいて、ありがとうございます。
これからも走り続けると思いますが、時には休んで、とにかく、続けてください。それが大事です
野崎真助が言葉にサングラスの下の涙を拭った時に、胸に熱いものが込み上げてきた。ポルノグラフィティとファンの20年だったと共に、それはポルノグラフィティを支えてきたミュージシャンたちの20年でもある。
どれだけのミュージシャンが関わってきただろう。サポートメンバーはもちろん、スタジオミュージシャンたち、その周りでさらにそれを支えるスタッフたち。本当に、多くの人によってポルノグラフィティは支えられている。
アーティストによっては、サポートはあくまでもサポートで、それに徹するというスタイルもあるだろう。けれど、ポルノは、1回1回全てが"バンド"になる。
離れたサポートメンバー同士が今も仲良くしていたり、新しいことを始めてみたり、ファンもサポートメンバーたちのおかげで音楽の視野がかなり広がった。そんな関係にしたのは他ならぬ、中心にいるポルノグラフィティの力なのだろう。
ポルノグラフィティが挑戦を続けるということは、それを支えるミュージシャンたちも挑戦なのだ。特に近年の多彩な楽曲を叩きわけてきた野崎真助の功労はどれほど大きいものか。
ドラムはバンドでも基礎の土台となる最重要のポジションだ。ジャンルなし、容赦なしのポルノグラフィティの飽くなき旅路に付き添うのは、容易いことではないはずだ。
長い付き合いだからこそ、その言葉たちの重みと感動は大きい。
それはプロデューサーとして支えてきた本間昭光も同じである。支えてきた人たちからこんなにも愛されているのがポルノグラフィティなのだ。
そして、ギタリストの紹介へ。
晴一:ありがとうございます。これからのことも言えるんだけど、やっぱこういう場だから思うことがあって、ポルノグラフィティは高校の文化祭から始まって、そこから地続きできてるのね。だから、続けてきますってこともあるけど、その青春を汚したくなくて。だから本当にポルノとしてやりたいことをやってるか確認しながらやっていきたい。そうした姿で皆さんの前に立ちたいと思います。
そして最後はもちろんこの人。
昭仁:こうして20年やってきて。どう思うんだろうと思ってたんです、僕は現実的な人だから? それでもね、今日は、キたよ!今までも熱い姿を見てきたけど、今日ほんまにみんなのデッカイ声を聴いて、今までの20年があったからなんだなと思えました。
偉そうなことを言ってしまうけど、よくやってきたと思うんです。何かになりたいかとかじゃなくて、何かになれるんじゃないかってだけ信じてここまでやってきました。だから偉そうだけど、何か信じれるものがひとつあれば、こんなに素敵な景色が見れるようなことが起きると思います。
本当、何度でも言います、素晴らしいファン。何回でも言います、君たちがポルノグラフィティを求めてくれるから、僕らはやってこれました。なんて、なんて居心地が良い場所なんだここは!けど、その居心地の良さに甘えず、これからもやっていきます!
涙の確変が止まらない。メンバー紹介だけで、何回泣かせるつもりだ。
岡野昭仁という人は本当に。歌えば「お前ら!」と言うのに。本当に、どこまで謙虚で優しいの。きっと5万人が思っただろう、その言葉は全く偉そうなんかではない。むしろ毎回のように知ったようなことを書いてる僕のような人間のがよほど偉そうだ。灰になりたい。
自分自身でもこの日の声の大きさに驚いたのもあって(横にいた、事あるごとに叫ぶ五月蝿い男は除く)、このMCがとても共感できるものだった。
横浜アリーナの、あの日。東京ドーム公演の発表がされた日。
「ワシらに格好つけさせてくれ」
岡野昭仁はそう語った。
満員の東京ドーム、そんな事言わなくったって、あなたたちは本当に格好いい。僕が何度も憧れた、あのロッカーの姿そのものなんだから。
憧れがいつまでも憧れのままでも、それはきっと夢を願ったままだから、ミュージシャンはいつまでも、張り切って。
止まらない 時間のなかで探しているんだよ 重なる声を
それはきっと奇跡のようなめぐり合いなんだと思うんだ
過去も現代も未来もたくさんの愛に包まれている Precious journey
~"プリズム"
奇跡はいつまでも続いてゆく。
"ライラ"
2日間、正真正銘最後の曲。
僕は、ここで燃え尽きることができなかった。
2日目の流れで思っていたことが、初日は中盤くらいでやった"ジレンマ"がなかったことだ。だから、2日目は"ジレンマ"が最後のパターンなのではと思っていた。「最後」とは言っても、そこでサプライズで「やっぱりまだ終わりたくない」と"ジレンマ"をやるかもしれないと、"ジレンマ"をやるなら、あわよくば……とも。
だから、ここで力を使い果たしていいのか、葛藤があった。そもそも体力が無さすぎだろうというのは、至極正論である。
「何が起きても」受け止められるつもりでいただけに、本当に"ライラ"で終わって、残念な気持ちになってしまったことも事実だ。
そんなモヤモヤが、心に引っ掛かったまま東京ドーム公演は終わった。もちろん、それが全てではなくて、それ以上の幸福と感謝の上でである。
最後の曲なのに懺悔を書いてしまった。
それでも"ライラ"はやはり楽しい。
