2025年4月4日金曜日

【感想】"言伝 ―ことづて―"歌詞解釈【ポルノ】







ポルノグラフィティの新曲"言伝 ―ことづて―"が発表となった。

この曲はNHK広島の「被爆80年プロジェクト」のテーマ曲として制作された楽曲である。

2年前の2023年に"アビが鳴く"で平和をテーマにしたポルノグラフィティが、改めて平和と向き合う曲を生み出した。

「平和」というテーマについては通ずるものこそあれど、そのアプローチは似て非なるものがあり、その辺りも含めて書き残しておきたい。




言伝 ―ことづて―







当ブログは歌詞を自分なりに深読みするというコンセプトである。深読みという名の言いがかりとも呼ぶ。
なお当初はギターを愛でるブログだったことは誰も覚えていない。

だから今回リリースされる"言伝 ―ことづて―"のように、テーマも題材も事前に明かされている楽曲は深読みする必要はない。
それは同時に書くことがなくなるということでもあるんだけど。

なんかこれ、最近この↑の話題を毎回書いてるなと思ったけど、最近の新曲はライヴで「こういう曲です」って披露されるからテーマはある程度掴めるからだ。

"メビウス"みたいな曲が不意に襲って来る時が最も恐ろしいんだ、俺は。


テーマがわかってるからと言って当然のことながら、むしろテーマがわかっているからこそ本気で向き合わないといけないのが、今回発表された"言伝 ―ことづて―"なのである。

もちろんテーマ的なこともあるがそれ以上に自分を揺さぶる要素が、"言伝 ―ことづて―"という曲が、ポルノグラフィティ史上はじめて「詞先」で制作されたことにある。

これまでポルノグラフィティの楽曲は常に「曲先」、つまり曲に対して言葉(歌詞)を書くことを徹底してきた。

それが、ここに来て初めての「詞先」である。

作詞を手掛けた新藤晴一は、メロディという手がかりを得ることなく「言葉」を生み出す必要があるのだ。

誰しも人生で1曲くらい歌詞を書いたことがあると思うが、イチから"詞"を生み出すことが如何に困難なことか判るだろう。

取材を通して自身で感じたものを全て歌詞へ注ぎ込むということ。

結果的にこの流れこそが"言伝 ―ことづて―"を文字通り、言い伝えることにしているのだ。


ポップスをはじめ、音楽のもつ重要な要素たるものに「普遍性」がある。

言い伝えるものとして、普遍性を持つ音楽をはじめとしたエンターテインメントは密接に関わることになる。
音楽でも映画でも演劇でもドラマでも、その他ありとあらゆるエンターテイメントが歴史を築いてきた。

フィクションにも時代を描く力があるのだ。

それはきっと歴史学者のペン先が決して描くことのない僕らの人生であっても、たとえ何も生み出せなかったとしても、エンターテイメントから受け取って抱く感情には意味がある。

NHKのドキュメンタリー映像の中で新藤晴一が最後に語っているのは、そういうことだと思う。


新藤晴一が書きおろした歌詞に岡野昭仁が曲をつける。アレンジは最近ポルノグラフィティにとっての第3のメンバーになりつつあるtasukuである。というかもはや完全にメンターだ。




レコーディング映像でエモーショナルになるようにと選ばれた「テンポ78」のとおり、非常に落ち着いた優しい曲である。

優しい曲ではあるけれど、糸をたどれば曲の根幹にある壮絶な悲劇につながっている。悲劇がなければ、一番電車は生まれなかったのだ。

曲の優しさとテーマの重さの狭間を、まるで最後のフレーズにある歌詞のように架け橋として岡野昭仁の声は繋いでくれる。

生まれたメロディに岡野昭仁の声が乗ると、曲に一つのが通る。

ポルノグラフィティがいかなる多様な曲でもこうして成り立ってしまうのは、間違いなく岡野昭仁の声によるものが大きいだろう。

そして今回もまた、今の岡野昭仁が、今のポルノグラフィティでなければ創れなかった曲となっている。

だからこそ託された僕らファンは、ここで感じたことを伝えていかなければならない。この記憶を忘れないために。

そうした想いで、最初「テーマはっきりしてるし書くことねぇな」とか思ってたけど、今の自分が感じたものを残しておきたい。







"言伝 ―ことづて―"の言葉




電車は走った
8月6日のわずか3日後に


冒頭のフレーズ。
新藤晴一にしては珍しく、かなり説明調な印象を受ける歌詞だ。

けれど、それをありのままに書き残してしまうほど「3日後」という言葉の意味は、重い。

その惨状について、当然ながら僕は間接的にしか知る由はない。

そんな僕ですら「わずか3日後に」という言葉は、ズシンとのしかかるものだ。
例えば、2011.3 11の東日本大震災の3日後。
果たして自分は何ができていただろう。

