2019年6月10日月曜日

病的ポルノファンが選ぶ 終わった瞬間「召されたい」と思ったライヴ"神"アレンジ 5選








ポルノグラフィティの魅力といえばライヴである。

そのライヴにおいても魅力は無数に存在する。

そのひとつがライヴアレンジといえるだろう。

喉からCD音源の岡野昭仁をはじめ、CDの時点で完成度の高い楽曲を、更にブラッシュアップしてより曲の世界観を広げる、それを欠かさないポルノグラフィティに脱帽してばかりである。

そんなライヴにおいてあまりの衝撃によってそのまま召されるかも、もういっそ召されても構わないとまで思わされた曲たちを紹介したい。






ロスト from 「∠TARGET」








先に断っておくと、今回紹介するほとんどが「長尺」のアレンジで所謂「ヘソ」と呼ばれる部分になる。

その中でも何度見たかわからないほど繰り返し味わったのが「∠TARGET」ツアーの"ロスト"である。

僕はツアーは後半から参戦だったが、前半組が「"ロスト"ヤバい…」と口々に廃人のように言っていて、「言い過ぎだろ」と思って初めて見た瞬間に「"ロスト"ヤバい」としか言えないマシーンになっていた。

この頃から「ヘソ」として長尺のギターソロアレンジがよくされるようになるが、僕の中ではこれがベスト・オブ・ベストである。

叶うならもう一度聴きたいアレンジのひとつだ。
そして、願わくば1960年製のレスポールでやってくれたら、本当に召されてしまいそうだ。

そんなギターソロだけでも大変なのに、岡野昭仁のヴォーカルがこれまた強烈だ。

自身の亡くなった母親に向けて書かれた歌詞、それがライヴではより力のこもった唄となり放たれる。

特にサビに入るときの"タメ"から絞り出されるそれは、生命力溢れるもので、だからこそ命というものの尊さを訴えかける力となる。




瞳の奥をのぞかせて from 「The dice are cast」








まるでオペラのようなアレンジ。

原曲のワルツの軽快さとはまた違う魅力を打ち出した。

このアレンジの恐ろしいところが、ヴォーカル、ギター、ピアノ、パーカッションのみで構成されていることだ。

ベースがいないのに、強烈なまでに感じる低音。それがくわGによるパーカッションで鳴らされているということが、衝撃であった。

パーカッションというと、どちらかといえばポコポコとしたリズムを奏でる楽器という印象だ。しかし、このアレンジで僕の中のパーカッションに対する印象が180度変わった。

そして、只でさえ唄うのが難しい曲を、ここまでオケを薄くした状態で唄い上げる岡野昭仁のヴォーカルは、まるで台詞のようでもあり、言葉としても音としても切々とした心情を感じさせる。

16年という歳月がなければ、このアレンジはできなかっただろう。

年齢とともに重ねてきたものがあるからこそ、このような挑戦的なアレンジに説得力を持たせている。




"カルマの坂" from 「横浜ロマンスポルノ'08~10イヤーズ ギフト~」








ゲリラ豪雨による土砂降りの横浜スタジアムでセンターステージに一人立つ岡野昭仁。

「この曲は7年前くらいの曲で、創った当時はまだ20代で曲の持つ大きなスケール感を表現しきれなかった」

と言って披露されたのが"カルマの坂"であった。

出だしはピアノと歌声だけのシンプルな構成。
切々とした中に感じる焦燥感を持つ歌声、それをゆっくりじっくりと唄う岡野昭仁によって、かつては表現しきれなかった世界観へ連れていかれる。

今回のタイトルに"神"アレンジと書いたのには理由があって。
もちろんアレンジ自体が神がかったようなものであると同時に、まるで神が演出を施したかのような瞬間こそが、あの"カルマの坂"だった。

