今年のアカデミー賞の話題ですら落ち着いてきた昨今。
今更ながら2016年のアカデミー作品賞を観た。
2017年だし、「ラ・ラ・ランド」の話題ばかりだけど、どうしても書きたいので書いていこうと思う。
あらすじ
2001年の夏、ボストン・グローブ紙に新しい編集局長のマーティ・バロンが着任する。マイアミからやってきたアウトサイダーのバロンは、地元出身の誰もがタブー視するカトリック教会の権威にひるまず、ある神父による性的虐待事件を詳しく掘り下げる方針を打ち出す。
その担当を命じられたのは、独自の極秘調査に基づく特集記事欄《スポットライト》を手がける4人の記者たち。デスクのウォルター"ロビー"ロビンソンをリーダーとするチームは、事件の被害者や弁護士らへの地道な取材を積み重ね、大勢の神父が同様の罪を犯しているおぞましい実態と、その背後に教会の隠蔽システムが存在する疑惑を探り当てる。
やがて9.11同時多発テロ発生による一時中断を余儀なくされながらも、チームは一丸となって教会の罪を暴くために闘い続けるのだった・・・。
公式サイトより
その担当を命じられたのは、独自の極秘調査に基づく特集記事欄《スポットライト》を手がける4人の記者たち。デスクのウォルター"ロビー"ロビンソンをリーダーとするチームは、事件の被害者や弁護士らへの地道な取材を積み重ね、大勢の神父が同様の罪を犯しているおぞましい実態と、その背後に教会の隠蔽システムが存在する疑惑を探り当てる。
やがて9.11同時多発テロ発生による一時中断を余儀なくされながらも、チームは一丸となって教会の罪を暴くために闘い続けるのだった・・・。
公式サイトより
ネタバレ感想
アカデミー賞作品賞&脚本賞という箔が付かなかったらもっと見過ごされていたであろう秀作である。
そこまで箔が付いても日本ではカトリックに対する問題についてはどうしても薄いため、そこまでのヒットとはならなかった。
思いっきり映画を劇場で観なかった時期だったので僕が言えたことではないんだけど、この映画は多くの人に観て欲しい作品であった。
しかしながらカトリックの問題は置いておいても、凄まじいほど地味な作品なので、なかなか取っ付きにくい部分はあると思う。
物語の大半は「スポットライト」チームの聞き取り取材で進む。
観ていて思い出したのはデヴィッド・フィンチャー監督の「ゾディアック」であった。こちらは刑事が主役だが実在の事件がテーマということや、地道な聞き取りや捜査で事実を追求していく過程はどこか重なるものがある。
個人的になんだけど、こういう地味な良作みたいな作品はとても好みだ。
「ゾディアック」以外では2009年公開のロン・ハワード監督作品の「フロスト×ニクソン」も思い出した。この作品もとても地味だけど大好きな作品だ。
良い脚本、良いキャスト、良い演出、良いスタッフ、良い音楽が揃えば必然的に良い作品が出来る、本当にそれに尽きると思う。
細かいところまでキャストが絶妙であった。特に最重要とも言える「スポットライト」チームがもう全員素晴らしい配役である。
「バードマン」に引き続きマイケル・キートンの力は大きい。終盤に実は新聞社において事件が明るみに出なかったキッカケがキートン演じるロビーであったことが判るのだが、そこからのロビーの表情など本当に素晴らしいと思う。
あの演技があったからこそ「スポットライト」チームが最後にまた一歩団結を深めることに繋がることに説得力があったと思う。
マーク・ラファロも「フォックス・キャッチャー」に続き相変わらず素晴らしいし、スタンリー・トゥッチはもう出てるだけで大好きな俳優だし、局長のリーヴ・シュレイバーも本当に良かった。
そして何より紅一点となるレイチェル・マクアダムスである。
画面に出てくるたびによく分からないけど「ありがとうございます」と思ってしまった。この人美人すぎるだろ。
よく分からないけどあと2枚くらい写真貼っておく。
神を信じること
さてここまで書いてネタバレ大してしていないなと思ったけど、もはや記事が公開されたという事実は世に出ているわけだから何を持ってネタバレとするか判らない。
テーマの1つは「信仰」である。
劇中で信仰について語られる言葉があり、それが信仰について核心となるものではないかと思うので引用する。
教会は人の作った組織だ。いつかは滅びる。けど信仰は永遠だ。
という台詞。
作中でも語られているように「神父様」は神様と同意義である。なので被害者の子どもたちは「神父様の言葉=神様の言葉」として受け取ってしまう。
教会も神父も人が作ったシステムだ。しかし、本来の神に向けられるはずの信仰が人に作ったシステムに向けられるという倒錯がこの事件の肝となっているのではないだろうか。
ジャーナリズムとは
もう1つ書いておきたいのが「ジャーナリズム」について。
映画では取材によって真実が明るみに出ることを描くが、それがもたらす影響についてもしっかり描いている。つまり、事実によって傷つく人たちからもしっかり目を反らさないのだ。
そして何より感じたのが「裏を取る」という当たり前のこと。
よりにもよってここ最近某学園問題があったじゃないですか。
一応あれこれ見ていたんだけど、追ってくほど報道の「ずさん」さが目に付いた。
振込用紙のアレとか本当にアホかと思った。
それを当たり前に報道しているメディアに疑問が出ない訳がない。
そんな時にこういう中立と真実を貫き通すジャーナリズムを見てしまったら確信に変わってしまう。
リーヴ・シュレイバー演じるバロンが枢機卿と初めて会うシーンで「教会と新聞上手くやっていきましょう」という枢機卿の言葉にバロンが「いえ、新聞はあくまでも中立的な立場であるべきだと思ってます」と返すんだよね。
そして劇中では何度も「裏を取ってます」という言葉が出てくる。
当たり前のことのはずなのに、果たしてそれが今の報道(日本だけに留まらず)にどこまで根付いている意識なのか。
僕らはそれを日常的に当たり前のものとして見ているし、時には判っていながらも見過ごしている。
それでは古きカトリックの習性と変わらないのではないだろうか。
そんなことを考えた映画であった。
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