シングルCDという形態はもう意味を為さない。
もはや音楽が好きな僕でさえ、そう思っていた。
けれど、ポルノグラフィティの50作目のとなるシングル「VS」を聴いて感じたのは何より、シングルCDを聴く喜びだった。
ポルノグラフィティ全シングルレビュー
50th「VS」
1. VS
作曲:新藤晴一/ 作詞:新藤晴一/ 編曲:近藤隆史、田中ユウスケ、Porno Graffitti読売テレビ/日本テレビ系テレビアニメ『MIX』7 月期オープニングテーマ
果たせない約束は、果てしない約束となる。
かつて描いた途方もない夢は全て叶わなかったとしても、だからこそまだ夢の中にいることができる。
発売して今一度歌詞をしっかり読みながら聴いていた。
今の自分を誇らしく思うこと。
大抵、人は歳を重ねるごとに何かを失っていく。
32歳になった僕は3階分階段を上がっただけで息が切れるようになった。
「さらざんまい」に影響を受けて久しぶりにペヤングの焼きそばを食べたら、胸焼けした(しかも普通サイズで)。
あの日の自分が見たら「オッサンになったな」と思うことだろう。
あまり誇らしく見せられる姿ではない。幸い「太ったらギター辞める」の掟はまだ守れているが。
それでも日々を笑い合って、想像できないくらいたくさんの音楽と出会った、いくつもの忘れられないライヴを見て、相変わらず友人とバカをやれてる今の自分がいて。
理想ではロト6が当たってニート生活をしてるはずだったけど、理想通りにならなくても、そう悪くないなって思える瞬間もたくさんある。
たとえば、今のポルノグラフィティは、あの日ロックに犯された少年にどんな顔を見せるだろう。
きっと、あの破天荒なロックスターではないことに、申し訳なさもあるかもしれない。それでも20年間メジャーの第一線を走って、憧れのスタジアムライヴをやってきて、夏フェスで6万人の前でステージに立ち、その集大成に東京ドームのステージに2日間立つ姿を、誇らしく思わずにいられるだろうか。
良いことを見つけることが大変でも、悪くないと思えることは、意外と辺りに落ちている。それを見つけていくことが、人生を重ねていくことだろう。
20年そこにいることさえ容易いことではない。
ましてや、今もファンに新しいポルノグラフィティを求められ続けていることなど。
懐メロと消えてくアーティストたちがこれだけいる中で、まだ自分を更新し続けるポルノグラフィティが今50作目のシングルとして"VS"と冠した作品をリリースしたことが、どれだけの奇跡だろうか。
そらいろに浮かぶ故郷は青空。
そんな空の下で音楽を奏で続けている2人は、きっとあの日の少年にも恥じることない姿を見せることだろう。
【深読み】
最近とても印象的だった話があって。
それはサカナクションの山口一郎が「SONGS」で語った初期衝動のようなピュアな衝動から生まれたような音楽を作れるようになりたいという話だった。
戦略では創れない衝動。
たとえば「無邪気に描いた地図」もそれだ。
何も知らないからこそ、途方もない夢を見ていられる。
だからこそ"VS"はそんな無垢をクレームもつけたくなるといいつつも、否定はしない。蔑むでもなく、自分と対等な存在(ある種の写し鏡)として見ている。
だからこそ「せーので走り出そう」だったり「こっち"も"戦ってんだよ」と共に歩んでいく姿勢が歌われる。それは、その衝動が今も"さめて"いないからである。
過去の自分も、今の自分も違っていて、だからこそまた新しい未来が描ける。
インタビューで「"VS"の歌詞はあくまでもフィクション」と言い切っていたことに、ちょっと違和感があって。
「夜ごと君に話した約束たち」とかどう考えても"ダイアリー 00/08/26"を意識した歌詞だったので気になっていた。
ひとつにはカップリングの"一雫"が更に純粋な"ダイアリー 00/08/26"へのアンサーソングになっていたのがあったが、それとは別に、自分の中でひとつの答えが見出だせた。
それは、ここで描かれる主人公は偶像としての「ポルノグラフィティの新藤晴一」の姿なのではないか。
度々「ポルノグラフィティはスタッフたち全員で創り上げているプロジェクト」という発言があった。
つまりはポルノグラフィティのメンバー2人だけでなく、多くのスタッフワークの集結によって創られる。
かつて憧れたロックスターの姿と同時に、創り上げられていく「ポルノグラフィティの新藤晴一」という偶像と、実際の自分とのギャップ。