豪雨と雷、それは人の力を越えた演出かのように、"カルマの坂"の持つ怒り、憎しみ、悲しみ、そして無力を物語る。

その罪を表すように、涙も血も洗い流すように、慈しみの雨が、容赦なく降り注ぐ。

そして、そんな"カルマの坂"から続く"ヴォイス"において、サビの直前でマイクが故障するという事故が起きる。

しかし、それを支えるかのように観客席から自然と歌声が響き渡った。

罪としての業、その後に10年間走り続けてきたからこそ得られたファンとポルノグラフィティの信頼という業がもたらしたものである。

人智を越えた、まさに"神がかった"演出が、あの夜に確かに宿った奇跡の瞬間だった。


ここからは、残念ながら映像には残っていないものを2つ紹介したい。










"グラヴィティ" from 「FANCLUB UNDERWORLD4 "lab"」




これに関してはあちこちで書いてきたけれど、やはり触れない訳にはいかない。

"lab"(ラボ)と題された4度目となるファンクラブツアー。

そこでステージにはポルノグラフィティの2人だけが立ち、打ち込みによるトラックに曲を乗せるという挑戦的な内容であった。

このツアーでしか見れないまさに"神"がかったアレンジの数々。どれも印象的だったけれど、特に"グラヴィティ"は白眉であった。

音数の少ないトラックに、新藤晴一の奏でるアルペジオが優しく乗り、岡野昭仁が淑やかに歌い上げる。

誰もが"やられた"のが2番だろう。


ねえ 三日月ライトを そっと消したら


その瞬間に岡野昭仁が指を鳴らし、音と照明が止むという演出。その時にハッと息を飲み、そのまま呼吸さえ忘れそうになった。

空中ブランコに必要なものは「互いの信頼」である。
それはここまで苦楽を共にした岡野昭仁と新藤晴一であり、ポルノグラフィティとファンでもある。

ファンクラブ限定というライヴだからこそ、その差し出された手を離してはいけないと思わされる。


何度でも言うが、なんとか映像を見せて欲しい。



"Twilight, トワイライト" from 「PANORAMA × 42 “2012ポルノグラフテー”」




「PANORAMA×42」ツアーの中のスペシャル公演。
2012年のデビュー日に当たる沖縄の夜、それはまるで魔法に掛かったような一夜だった。

この夜限りの特別なセットリスト、そして当初予定がなかったのにアンコールで突発的に披露された"アポロ"。

そんな特別な夜の中でも忘れがたいのが、この"Twilight, トワイライト"のアレンジだった。

「SWITCH」ツアーの時のアレンジに近い。
イントロでは様々なニュースがコラージュされて流される。

違うのは、長尺のアドリブから岡野昭仁が三線を弾き、会場にエイサー隊が現れることである。

三線は「沖縄の魂」とも呼ばれている。

その一音一音は、他の弦楽器では鳴らせない、この沖縄という土地だからこそ強い意味を持つものとなっている。

そしてエイサーもまた、沖縄にとって欠かすことのできない重要な文化だ。
エイサーはお盆の時期に先祖の霊の送迎としてのものだ。


沖縄という土地が持つ力。
そこに溶けていった魂たち。

夜の野外ステージには、そんな空気が交わっているかのように、今その瞬間が生と死の狭間にいるかのような感覚にさえなった。

そして、そんな"Twilight, トワイライト"から繋げられたのが、"アゲハ蝶"である。

これも沖縄だけで追加された曲。
それは、2005年の沖縄でも演奏されたアレンジの再現。


しかし、その間に日本は大きな悲しみを乗り越えた。

蝶は魂を表す。

だからこそ、"Twilight, トワイライト"のアレンジから続けられたことに、大きな意味がある。

そんなことを想い泣いた夜は、別の記事で以前に書いたので、そちらに譲ろう。


【PANORAMA×42】沖縄の空に舞った"アゲハ蝶"に泣いた夜のこと


ということで、個人的に強く感動した瞬間を思い出して書いてきた。

なぜこの記事を書こうかと思ったかというと、またどこかでアレンジの再現をやって欲しいと願っているからだ。

それは過去を振り返るという視点ではなくて、「今のポルノグラフィティであのアレンジを見せて欲しい」という願いである。

アレンジはCDに近いものの、今のポルノグラフィティが見せる世界観に鳥肌が止まらなかったアミューズ・フェスの"カルマの坂"に、そんな願いを重ねてしまったからである。


【ライヴレポ】Amuse Fes in MAKUHARI 2019 ~恋とか愛とか~


同じことを繰り返すことを2人はあまりしない。

けれど、同じことをするからこそ、その進化が明確に見えるという点もある。

機会があれば、是非再現して欲しい。


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