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2019年5月27日月曜日

「それより僕と踊りませんか?」と言える男になりたい(井上陽水"夢の中へ"の歌詞より)








探しものは何ですか?
見つけにくいものですか?
カバンの中もつくえの中も
探したけれど見つからないのに


このフレーズを聴いたことがある人は多いだろう。

井上陽水の"夢の中へ"の冒頭のフレーズである。

出だしが有名な曲は案外フルであんまり聴いたことがなかったりする。

この曲は井上陽水の3枚目のシングルで、映画「放課後」のために書き下ろされた。ヒットのなかった陽水はこの曲でヒットを記録する。

フルで久しぶりに聴き、改めて素晴らしい歌詞だと思い、その意味の考察をここに残したい。



「それより僕と踊りませんか?」と言える男になりたい
井上陽水"夢の中へ"の歌詞より








探しもの




この曲の探しものについて、“薬”の歌だという説もあるが、それは本人が否定している。

そもそも、この歌詞は「具体的な探しものを歌っていない」からこそ、普遍的な魅力を持っている。

ある人にとっては「幸せ」かもしれない、ある人にとっては「愛」かもしれない、或いは「夢」や「希望」かもしれないし、「自分のアイデンティティ」かもしれない。

聴いた人それぞれに、更には聴くタイミングによって違うものになるだろう。

音楽には、あの日を振り返るものもあれば、こうしていつまでも違う思いを重ねながら共に時代を越えてゆく楽曲もある。


まだまだ探す気ですか?
それより僕と踊りませんか?

夢の中へ夢の中へ
行ってみたいと思いませんか?



「まだまだ探す気ですか?」という部分が、今になってようやく自分なりの解釈として氷解した。

ここ2年ほど、僕は資本主義の崩壊を考えてきた。

そして、先日別の記事で貪欲(とんよく)として「人間の欲望は限りない」ということに触れた。

仏教的解釈なのだが、まさに「まだまだ探す気ですか?」という歌詞と共鳴した。70年代以後の高度成長期による消費経済の世界を言い表しているようにさえ感じる。

もしかしたら、探しものは何かを発見するためではなく、欲望の限りにまだまだ探し続けるのですか?という問いに見えたのだ。

あなたはもう十分、それを持ってるのに欲望のために、まだまだ探し求めるのですか。まさに、資本主義的ともいえる考えではないか。

ギター?ギターはロマンを買ってるから良いんです。

疑問符から始まる歌詞は、ここで疑問から問い掛けに変わる。










夢の中




休む事も許されず
笑う事は止められて
はいつくばって はいつくばって
いったい何を探しているのか


この部分が全体からすると、少し違和感がある印象を受ける。

1番では自発的に何かを探している様子であるが、ここでは「許されず」「止められて」など受動的な行動になっている。

或いは「どうしても見つけなければならないもの」なのかもしれない。それは「自分自身のアイデンティティ」や「個性」と呼ばれるものなのかもしれない。

1970年代を境に社会情勢は様変わりしていく。


成熟した成人として、社会を構成する一員の自覚と責任を引き受けることを拒否し、社会そのものが一つのフィクション(物語)であるという立場をとるとされた。音楽でもテクノポップの流行など、社会的にも無機質な変容が感じられた時代に、高尚な哲学や思想を語ることも、一種のファッションとしての地位を得た。一方、評論家の竹熊健太郎は、オタクと新人類は同一のものであり、「同じ人格類型のバリエーション」であると唱えている。


これは「新人類世代」と呼ばれた世代の特徴だという。

新人類世代は1961~1970年生まれの世代を指す。
ちなみに僕ら「ゆとり世代」は有無を言わさずこの辺りの世代に「これだからゆとりは…」と云われてきたので、人間が如何に愚かで不毛な世代間闘争を繰り返しているかわかるだろう。

詰め込み型教育が終わりをつげ、新人類呼ばれた世代は消費と個性の時代を生きていくことになる。

「夢の中へ」が発売された1973年は第一次オイルショックや、後に村上龍が『コインロッカー・ベイビーズ』として発表するコインロッカーに幼児を置き去りにするコインロッカー・ベイビー問題があったり、『ノストラダムスの大予言』がヒットを記録する。

つまりは時代背景として、バブル経済までは閉塞感のある退廃的なムードが漂っていた。

それを思うと「夢の中へ行ってみたいと思いませんか?」「うふふ」と誘う"夢の中へ"のような曲が受け入れたことは、その反動もあるのかもしれない。

「社会そのものがフィクション」というのは、どことなく皮肉を感じる。



それより僕と踊りませんか?




「許されず」「止められて」を求めたのは何か。
それは時代や社会といった、自分ではどうしようもならないものが求めたのかもしれない。

求めることが求められ、消費が良しとされる時代を迎える。

探しものは際限なく現れ、いつまでも尽きない。

そんな中で「それよりも僕と踊りませんか?」という問い掛けは、時代や社会にとらわれず、人と人が向き合う様を歌っているように聴こえるのだ。

時代や社会に振り回され、失ってないものまで探すより、あなたと向き合って踊りたい。

これほど純粋な願望があるだろうか。

2019年になっても社会は明るいとはいえない。
資本主義が終わり、時代は新たなタームに進む。

そこで大切なのは「それより僕と踊りませんか?」と言えるかどうかなのではないかと、思えたのだ。


そういうものに わたしはなりたい。



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