晴一:思えばこの20年ポルノグラフィティで良かったなと思います。僕らを新しい景色を見せてくれたり、新しい場所に連れてってくれたりしてくれました。ポルノグラフィティが今の幸せの全てをくれたと思います。僕らにとってはそんな存在です。皆さんにとってポルノグラフィティは、幸せを与えられたのでしょうか。これからも色々あると思いますが、そんなときは、岡野さんお願いします……
という新藤晴一の言葉も、なんならソロ回しもっと長くてもいいのになと思う(20周年ライヴで一番盛り上がって声が出たのが「ウルトラソウッ!ハイ!」"でいいのか?どうしようもなく楽しい)
"ライラ"の全力投球、ステージメンバーの挨拶のあと、ファンファーレ、はっさくメガネのアナウンスが流れ、スクリーンには「祝 20周年」の文字。バックの音楽が"はなむけ"になる。ステージにはビールの売り子さんが現れ、2人にジョッキにビールを注ぐ。さりげなく最初に貰ったビールを相方に渡してやる優しさよ。
岡野昭仁がどれだけ謙虚な人間か、まだ疑心暗鬼な人はいないとは思うがダメ押しを書いておこう。この男は"ライラ"の中で「主役は君たちです」と言っていたのだ。20周年デビュー記念日の東京ドーム最終日で主役はあなたたちでなくてどうする。それでも、そう言ってくれるのが、岡野昭仁という人なのだ。
20周年を祝して乾杯。思いっきり飲もうとするが、あれだけのライヴの後でしっかり喉を通っていかない。途中まで飲んで2人してステージに座り込む。10年前、あれだけ大きかった東京ドームを、20周年の今2人は"ホーム"にしたのだ。
座りながら岡野昭仁はなんとか飲み干した、かと思いきや口からダラダラと垂れ流す。新藤晴一も呑もうとするが、こちらも飲むそばから口から溢れて垂れる。あれだけ格好良かった20周年ライヴの締めがそれでいいのか。
いや、これがポルノグラフィティなのだ。
たくさんのギフトと、たくさんの涙があった。
そんな2日間が終わろうとしていた。
しかし、本当の結末はこの後にやってきた。
ライヴレポ~エピローグ~
家に着いてから、そのツイートを見た。
— 白玉雅己 (@shiratamamasami) September 8, 2019
20周年、お疲れ様でした!そしてありがとう。
#ポルノグラフィティ #神vs神
「ありがとう」
東京ドームで枯らしてきたはずの涙がドバドバと出た。
なんて優しい言葉なのだろう。
彼もまたあの空間を共にした1人だった。
アンコールでメンバーが着ていたTシャツと同じTシャツの写真、それが何も言わなくとも岡野昭仁、新藤晴一、白玉雅己の変わらない気持ちを映していた。
そうだ。
たとえ同じステージで音を奏でなくとも、気持ちは変わらない。2人の届けたい人たち、その宛名には、もちろんその名前も書かれていた。それは決して薄い文字なんかではなく、とても力強い文字で書かれていることだろう。
それを想ったとき、自分の中で様々な想像が巡った。
岡野昭仁と新藤晴一が奏でた"サボテン"を、どう受け止めただろう。
そして"VS"に、何を想ったのだろう。
考えるほど、涙が止まらなくなる。
彼は、その瞳の奥に何を見たのだろう。
それを知る由はなくとも。
それでも。
「ありがとう」
白玉雅己の言葉に詰まっているような気がした。
彼もまだ闘っているロッカーなのだから。
以上が、ポルノグラフィティ20周年の東京ドーム公演の記憶である。
あわよくば「2日ともどちらも神レポ」と言われるように、と思って書いたが、想像以上に自分の想いが出てしまった。決して良いレポとは呼べないけれど、自分にしか書けない言葉たちが、ここに記されている。
それでも、MCや演出については、かなりの部分を色々な方のツイートを参照させていただいた。それがなければ、我が家で飼ってる金魚並の記憶力ではここまで書けることはなかった。これは、読んでいただいた方も含めた、あの5万人の記録でもある。改めて、全ての方に感謝を。
長い、あまりに長い文章をここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
セットリスト(公式HPより)
【9/8(日)公演】
M01 プッシュプレイ
M02 Mugen
M03 THE DAY
M04 メドレー
ミュージック・アワー
マシンガントーク
ヴォイス
狼
M05 アポロ
M06 n.t.
M07 Twilight,トワイライト
~Theme of “74ers”~
M08 瞳の奥をのぞかせて
M09 ウェンディの薄い文字
M10 リンク
M11 サウダージ
M12 ブレス
M13 愛が呼ぶほうへ
M14 Zombies are standing out
M15 サボテン
M16 ヒトリノ夜
M17 瞬く星の下で
M18 ハネウマライダー
M19 アゲハ蝶
M20 VS
【ENCORE】
EN1 オー!リバル
EN2 Century Lovers
EN3 ライラ
【おまけ】
晴一:気をつけて帰ってください
昭仁:皆さんはポルノグラフィティのファンで良かったと思いますか!僕はポルノグラフィティをやってきて良かったと思います!ありがとう!
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