ここ最近ずっと「音楽」とはなんなのかと考えている。
それはある2アーティストの発言からである。そのテーマはタイトルに書いているので話を先に進めよう。
ポルノグラフィティ新藤晴一がアルバム「BUTTERFLY EFFECT」のタイトルに込めた思いを語る際に用いられた言葉がある。それが
「これだけ世に音楽が溢れているのに新たに曲を作ることの意味はなんだろう」
というものだ。
この言葉は音楽をやることの意味を問いかけるものである。
この発言から今の時代に音楽をすることとはという意義を今一度見つめ直していきたい。
「衝動」
「時代」
というテーマで書いてみたい。
衝動
新藤晴一のいうように、iTunesストアを覗けばあまりにも膨大な音楽が溢れかえっている。
全部聴くなら人生が何周も必要なほどだ。
そんな中でなぜ新しい音楽が必要なのだろうか。
ひとつにはそれが衝動であるからだ。
ハルカトミユキのハルカが先日の野音ライヴで「歌うこと、曲を作ることはそうしたいと思うだけで意味があるもの」という旨のことを言っていた。
これに近いものがあって、何かを表現したいという衝動は理屈では説明つかないものだ。
たとえば表現というには憚ってしまうが、僕がこうして文章を書いているのは、何かに心を動かされた時に、その気持ちを言葉として残しておきたいからである。
自分の話では一気にスケールダウンしてしまうので話を戻す。
時代だったり、世の中に何曲あるとか関係ない、ただ内に秘めたる想いを形にしたいと思うのはアーティストにとっては必然的に行わざるを得ない行動だ。
そうした衝動はとても強い力を持っていて、だからこそ僕らはそれに心を揺さぶられるのだ。
それは音楽だけではなくて、芸術なり映画なりアートと呼ばれるもの全てに共通する。
この先書いていくことも同様なのだが、キリがなくなってしまうので、あくまでも音楽に焦点を絞って続きを書いていく。
時代
音楽は時代を象徴するものだ。
昔のヒットソングを聴くと「あぁこんな時代だったな」と思うことがあるだろう。
そんなヒットソングの中には流行ったからこそ、その時代の音楽になったものもあり、時代を歌ったからこそ流行ったものもある。いわばムーヴメントというものだろう
そもそもロックだったりパンクなんて音楽は、時代や社会に対しての若者たちのアティチュードを示すための手段であった。
あまり細かく書いてしまうと
分かりやすいものでいえば、プログレやグラムロックなど、ロックが肥大化し派手になりつつあった反動として、70年代後半にパンクが登場したとなどそういう類いのものである。
もの凄くやっつけ感のある書き方だが、勘弁していただきたい。
怒りであったり、若さゆえの衝動を音に変えて打ち鳴らすことが、反旗を翻すことであり、声明であった。
他には、たとえばポルノグラフィティには"2012Spark"という曲がある。
この曲は東日本の震災後、社会も政治もめちゃくちゃとなり、日本が破壊されてしまいそうになった時期の曲である。
ここでタイトルにあえて2012を入れることで、その時代を切り取ることを選んだのだ。
普遍的なポップソングを作るのであれば、本来であればこうした特定の時代を示す言葉は避ける傾向にある。どれだけ時代が過ぎても聴くことができるようにだ。
あえて西暦を入れることで、2012年という年を浮き彫りにしている。LEDなり、アプリなり、30年後にはもしかしたらロストテクノロジーとなっているかもしれない。
普遍的な音楽を残すことと同時に、その時代を切り取ることが音楽の役目のひとつなのだ。
たまにはそんなことを考えて音楽を聴くのはいかがでしょうか。
はい、面倒ですね。
【感想】ポルノグラフィティ 11thアルバム「BUTTERFLY EFFECT」2017.11.10
"君の愛読書がケルアックだった件"の歌詞が実はとんでもなくヤッバイ内容な件
MICROWAVE歌詞解釈〜Believe when I say "I want it that way"
夜間飛行 歌詞解釈〜「偶然は愛のようにひとを束縛する」
"Working men blues"の替え歌の件についてちょっと本気出して考えてみた
ツイート
0 件のコメント:
コメントを投稿