第45代アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプが就任した。
当然予期していたように反トランプデモが起こっていた。
その中で生じた疑問がある。
反トランプ運動に見る差別主義批判の自己矛盾と難しさについてである。
なぜセレブによる反トランプ運動が起きているのか
出勤前にめざましテレビを見ていたところ、この話題をやっていた。
反トランプを表面しているセレブたちと、その原因についてであった。
パックンと厚切りジェイソンへ「なぜセレブたちによる反トランプデモが起きているのか」という質問をしていた。
答えとしては「アメリカでは政治的な主張をしない限り、意見がないものとされるので率先してセレブたちが主張している」や「セレブや有名人が主張することで議論が起こるようになるようにしている」というような内容だった。
そして女優のニコール・キッドマンは、
「彼が当選したのだから、私たちは国として、誰であっても大統領を支持する必要がある。なぜならば、それが国の基礎になっているからだ」
というコメントをして「トランプ支持」と受け取られ反トランプ側から「ニコール・キッドマンに対して不買運動をする」という批判的な内容の意見が出ているということだ。
僕が今回話題にしたいのはこの部分である。
反トランプ派による「差別」
ニコール・キッドマンに対しての不買運動であったり、批判というのは差別に当たらないのだろうか。
差別という言葉をあらためて見てみよう。
さ‐べつ【差別】
1 あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。「両者の差別を明らかにする」
2 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によって差別しない」「人種差別」
goo辞書より
1 あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。「両者の差別を明らかにする」
2 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によって差別しない」「人種差別」
goo辞書より
「取り扱いに差をつけること」これだけでも立派な差別なのである。
つまりニコール・キッドマンに対しての行動や言動さえも「差別」であるという自己矛盾を孕んでいるのだ。
差別は当然良いとは思わない。
だが差別という名でなくても、日常生活には何かを比較するときには必ず選別という差別をしているのだ。
「白人金髪美女と付き合いたい」
差別である
「日本の男はレディファーストもろくにしない」
差別である。
「お前んちの天井低くね?」
差別である。
差別主義批判という難しさ
別にこの記事でトランプに対して支持をしようとは思っていない。
上記の通り書いてきたが僕の中にだって自己矛盾なんて当たり前のようにある。
今回書いておきたかったのは「差別主義批判」というのは安易に掲げられるテーマではないのではということだ。
ニコール・キッドマンの件もとにかくトランプを批判したいという気持ちが先走ってしまっているようにしか見えない。
自分にとって気に食わないという物事を安易に批判してしまうのは簡単であるが、感情論ばかりが優先してしまうと説得力に欠けてしまうのではないかと考えた朝であった。
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