2019年12月17日火曜日

新藤晴一が渋谷で育ったらポルノグラフィティは生まれたか







実は、以前ある方のツイートから思いついた記事である。
(その上でかなり寝かせてしまったので今さら感がありすみません)


因島出身のポルノグラフィティ。

もし、それが違っていたら。







コンプレックス




ポルノグラフィティの1stアルバム「ロマンチスト・エゴイスト」"Jazz up"において。


土生港から 海ぞいの道を
初恋を乗せて ペダル踏んでた
乱れた呼吸 さとられないように
246から渋谷にぬける今の僕と何が違うの?
そう考えると ずいぶん遠くへ来たみたい


という歌詞がある。

田舎から都会へ来て変わった環境。そのギャップを対比させている名フレーズだ。

云わずもがな、ポルノグラフィティは脱退したTamaも含め皆が広島県の因島出身である。その点について多くを語る必要はないだろう。

若者にとって、田舎とは得てして退屈なものだ。

今の時代ならネットなどにより環境がまた違うけれど、メンバーが育った時代を考えれば、若者が心を踊らせるようなエンターテイメントは決して多くはなかっただろう。

因島が素晴らしい場所なのは間違いない。

けれど、それに気づけるのは、外からそれを見ているからこそだし、メンバーも年を重ねて改めて故郷の魅力に気づかされたということからもわかるだろう。

話はそれるが、テクノロジーが発達したからこそ、身近に自然があって頭にちょうちょが飛んでしまうような遊びができる環境は、今の時代にこそ豊かさを感じてしまうのではないだろうか。僕は大久野島に住んで1日中うさぎと戯れていたい。

そんな若者にとって刺激が少ない島で岡野昭仁、新藤晴一、Tamaは音楽と出逢うことになる。そしてポルノグラフィティの原形となるノースコアが結成されるのだ。

東京ドームで新藤晴一は言った「ポルノグラフィティは高校の文化祭から地続きになっている」。ただ音を合わせることが楽しかった少年たちの見た空は、今に繋がっているのだ。


ではもし、3人が東京に生まれていたら。同じことになっていただろうか。

もちろん東京に生まれたからといって、そうでなくなるとい訳ではない。同じ道を歩む可能性だってある。

しかしながら様々な刺激が揃った街で、3人が同じように、音楽に夢を見れただろうか。選べるものが限られていた、だからこそ様々な選択肢に迷うことがなかったということもあるのではないだろうか。

新藤晴一が「田舎は捨ててくるくらいのつもりでいた(本当に捨てるとは言ってない)と一旗上げるため田舎から大阪から出てきて、他のバンドに負けてられないというモチベーションが生まれただろうか。

ロックはコンプレックスの音楽なのだ。何もない場所から出てきたからこそ、ただ音楽への情熱と、夢だけはあった。









島が与えたもの




ポルノグラフィティの魅力といえば、その人間性である。

本間昭光の言葉にもあったが、ポルノグラフィティはその魅力で様々なミュージシャンを惹き付ける力があった。

なんで彼らに惹かれてしまうのか。

それは、彼らと人生を歩んできた僕らのファンにとっては云わずもがなだろう。一番ポルノグラフィティに惹かれてしまっているのは、僕らファンなのだから。


たとえば、新藤晴一が昔書いてたことがあって。

それは東京に上京してきて、ロックミュージシャンたるものという憧れからコンクリート打ちっぱなしでロフトもある、みたいな部屋に住んでいたらしい。

しかし、コンクリート打ちっぱなしで吹き抜けで天井が高いので、冬はとても寒かったらしい。

そこで、新藤晴一は一番狭い部屋にこたつを置いて過ごしていたそうだ。

そういうところだぞ。

ちなみに化石となりつつあるブログにもそれは残っているので、ついでにどうぞ。


KO/TA/TSU



東京に来た当初はワンルームの狭い部屋でしたが、ソファはありました。

ほとんど座ることないまま服の置き場になっていたとしても、あることが大切だったのです。

イケイケだった20代半ばにはオットマンまで買いました。

ソファに合った足置きみたいなヤツね。

浮かれてました。


そういうところだぞ。


よくわからないんだけど、こういうところに「等身大」が見えてしまう。

そして、そういうところがあるからこそ、僕らはこの人たちが愛しくて仕方ないのではないのだろうか。

一方で岡野昭仁も、親戚のスガシカオとご飯を食べに行って、サラダに芋虫がいた時にスガシカオ(渋谷出身)は店員を呼ぼうとしたが、「虫がいるくらい無農薬で新鮮な野菜なんですね」と虫を避けて食べたという。

理由が。


殺伐とした空気が苦手で涙が出そうになるから。


そういうところだぞ。


たぶん、その芋虫は因島で岡野少年の頭に飛んでたちょうちょの生まれ変わりなんだと思う。


結局のところ人は、生まれ育った土地に少なからず影響をされる。

意味のないたられば話だけれど、やっぱりポルノグラフィティがポルノグラフィティとなったのは、因島に生まれ育ったからに他ならないのではないだろうか。

ということで、今回は軽めに。

最後に宣伝で、音楽文にポルノグラフィティの20周年イヤーを振り返る記事を投稿させていただきました。


あの日の少年と未来図
ポルノグラフィティと共に歩んだ20周年イヤー



こちらはへヴィー級です。

是非よしなに。


【No】英語禁止でポルノグラフィティを紹介する【English】


ポルノグラフィティ's ヒストリー
chapter.1「因島」
chapter.2「NO SCORE(ノー・スコア)結成」
chapter.3「ポルノグラフィティの誕生」
chapter.4「大阪での活動」
chapter.5「いざ、メジャーデビューへ」



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