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2019年6月4日火曜日

【ライヴレポ】Amuse Fes in MAKUHARI 2019 ~恋とか愛とか~








6回目となったAmuse Fes
今の幕張での開催もすっかり馴染んできて、定番のフェスとなってきた。

昨年は金欠も相まって行けないでいたら、ポルノグラフィティは"天気職人"やら"空想科学少年"やら単独でもそうやらないレア曲をぶち込むという鬼仕様で、行けなかったことを、とても悔やんだ。2019年はなんとか都合をつけて、行くことができた。

Eブロックの後半だったので、入場した時点でライヴ開始まで1時間を切っていたし、ランダムチャームは売り切れてるし、飲食ブースはどこも長蛇の列だったので、場内でビール(とりあえず2杯)とパルムのアイスを食べて挑むこととなった。32歳にもなって、こんな生活でいいのだろうか。

※ここからライヴの話になるが、全部書くとあまりに長くなるので、特に心動かされた箇所を抜粋して書くことにさせていただく


【ライヴレポ】Amuse Fes in MAKUHARI 2019 ~恋とか愛とか~









"島人ぬ宝"




BEGINの上地等と島袋優によるAmuseスペシャルバンド
様々なヴォーカリストが入れ代わり立ち代わり現れ、アミューズのアーティストの楽曲をカバーしていった。


1. 福笑い/山村隆太(flumpool)×Rihwa
2. 桜坂/TAKE(Skoop On Somebody)×藤原さくら
3. とうとい/高橋優
4. TOKYO GIRL/山出愛子×佐々木萌(エドガー・サリヴァン)・Rihwa
5. 勝手にシンドバット/KEIGO(FLOW)×KOHSHI(FLOW)×s**t kingz


マルシャ・ショーラの二拍子が鳴り続くなか贅沢な時間が流れていく。
それだけでなくとも、FLOWは自身のステージで「恋とか愛とかの曲がない」ということで、先輩である福山雅治の"HELLO"をカバーしていたり、アミューズというアーティストのアットホームさが伝わってくるような、選曲が多くあった。

そして、ステージにヴォーカリストたちが勢揃いして語られる。

「我らがポルノ兄さんが20周年!みんなでお祝いしましょう」

その言葉から演奏されたのは"ハネウマライダー"。お祭り感は最高潮に達する。慌ててみんなタオルを出して、それを振り回す。

何度も幸せを届けてくれた、不器用なバイクはこうしてアミューズのアーティストたちによって、ポルノグラフィティ本人たちへ幸せをもたらすこととなった、本人たちの喜びを想像すると同時に、これだけ愛されているアーティストのファンでいられることが、何より誇らしく喜ばしい。

愛の歌を唄うだけがラヴソングではない。
そこに愛情があればこそ、想い溢れる愛が、そこにあるのだ。

そしていよいよ、残ったヴォーカリスト、岡野昭仁が呼び込まれた。
少し照れ臭そうにしながら、岡野昭仁を中心に、最後の楽曲が演奏された。


"島人ぬ宝"
ヴォーカリストたちが勢揃いしたステージで、岡野昭仁が唄い出す。あぁ、この声だ。この声が聴きたくて、僕はまたここに来たんだ。


僕が生まれたこの島の空を
僕はどれくらい知ってるんだろう


それは、去年見た空。厚い雲に覆われ、雨に濡れたしまなみの空。流れた涙と、新たな誓い。そして再び、因島で2人はあの日の雪辱を晴らした空。
映画館のスクリーンで見た、晴れ渡ったしまなみの空、あの美しい光景は目に焼きついて、今でも忘れることができない。

岡野昭仁の優しい歌声に、出だしからもう涙が出ていた。
そうだ、この人も同じ島人なんだ。故郷を思って、雨に苦しんだ故郷のために懸命に動き続けた。そして、大切な故郷を思い「いつでも見上げる空色はふるさと/僕らの心で変わらないもの」と"そらいろ"を唄い上げた。

