映画「LION」を観てきた。
正直なところよく知らないままに観た作品である。
母が主演のデーヴ・パテルが好きということで観たいと云っていたので付いていって観てきた次第である。
簡単なあらすじこそ知ってはいたけど、予備知識はほぼなしという状態で観た。
やられました。
参りました。
ズドーンとやられてしまった。今年まだ4月終わりかけくらいだけど、おそらく今年のベストと成りうる映画になった。
映画「LION」ネタバレ感想
ストーリー
オーストラリアで幸せに暮らす青年サルー。しかし、彼には隠された驚愕の過去があった。インドで生まれた彼は5歳の時に迷子になり、以来、家族と生き別れたままオーストラリアへ養子にだされたのだ。
成人し、自分が幸せな生活を送れば送るほど募る、インドの家族への想い。人生を取り戻し未来への一歩を踏み出すため、そして母と兄に、あの日言えなかった〝ただいま″を伝えるため、彼は遂に決意する。
「家を探し出す―」と。
成人し、自分が幸せな生活を送れば送るほど募る、インドの家族への想い。人生を取り戻し未来への一歩を踏み出すため、そして母と兄に、あの日言えなかった〝ただいま″を伝えるため、彼は遂に決意する。
「家を探し出す―」と。
原題 LION
製作年 2016年
製作国 オーストラリア
配給 ギャガ
監督ガース・デイビス
製作 エミール・シャーマン、イアン・カニング、アンジー・フィールダー
製作総指揮 アンドリュー・フレイザー、シェイヘン・メカーティシアン、ダニエル・レビン、
ボブ・ワインスタイン、ハーベイ・ワインスタイン、デビッド・C・グラッサー
原作 サルー・ブライアリー
脚本 ルーク・デイビス
撮影 グレイグ・フレイザー
美術 クリス・ケネディ
衣装 カッピ・アイルランド
編集 アレクサンドル・デ・フランチェスキ
音楽 ダスティン・オハローラン、ハウシュカ
主題歌 シーア
出演:デヴ・パテル,ルーニー・マーラ,デヴィッド・ウェンハム,ニコール・キッドマン
ネタバレ感想
実話を元にしたストーリーである。
先に明言しておきたいのだけど、邦題のサブタイトル「〜25年目のただいま〜」は個人的にはいらないなぁと思う。
この作品のタイトルが「LION」であるという意味は、本当にラストで語られる。
それを見ればこのタイトルを一言で言い切るというのは、この映画にとっては大切ではないかと思う。
僕は観ながら何が「LION」なのだろうと考えていたけど、最後まで分からなくて、まさかエンドロール前に答えが出るとは思わなかった。
とても驚いたとともに、電気が走るようだった。
あとサブタイトルある方が若干安っぽく見えてしまう。
原作の邦題が『25年目の「ただいま」 5歳で迷子になった僕と家族の物語』なので致し方ない部分もあるのだろうが。
それはそれとして。
物語は主人公サルーの少年時代から始まる。
少しだけ見た宣伝広告などからしても「幼い頃に離ればなれになった家族をGoogle Earthをもとに探しだす」というのは知っていた。
なので、自分としては正直なところそこまで大きな期待はしていなかった。
結末それでは分かってたし、「スラムドッグ$ミリオネア」で デーヴ・パテルの演技の良さも分かってた。だからこそ「こういう良い話なんだろう」という勝手な線引きをしていたのだ。
ところが、いざ映画を観るとその想像は間違っていたと気づかされるのだ。
もちろん映画の結末は兄クドゥの死という衝撃はあるものの、母親と妹と再会を果たして終わる。
しかし全ての水準が自分のちんけな想像を遥かに越えていた。
そうなったのは、長編映画初監督とは思えないガース・デイヴィスの演出やストーリーもあるけど、何より役者陣の演技である。
サルー(サニー・パワール/デーヴ・パテル)
この映画を"とんでもない映画"にしていると思う1つがこの少年時代のサルーを演じたサニー・パワールである。
この子の演技があまりにも素晴らしい。
僕は基本的に英語もろくに理解できてないので、海外の役者の演技は語れるほど分からない。
それでもたまに「この人の演技凄い」と感じることがあって、それを感じるのが目の演技だ。
この数年の中で一番それを感じたのは「ゴーンガール」のロハザムンド・パイクだ。
そして今回、この子は凄いと思わされたのがサニー・パワールなのである。
5歳だというのに、彼の目の説得力は言葉の壁を越えた演技だと思う。それでいてまだあどけなさの残る喋り方と可愛らしさは観る人を魅了する力がある。
「ペッパ!」の可愛らしさよ。
監督のガース・デイヴィスの言葉にもそれが溢れている。
