以前アジカンについて歌詞解釈を書いたが、アジカンよりもさらに思い入れが強いのがバンプ(BUMP OF CHICKEN)である。
なんせ"天体観測"が中学1年頃に発売したのだ。
中二病まっさかりな時に、中二病の化身みたいなバンプがいたことで、あの頃の男子は軒並みバンプを聴いていた。
その中でも個人的に好きなのが"スノースマイル"である。
パッと見、どう見ても恋愛ソングなのだが、藤原基央曰く「ラヴソングじゃない」とのことである。ちなみに"天体観測"も同じくラヴソングじゃないと明言されている。、
そんなこというから中二病だと言われるんだと思うが、それでも作詞者である藤原基央の意向を汲み取ってみようじゃないかと思う。
東京は桜の開花が宣言されてこれからまさに春、冬の歌はもう終わりみたいなタイミングであるが、書いて行こう。
君の冷えた左手、僕の右ポケット
まずタイトル"スノースマイル"は「雪と笑顔はいつか消えてしまうもの」という意味が込められているそうだ。
そんな目で見られても困る。何か言いたかったら藤原基央に言って欲しい。
君の冷えた左手を
僕の右ポケットに お招きする為の
この上ない程の 理由になるから
僕の右ポケットに お招きする為の
この上ない程の 理由になるから
完全にラヴソングです。本当にありがとうございます。
出だしからもう頭が痛い。というか全体の中でもここが一番ラヴソング然としている。
この部分は"天体観測"での「君の震える手を 握ろうとした あの日は」とも共鳴するなと思っていて、全体でも"天体観測"のテーマを彷彿とさせるセンテンスが散りばめられていると思う。具体的に述べると「あの日の君を思い返す僕」である。
"君"をどう捉えるかで曲全体の解釈が決まってくるだろう。
「雪が降ればいい」や「君の歩幅は狭い」などからも幼い子どもであることが伺われる。僕もまさか雪が降るとため息しか出なくなる年齢になるとは思わなかった。
冒頭だけ見ると完全にラヴソングなのだが、最後にもう1度「右ポケット」が出てくる。それが、
同じ季節が巡る
僕の右ポケットに しまってた思い出は
やっぱりしまって歩くよ
僕の右ポケットに しまってた思い出は
やっぱりしまって歩くよ
の部分である。自分が「ラヴソングじゃない」縛りを全く考慮せずに解釈していたら「冷えた左手=君がしていた指輪」とかで受け取っているところだ。
もしくはバラバラ殺人の犯人が被害者の左手を…やめておこう。
注目したいのが「やっぱりしまって」という表現である。
つもり最初主人公は「しまっておかない」ことを選んでそこに来たということだ。何をか、それは「思い出」である。
思い出を置いていこうとするということは、過去との決別を表しているのかもしれない。しかし主人公は最後にそれを思いなおす。それは思い出である笑顔が「僕の行く道を」教えてくれたから。
思い出
では過去主人公と"君"に何があったのだろうか。
サビの歌詞は全て「主人公の夢物語」である。
つまり、現実には起こらなかった過去なのだ。そしてサビで共通するのは「足跡」や「足音」、つまり一緒に歩くということ。
ここから自分はある解釈が思い浮かんだ。それが「足を怪我して松葉杖をついている子」である。たとえば「君の歩幅は狭い」、それは君が松葉杖をついているからではないだろうか。
君の手を取るのは支えるためである。ポケットに手を入れる、はひとまず隅に置かせてくれ。
この曲で思い浮かぶ色はなんであろうか。おそらく大半の人が「白」と答えるだろう。そして白がモチーフとなるものとして「包帯」や「病院」などを連想できないだろうか。
だって、「落ち葉を蹴飛ばすなよ 今にまた転ぶぞ」である。絶対骨折ってる。
この曲は藤原基央曰く「この曲はラブソングではなく、むしろ硬派でロックらしい曲」と語っている。
「ロック=ROCK」と思っていないだろうか。
甘い。
本当は「ロック=LOCK」なのだ。つまり「LOCK(固定する)=ギプス」なのだ。
硬いギプスである。
季節が巡り、君と再会しに訪れたがそこには君はもういなかったのだ。退院したから。
ラヴソングとして捉えないとするならばこれ以外の解釈はないだろう。
以上が僕の解釈である。
なんでこうなった。
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