そんな人だから。


でも誰より 誰よりも知っている
悲しい時も 嬉しい時も
何度も見上げていたこの空を


そして、それを支えるのはポルノグラフィティにとって大切な先輩であり後輩であり、音楽シーンでせめぎ合ってきた仲間たち。

せめぎ合うことと争うことは違う。

せめぎ合うことは、切磋琢磨すること。切磋琢磨とは、磨き上げていくこと。それができるのは、互いを認め合っているからこそ。

そんなアーティストたちが奏でる音楽だから、そこにしか起こり得ない魔法が宿る。

その音楽は前半戦最大のクライマックスとなって、いつまでも余韻を残して消えていった。




高橋優"8月6日"




「6月1日という今日という日を一生忘れない」

高橋優はそう語った。

「何度でもまた走り出せ」という力強い"STARTING OVER"で幕を開け、シングル「ありがとう」のカップリング"高野豆腐~どこか遠くへ~"を披露。実はアルバムツアーでやった内容のようだが、僕は残念ながら見れていなかったので、とても意表をつかれた。

そしてMCとなり、ほぼ同期というflumpoolへの想いが語られる。それを聴くと、先の山村隆太による"福笑い"のカバー、高橋優によるflumpoolの"とうとい"のカバーがとても愛しいものであったと気づかされる。


雨の続く日々もあるさ
晴れの日だけ歩けはしない
心は濡れたままでもさ
君が前を向けるように
~"とうとい"(flumpool)


そんな6月1日という日を忘れないこと。そして、6月1日という日付が、もしかしたら辛い日付の人もいるかもしれないけど。何月何日とかそういう日についての歌、そうして演奏されたのが"8月6日"である。

個人的にとても大好きで大切な曲であった。しかし、ツアーなどでもタイミングが合わずに、聴けないままでいた。

5周年のベストツアー「笑う約束」でも聴けず、半ば聴くことを諦めていた。それがまさか、こうして2019年のアミューズ・フェスで聴けるとは思ってもいなかった。






君との日々と、過ぎていく時間、その中で変わってく関係。その唄のフレーズでいつも心に刺さるフレーズがある。


トキメく恋心抑えられずに 全てを君に求めた


これは、先輩であるあのアーティストの歌詞の言葉とも通じる。


独りよがりの愛情は君に
届かずに彷徨った
分かり合えるはずの君が遠くて
強くうねる行き場のない
この苛立ちさえ投げた
~"ROLL"/ポルノグラフィティ


"8月6日"ではそれが、最後に「全てを君に見せてた」に変化する。愛は、さらけ出すこと。そこに、君がいることこそが幸せで、それこそが愛であると気づいて曲は終わる。

そこから明日への新たな希望を願う"明日はきっといい日になる"
歌詞では悔しさがあった今日も、明日はそうだとは限らないと唄う。それは決して綺麗事で唄われるものではない。

明日も君を愛していくこと、それは願いではない。
希望を持つことが叶わない時代に、それでも明日に希望を抱くことは、強い決意が必要なことだ。

高橋優だからこそ、そのメッセージが強く、心に突き刺さる。

そんな高橋優のステージ、そこで唄われた"8月6日"で唄われるメッセージが、このフェスの最後にまた大きな感動を呼ぶこととなった。



flumpool"星に願いを"









ヴォーカル山村隆太の歌唱時機能性発声障害により活動を休止していたflumpoolがまた活動を再開し、帰ってきた。

2018年のアミューズ・フェス






山村隆太に向けて"星に願いを"を唄った岡野昭仁。僕は映像でしか見れていないが、それはとても優しい歌声だった。
それを客席から見ていた山村隆太は、涙するとともに、また唄うことへの希望を持てたという。


いつか君と 夜空のふたつ星に
名前つけて 交わした指切り


それを聴きながら、ふとスクリーンから目を落とすと。





あらためて、ロゴが目に入った。
小指と小指を繋ぐ赤い糸は恋でもあるし、確かな「約束」を繋ぐ指切りの印でもあった。その繋がった指と指は、諦めなかったから、切れずに繋がり続けたもの。