それなら、ポルノグラフィティの2人にとっては、どれほど重い現実だったのだろうか。


混沌の中で必死に人命を救おうとした人たちもいる、インフラを回復しようとしていた人たちもいる、困難でも生きる人々がいる。
戦争兵器と自然災害を並列して語ることは正しくないかもしれないけれど、人間がそこで生きていることに変わりはない。

人は、いつだって無力なのだ。

それでも、人類史上初めてもたらされた悲劇のたった3日後に一番電車を走らせた人たちが、たしかにそこにいたのだ。
明日なんて考える余裕がなかったはずの、その時に。

その現実は「使命感」という言葉ですら軽い言葉になってしまう。


MVを見て、どうしても思い出すのは映画「この世界の片隅に」で。





あの映画のラストシーンでは、車窓に揺られる彼らの姿が映る。

今さら気がついたんだけど、たしかにあの車両を走らせていた人もいるということだ。

こうしたことに今までに気づかなかった自分の想像の至らなさを恥じてしまう。

そう思ったとき、Bメロのあまりに優しい「会いたい人がいるなら」という岡野昭仁の歌声が、より一層深くに沁み入るようになった。

そして、これも忘れてはならないこと。

8月6日の3日後ということは即ち、1945年8月9日。
長崎にも悲劇が訪れた日でもあるのだ。


サビ。

車窓の外に見える
時代は移り変わる
祈りはいつも遠い日の
空に続くのだろう

ここが最も"アビが鳴く"とシンクロするフレーズだろう。

この後に"アビが鳴く"との違いも比較したいんだけど、ここに関しては「平和を願う」という気持ちの尊さをうたっている。

時代とともに変わっていくものと、変わらないもの。

それは新藤晴一という人間の作家性において"アポロ"から変わらないものだ。

怒りを祈りに、祈りを空へ。


ギターソロ。
新藤晴一のギターソロもまたエモーショナルで、レコーディングだとあれ1960レスポール使ったのか?


大サビ。

私たちの胸に預かっているもの
未来への言伝
たとえ小さな声だとしても
決して無力じゃないの

「未来への言伝」に重ねられた様々な声のコーラスが胸に響く。
レコーディング映像で描かれた、岡野昭仁提案で追加されたコーラスも絶妙な広がりをもたらしてくれている。

歌詞にある「小さな声」というのは、そのままの意味もあるけれど、気持ちの強さということも示していると思う。

平和を想う気持ちはそれぞれの胸にあれど、すべての人が同じ重さで背負うことはない。

そこに大小の差はあれど、大切なことは忘れないこと、語り継ぐことだ。
現実に悲劇の再演は要らない。

毎回のようにライヴレポで書いているが小さな存在の僕らがライヴで集まると、会場にはあれだけのエネルギーが生まれる。

そこにいる人々の想いは大小様々であっても、小さな声も重なれば確かな力になる。


そんな大切なことを忘れないために、僕らはいつでも「∠RECEIVER」でいなければならないのだ。

自分事でなかったとしても他人事であっていい訳ではない。

抱え過ぎて辛くなってしまったならポルノグラフィティが助けてくれる。

悲しくなったら"ミュージック・アワー"でも聴いて、それでも疲れてしまったなら"ブレス"を聴けば良いじゃないか。

君は君のままでいいんだ。





戦争と平和



宇宙(そら)から見下ろしたら
今この瞬間さえ
世界のあちこちでまた
火花が飛び散っている


初見でMVを観た時、このフレーズの映像で胸がしめつけられた。

最近アカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を獲った「ノー・アザー・ランド 故郷は他にない」という映画を観た。