それを俯瞰した視点から見て、そんな偶像(虚像)として大きくなったポルノグラフィティの新藤晴一の気持ちを書いたのが"VS"の歌詞なのではないか。
そして1人の人間としての「新藤晴一」(注釈は付くが)の純粋な想いを"一雫"の歌詞に乗せたのではないだろうか。
ポルノグラフィティ「VS」歌詞解釈〜夜ごと君に話した約束たち
以下はカップリングについて。
今回はカップリングにもテーマが定められている。
2. プリズム
作曲:岡野昭仁/ 作詞:岡野昭仁/ 編曲:近藤隆史、田中ユウスケ、Porno Graffitti虹というプリズム。
今回珍しくカップリングのテーマが決められており、岡野昭仁と新藤晴一2人の20周年の想いがそれぞれ語られる。
詳しくは後述するが岡野昭仁はとりわけ、しまなみロマンスポルノ以降の1年のファンとの関係について書いたという。
虹は空気中の水分に太陽の光が当たり反射することで生まれる。
空気中の粒たちは、僕ら一人ひとりなのかもしれない。
光と同じように音楽も目には見えないけど、僕らの身体を通ってライヴという会場で乱反射して光の色を生み出す。
それに必要な光をくれるのもまたポルノグラフィティなのだ。
たとえば"VS"の虹。
その輝き。
「BUTTERFLY EFFECT」ツアーで「ここからは未来についての曲」として披露されたのが"Rainbow"であり、そのリンクは"VS"の歌詞でも書いた。
その乱反射の輝きは"プリズム"にも繋がっていたのだ。
ここまでの道のりの答え合わせをしようと問いかける「UNFADED」ツアーの初日のMCで「今までの曲たちが色褪せてない?」という問い掛けの意味もあると語っていた。
同時に、生み出した音楽に意味をもたらしてくれるのが、それを聴いて受け止めてくれるファンという存在でもある。
アーティストもファンも、どちらも誇り合える関係がこうして20年という歳月がもたらされたものとするならば、答え合わせはできている。
余談だけど「プリズム」は"Montage"の「瞼の裏に残る鮮やかなプリズム」を思い起こさせる。それは、この後の新藤晴一作詞の"一雫"で「それは瞼の裏の光 遥か青春の日」歌われることに符号する。
意図せずとも、それぞれの曲同士で響き合う要素があり、デビュー20年を迎えた2人の視線が同じ方向を向いているということでもある。
夢か現か風か幻か
この言葉の並びが面白くて、ロジックで選んだのか、感覚的に書かれたのか、僕にはわからないが、この言葉たちで、あのフレーズを思い出してしまうことだろう。
むせかえるほど熱を帯びて吹く風は
あなたの髪も揺らしてますか?
限り無くは無限 夢幻が無限
遥かなる想いを吼える
~"Mugen"
そう、今がもし夢の中ならば、空架ける虹さえも越えていける。
それでも確かな現実にも熱を帯びて吹く風が吹く。
それはきっと、肌を焦がすような南風。
だとしたら「誰かの瞳の中 映る僕」は、鏡の中の男かもしれないし、あの日の少年かもしれない。
それにしても、このご時世にギターリフでここまで引っ張る曲が出てくるのが嬉しい。
【深読み】
「誰よりも高く飛べ」 息を巻き見上げた空
それは2018年のしまなみの空。
見上げた空は、雨に濡れていた。
それでもステージに現れたポルノグラフィティは、どこまでも空を抜けていくような、あの曲を演奏した。
誰よりも高く飛ぶんだ 精一杯その手伸ばして
憧れたその未来に もうすぐ届くはずだから
~"キング&クイーン"
夢と憧れ。
故郷の空に溶けていく歌声。その後に待っていた悔しい涙たち。それでも健気なファンたちの姿に感動し、この"プリズム"の歌詞を書いたという。
2日目の開催が中止となり、怒りの声が出てもおかしくないのに、ファンたちのほとんどが不満を言わずそれを受け止め、更にそれなら別の形で貢献しようとさえした姿に胸を打たれたという。
気づいたら指さして示してくれたのは君だった
あれから何度も言われた「僕らは本当に素晴らしいファンに愛されてる」という言葉を胸に、過去も今も未来もたくさんの愛に包まれている Precious journeyを進む。
それは、しまなみではないが、瀬戸内海に浮かぶ淡路島での夜。
見果てぬ夢より今は叶えた夢の方が多くて
これから僕に何ができるか悩ましいこともある
君の見る夢はどうですか?
