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2017年9月10日日曜日

ハルカトミユキ +5th Anniversary SPECIAL @日比谷野外大音楽堂 2017/09/02






※文中の敬称略
※引用以外は全て僕個人の見解、意見、妄想です


ハルカトミユキにとって3度目となった日比谷野外大音楽堂。台風一過のような快晴の空の下、時折吹く風の肌冷たさに秋を感じた夜。







定刻を少し過ぎ、後方スクリーンにロゴが映し出され、メンバーが登場する。

1曲目は"世界"。昨年と同様である。
但し、前回の"世界"とは込められている意味合いが違って聴こえたような気がした。それは前回が本編最後となった"光れ"へと続く旅の始まり、そして今回が"光れ"から先の旅の始まりだと感じたのだ。

「最初から飛ばしていくよ!」の声とともに"DRAG&HUG"へ、そのままテンポアップバージョンの"伝言ゲーム"が続く。
「LOVELESS/ARTLESS」から続くGt 野村陽一郎、Ba 砂山淳一、Dr 城戸紘志というサポートバンドも見る度にバンドとしての存在感と一体感が増している。


「ハルカトミユキです」
「新しいアルバム『溜息の断面図』から楽しい曲を」

"インスタントラブ"
手拍子しながら皮肉たっぷりに歌うハルカの姿が素敵だ。想像以上にライヴで映える曲だ。より好きになった。
新作からのナンバーが続き"Sunny, Cloudy"。こちらも「変わらぬものを探す間に こんなに変わってしまった」その歌詞は今のハルカトミユキの姿とオーバーラップするのだが、それでも変わらぬ信念があると思う。それについては後述。

"Pain"から"ドライアイス"と胸を締め付けられるような流れ。痛みが傷となって、火傷となって心のざらつきをなぜるよう。


「ここから少しミユキと2人でやろうと思います」

語り出したのは歌うことについて。

「レコーディングを前に東日本の震災があって、歌うことの意味をあらためて考えた。だけど、歌うことも音楽を聴くことも、そう思うこと自体が意味のあること。どんなに暗いといわれようと、聴いてくれる人のために歌おうと。タイトルに唯一「絶望」が入っている曲です」

震災を受けてから初めて書いた曲"絶望ごっこ"

ライヴで聴くのは久しぶりだ。グレッチを構えたハルカがイントロのアルペジオを弾き出し、息を飲んでしまう。


以前のコメントを引用する。


「これは〈3.11〉の直後に書いたんですけど、その時の東京の人たちの、普段と違うことが起きて浮足立ってる感じがすごく嫌だったんですよ。でも、なぜそんなにムカつくのかっていうと、自分にもそういう部分があるからで。世の中の状況が鏡みたいに自分を映してた、そこで自分を見たっていう感覚は強くありますね」(ハルカ)



そうだ、この曲は震災の影響を受けたから書かれた曲だった。


何一つも欠けてないのに泣いてる君は可哀想だね。


この曲が世にでてからもSNSの普及は止まらなくて、インターネットで世界に扉が開いているのに、どこか感じてしまう閉塞感。
後にやる"近眼のゾンビ"にも通じるけど、この閉塞感が何なのか、それは皆どれだけ繋がろうと結局、最後は他人で、無責任なんだということ。
今なおこの曲の言葉が突き刺さる。


ハルカ「夏祭り行きましたか?…行った? 」
ミユキ「行ってない! 」
ハルカ「私も。なので今日はお祭りなので、楽しんでください」

五周年ということで、2人で本当に初めて書いた曲を聴いてもらいたいと思います。"夏のうた"

僕はインディーズの頃のCDは残念ながら持っていないのだけど(誰か音源だけでもください)、この曲は最初のDVDに収録もされているので何度も聴いて大好きな曲。

君は煙のように笑って泣いて眠りました

という歌詞が心に残る。

"宝物"
ロックインジャパンで最後に演奏され、それがあまりに美しくて、忘れられなかった。途中でバンドが加わるアレンジで、ロックインジャパンの時とはまた違う印象を受けた。このアレンジも素晴らしい。




中央に椅子と机と照明がセッティングされ、ハルカが椅子に腰を下ろす。

「新曲をやります。
11月に公開になる「ゆらり」という映画のために書き下ろしました」

机に置かれた手紙を広げ、歌い出す。

新曲"手紙"