パレスチナとイスラエルの現状をとらえたドキュメンタリーなんだけど、軍隊によって容赦なく壊される家々に、小学校の校舎に、胸が張り裂けそうな思いになった。

更にいえば昨年観たロシア、ウクライナの紛争に関するドキュメンタリー「マリウポリの20日間」も自分の心象に多大な影響を与えていると思う。

上記のドキュメンタリー映画という名の現実に観た光景がすべてフラッシュバックした。

あまりにタイムリーだったからだ。

当たり前だ、今この世界で起きている事なんだから。

どちらが正しいとか、何が正義かなんて日本にいる自分には判らない。

それでも銃弾で、爆撃で命を喪う人たちが確かにそこにいた。
それだけが事実なのだ。

その気持ちがMVで最後のサビに入った瞬間に、全て爆発した。

そこに映されるのは過去の悲劇ではない。

今を生きる僕らの地球の中で、たしかに起きている現実なのだ。


ポルノグラフィティと平和。

それは先にも触れてきたとおり、"アビが鳴く"も同様である。




改めてもう一度テーマを比べてみよう。

どちらの曲にも込められた願いは、祈りは変わらない。
けれど、決してすべてが同じという訳ではないと思う。

それはそのメッセージを伝えるモチーフに表われていて。

アビという俯瞰した存在に平和を託した"アビが鳴く"と、現実を歴史として語り継ぐものとして描かれた"言伝 ―ことづて―"。
そこにある違いは、主観性だ。

それが最も表れているのは"言伝 ―ことづて―"の1番のAメロで歌詞に「広島」という言葉が使われていることだと思う。
"アビが鳴く"では「朱い大鳥居」とか「あの夏」と、あえて抽象的な表現を用いて、なるべく固有名詞は避けていた。

「広島」を書くというのはもちろん楽曲制作のオファーのテーマがそうだったから、というのはあるのだろうけど、決断としてはかなり大きかったんじゃないかな。

"アビが鳴く"で平和を祈った彼らは、"言伝 ―ことづて―"で広島を歌った。

たとえ海外であっても、いや海外だからこそ「hiroshima」という言葉の意味は大きくなる。


NHKのドキュメンタリーで新藤晴一が語ったとおり、ポルノグラフィティは彼らなりの方法で広島を背負ったのだ。

たとえ全てを背負えなくとも、自分たちが知っているものを、人生で培ったものを歌にかえて。
自分たちのやり方で、自分たちしかできないやり方を信じて。

かつて因島で無邪気にロッカーに憧れて音楽を始めた彼らがだ。

そう思ったとき、僕はもう何度思ったか分からないのに、またポルノグラフィティが大好きになっていた。

歴史があって過去があって、人それぞれに経験と願いがある。

その中の一つが一番電車だとして。それを語り継ぐことが"言伝 ―ことづて―"で、そこから感じたことを祈りにかえたものが"アビが鳴く"なのだと思う。


岡野昭仁はドキュメンタリーの中で「何が伝わっていくのかというのは、まだ答えは分からないけど」とコメントしていた。

それでいいと思う。

大なり小なり感じたことを忘れないこと、伝えること、残すていくこと。

それが"言伝 ―ことづて―"に対する僕なりのアンサーだ。


最後に、ちょっとポルノグラフィティから外れる話ではあるけど、どうしても触れておきたい曲について。少し長い歌詞の引用になるが、多くの人に読んでほしい。

夢、夢って あたかもそれが素晴らしい物のように
あたかもそれが輝かしい物のように 僕らはただ讃美してきたけれど
実際のところどうなんだろう?
何十万人もの命を一瞬で奪い去った核爆弾や細菌兵器
あれだって最初は 名もない化学者の純粋で
小さな夢から始まっているんじゃないだろうか?
そして今また僕らは 僕らだけの幸福の為に
科学を武器に 生物の命までをもコントロールしようとしている
〜Mr.Children"Everything is made from a dream"


"言伝 ―ことづて―"を聴いてから、僕はどうしてもこの曲を思い出してしまう。

悲劇も再生も、人の願いがもたらしたのだ。

映画「オッペンハイマー」で"それ"が成功した時の喜ぶ彼らの姿を見よ。

人間に悲劇をもたらした核兵器も、誰かの夢だった。

人は、いつだって夢を抱く。

次の世代が無邪気な夢を描けるように。

僕らは言伝 ―ことづて―を語り継ごう。


And if you tolerate this, then your children will be next
もしあなたがそれを許容するなら、次はあなたの子どもたちの番になるだろう
〜Manic Street Preachers "If You Tolerate This Your Children Will Be Next(輝ける世代のために)"


ポルノグラフィティ20周年→25周年を振り返る

なぜポルノグラフィティは東京ドームで "n.t."を演奏したのか

【音楽文 再掲】あの日の少年と未来図 ポルノグラフィティと共に歩んだ20周年イヤー



 










0 件のコメント:

コメントを投稿