~"ダイアリー 08/06/09"
"ダイアリー 00/08/26"のアンサーとして、当時の"今の"自分を表すために岡野昭仁が歌詞を書いた"ダイアリー 08/06/09"。
10周年ライヴの最後の最後に、2人だけで歌われたのがこの曲だった。
喜びの歌 歌っていても 憂いのギター弾いていても
探してるもの見つけよう 一緒にね
~"ダイアリー 08/06/09"
止まらない時間のなかで探しているんだよ 重なる声を
~"プリズム"
3. 一雫
作曲:新藤晴一/ 作詞:新藤晴一/ 編曲:篤志、Porno Graffittiハルラップ。
何気にこういう曲ってとても表現難しいと思うんだけど、3曲どれも、しっかり歌い分けて曲の世界を伝える岡野昭仁のヴォーカルの力量は、やはり20年、いやもっと長い間歌い続けてきた確かな過去がもたらしたものだ。
音楽的にはEDMを基調として、ザビ前のドロップだったりサビに向けてのドラムの展開だとか、EDMらしさがとてもあるけど、この優しいメロディが乗ると程好いバランスになる。
確かに"ダイアリー 00/08/26"を彷彿とさせるフレーズたち(ギターソロがスライドギターなのも狙ってると思う)は感動的だが、何より僕が胸を打たれたフレーズがある。
この旅路の果てで待ってて
新藤晴一という人はとてつもないロマンチストでありながらも、リアリストでもある。
ファンとして、ついて回るけれど目を背けたくなる現実。
いつかポルノグラフィティにも終わりが来る。
果てしない旅路はあっても、果てのない旅はない。
「旅路の果て」と言われた時に、とてもハッとさせられた。
必ず終わってしまうとは限らない。しかし、僕らは必ずいつか終わりを迎える。それは"VS"を聴いて上にも書いた「途方もない夢は全て叶わなかったとしても、だからこそまだ夢の中にいることができる」という言葉へのアンサーでありアンチテーゼでもある。
20年について書かれた曲の中に、こうした未来を含ませる新藤晴一という人が、僕はこの人の言葉には一生打ちのめされていくのだろうなと思わされてしまう。
興味深いことに岡野昭仁作詞の"プリズム"でも「journey=旅」という言葉がある。
改めて「旅」というものを見つめ直すと、ある曲が浮かぶ。
"ワンウェイチケット"
それは、決して映像には残っていない曲。後に"この胸を、愛を射よ"となる曲。僕らは皆ワンウェイチケット(片道切符)を持った旅人。
ツアーという旅たち。
だからこそ、これまでツアーやライヴで語られてきたことが、この曲に散りばめられている。
そして、その「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」のライヴで新藤晴一は語った。
音楽とは宛名を書かずにポストに手紙を入れるようなもの。
『誰か気に入ってくれるかな』と思いながら曲を書いて、それを投函する。誰にどう届くかは分からない。でもみんながテレビやラジオやコンビニの有線とかで受け取って気に入ってくれて、ここに来てくれている。
それを踏まえると、"一雫"の出だし。
宛名さえ書かずに 差し出した手紙みたい
僕らのうたは今 どこに響いているのだろう
という歌詞は、より感動的になる。
そしてその言葉が語られる前に演奏されたのは"ダイアリー 00/08/26"だった。
夢の中にいるには 目を閉じてなきゃ
薄目で周りを見たくもなるが
あれは15周年の「ラヴ・E・メール・フロム・1999」のオープニング。
「目を瞑る」という行為はネガティブに捉えれば「現実から目を背ける」ということもあるが、ポジティブな意味では人と向き合う時に「相手を信頼している」ということでもある(見たくもないほど嫌いという可能性もある)。
青春の日
「愛と青春の日々はこれからも続いていくと思いませんか?」
