ポルノグラフィティの「サイバーロマンスポルノ'20 ~REUNION~」開催が発表された。
おそらくポルノグラフィティにとっては、これが2020年唯一のライヴとなるだろう。
このタイトルに込められた思いを読み解きたい。
キュベルネテスの導き
cyber(サイバー)という言葉がある。
cyberは人工頭脳学を意味する「cybernetics(サイバネティックス)」に由来していて、更にその語源を掘っていくとギリシャ語の「Κυβερνήτης(キュベルネテス)」がとなる。
このキュベルネテスというのは何なのか。
その意味は「舵手」(船の舵をとる人)のことを現す。
今回のライヴが「サイバーロマンスポルノ」と名付けられたことが、とても興味深い。
2020年9月8日21:00に公開された動画で、12月に配信ライヴが行われることが発表となった。
昨今の音楽業界を見ても、ポルノグラフィティがそういった形でもライヴを選ぶということは、自然に思えた。
しかし続報が発表され、ファンの中では少なからず衝撃を受けたものが多かったことだろう。
ライヴを配信する、その上で会場に客を入れた有観客の形でライヴを行うというのだ。
当初の発表からも配信のみだと思っていたので、その発表にとても驚かされた。
もちろん、少しずつ規制が緩和されていったことで、有観客のライヴも行われてはいるし、実際僕も11月には2本行く予定だ。
ただ、少なくとも2020年はポルノグラフィティを生で見れることはできないだろうと、覚悟と言ってしまうと聞こえがいいかもしれないが、心では思っていた。
それが「見れるかもしれない」という状況になったことで、この動揺が生まれたのだ。
だがしかし。その道は決して容易くない。
いくら平日とはいえLINE CUBE SHIBUYA(旧:渋谷公会堂)で一夜限りだ。
キャパシティはホール規模ながら、2,084人である。
ちなみにライヴハウスのZepp DiverCityの方が2,473人とキャパが多い(スタンディングの場合だが)。
ロックコンサートの場合、現時点で収容人数は50%以下の規制だ。
配信のため撮影用のカメラ機材などのことを考えれば、客は1,000人に満たないだろう。
あの、この人たち昨年東京ドーム2days埋めたんですけど。
正直、チケットが当たる気がしない。
今から徳を積もうと思ったが、対馬の民を救うために忙しく、到底間に合わない(ゴースト・オブ・ツシマの話)。これだけ蒙古から民を救ってるんだから徳は積んでいるはずが。
もしチケットが何らかの形で高額転売されたら、転売した人間の自宅に八王子城址の怨念をもれなくプレゼントしてやるからな。
ただ、どんな形にせよライヴが見れることは間違いないので、今から心待ちにしていよう。
予想しても無意味なのだが、一応予想というか願望として、1曲目は”VS”だったらいいなと思う。
前のライヴの本編最後を次のライヴの1曲目にしがちという法則もあるのだが、何より。
そうか あの日の僕は今日を見ていたのかな
と観客の前で唄っているのを想像するだけで泣けそうだからだ。
いや、想像が行きすぎて若干泣いた。
というか前に妄想で「” Zombies are standing out”からやって欲しい」って書いてるんだからそれにしろよと思った方は至極正論である。
コロナ禍のポルノグラフィティライヴはどうなるか
“ラック”や”IN THE DARK”のような閉塞的な世界観。
繋がりということを再認識させられた、今。
新藤晴一は過去に幾度もテクノロジーと人間について歌詞に書いてきた。
デビュー曲の”アポロ”から綿々と続いていて、どれだけテクノロジーが進歩しても人間の根本にあるものは変わらないというテーマだ。
では、根本にあって変わらないものとは何か。
それは「変わらない愛のかたち」を探し続けることだ。
20周年で強く噛みしめたポルノグラフィティと、僕らファンの関係。
これから先も探し続けて、何度も確認していくもの。
LIVEというものが繋ぐそれを、僕らはまだ信じている。
だからこそ、どんな形式であろうと、どんな世界だろうと、変わることはない(生で見たいがな!!!!!!)。
2020年12月4日。僕らはきっと新しいライヴを見るだろう。
けれども同時に、変わらない音楽の喜びがそこにあるはずだ。
日本におけるコロナウイルスの騒動は、クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の件を発端に国内での危機感が高まった。
たとえば2011年。絶望が日本を包み込んだとき、「ポルノ丸」で僕らを未来へ導いてくれたように。
新しい未来へ向けてポルノグラフィティは舵を切ろうとしている。
さて、そんなライヴが行われる渋谷公会堂は、ポルノグラフィティととてもゆかりの深い会場なのである。
渋谷公会堂という場所
LINE CUBE SHIBUYA、馴れないので渋谷公会堂と言ってしまう、はポルノグラフィティにとって、思い出深い会場の一つだ。
2000年6月17日。
ポルノグラフィティがデビューして初ワンマンのホール公演が渋谷公会堂だったのである。
タイトルは「東京ロマンスポルノ Vol.4 『横G』」であった。
ロマンスポルノとしては初めてサブタイトルが付いたもので、昨年のポルノ展で「なんでサブタイトル付けるようにしてしまったのだろう。考えるのが大変」と語っていたあれだ。
昨年の夏なので読んで覚えている人もいるかと思うが、渋谷公会堂について2人はディスクガレージのインタビューを受けている。
ギターの方が車を買ってはしゃいで会場に乗りつけたらスタッフに怒られたとかの思い出話は、インタビューの元記事を読んでもらいたいが、最後の部分を引用する。
──今年オープンする新たな渋公に向けて、どんな想いがありますか?
