2020年9月8日火曜日

ポルノグラフィティ21周年に際してのお礼文








ポルノグラフィティ デビュー21周年おめでとうございます。

ポルノファンの方々は達者な方ばかりなので華々しいイラストたちが数多く投稿されることでしょう。

けれど、僕は相変わらず白黒の文字でしか自分を表現できないので、想いを言葉にしたいと思います。





1年を振り返る機会というのは、実はそう多くありません。

自分や大切な人の誕生日だったり、年末年始だったりがほとんどでしょう。

好きなアーティストのデビュー日を祝うという感覚は、音楽好きでも実はマイノリティなのではないかと思います。

SNSでそういった話題をよく見かけるので錯覚してしまいがちですが。


2019年9月8日

ポルノグラフィティ20歳の誕生日。

東京ドームという大舞台。


「おめでとう」


「ありがとう」


何回呼び合ったでしょうか。

数えきれません。

あれだけ埋め尽くした観客たちの言葉でも足りないくらい、あなたたちは大きなものをくれました。

それは、誇りです。

積み上げてきたもの、歩んできた道。

時にはWinding Roadのように曲がりくねっていたかもしれません。

けれど、確かに歩んできた道なのです。

共に。

いつかのツアーでポルノグラフィティのことをこう呼びました。

「運命共同体」

アーティストとファン、それを超えた存在として。

あの時よりも、その想いが強くなった気がします。

自分にとってはもはや、好きとか嫌いで語ることができないのです。

運命を共に過ごすもの。

これだけ長い間ファンをやっていて、そう思えることが誇りなのです。

では、僕らは今どんな運命にいるのでしょうか。

当たり前にあったライヴという空間が、今は遠い存在です。

少しずつ、ほんの少しずつ状況は変わっていますが、昔のように戻るにはまだ時間が掛かりそうです。

いえ、もう戻らないかもしれません。

誰にも未来はわからない。

それは、僕らがこの何か月もの間、痛いほど味わった想いなのですから。

運命は初めから決まってなどいない。

だって、僕らはずっと見てきたんですから。

誠実と情熱こそが未来をつくる。

そんな姿を。


1年半ほど前。

「両日神セトリと呼ばれるように」

なんて、ハードルを上げた時には、正直どうなるかと思いました。

きっとあなたたちはファンに向けてではなく、自分たちへの命題としてそれを掲げたのです。

僕らには全ては見えません。

けど、集まる10万人の人々たちに楽しんでもらいたい。

そのために日夜アイデアを出して、アイデアを形にしようと努力している。

そんな姿を思い浮かべるのは、容易いことでした。

だって、ずっと見てきたんですから。

それに、結果を見れば一目瞭然じゃないですか。

2019年9月7日


「あのロッカーまだ闘ってっかな?」


その言葉に、全部が詰まっていました。

誰よりもストイックに、誰よりも自分たちに厳しいのは、僕のような暑苦しいファンではなく、誰よりもポルノグラフィティ自身なのです。

その集大成が、あの東京ドームだったのです。

前にも書きましたが、そんなドームですらあなたたちは謙虚でした。

僕らを誇らしいと言ってくれて、みんなが連れてきてくれたのだと。

違います。

こんなに胸を張って「ポルノグラフィティのファンで良かった」と思わせてくれたから、ここにいるんです。

「アゲハ蝶」で好きになって十数年、もはや想像を絶する回数を聴いています。

それでも、2019年9月8日の東京ドームで聴いた”アゲハ蝶”が、ファンになって最も美しい”アゲハ蝶”でした。

あの日の音を詰め込んだ音源。

聴くと光景が甦ります。

あの瞬間だけは、僕らがポルノグラフィティでいたことを誇らせてあげられたのではないかと思えます。

長い時間を重ね、入念に準備をしてきた想像図の、遥か上空へ連れていくことができたのではないでしょうか。

だから未来は誰にもわからないのです。

この1年、自分と向き合うことが多かったように思います。

「いつまでも∠RECEIVERでい続けます」

初めてポルノ展に行ったとき、デジタル寄せ書きにそう書きました。

∠RECEIVERが受け取るもののほとんどは、暗い現実でした。

正直、何回か心が折れました。

何度か世界が嫌いになりました。

逃げる先は音楽しかありませんでした。

「夜ごと君に話した約束たち/今も果たせずにいて」

夢も約束も、簡単に叶うわけではない。

当たり前のことに気付かされました。

簡単に叶わないから、僕らはまだ夢の中にいられるのです。

結局、繋いでくれたのもポルノグラフィティでした。

∠RECEIVERになって、自分はどうしたかったのでしょうか。

考えても何も浮かびませんでした。

でも、ひとつだけ確かなことば胸にありました。

この星の裏側でも僕たちの足下でも起こりうる出来事。

そのほとんどに関わることができなかったとしても。

起こり得る出来事から。

「逃げない」自分でいたかったのだと。

世界も社会も、好きや嫌いで語れるものではありません。

誰もが運命を共にしているのだと。


「バーサス 同じ空の下で向かいあおう」


ウイルスというたった一つの小さな脅威。

それによって世界が変わりました。

でも、だからこそ世界中の人が同じ気持ちで空を見上げているのではないでしょうか。

雨雲の向こうで鳥が唄っているように。

未知の先には道がきっと続いているのだと。

これからどんな1年が待っているか、誰にもわかりません。

でもポルノグラフィティの音楽が自分の中に流れる限り。

まだ、見失わずにいれると思います。

踏み出すべき一歩を。

たしかなものを胸に。


虹の立つ場所には誰も 行けなくって あきらめて
未来もすぐそこに見えて 近づくことはできない
地図でもあればいいが どこにもないけど
コンパスだけは その胸にあるだろう
~”ひとひら”


改めて。

21周年おめでとうございます。



コロナ禍のポルノグラフィティライヴはどうなるか


ポルノグラフィティの生存戦略 描く未来図としての海外進出


暇なのでFANCLUB UNDERWORLD6を勝手に妄想する


















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