互いを讃えるように、励ますように、その歌声は無数の光となって響いていった。その先に願いは叶い、また新たな感動を生んだ。

そしてそんな場所に「『ただいま』って言えるのはこのフェスだけ」と言った山村隆太の気持ちが、痛いほど伝わってきた。







フェスにはそれぞれ特色がある。
けれど、アミューズ・フェスのように事務所単位でアーティストを集めるものは珍しい。

そして、毎年テーマを決め、時には他のアーティストのステージにゲストに現れて、助け合ったり、新しい表現を試行錯誤している。

だからこそ、メインのラインナップのほとんどが同じなのに、毎年全く印象が異なる。

アーティストたちが毎年、活動を続けているからこそ新曲が必ずといって良いほど披露される。
こんなフェス、なかなかあるものではい。


その後Perfumeが「Amuseのなかで誰がいい?」「神木(隆之介)くんで終わっちゃうじゃん」というトークと、完璧なライヴでしっかり盛り上げたステージ、そんなフェスもトリとなる。









ポルノグラフィティ





チケットを取ってから二週間。しかも間には色々あったので、ポルノグラフィティを見れるという実感が薄いまま、その瞬間を迎えた。

今回はトリとして現れるポルノグラフィティ。どんなステージを見せるのだろうか。

自分なりに"愛なき…"や"元素L"あわよくば"ルーズ"?なんて予想をしていたが、ポルノグラフィティはそんなポンコツの予想を遥かに超えるものを打ち出した。

じっくり見ていこう。



OP. "電光石火"


オープニングシーケンスの映像とギターの音像があまりに格好いい仕上がりとなっていて、これから待ち受けるものを予感させる。

どのアーティストも凝っていたけど、贔屓目全開なのもあるが、ポルノグラフィティのは一気に引き込まれた。


呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン
愛の伝道師
ポルノって「アレ」のことよね
なら究極の愛ってことになるんじゃない?
どうやって愛してあげましょう?
痛いのと優しいのどっちが好み?
熱いのがいいなら届けましょう
45歳になってもできるのよ?


(見てないけど)昨年と同様に"電光石火"の替え歌が披露される。

そもそも"電光石火"自体がまあまあかなりマイナーなのに、こうやって定着させようとしているところが恐ろしい。
だが帰り際に「ポルノもっと見たい。最初の去年もやってたよね?めっちゃ耳に残る」みたいなことを言ってる方もいたので、掴みとしてバッチリのようだ。

「電光石火」はそもそもあっという間に過ぎてしまうような短い時間をいう。
それはフェスという舞台で決して曲数は多いと言えないステージを表しているようだ。

それでも、一瞬で焼き尽くしてしまう稲妻のように、その短い時間で何度身を焦がすことになっただろう。

曲の世界観に一瞬で引き込まれるという意味にも取れるし、あらためてこの選曲は多くの妙が詰まっている。



1. PRISON MANSION


「はあ?」と思わず声が出た。
フライングVを構えてるし、雰囲気と流れ的に"Zombies are standing out"やるかと思えていた。でも「ラヴゾングじゃないしな」とやらない可能性も考えていた。そしたら更にラヴゾングではないのが来た。

