サポートメンバーとは何だろうか。
ライヴにおいて、ミュージシャンを支える存在。
そして。
サポートメンバー
ポルノグラフィティを語る上で、サポートメンバーの魅力を語ることを避けては通れない。
これまで、数多くのサポートミュージシャンが、ポルノグラフィティのライヴを支えてきた。
メジャーデビュー時、ポルノグラフィティはドラムのいないバンドであった。
なので、デビュー当初、いやデビュー前からサポートドラマーは必須だった。
さらに本間昭光によって、バンドサウンドだけではないアレンジの曲が多いポルノグラフィティにとって、キーボードやシンセサイザーも同じくである。
それでも足りない音をマニピュレーターとしてnang-changが鳴らして支えていた。
ポルノグラフィティの歩んできた道はサポートメンバーたちの歩んできた道でもあるのだ。
nang-changを除けば、デビュー当初からずっと支えているというサポートミュージシャンはいない。
長年つとめていたサポートを離れたり、また新しい出会いがあったり、それがポルノグラフィティという「バンド」なのだ。
サポートメンバーによってもちろんアレンジも違えば出音は全く異なる。けれども、どんなライヴに行ったとしても、僕らが「ポルノグラフィティのライヴは楽しい」と思えるのは、ポルノグラフィティ2人(かつては3人)が核となり、すべてを背負っているからだ。
ならば、何かを背負えるのは、その背後に多くの人たちがいるからだ。
「Support(サポート)」という言葉はそのままの意味では「支える」という意味になるが、「維持する」という意味がある。
ポルノグラフィティがいつでもポルノグラフィティたるライヴを見せてくれたのは、どんなサポートミュージシャンたちも、ポルノグラフィティを愛して音を奏でていたからに他ならない。
たとえば、野崎森男。Tamaが脱退し、2人になったポルノグラフィティを2004年からベースとして支え続けてきた。
途中で代わったこともあるが、サポートを続け2018年にサポートを惜しまれつつ卒業した。
野崎森男の言葉で印象的だったのが「ポルノグラフィティがつまらない音楽をやったらサポートを抜ける」というもの。この流れで書くと抜けた理由がそれに思えてしまいそうなので補足するが、サポートを卒業したのは自身の音楽活動のための円満卒業である。
サポートでありながらも、ポルノグラフィティとサポートメンバーは対等な立場なのである。それはなぜか。
ポルノグラフィティもサポートメンバーも僕らに最高の音楽を届けたいからである。そのために、互いに遠慮などしない(但し加入したての若手はいじられる)。
本気だからこそ、僕らはサポートミュージシャンまで含めて、彼らの鳴らす音楽が大好きなのだ。
本気だからこそ。
2019年の東京ドーム。
「nang-changの次に古株になりました。長いことやってきましたが、僕は動けないのでずっと後ろから2人を見てきましたが、今日はすごい感動した……」
と涙ながらに語った野崎真助。
「さっきの真助ちゃんじゃないですけど、だいぶヤバかったです。最近ご一緒できておりませんでしたが、心はいつもポルノチームのつもりです」
と喝采と悲鳴のなか語ったNAOTO。
それほどの想いをポルノグラフィティに抱いているのである。だからこそ、サポートでありながらバンドとなり、ツアーを巡れば、その関係性を強固なものにしていく。
そして、忘れてはならない、僕を泣かせたサポートドラマーがいる。
小畑"PUMP"隆彦
「PUMP(ポンプ)」という言葉は日常にも馴染みがあるだろう。
水を汲み上げたりする時に使う、そのままのカタカナ英語の「ポンプ」。
その他に「PUMP」にはこんな意味がある。
"心臓"
それは、ポンプというものを想像すればその意味になることを想像することは難しくないだろう。
小畑"PUMP"隆彦
僕が人生で初めて体験したライヴ、ドラムとしてその心臓となったのが、ティム・バートンと桃が大好きなポンプさんだった。
※ここ1年くらいは基本的に敬称略で書いてるブログだけど、それでも「ポンプさん」と書いてしまう。半分もうそういう固有名詞なのだ。
2004年12月30日。年の瀬迫る寒空の東京体育館。「Purple's」と題されたポルノグラフィティの5周年を祝うライヴに僕はいた。
一人でチケットを握りしめていた。
そこで、人生で初めてポルノグラフィティのライヴを見た。
流されるように、瞬く間に過ぎていった時間。そんな中で今でも印象に残っているのは、身体を痺れさせたポンプさんのドラムだった。
腹に響くバスドラやスネア。それはCDコンポや、今では化石化しているMDプレーヤーで音楽を聴いていた自分には、体験したことのない衝撃と包容力だった。