あれは、10年前の東京ドーム。
その青はあの日の青空かもしれない、あの時の青さかもしれない。
【深読み】
乾いた雑巾を絞った一雫
岡野昭仁:体内の水分がなくなってボロ雑巾になるくらい暴れて帰るぞ
ポルノグラフィティは作品を発表する度に新しい姿を見せる。20年、それが自然に溢れ出ているものではないと、僕らは知っている。
締め切りに追われ、なんとか絞り出したメロディたち。
白い紙に書かれた、メロディが呼ぶ言葉たち。
時には何度も書き直し、正解のない中で正解を探す。
そうして生まれたメロディや言葉に、僕は生かされ、未来を夢見ていられる。
クレームをつけたくなるような「無邪気に描いた地図」もどの道の先にも大切な今がある。
それは、僕らが選んだ道を戻れない、片道切符の旅を続けていくこと。
それは「THE WAY」において語られた「選ばなかった道の先が正解だったか知る由はない。だからこそ選んだ道を正解になるように歩んでいかなければならない」という言葉のように。
そして、そんなライヴの最後の決意の曲もまた"ダイアリー 00/08/26"だったように。
もしこの先に果てがあるとして。そこで待ってる未来は、きっと明るいものとなっているだろう。
MV
実はCD買うまでフルで見るのは我慢しようと思って、特典映像のMVを楽しみにしていた。
YouTubeで何度も見た下北沢を歩く2人。
それが笑顔ということが、過去と向き合ったシングルをリリースする2人にとって、どれほど大きな意味を持つだろう。
物凄く個人的な話になってしまうが最近、記事にも書いた「なきごと」のライヴを見てきた。
【感想】なきごと「nakigao」 白状しますと、すみません今年のベストが出ました
それは渋谷eggmanの300人ほどのキャパシティのライヴ。
最近アリーナクラスのライヴを見るのが続いていたので、これくらいのライヴハウスは、かなり久しぶりだった。
そこで、まだ歩み始めたばかりのなきごとのライヴを見て、かつてないほど純粋に音楽を楽しんでいる自分がいた。
ライヴハウスには魔法がある。
それは、きっと夢しか見てないミュージシャンたちが音楽への愛を鳴らす場所だからだ。
だから、ポルノグラフィティが初めて東京でのライヴをした、下北沢のCLUB251で演奏する2人がどんな気持ちだったのだろうと、想いを勝手に汲み取ってボロボロと泣いてしまった。
自分たちの作品やアーティスト写真に見送られ、立つステージは恐らく小さく見えたかもしれない。それでも、東京の地で初めてライヴをした時には、きっと大きなステージであったのだ。
それは大きなライヴハウスではない。
まるでアームストロング船長の言葉のように、その一歩はポルノグラフィティにとって途方もなく長い旅路への大きな一歩となった。
ここまで2人が想いをストレートに伝える曲たちがカップリングに並ぶ感動。
でも、それも当然かと思えることもあって。サブスクリプションがあるから、今はCDましてはやシングルCDというものはただのファンアイテムでしかなくなってしまった。
それでも、ちゃんとシングルを購入して聴いているだけでも、とても熱量の高いファンということだ。
そんな人たちが聴いてくれてると、わかっているからこそここまで純粋な想いが言葉になっているのだと思う。
だからこそ、この3曲をサブスクリプションで聴いたとしても、CDで聴いた感動には匹敵しない。
ブックレットの言葉たちを読みながら、流れる音に身を寄せるからこそ味わえる感動が「VS」のCDには詰まっている。
詰め込まれた優しさに、涙は止まることなく頬を濡らしていった。
東京ドームが、待ちきれない。
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