先日「アナと雪の女王2」を観てきた。
世間的な評価はさておき、僕は正直1より楽しんだし、音楽に関しては断然今回の2の方が好きである。もちろん1もかなりの上位の中での話ではあるが。
その中でもクリストフの唄う"恋の迷子"("Lost in the Woods")がロックバラード好きにはあまりにもドストライクで、その魅力を紐解きたい。
アナと雪の女王2 クリストフ"恋の迷子(Lost in the Woods)
歌詞とWeezerについて語る
Lost in the Woods
"恋の迷子"という邦題はなかなかに口に出しづらいけれど、アナへのプロポーズを狙うもうまくいかないクリストフの気持ちを表している。
歌詞としては、考察もいらないほど直球である。
だからこそ、ストレートな想いだけにそれがなかなか伝えられないもどかしさが出るようになっている。
そして、そんな歌詞の中にもひとつ仕掛けがあると思う。
森を迷うというメタファーは定番だけれど、なぜ迷うかという点に注目したい。
道に迷うということはいくつかの理由があるけれど、森を迷うとしたら、その理由は取り囲む木に行き先が見えなくなってしまうということ。
つまりは、周りの環境に惑わされてしまうということだ。
クリストフについては、劇中の主要人物のなかでも唯一決断(アナへのプロポーズ)を途中で他人に委ねてしまう
そしてその意見に踊らされ、トナカイたちとの空振りなプロポーズなどになってしまうことになる。
それこそがまさに自ら森に迷い込んでしまった状態ともいえる。
その惑わせる心の森というのは、楽曲そのものにも仕掛けがある。
中盤から後半にかけてクイーンライクなコーラスが入る。
普通コーラスというのは、唄を支える存在なのだけど、この曲に関してはコーラスは、森にある木そのものにも映る。
よく心の声に従うという言葉があるけれど、それを惑わすような声にも聴こえるのだ。
しかしながら、最後に決意を決めた姿を見てから聴く"Lost in theWoods"のコーラスはクリストフを支えるものとして聴こえるのだ。
なぜなら、アナへの愛はクリストフが抱いた迷いなき、揺るぎない想いだからだ。
状況によって聴こえ方が変わる、シンプルなバラードでいて、そんな仕掛けのある曲になっていると感じた。
それが、エンドロールでまた再びこの曲が掛かる時に思える。
しかもそれは、あのバンドによって歌われる。
Weezer
エンディングで立ち上がって喜びそうになったのが、Weezerがこの"Lost in the Woods"をカバーしていたことだ。
今回のメインとなる曲である"Into the Unknown"がPanic! At The Discoによってカバーされたことも驚きだったが、Weezerがここでくるとは。
観る前にPATDとWeezerが参加していることは聞いていたが、オリジナル楽曲の提供なのかと思っていたのだ。
それが各キャラクターの楽曲のカバーだったとは。
何より、クリストフの"Lost in the Woods"をWeezerがカバーせるということが、あまりに見事にハマっている。
Weezerは1992年に結成され、1994年にデビューしたアメリカのロサンゼルス出身のパワーポップバンドである。
デビューアルバム「Weezer」(ジャケットの色からブルーアルバムと呼ばれる)が300万枚を越えるヒットとなる。音楽性は、女々しさ前回のパワーポップである。
ちなみにだが、ヴォーカルのリヴァース・クオモは日本人女性と結婚し、親日家である。ポップパンクバンドのALLiSTERとスコット&リバースを結成して、日本語を用いたポップソングアルバムを作ったりしている。こちらも最高です。
たとえば僕の最も愛する曲"Perfect Situation"という曲があるけど、その歌詞を紹介しよう。
Hungry nights, once again
Now it’s getting unbelievable
Cause I could not have it better
But I just can’t get no play
From the girls, all around
As they search the night for someone to hold onto
And I just pass through…
貧しい夜がまたやってきた
信じられなくなってきたよ
これ以上ないって状況なのに
なんにもできないんだ
周りにいる女の子たちは
誰かに抱きしめられたいって思ってるのに
僕はただ素通りするだけ
こんな歌詞だったりする。
かのように、恋愛に対して踏み出せない女々しさを持ってしまうクリストフの心境と、Weezerは完璧ともいえるマッチングを見せる。
どちらかが良いとかでもなく、Weezerの楽曲は完全にWeezerの曲としても聴けるところが、このカバーの恐ろしいところだ。
たとえば、この曲をレッチリが唄ったら、プロポーズに迷うどころか全裸で股間に指輪をピーしてプロポーズするくらいしかねない。
ナヨナヨとしたリヴァースのヴォーカルは、時に太いバンドサウンドに負けてしまうのではないかと思いながらも、決してそうはならない。
さらには、相談相手はいるものの仲間には相談しきれないクリストフの孤独と、Weezerがバンドとして演奏して支えているというのが、聴こえ方を変えているのかもしれない。
森
ディズニーやピクサーのアニメーションの凄さにもはや麻痺しそうになる。
凄いことが当たり前になっていく。
それでもディズニーやピクサーに関してはほとんど必ず映像的な挑戦をしているので、何本見ても過去の自分を越えてあくというドラゴンボールを越えるインフレっぷりだ。
「アナと雪の女王2」でも海のもはや実写という風景をはじめ、背景がとにかく凄い。語彙力なくなるくらい凄いから凄い。
そんな超絶技巧の森の中を歩くクリストフ。
人は置かれている景色から心を投影するのではない。
人は心を景色に投影する。
どんなに美しい朝焼けでも、また新しい1日の始まりが嫌な人もいるし、美しい夕景であっても、夜が近づくことへの恐れを抱く人もいるかもしれない。
森林浴という言葉があるように、僕のように八王子という大都会に住む者は、時折見る自然の緑に癒される。そんな自然は徒歩8分も歩かないと行けない。
どんな場所にいても、心が幸せであれば景色が愛しく見えるし、辛い気持ちのなかでは悲しみに染まって見えてしまう。
クリストフがアナと同じ森を歩いていくならば、きっと同じ森でも違って見えることだろう。
あの木々のように、時を重ねていこうと思うかもしれないし、2人迷う時間さえ、愛しいものに見えるかもしれない。
心次第で、景色は呆気ないほどに反転してしまう。
Up ’til now
The next step was a question of how
I never thought it was a question of whether
Who am I, if I’m not your guy?
Where am I, if we’re not together
Forever?
今までずっと
次の一歩は「どうするか」って問いだった
「すべきかどうか」という問いになるなんて思いもしなかった
もし俺が君の男じゃなかったら?なんて
もし一緒になれなかったら、どこにいればいい
ずっと?
その迷い、悩み抜いた道の先で。
世界の全てが反転したとしたら。
終わらない苦しみの深さが裏返り、それは永遠の愛の歌となる。
音楽もまた景色なのだ。
歌い手によっても、聴き手の心境によっていくらでも姿を変える。
だから、僕らは音楽に寄り添って人生を生きるのかもしれない。
同じ曲を聴き続けるのは、今の自分を見つめたいからかもしれない。
それこそが音楽への共感であり、共存して生きていくということなのだ。
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