思い返しても、どんな楽器より記憶に残っているのは、一拍一拍がまさに「脈打つ」生で味わうドラムの力強さだった。
翌2005年にホールツアーで、東京国際フォーラムや、日本武道館で体感したそれは、より生々しく、記憶に楔を打ち付けられるような感覚にさえなった。
そして、2006年。
もう一つがポルノグラフィティ。
長年サポートをやらせてもらって、一番ドラマーとして成長させてくれたバンド。
特に新藤君とは将来の夢の話やロマンチックな音楽話をよくしてました。
高田馬場のライヴハウスで「将来僕らは武道館とかでやれるようになりますかね?」
なんて真面目な顔で話してる新藤君を今でも覚えてます。
彼らの活躍ぶりは皆さんご存知の通り。
武道館どころか横浜スタジアムまで僕を連れて行ってくれました。
長い長いツアーにも連れて行ってくれました。
そう、僕らを横浜スタジアムへ連れていってくれたポルノグラフィティ。それは、サポートミュージシャンたちも同じだ。
スタジアムで音楽を鳴らす、それは生き残ることさえ困難な音楽業界で、どれほどの確率になるのだろうか。
そんな横浜スタジアムでも、ポンプさんの強烈なドラムは全身にビリビリと響く消えない余韻をくれた。
やがてポンプさんがサポートを去った。
それから主に松永俊弥や、野崎真助がドラムを支えた。特に野崎真助は近年の多様化を極めるポルノグラフィティの音楽性を叩きわけるなど、挑戦的なことが多かっただろう。
ポンプさんの時代でさえ、ポルノグラフィティの多様性は果てしなく広がっていた。
「Purple's」の副音声において直接的に語られるように、"Sheep ~song of teenage love soldier~"のようなフレンチポップは、なかなかロック畑の出身は通ってこないものだ。
先の文章の続き、THE 野党で久しぶりに新藤晴一がサポートとしてポンプさんに依頼した時の言葉。
今日はリハーサルで新藤君と一緒でした。
何だか懐かしすぎて、でも相変わらずの新藤君で。
ちょっと照れ臭くて言いそびれたので。
今回誘ってくれてありがとう。
顔を見た瞬間、胸の奥の方が何故だか温かくなりました。
ちょっとの間ですが頑張るのでよろしく。
キミをカッコよく見せるのは得意なので。
本人が書いたので・・・
「キミをカッコよく見せるのは得意なので。」という言葉を読み、胸に熱いものが込み上げてきた。この一言に、ポンプさんの優しさと包容力の全てが詰まっている。
バンドの心臓として一体感を持たせながらも、それでもなお、ポルノグラフィティを格好よく見せようとしてくれる。
そんなポンプさんがライヴで最後にポルノグラフィティの2人とステージをともにしたのは、2014年に行われたポンプさんの50歳を祝うライヴの2日目。ポンプさんからの直々のオファーに岡野昭仁と新藤晴一が応えた。
その夜について、ポンプさんの綴った言葉に、また涙してしまったのだ。
引用させてもらい、この記事を終えたい。
ポルノの2人の出演を告知できなかったのでとても歯痒かったです(笑)。
僕の音楽人生のハイライトの一つである瞬間を再現できる貴重な夜、
もう次はいつになるかわからん貴重な夜。
印象的だったのは僕の横で同じく久しぶりにKeyを弾くただすけの顔つき。
8年前の顔に戻ってた。俺と同じくスゲー嬉しかったんだろうな。
もう誕生日だからとか全然関係なく、演奏してるのがただ楽しくて嬉しくて懐かしくて・・・。
以前のブログに「今ならクリスチーナやラストオブヒーロー、もっと上手く叩けるんだろうな」
みたいなこと書いてたけど・・・カウント出したらもうぜんぜん一緒だった。
8年の時間が一瞬だった。
Let's go to the answerで2人が俺のほう見て嬉しそうにギターかき鳴らすのを見て涙が出そうになった。
「死ぬほど嬉しい」なんて簡単に書くけど・・・
「死ぬなら今かもなぁ」と思えるほどの幸せな瞬間はそうそうないと思う。
心からこの時間が愛おしかった。
夢のような2夜
ちなみにこの日のセットリストを引用すると。
「小畑ポンプ生誕50年記念演奏会 Day2(仮)」SETLIST(ポルノグラフィティ出演楽曲)
M1 Hungry Spider/槇原敬之
M2 ラスト オブ ヒーロー
M3 クリスチーナ
M4 サウダージ
M5 アポロ
EN1 Let’s go to the answer
導かれるままにあの日の思いを貫いて
Let's go to the answerは何処かにあって
君となら行けるさ痛みがあるのも構わない.
~"Let's go to the answer"/ポルノグラフィティ
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