この人達、頭がおかしいんじゃないか(誉めています)。

歌詞を聴きながら頭で必死に追いかけていっても「恋とか愛とか」の1曲目に選ぶ理由がまるでわからなかった。

それでもただ、ただ圧倒されるサウンドに酔わされる。

後輩や先輩が繋げてきたステージ。そこの最後を受け持つこと。
20年を迎えたベテランであっても、そこに胡坐をかくことなどできない。

だからこそ、最初からポルノグラフィティはぶち抜いた。
その線を一瞬で超えてきた。

しかしそれが、"PRISSON MANSION"のロック性を見せて、ただ格好いい演奏を聴かせるだけで終わるはずがなかった。

そして、曲の最後に気づいた。ポルノグラフィティは「恋とか愛とか」について、「人類」という視点で語ろうとしているのではないかということに。

そうしていくと、この後の展開が恐ろしさすら感じるものとなったのだ。



2. サウダージ


「恋とか愛とか」というテーマなので、"サウダージ"はやはり入ってきた。

何より嬉しかったのが、新藤晴一が1960年製のヴィンテージレスポールで鳴らしてくれたことである。「UNFADED」ではテレキャスターでの演奏だったので、こうして聴くレスポールの"サウダージ"は、ビールとじゃがりこサラダ味くらい相性がいい。

改めて踏まえて聴くと「繰り返される よくある話」が、これまた重要なフレーズとなっていることに気づく。それは「繰り返されてきたこと」そして「繰り返していくこと」。

バランスとして、マイナーな選曲である"PRISON MANSION"からドが付くメジャーシングルである"サウダージ"へ繋ぐことで、場内を一気にポルノグラフィティのペースに引き込んでいる。


MC


昭仁:アミューズ・フェス、僕らで最後です。盛り上がってますか? アミューズのアーティストたち、凄いじゃろ? 最後に立たせてもらってるけど、頼もしい後輩たち、そしてSkoop On SomebodyやBEGINみたいな先輩たちによって、素晴らしいフェスになってると実感をしております
6回目になるけど、本当に後輩たちが頑張ってくれて、素晴らしいフェスになり(噛)、なりました。



昭仁:ヴォーカルの岡野昭仁です!ギター、新藤晴一!
晴一:恋とか愛とか
昭仁:何かあります?
晴一:いや、全く考えてなかった。というか、ここ君が喋るとこじゃろ?
昭仁:何かあればいいですよ
晴一:公園に車で行って駐車場の隅で…※
昭仁:やめときなさい。やっぱりカープ愛とかしかないですか?
晴一:今日、勝ったね
昭仁:あんまり言うと炎上しますよ
晴一:言うな

※俳優の原田龍二が公園の駐車場で自身の車の中で女性とポルノポルノして不倫していたという時事ネタ。



昭仁:テーマが愛とか恋とか?恋とか愛とか?どっちだっけ
(スタッフに言われる)
昭仁:あぁ「恋とか愛とか」。こんなんですよ、すみませんね。僕らも20年やってきて45歳になって、10代の恋とか愛とかの話をしてもって感じでしょ。なんか白黒な感じになってしまう。令和の時代に昭和? みたいな。かといって税金納めに行ったら、税務署の受付のお姉さんが綺麗だったとか言っても、嫌じゃろ


晴一:君、童貞でしょ?妄想で話して
昭仁:はいはい(股関辺りを見る)
?「チーン」
昭仁:(ドラム野崎真助を見て)ちょうどいいタイミングで「チーン」って鳴らすんじゃない


昭仁:僕らも20年やってきて、人の親にもなって。愛とかそういうものに対しての捉え方が10代、20代の頃と比べると変わってきました。次の曲で「父の背中」って歌詞がありますが、僕らも人の親になったので、大きな背中を見せられるようにならないとな、という想いで演奏します。"愛が呼ぶほうへ"



3. 愛が呼ぶほうへ


フェスのロゴのように、手と手の間に赤い糸で歌詞が綴られている。繋がっていく歌詞たち。
それがまるで命のバトンを繋いでいるように見えた。赤い糸は小指と小指を繋ぐ。それとは別にへその緒のように、命と命を繋ぐ存在に見えもした。

昨年、ポルノグラフィティを苦しめた雨。
落ち込む彼らを救ったのは高校生たちによる"愛が呼ぶほうへ"の合唱だった。因島からの中継以来となる"愛が呼ぶほうへ"。なんて、なんて優しい曲なんだろう。聴くたびに大切になっていく。