「サニーは自然体でいるだけで80%の演技になり、過ごしてきた時間や美しい素養など、目の奥に秘めたものを持っていた。部屋に座る彼にカメラを向けるだけで、観る者は彼の物語と表情の虜になるんだ。」
数千人のオーディションから勝ち取った役というの納得である。
とにかく彼の演技にすっかり魅了され、その時点でこの映画の虜となった。
そこからバトンを引き継ぐ青年時代のサルーを演じるデーヴ・パテルの力ももちろん大きい。
サルーは養父母の元で家族想いの青年となる。
理想的なくらいの"良い子"に育つのだが、それだけではなく、本当の家族や義理の弟マントッシュのことでどこか陰も宿している。
このバランス感覚こそデーヴ・パテルの力だろう。
スー・ブライアリー(ニコール・キッドマン)
映画のもう一人の主役とも云えるのがニコール・キッドマン演じるスーである。
"良い子"に育ったサルーだが、弟として迎え入れたマントシュは精神に障害もあり、苦悩する場面が描かれる。サルーはそんな姿を見て、夕食の席でマントシュに強くあたる。
しかしながらスーと夫のジョン(デビッド・ウェナム)は最後までマントシュへの愛情を失わない。
だからこそ、最後にはサルーはマントシュを家族として認めるのだ。
本当の家族として再会したことを伝える電話をするサルー、この時最後にマントッシュの名を出した場面が本当に感動的でもう。
この映画はサルーの物語だが、同時にスーの物語でもある。
スーがサルーへ「なぜサルーとマントッシュを養子に迎え入れたのか」と語る場面の言葉である。
世界には人があふれてる。それなのに子供を産んで何になるの?
それなら恵まれない子たちを助けるほうが、意義があるわ。
それなら恵まれない子たちを助けるほうが、意義があるわ。
スーを演じたニコール・キッドマン自身が2人の養子を迎えているからこそ、説得力が増している。
ニコール・キッドマンがスー役となったのは、スー本人からの要望でもあったという。
「ネコリパブリック」という猫カフェがありまして。
全国で何店舗かあって、相方さんが猫好きなので行ったことがあるんですが、この猫カフェは「2022年2月22日までに猫の殺処分ゼロに」をモットーに、猫の里親を探す役割も兼ねている。
猫カフェの売上で店舗を増やし里親募集の活動を広げている。
世の中には殺処分されてしまう命がありながら、ペットショップでは何十万という金額で猫が売られている。
そんな現実を観ているからこそ、この猫カフェの方針に2人で共感した。
スーの言葉でそれを思い出した。
映画の話題とそれてしまったけど、是非利用してみてください。
クドゥ(アビシェーク・パラト)
映画のラストでクドゥはサルーと駅で別れたすぐ後に電車の事故で亡くなってしまったことが分かる。
しかし、劇中では何度かそれを暗示するシーンがある。
その1つは幻影である。
母親については回想という形で出てくるが、クドゥはサルーの目の前に幻影という形で現れる。
それは最後の線路のシーンまで共通している。
他にもそもそものキッカケとなったサルーとはぐれるシーンでの「迎えに来るから待ってろよ」という言葉はこの場所に戻って来れないことの裏返しである。
僕も母もエンドロールの最後の最後、もう一度クドゥの姿がスクリーンに映り「クドゥに捧げる」という製作者たちのメッセージが流れて映画は終わる。
そのクドゥは序盤で列車から石炭を盗み出すときのトンネルでのシーンが映されるのだけど、とても良い画だなと思ってたんですよ。
ていうか最初の場面だけ観てクドゥが主人公なのかと思ってたくらい。
その前の"蝶"のシーンもあまりに美しいんだけどね。
この鮮やかなシーンたちがあるからこそ、その後サルーが行ってしまうコルカタの街の汚さとサルーの孤独が強調される。
「ソーシャル・ネットワーク」以来にルーニー・マーラを観たけど、この人もとても好きです。
芯の強さを見せながらも守りたくなるような人ですよね。
他に何出てたっけ?とGoogleに名前入れたら、1番上にサジェストされたのが、
「ルーニー・マーラ 胸」
でした。日本人ってやつは。
一応調べたけど。
最近のハリウッドはアメコミ作品をやるか、ヒット作の続編を創るか、実話を基にした作品がやたらと多い。
この謳い文句に正直食傷気味になっている面もあるだろう。
そんな気持ちを越えて、僕はこの映画を観て良かったと思っている。この映画と出逢えて嬉しい。
多くの人に観て欲しい。
基本的にひねくれてる自分がここまで入れ込めたんだから、多くの人に響く作品だろう。
二時間の映画でここ数日はずっと場面場面を思い返してはジンときてしまう。
そんな映画である。
それが映画である。
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