2020年7月13日月曜日

コロナ禍のポルノグラフィティライヴはどうなるか








ライヴやイベントが少しずつ再開され始めている。

東京での感染者は増えてきているが、再び動き出した経済の歯車はなかなか止められないようだ。
GoToキャンペーンといい、そこに疑問の声が生じるのは仕方のないことだろう。

だからこそ、ここでイベント系での感染が判明すれば、全ては泡沫となり、新たな火種になってしまう。

ライヴ好きとして、様々なジレンマと戦うことになっていくだろう。

では。

もし、ポルノグラフィティのライヴが再開したとしたら、どうなるだろうか。

妄想してみる。






久しぶりのライヴとなった。

会場の座席はソーシャルディスタンスにならい、一席ずつ間隔を開けている。

本当のソーシャルディスタンスは、心の中にあったのかもしれない。

生き甲斐ともいえるライヴがしばらくなかった。

ライヴに行くことを生き甲斐に社会と繋がってきた。

外出自粛で、身体は生きていても、心は死んでいたようなものだ。

しかし、こうしてまたポルノグラフィティのライヴにやってこれた。

たしかに様々な制約はあるが、この場所はたしかに僕らを待っていてくれた。

まだ何も終わってはいない。

けれど、また始めることはできる。

ステージと客席の間には紗幕が掛けられている。

その様は「BUTTERFLY EFFECT」を思わせる。

しかし今回は演出としてではなく、ステージからの飛沫を防ぐの目的だ。

同様に、客席からも興奮の声で飛沫をステージに飛ばさないようにという意味もある。

そこに幕があっても、交わされる熱は変わることはない、始まってもいないのに、そんな確信を不思議と抱いていた。

何が起こるのか、誰にもわからない。

リリースは特にない。

「UNFADED」よろしく、一切の縛りがないライヴが始まろうとしている。

東京ドームを受けて"VS"だろうか、それとも新たな気持ちで歌われる"アポロ"だろうか、それともこんな世界に向けて"∠RECEIVER"を鳴らすかもしれない。

何が起きるのか、何もわからなかった。

それは、未知のウイルスに怯え、未来が見えなくなっていた日々と何が違うだろう。

いや、全く違うではないか。

たしかな未来が見えるのは、彼らが今まで見せてきてくれた揺るぎなき姿があったからこそだ。

夢も希望もないような世界で、たしかな夢を見せてくれたからだ。

どんな世界になっても、彼らの音楽は変わらない。

会場には今までにない緊張感が漂っていた。

理由がわかった。

普段ならば、始まることへの期待で、場内はざわついているからだ。

座席の間隔が開いたことで、大きな声で喋ることも自然としなくなった。

完全に不安がないわけではない。

もし、何かが起きてしまったら、その不安はいつまでも心から消えることはない。

普段は定型の会場アナウンスも、感染予防への言葉が追加され、皆いつもより注意深くそれを聞いているように見える。

会場の電気が消される。

いつもなら、興奮の声に、一斉に立ち上がる、魔法が掛けられる瞬間だ。

けれど、今は違う。

一瞬のざわつきの後に、拍手だけが会場に鳴り響いた。

歓声はなし、拍手はOKという制約だからだ。

声がなくなったことで、その拍手は、ちょっと尋常ではない密度で会場に響き渡った。

大切に手のひらに握りしめていたもの、それを差し出すように。

暗くなったステージ、紗幕に映像が映される。

そこにいくつかのニュースの映像が映し出されていく。


「今日の感染者数は」
「オリンピックの開催延期が正式決定されました」
「世界でのコロナウイルスによる死者は」
「緊急事態宣言が発令され」


何度も見せられてきたニュースたち。

映像は人のいなくなった東京の姿を映す。

いつもは人で賑わうターミナル駅から人が消えていた、あの日。

シンセサイザーの不穏な音色が重ねられる。

男が1人、倒れていた。

そこに再びニュース映像のコラージュが重ねられていく。

まるで押し潰されたように、倒れている男を塗りつぶしていく。

それが突然止み、倒れている男の姿だけになった。

静まりかえった場内。

男はずっと後ろ姿だ。

男はゆっくりと立ち上がる。

そして、ゆっくりと歩き出した。

一歩、また一歩。

カメラはゆっくりと男の前へと回り、ボロボロになった服から顔を映す。

男は、いやそのゾンビは強き咆哮を放つ。


「Standind out」
「Crying out」


"Zombies are standing out"


その叫びは、ウイルスに蝕まれてもなお、消えない火のように強い光を放った。

容赦なく撃たれた現実という名のBullet。
無感覚と無関心が混じる大気汚染。


大切なものだけを胸に、それだけを失わないように抱え続けてきた。

だからこそ、再び立ち上がり、再び歩き出すことができる。

紗幕の向こう、岡野昭仁と新藤晴一、サポートメンバーたちがスクリーンに映される。

それは強き決意を秘めた表情。

彼らもまた楽しみだけではいられなかったはずだ。

いくつもの不安と迷いの末に、この場所へ連れてきてくれた。

しかしその演奏に迷いはない。

一歩を踏み出せば始まりではない。

それでは、ただ歩いているだけだ。

本当に進むべきは、心が歩み出す一歩なのだ。

そう、"Zombies are standing out"はこんな気持ちでリリースされたではないか。


「Zombies are standing out」では、今やポップカルチャーの代表的なアイコンである「Zombie」を喪失感や諦念に抗い、何度でも立ち上がる象徴として用いており、その「Zombie」の持つ世界観を骨太なロックサウンドに乗せたナンバーとなっています!!