「人の親になって」と本人たちの口から出るようになった。ここまで直接語るのは、初めてではなかっただろうか。

年を重ねるごとに、ファンにとっても、本人たちにとっても大切な曲になっていく。2018年にまたひとつ大きなものを乗り越えた"愛が呼ぶほうへ"は、瑞々しい希望に満ちていた。


愛そのものを擬人化した歌詞、これほど「恋とか愛とか」という舞台に相応しい曲はないだろう。

人の一生とは。それは人類の歴史からすれば一瞬のことかもしれない、しかし生き抜いた人間にとっての全てであり、それこそ永遠となる。

或いは、あなたのそばで確かに感じた永遠だったのかもしれない。




4. カルマの坂


ドラムが鳴った瞬間に、全身が硬直した。
瞬時に浮かぶ曲名、けれどその曲名が正しいのか、理解がまるで追いつかなかった。

本間祭で演奏されたことはあるものの、ほとんどのポルノファンにとって2008年の「横浜・淡路ロマンスポルノ」以来ではないだろうか。

そこで岡野昭仁は「この曲は何年も前のものだけど、その時は曲の持つ世界観を正直表現できなかった。けれど今ならもう少し世界観を表現できるようになったと思います」と語っていた。

あれからまた10年以上が経過した。

45歳をもうすぐ迎える、円熟味を増したポルノグラフィティ。普通は年齢とともに衰えていってもおかしくないのに、岡野昭仁の声はより表現力と迫力を増し続けている。それはヴィンテージのレスポールを鳴らす新藤晴一のギターも同じだ。

この後に演奏される"フラワー"で命そのものと向き合ったからこそ、11年前のロマンスポルノよりも更に曲の世界が広がったのではないだろうか。

音楽に完成はない。
こうして時代を越え、リリース当時より強く胸に響くようになった曲を聴けることが、とても嬉しい。それこそが、ポルノグラフィティが現役のアーティストである証だ。それをリアルタイムに味わえることが、何よりの喜びだ。


少年がパンを盗んで生きてきたことに対して背負った業、その報い。

「業(カルマ)」とは仏教において「行動に対しての負うべき結果」だ。自身の行いが結果を招き入れるという思想なのである。

そんな仏教的価値観もありながら、パンはキリスト教を彷彿とさせる。その視点から見れば、パンとはイエス(キリスト)そのものであり、ならばカルマの坂とは、人類の罪を背負って処刑されたゴルゴダの丘に通じるヴィア・ドロローサ(悲しみの道)にも見える。

「恋」や「愛」はどんな時代、どんな場所でも存在する。人間はそうやって、今に繋がってきた。人種も宗教も時代も関係ない。

出逢いも別れも泣くも笑うも好きも嫌いも、業さえも人が繰り返してきたもの。そして、これからも繰り返していくもの。


少女が少年の心に残したのはただひとつ、痛みだけ。
それだけがたったひとつ、少年と少女を繋いだもの。

少年が剣を振り下ろしたのは、悲しき壊れた少女だけではない。刃を向けたのは少女を救えなかった自分の愚かさをも斬ったのだ。

"愛が呼ぶほうへ"でつながりを唄ってきたからこそ、それを途切れさせることへの悲劇が強調される。


罪を背負った少年は、それからどうしたのだろうか。



5. フラワー


「UNFADED」ツアーと同じ映像が用いられた。
「UNFADED」では"海月"で古来から受け継がれてきた命を描き、そこから"フラワー"に繋げた。

そして、今回。"愛が呼ぶほうへ"、"カルマの坂"から続いたことで、どうしても、ある想像をしてしまった。花を見つめる視線。それが、僕にはカルマを背負った少年に見えた。それはまるで、最期の場所を探し求めるように。

全てを断ち切っても、人は孤独にはなりえない。全ては繋がって、ひとつの円を描く。

ただそこに咲く花はもしかしたら、この街がまだジャングルだった頃から受け継がれた命かもしれない。

咲いては枯れ、種を落とし、また次の春に花を咲かせる。
花は愛が呼ぶほうへ導かれ、空に伸びゆくのだから。

アミューズ・フェスという会場にいた人々に、ポルノグラフィティは種を残していった。その種たちは、どんな花を咲かせるだろう。


昭仁:さあ、ここまでじっと聴くような曲が続きました。ここからは、みんなで盛り上がっていきたい! 覚悟はできてますか! 幕張! みんなでアホになって、変な躍りをしましょう! "ミュージック・アワー"!