新藤:2000人のキャパで、しかも渋谷の便利な場所にあって。僕らだけじゃなく新たな若いミュージシャンたちにとって、ひとつの目標になる場所でしょうから。そういう場所があることってひとつのモチベーションになりますよね。武道館は武道館で、建物の名前以上に意味があるように、渋公は僕らにとってそういうものだったので、新たな存在になるんでしょう。そういうところから生まれる若いミュージシャンたちの音を聴きたいなと思いますね。
岡野:昔、ボイストレーナーの方に、渋公も武道館も、みんなが目指す会場には音楽の神様がいるんだよって言われて。そう信じたいじゃないですか。だからこそ、そこに立った時にどう感じるんだろう、その神様にどう好かれるんだろうと思いますね。宗教的な意味じゃなく、ステージに立っている時は非日常だから、そんなことを思ったりしながらやることもあります。渋公は歴史がある、神々しい場所だから、新しい渋公もそうなってほしいですね。神聖な場所というか、そこに立ったらピリッと身が引き締まる、そんな場所になればいいなと思います。
渋谷公会堂物語 第15回 語り手:ポルノグラフィティ「ホールでしっかり表現できるアーティストを目指す第一歩が渋公だった」
ポルノグラフィティはデビュー曲の”アポロ”がヒットしたことで、最初のツアーからホールツアーも視野に入れることができたそうだ。しかし、メンバーとスタッフで話し合い、しっかりとライヴハウスツアーをしてからキャリアをステップアップしていくという方針になった。
こうしたしっかりと地に足をつけて地面を固めてキャリアを重ねていったことが、今のポルノグラフィティにとっても大きかったのではないかと思う。
ライヴハウスツアーを完走し、次のホールツアーへの一歩を踏み出すための場所が渋谷公会堂だったのである。
岡野昭仁の「昔、ボイストレーナーの方に、渋公も武道館も、みんなが目指す会場には音楽の神様がいるんだよって言われて。そう信じたいじゃないですか。だからこそ、そこに立った時にどう感じるんだろう、その神様にどう好かれるんだろうと思いますね。宗教的な意味じゃなく、ステージに立っている時は非日常だから、そんなことを思ったりしながらやることもあります。」という言葉が印象的だった。
ミュージシャンとしてステージに立つ瞬間、ライヴは非日常となる。観客も同様で、あの場所に入った瞬間から、神聖な瞬間に立ち会うような気持になる。
コロナによって変わった日常が「変わらない日常」なのか「新しい日常」なのかは判らない。それは歴史が証明するだろう。けれど、ライヴという空間と場所が僕らにとっていつまでも非日常的に寄りそっていてくれることが、先の見えない今、何よりも希望で救いだ。
デビューしたてのポルノグラフィティにとって、キャリアのステップアップの試金石となった渋谷公会堂。
そして2020年の今、LINE CUBE SHIBUYAと名が変わったこの場所で。
ポルノグラフィティは新たな歴史の一歩を刻もうとしている。
今年も唄と言葉、それぞれのやり方で想いを届けてくれた。
けれど、僕らは知っている。
彼らが神懸かった力を見せるのは
彼らが、待ってる人たちを前にした時だってことを。
新藤晴一が渋谷で育ったらポルノグラフィティは生まれたか
ポルノグラフィティ21周年に際してのお礼文
#おうちでポルノライヴ はなぜ感動的だったのか
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