喪失感や諦念に抗う存在。

そこにあるのは綺麗なだけではない、執念にも情念にも似た感情。

1曲目から突き刺さる声。
その声は祈りにも似た声となって終わる。


Zombies remember me 夢見た日を


夢が再び歩み出す。

叫びたい気持ちをぐっと堪える。

まだ、あの当たり前にあった光景には戻れない。

代わりに、万感の拍手でそれに答える。


「ありがとう!」


僕らの声を代弁するように、嬉しさが抑えられないように岡野昭仁が叫んだ。

晴一:ありがとう。座席も半分だし、声も出せないから色々大変だろうけど、最後まで楽しんでいってください。
まぁ、チケットも半分しか売れないってことで、ね。その分、グッズを二倍買ってください。


その後も、馴れたファンほどもどかしさが消えないライヴが続く。

しかし、動きの制限があることによって、音により集中する余地が増している。

本来ならばタオルを回して盛り上がりの坩堝と化す"ハネウマライダー"さえ、タオル回しがないことで、音とより向かい合うことになる。


終盤。

やらないと思っていた曲のイントロが流れる。


"アゲハ蝶”


僕らは声を出すことはできない。

だからこそ、合唱曲となる曲は外れると思っていた。

けれど、あえて彼らはそれを選んだ。

なぜだろう。

僕らは、どうすればいいのだろう。

2番が終わり、来るべき時は訪れる。


「みんな、歌えないだろうけど、心の中で歌ってくれ。きっと伝わる」


それぞれの心の中で、それぞれのラララの声が響いた。

心の中で響いていたはずのそれは、いつしか会場中に響いているように感じた。

何も響かないはずの会場に、響く合唱。

今までの日々があったからこそ、それは響いたのかもしれない。

鳴らないはずの音が、心をひとつにした。

離れていても、 #おうちでポルノライヴ というハッシュタグで1つになれたように。

時間も距離も、制約さえ越えて僕らは繋がっているのだ。

それを繋いだのは、紛れもない、ポルノグラフィティの音楽なのだ。

音を噛みしめる。

音を楽しむ。

ひとつになる。

物理的な距離を保たなければいけないから、せめて心を通わせ、会場を包んだ大きなひとつの塊となる。


「最後の曲です」


そう言って、最後の曲が始まった。

和を思わせる、その旋律。

ライヴでは、始めて鳴り響いたそのイントロ。



"むかいあわせ”



おかえり やっと会えた ずいぶん長い旅だった


歌い出しから涙が止まらなくなる。

待っていた。

苦しかった旅。

けれども、尊き日々。


心と心をむかいあわせ 優しく輪郭をなぞった
知らずに放っておかれた傷がいくつか残っていたよ
真っ赤に腫れあがるその傷をさすって元どおりにするよ
ゆっくりゆっくり眠ればいい ボクが守ってあげる


原曲は、淡々と歌い上げる曲だ。

しかし、ライヴで聴くそれは、想像を遥かに超えたエネルギーで演奏された。


さよなら また旅に出るんだね 後ろを振り向かずに行くんだ
まだ見ぬ素敵な景色がある 信じて進んでみよう
心と心をむかいあわせ そこに生まれるものがあるよ
それを人は愛と呼んでいる ボクにも見せておくれよ きっと見つけられるから


最後のサビ、もはやそれは叫び声に近いものになっていた。

願いを託すように、祈りを届けるように。

しかし最後、頂点に達した演奏がふと止んで、岡野昭仁の優しい歌声だけが響いた。


あなた あなたに出逢いたい


それが願いだったからこそ、それが実現したからこそ、この瞬間は生まれた。

誰かのために歌うこと、伝えること。
それがYouTubeを通してでも、noteの文章を通してでも、変わらない。

しかし、目の前に伝えたい人を前にしたポルノグラフィティは、たしかに僕らの心と心を繋いでくれる。


そんな場所が、また帰って来た。




という、ここまで全て妄想である。

しかし、ライヴがない日々は、本当に寂しいものだ。

あの場所が、いつ帰って来るかはわからない。

けれど、それを信じて、歩み続けていこう。



#おうちでポルノライヴ はなぜ感動的だったのか

暇なのでFANCLUB UNDERWORLD6を勝手に妄想する

3人のポルノグラフィティを見たいという祈りに似た願い


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