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2017年10月3日火曜日

洋楽主義「オアシス 第二章」ギャラガー兄弟の伝説は今も死んでいないこと






先日WOWOWで放送した「洋楽主義」を見た。

今回のテーマは「オアシス 第二章」

以前に解散までのオアシスの回はやっていて、今回は前半はオアシス解散までの話題であったが、後半は解散後のギャラガー兄弟の活動を取り上げていた。

そこであらためて、ギャラガー兄弟とは、オアシスはなぜ伝説となったのかということを考え直したのでここに記録したい。

すごくどうでもいいのだが、洋楽主義の最後の視聴者投票のランキングで聴きたい曲を流すけど、あのランキングに納得いった試しがない。



生ける伝説








オアシスの音楽性については今さら僕が語るのは野暮というものだろう。

ノエル・ギャラガーの圧倒的なるソングライティング(とパクリの腕前)により、オアシスはデビューにして一躍スターダムをのし上がった。

個人の好みとして好きかそうでないかはあるだろうが、それを置いてもオアシスが90年代のブリットポップを牽引した重要バンドの1つであることは揺るぎないだろう。


オアシスが伝説となりえたのには、音楽性だけでない面もある数々の暴言と問題行動(というか犯罪)により、音楽だけでなくメディアを騒がせた。

音楽面だけでも天下を取るに等しい成功をおさめていながらも、オアシスが伝説となりえたのはギャラガー兄弟のこのキャラクター性があったからこそではないか。
漫画みたいだよね。この人たちは本当に。

僕らが、オアシスに憧れてしまうのは、今の時代にこうした憧れとしてのロックンロールスターたる存在が不在であったからではないだろうか。


かつての著名ロックンロールスター達は活動していなかったり、亡くなっていたり、活動をしていてもオールディーズの領域に入ってしまっている。
中には現役感を持って再結成したりするケースもあるが、それでも僕は自分の時代の音楽という感覚ではない。

だが、どれにも決定的に欠けてしまっているのは「俺の時代感」なのだ。








俺の時代感









俺の時代感とは、そのままの意味でリアルタイムで体感した時代を象徴する音楽の意である。

僕はなるべくリアルタイムに音楽を体感したいと思っている。それは時代の空気と共に今この瞬間の音楽を味わえるのは、今この時しかなくて。それが今を生きている僕らの特権なのだ。

大層なことのように書いてしまったが、かといって別にそれごとに聴き込んでいる訳ではなくて、なんとなく空気を掴むという程度であるが。
といってもオアシスについてはリアルタイムとは言いがたくて、後期にようやくリアルタイムで追い始めたのだけど。

それでもオアシスはリアルタイムで体感できた僕のロックンロールスターであった。
そんな伝説もあの日、幕張で見たのを最後に僕の前からは消えてしまった。


ノエルに関してはソロになってからの方が明らかに後期のオアシスより生き生きとしている。リアムは若干迷走気味だが。

たとえオアシスというフォーマットでなくとも、ノエルは今も歴史を刻み続けている。気取っていえば、伝説が生まれているのに立ち会っている感覚。その感覚はやはりリアルタイムで味わっているからこそ体感できるものだ。
その瞬間にそれを感じるかどうかは人それぞれであるだろうが、その瞬間にその空気を肌で感じた、ということが重要な経験となるのだ。

これは映画とかも同じで、過去の作品を語る上で時代背景というのは大切なファクターであるように、音楽にもその作品が生まれた時代背景や時代の流れというものがある。


洋楽主義の中で粉川しのさんが「若い子の間でストーンズとオアシスが同じスタンスで語られるくらいの存在となった」というような言葉があった。まさにこれで、今の若い子にとってオアシスはもはや過去の存在で、オールディーズの枠に入っているのだ。

こうやって時代が移り変わっていって、過去は過去となって、未来に新しい音楽が生まれて、もしかしたら新たな伝説が生まれるかもしれない。

でもまだギャラガー兄弟の伝説は終わっていない、僕はそう信じて明日を生きよう。














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