タイトルの通りである。
最近どれだけあるか分からないが、怒りがぶり返してきたので、ここいらで淡々と発散させてもらいたい。
そういうこともあって、取り上げる題材が若干古いのはご容赦いただきたい。
芸能人の吹き替え起用
めざましテレビを朝の眠さの死んだ目で見ているとエンタメコーナーで流れる「俳優の◯◯が映画吹き替えを担当」、「女優の△△が吹き替えに初挑戦」。
何が「初挑戦」だ。その女優が初挑戦だろうがなんだろうが、その作品はこの世に1つしかない。それを話題性重視のためにだけ俳優や女優を起用するというのは、冒涜ではないか。
たとえばコメディとかであれば、ナンラカノ化学反応を起こすこともあるし、それ自体をギャグに持っていけるかもれない。
コメディでなくとも「トイ・ストーリー」や「モンスターズインク」のような天文学的な確率でピタリと当てはまることも、なくはない。どちらもピクサーではないか。
しかし、名誉のために名前は出さないが何故MI6のヘンリー・カヴィルがウィッシュになるのか分からないし、ハンコックでウィル・スミスが巻き貝みたいな名前の人になるか分からないし、プロメテウスがZOZOTOWNになるか分からない。
最も怒りを感じたのは言うまでもなく「ザ・シンプソンズ MOVIE」である。
「ザ・シンプソンズ」を愛して止まない僕は映画のニュースにスミサーズ!と叫ぶほど心踊った。
しかし、劇場公開に際して吹き替えに当てられたのは、テレビシリーズでお馴染みの名前ではなかった。
ホーマー(父):所ジョージ
マージ(母):和田アキ子
バート(長男):田村淳(ロンドンブーツ1号2号)
リサ(長女):ベッキー
スミサーズ!
当時の「ザ・シンプソンズ」って吹き替えでこそ、ってファンの人が多かったと思う。それほどキャラクターと吹き替えの声が同一視されていた。それが、なぜこうなってしまったのだろう。
20世紀FOXの担当はホーマーに首を絞められるべきだし、バートのように黒板に「話題性だけで芸能人を吹き替えキャストにしてはいけません」ってひたすら書いてこい。
当然ファンからは猛抗議の声があがり、署名活動にまで発展した。それでも公開時の声は代わらず(分かってはいたが)、なんとかDVD発売時にテレビシリーズの吹き替えキャスト"も"収録された。抗議や署名がなかったらそれすらなかった可能性があったかと思うと末恐ろしい。
しかし劇場でテレビシリーズの声での「ザ・シンプソンズ MOVIE」を見ることは遂に叶うことなくなった。
この問題、そもそも「字幕見れば?」「英語覚えれば?」という意見もごもっともである。
繰り返すが「ザ・シンプソンズ」は吹き替えで見るものなのだ。
しかし採算のために、作品を汚すような行為が、許されるのだろうか。もちろん最初から救いようもない、どうしようもない作品もある。しかし、それすらも歪めてしまうのは、作品に携わるものとして、正しいと言えるのだろうか。
もうひとつ「日本版エンディングテーマ」問題について触れてみよう。
日本版エンディングテーマ問題
まず「日本版エンディングテーマ」ってなんぞや?って方のために簡単に説明したい。
海外の映画作品が日本で劇場公開される際にプロモーションの一環で、日本のアーティストが楽曲を提供して主題歌として流れるという不思議なルールが存在する。他国ではあるのだろうか。
用いられ方は主に予告だけで使われるパターンか、エンドロールで差し替えられて使われるパターンがある。
以前「バイオハザードⅢ」を劇場に見に行きまして。内容は世間の酷評に反して僕はわりと好きだったのだが、エンディングでどんなショッキングシーンより驚いた。
日本版のエンディングテーマ(イメージソング)が流れたのである。
その曲は。
倖田來未"LAST ANGEL feat.東方神起"
※ここからは荒れるのでファンの人は見ないでください
はああああああ!?
と劇場で叫びたくなった。僕は絶対にエンドロールの最後まで観る主義だが、初めて外に出たくなった。何をどうしたらイメージが倖田來未になるのか分からないし、曲がイメージになっているとは思えない。
せめて吹き替えだけとかならいいし、そういう映画も多いのに、これは字幕版にも容赦なく倖田來未されるのだ。
どうせ、あれだろ、決めたのこういう連中だろ。
決めた人間たち、桜井和寿ではないが、まずはお前らがゾンビに喰われればいいんだ。
いや、日本版主題歌を否定したい訳ではない。
手前味噌だがポルノグラフィティの"Zombies are standing out"であればスタンディングオベーションしていた(完全なる偏見)
吹き替えの奇跡的な化学反応のように、もし曲が映画と合っているのであれば、むしろ面白さを増すことにもなる。
しかし、なぜバイオハザードに倖田來未やら東方神起なのだ。どう考えてもavexがねじ込んだしかないではないか。
ちなみに本来はCollide の"White Rabbit"だった。
"White Rabbit"
うさぎじゃねぇか。
カメラ止めろ。
白うさぎということで、アリスがモチーフの歌詞である。
なぜかといえば主演のミラ・ジョヴォヴィッチの役名がアリスなのである。そうした、リンクがあるのだ。それ以上でもそれ以下でもないが。
日本でもせめてColdrainとかなら合いそうなものなのに。
これらのどこに問題があるかといえば、誰も得しないところにある。
映画も役者もアーティストも客も、配給という名のマーケティングに踊らされて。
無論映画自体つまらないのもあるし、収益を得るためには必要なのかもしれない。それくらいしなければ救いようもないどうしようもない映画もある。
それでも、評価は映画に対してされるべきではないか。作り手の意図しないプロモーションによって反発が起きたり、署名活動に発展したり、それほど悲しいことはない。
そんな悲しみがこれ以上続かないことを、ただ願う。
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