6. ミュージック・アワー


さっきまで切々と生きた命を唄ってたとは思えないほど、雰囲気は一転。このあまりの切り替わり、ポルノファンでなければ戸惑ってしまいそうなものだが、さすがアミューズのアーティストを愛する人々。ポルノファンでない人も、最初から楽しんでいる。

なんなら、変な躍りさえ、最初から覚えている人もいるようで、Eブロックの後ろから見るそれは、美しい光景だった。

かなり意表を突かれるセットリストの中で、唯一と言っていいほど、王道のど真ん中をどストレートに打ち鳴らす。

最近の夏のような暑さは、きっと多くの人の恋心が暴走してしまったからではないか。

そう思いたくなるほど、誰もが笑顔で、跳び跳ねて、クラップして、叫んで、変な躍りをしているこの空間は、真夏のような熱気に包まれた。

そして岡野昭仁は2番Aメロで1番のAメロを唄っていた。



アウトロを回している中、岡野昭仁が叫ぶ。

昭仁:最後に教えよう、僕らはずっと愛の、愛のカタチを探してきたんだ



7. アポロ


唄い出しから、この日一番の歓声が上がる。"アポロ"は特に、ファン以外の人も反応がすごく良い印象。

どこまでも伸びる声は、これだけのステージを見せてきた最後とは思えないパワフルなものだ。


「恋とか愛とか」というサブタイトル。
しかし、ポルノグラフィティはその先の言葉を紡ごうとしたのではないか。

「最後に伝えよう」という言葉は、まるで「UNFADED」にも現れた天使のようで。天使が伝えようとした言葉があるとしたら「恋とか愛とか言っても100年後には誰もいなくなるだろ?」という問い。

違う。

「立ち上がった猿」が、この街がジャングルだった頃から探し求めているもの。変化を続ける社会で、変わらないもの。たとえ僕らが100年後にいなくなったとしても、僕らが探し続けている愛のかたちは、いつまでも受け継がれていく。

決して潰えることのない糸によって。

"PRISON MANSION"の中で、様々な人間が、様々な自分を生きている。誰一人として同じ人間などいやしない。多種多様な人々、それでも世界や社会はそれを許容しきれず、差別が消えることはいつまでもない。花束は個性溢れる花が揃うから美しいのに。


君の形 僕の形 重ねてはみ出したものを
わかり合うことをきっと 愛とか恋と呼ぶはずなのに
~"夕陽と星空と僕"


恋とか愛とか、たった2人の関係でさえ、全てをわかり合うことはできない。それは、3月6日にすれ違った男女のように、どんな些細なすれ違いも日常にはあって。それぞれのカメレオン・レンズ越しに世界を見ているのだから。

だからこそ、見つめ直さなければならないのは「恋とか愛とか」の前にあるのは「人と人」のつながりであること、僕らは「人類」であること。

それを見失ってしまったとしたら。


私は人間です
気づくのが少し遅いようです
全て壊していつか私も消えてしまうでしょう
~"Human Being"

僕らがそれに気づく時は、もう手遅れなのだろうか。

いや、この1日で僕らはこんなにたくさんの愛や恋に触れたではないか。

こんな音楽が鳴り続ける限り、恋や愛は尽きることはない。


これだけポルノグラフィティには恋とか愛とかの曲があるのに、それを選ばずここまでのテーマに昇華させてしまったポルノグラフィティに、僕はやはり戦々恐々とした気持ちを抱いたのであった。


【セットリスト&使用ギター】

OP 電光石火(Amuse Fes 2019Ver.)
1.PRISON MANSION
2.サウダージ
3.愛が呼ぶほうへ
4.カルマの坂
5.フラワー
6.ミュージック・アワー
7.アポロ

