2018年8月22日水曜日

映画「カメラを止めるな!」原作と原案 この問題の本質はそこではないのでは








想定外ともいえるヒットを記録している映画「カメラを止めるな!」。

そんな作品が現在問題に挙がっている。

騒動のきっかけは「FLASH」に掲載された「『カメラを止めるな!』はパクリだ!原作者が怒りの告発」という記事が発端となっている。

この記事において、劇団PEACEの元主宰者は和田亮一氏は自らが手がけた舞台が着想
になっていることから「原作」としてクレジットして欲しいと要望している。

詳細は後述する。


原作と原案、映画のヒットもあり、騒動はとても大きなものになっている。
しかし、今ひとつ原告側の主張に納得できない点があり、今回筆を取った次第である。





原告の主張




劇団PEACEの元主宰者は和田亮一氏は「GHOST IN THE BOX!」が「カメラを止めるな!」と類似しているという点を指摘している。

そして監督の上田慎一郎氏は当初から「ある作品に着想を得ている」と公表している。その作品こそが「GHOST IN THE BOX!」である。


しかしながら和田氏は映画の公開当初に観ている。
その上で映画を絶賛するツイートをしている。






この事については、和田氏によってnoteに投稿されている。

というか、これかなり重要なのに、ここまで言及している人もいるが、どう考えても少なすぎる。

映画「カメラを止めるな!」について


その件で直接話をするために、先方のプロデューサー含め、会って話しました。
その際に、配給拡大のタイミングで、今日クレジットは決めなくてはならない。といわれ、最終的に向こうから妥協案として「原案」だったらどうですか、という話になり、“ひとまず”クレジットには原案として劇団名、作品名を入れてもらいました。
そして、その後原作かどうかは判断しましょう。
という話になりました。
だから今、映画のエンドロールには

原案:劇団PEACE「GHOST IN THE BOX!」(作:A 演出:和田亮一)

special thanks で和田亮一と入っています。

でも僕は、ただ、「原作」と入れて欲しかったんです。

元劇団員のみんなが「あの作品PEACEの芝居が原作なんだよ!」と、素直に応援して、自慢できるようにしたかったんです。


noteの全文を読むとSNSだけ見ている人にとっては、また印象が変わるのではないだろうか。

ここからが僕の考えなのだが、和田氏と上田氏、問題の本質はそこにあるのだろうか。

この問題がここまでSNSなどで言論が飛び交う必要が、果たしてあるのだろうか。


宇多丸氏も指摘しているとおり週刊誌の煽り見出しで騒動は広がった。



(宇多丸)しかもこれは記事を書いている記者も明らかにパクリなんていう内容じゃないのはわかった上で釣り的な見出しを……これ、よくネットとか週刊誌とかであるじゃないですか。釣り的な見出しって。いや、東スポならいいけどさ。それはユーモアがあるから。でも、これはさ、もうマジでこういうの、やめようぜ!

(宇垣美里)知らない人はびっくりしちゃいますよね。

(宇多丸)だし、これがあるから……それこそ週刊誌自体、首を絞めているようなもんじゃない? 「どうせ釣るためならなんでもするんでしょ?」って。で、実際に読んでみたら中身は大したことないみたいなさ。

(宇垣美里)でも本当にね、そういう風にすることによってその価値自体をさげているのかもしれないな、なんて。

(宇多丸)要は俺が言いたいのは見出し、なんなの、これ?っていう風に思いますね。


筆者はしてやったりなのだろうが、今どきにこうした"釣り見出し"が跋扈してしまうのも、問題ではないだろうか。

プロデューサーの市橋浩治氏に関する記述がそれを指摘する意見以外で見かけないこともおかしいと思えて仕方ない。


ところで一番の問題は構成そのものが作品の根幹なのに、それを堂々と全国ネットでネタバレしやがったフジテレビではないだろうか。


この映画がこれだけヒットしているのに「予備知識はないだけいい」という観た人たちの思いで緘口令なんてしかれてもないのに、ネタバレを自粛している人ばかりだ。


つまり、この問題の本質は週刊誌やテレビなどのメディアと炎上でただ騒ぎたい人たちが騒ぎ立てているところにあるのではないか。

noteの内容だけであったなら、状況は違っていたのではないか。










アイデア





「お金のためではない」としていながら和田氏は「原案」としてクレジットされている点に納得せず、「原作」を主張している。
自分たちの名前をしっかりと知ってほしいという気持ちであるならば「原案」でも「原作」でも代わりはないだろう。

確かにこの部分は決定的に矛盾している。
明らかにおかしいとしか言えない。

しかしながら、noteにあったような云い分も分からないことはないのだ。

ものづくりにおいて、何よりも重要なポイントは「着想=アイデア」なのだ。

0から1を創ることと、1を100にすることには大きな違いがある。

以前ボツった記事なのだが「作曲は印税になるのに、なぜ編曲は印税が発生しないか」というテーマで書いたことがある。

作曲というものは極論を言えば鼻歌を唄うだけでも作曲になる。
一方で編曲(アレンジ)はその曲を製品としてリリースできる形にまで持っていく重労働なのである。

それなのに、なぜ作曲には印税が発生し編曲には発生しないのか。

それは印税が作曲の「アイデア」に対しての対価であるからだ。


そしてその「アイデア」を基に傑作とされる映画が生み出されたのなら、和田氏のような行動に出ることも不思議ではない。
「売れたから」それは自分の「アイデア」が間接的にでも認められたということなのだから。


表現者たちの、こうした争いほど悲しいものはない。

なるべく円満な方向で話がまとまればいいんだけどね。


最後にこれだけは言っておきたいけど「パクリと知ったら面白くなくなった」みたいなコメントを見た。

あなたは自分の感性を本当に信じて映画を観ているのですか。

世間の評判で自分の意見をねじ曲げるような人に、作品を評価する資格があるのかな。



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