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2018年1月3日水曜日

高橋優"CANDY"の歌詞に込められた意味に自分の世界は狭いと気付かされる







世の中には"CANDY"をタイトルに含む曲が数多くある。

その多くはsweetの意味そのままのもので、どちらかといえばキラキラした曲が多い。

僕は真っ先にMr.Childrenの"CANDY"が頭に浮かぶ。
そういえばこのブログのタイトルにも飴玉という言葉が入っている。

しかし、そんな甘酸っぱいワードを完全に逆手に取ったように、高橋優の"CANDY"という曲は絶望の言葉として使われる。







「この色キャンディみたいだね」と誰かが笑った
「ほんとだ、絵の具じゃないみたいだね」と別の誰かも笑った


その筆は僕の口元に差し出され
「ほら舐めてみろよ」と女は笑った
抗うよりも応じる方が痛くされないと
僕は知ってた 僕は知ってた


自身のいじめ体験を元に書かれ話題となった曲である。
この曲へのコメントを引用しよう。

──イジメは報道で取り上げられることも多いですが、世間に向けて、ということは意識しました?

うーん、苛立ちはありましたね。テレビを観ていても、表面的には「イジメはダメ」って言うけど、まるで「イジメをやれ」って煽っているかのような取り上げ方だなって。イジメられている渦中の人は、それが永遠に続くと思ってしまうけど、いつか終わるんですよ。必ず終わるんです。それは僕が身をもって証明できる。だって僕は、イジメられていたことがカッコ悪い過去だと思っていたけど、今は別にどっちでもない、ただの経験のひとつだって言えるようになったわけだから。だったら、もしかしたら歌う意味もあるんじゃないかとは考えました。








母が買ってくれた
大好きなキャラクターが
大きくプリントされた傘
木の枝で叩かれて幾つも穴が
空いてた
「この方がお前によく似合う」
と笑われた

あの人たちが何をしても
やり返す事だけはしなかった
川辺の土に傘は埋めた
落として流されたことにした


2番の傘のエピソードも想像するだけで心にくるものがあるが、この歌詞を人はどう捉えるだろうか。

ある人は自分と重ねるかもしれない、ある人は木の枝を突き刺した側の人間かもしれない、ある人は、何も感じないかもしれない。エピソード自体に思いを重ねることはなくとも、大なり小なり生きていくなかでそんな場面に遭遇することがあるだろう。

この感覚は映画「桐島、部活やめるってよ」を観た時に感じたものと同様のものである。
折しもこの映画の主題歌は高橋優の"陽はまた昇る"。こちらも紛れもない名曲である。






「桐島、部活やめるってよ」が優れていた点は、ほぼ全編学校という舞台のみでストーリーが展開し、作中で所謂"大人"の介入がないところにある。
その演出によって学校というかなり「閉じた世界」の物語であるように感じる。

それでいて観たものそれぞれが身を置く自分自身の「閉じた世界」にも重ねられるというメタ構造になっているのだ。

大人になってしまえば、学校なんて世界はいかに小さなものであったかに気付かされる。しかし、そんな学校を卒業しても、ほとんどの人間は就職し、また新たな"会社"という「閉じた世界」に身を置くことになる。

社会と世界、それは似て非なるものだ。

「今居る場所が世界の全てではない」

とは言うことができても、それは外から見ている人間の言葉であって当人にとっては、いま居る場所こそが世界の全てであるのだ。
良くも悪くも宗教にはそういった側面があるので、想像しやすいのではないだろうか。

それは無責任な言葉になってしまうかもしれない、そうだとしても。
そこから死んで逃げるなんてことは、する必要ないのだから。

そんな曲は次の言葉で終わる。


強かに生きていこうと誓った
これは繰り返さぬための歌
追いつめ奪うのが正義なら 僕は世界でも敵に回そう
愛はどんな味でしょうか?
友情はどんな形でしょうか?
毎日のように差し出されたキャンディの味を僕は忘れない


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