OP・1→フライングV
2・4・5→1960年製レスポール
3・6・7 →ヴィンテージテレキャスター




"それを強さと呼びたい"




2回目のアミューズ・フェス(当時は「BBQ」だった)より締めの恒例"それを強さと呼びたい"。出演者たちが、それぞれのパートを唄い上げる曲。今回は、最初のパートを岡野昭仁が唄っていた。そして、最初新藤晴一によるギターが追加されていて、心を鷲掴みにされた。

2014年と2015年も同じ岡野昭仁の唄い出しだったけれど、ここ最近はずっと2016年のバージョンを聴いてきたから、驚いた。


個人的な話になってしまうが"それを強さと呼びたい"のCメロ後の「鏡に写った姿~」を岡野昭仁が唄い出した瞬間に、いつもその声に心が締め付けられるような感動を覚える。
それぞれが、それぞれの声で唄って繋ぎ、最後に人生で最も聴いてきた歌声が響く瞬間、自分がこの歌声に生かされていることを実感させられるのだ。

だから、曲の間に自然と覚悟を決めるようになっていた。けれど、今回は最初にその歌声が鼓膜を震わせてきた。

そして、これまでずっと岡野昭仁が唄ってきた、あのフレーズは、別のヴォーカリストに託された。パートを替えただけと言われればそれまでだが、それ以上にバトンが託されたような気がしたのだ。あの男に。


鏡に映った姿 好きになれないってよくある話

真実の 姿は あなたを愛する人の目に映ってる


どこまでも真っ直ぐで、どこまでも正直で、どこまでも泥臭くて、どこまでも人間くさい高橋優の声がそこに響いた。

いつでも、どんな時でも真っ直ぐに時代を唄ってきたその声が、そのフレーズを唄った時に、この日何度目かわからない涙が溢れた。

"8月6日"で主人公が最初見ていたのは、君ではなくて、君の瞳に写る僕であった。それが最後に君と本当に向き合えたことで、そこに本当の愛を見つける。


等身大の自分自身を見ているのは、誰よりも君だった。

僕らの目に写っていたのは、愛しているアーティストたち。

そして、そのアーティストの目には僕らが写っている。


恋愛だけが愛ではない。

どこにでも愛はあって。

歌声たちが花束になった瞬間に、その場所に愛が還る。

1年に一度、それを持ち寄って確かめ合う。

そんな素敵な空間こそ。

アミューズ・フェスという場所なのだ。

そして、発起人であるポルノグラフィティが向けた背中は、Eブロックからでもハッキリわかるほど大きかった。



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アミューズフェス(Amuse Fes)に見るライヴマナーとルールの違い

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2 件のコメント:

  1. うちのカミさん共々2016年に初参戦以来3年連続のAmuseFes、
    Aブロック下手端の最前眼前で「変な踊り」煽っていただきました。
    ソロになって初参加の山出愛子さんもオープニングを堂々と務め切ったり、
    高橋優さんの8月6日に涙したり、Flumpool山村さんへの「おかえり!」、
    恋、愛ってどうしてこんなに想いが暖かいのだろう、
    それはこの事務所の持つアットホームな家族愛にも似たものではないでしょうか。
    それにしても、最後に一気に「持っていった」45歳パワーは大したものです。

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    1. コメントありがとうございます。

      Aブロック羨ましいです!
      やはりEブロックは遠かったです…

      山出愛子さんのピュアなステージとても良かったですよね。まさに名前の通り、愛のあるステージでテーマをしっかり盛り上げてくれましたら。

      他のフェスはどうしてもバンドを呼んで並べてってところから始まりますけど、アミューズフェスはそれがないのが大きいですよね。もちろん入れ替わりとかもありますけど、それでもメインが同じだからこそ出来る部分は強みですね。

      45歳、まだまだ衰えなくてファンとしで怖いです笑

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