今はもういないあなたへ手紙で呼び掛ける歌詞。
「~ですか?」とAメロでは問い掛けが続く。サビの、


愛とは手紙のようなものですね
受け取るばかりで気がつかずに


愛情を受けて、それを返せていたか、主人公は問い掛ける。でも間違いなくお互いに想いは伝わっていて、幸せな2人であったと、曲の主人公たちに想いを寄せてしまう。

そんなに公開規模の大きな映画ではないが、初めての映画主題歌ということで、多くの人に届いて欲しい。感動的な曲だった。

手紙を置き、本を手に取る。


「五年。五年前のこと覚えてますか」という問いかけから始まった語り。

「五年、生きてくれていてありがとう。幸せな時は忘れてください。でも辛い時は傍にいます。そう、夜明けの月のように」

"夜明けの月"
僕にとって最も大切な一曲。
去年恥ずかしいくらい号泣してしまった曲、またしてもここで、野音で再会できた。

聴くたびに歌の表情がとても豊かになって、語りの効果も、その前の手紙の余韻もあり、またしても感涙である。


中盤の流れはこの先、一生忘れられることができないものとなった。








暗くなった場内に"かごめかごめ"が流れる。
どこか不穏な響きの唄に、そこまでの暖かな空気は一変する。


「後半戦楽しんで行きましょう! 」


唄が終わり"わらべうた"へ。明るくてシニカルで残酷で、でも踊ってしまうフシギな歌。

拡声器を構えて歌い出す"近眼のゾンビ"。ここで一つ臨界点を越したと思う。中盤でもう片方の手にも拡声器を構えてサイレンを鳴らす。





僕が思い出したのは2月の新木場で見たドレスコーズのライヴである。"人間ビデオ"を演奏中、平凡さん(志磨遼平)が拡声器のサイレンを鳴らし続けた姿とオーバーラップした。






自分本意 生きるなら
どうする? ファイナルアンサー
ぼくらのフツーな、フツーな毎日を
とわに願うわ かなしみもいいかな

"人間ビデオ"歌詞より


志磨遼平とハルカの歌うメッセージ、それはかなり通ずる部分がある。


世界に対して平凡であることの意味を問いかけたドレスコーズの「平凡」、怒りを原動力に滲み出すような言葉を紡いだハルカトミユキの「溜息の断面図」、この大傑作たちを同じ年に聴けたこと、ライヴで体感できたこと、こんな幸せなことはない。




そんなハルカの姿と同じくらい印象的だったのがミユキのギターを構えて嬉しそうに鳴らしている姿であった。
左右にもしっかり来てギター掻き鳴らしていて本当に楽しそうだった。ギターってやっぱり良いな。


"終わりの始まり"から"Stand Up, Baby"最新アルバムの曲が更に続く。ゾンビ達へ投げ掛けられる言葉のナイフ。突き刺さるのではなく、顔に切っ先を向けられたようなゾクリとした感覚である。

どちらの曲か失念してしまったが、ハルカがレスポール弾いてて驚いた。さらには赤のテレキャスも弾いていたりで、いつの間にこんなにギター増えた?





ミユキ「ハルカトミユキの音楽が好きってことは、何か悩んでて言葉にできない人たちだと思うんだけど、そのモヤモヤを私たちにぶつけてくれますか?」

"振り出しに戻る""バッドエンドの続きを""ニュートンの林檎"とライヴの定番曲が立て続けに演奏され、いよいよライヴは佳境へ。


"LIFE2"
昨年と同様の歌詞であるが、自分の中で昨年よりも更に胸に響く曲になっていた。
正直なところ、去年は元々の"LIFE"の歌詞が好きだっただけにまだ受け入れきれていないところがあった。
しかしながら時間が経ち、アルバムに付いていた昨年のライヴ音源を聴いているうちにとても馴染んできていて、ようやく素直にこの曲を受け取れることができた。

今日にあとがきはない
明日にあらすじはない

時は止まらない。"光れ"で飛び乗った電車のように、ただ流れていく。止まらない電車とは、人生なのではないだろうか。

止まらない人生の中で、あとがきでもあらすじでもない、まさに「今」この瞬間を生きている、あたたかい命がある。
絶望さえ飲み込んだ空の下。五周年は集大成を迎えていた。



アンコール


"種を蒔く人"
本編中盤のエモーショナルとはまた違う感動。
それは"LIFE2"から繋がる生命への問い掛けである。

残された者と残していく者、たとえ居なくなってしまったとしても、誰しもが種を蒔き、時には落としていく。
残された者はその種を育み次へと繋げる。同じように、残して去る者も種を引き連れ、新たな場所で種を蒔き、落としていく。

絶望も、怒りも、不満も、全部詰め込まれたライヴ。それでも、最後に希望が歌われた。

"Sunny, Cloudy"にて旅立ち街に迷う主人公、そして残された者、対になっているこの2曲、残された者はあの日の自分なのかもしれない。
そう思うと「こんなに変わっちゃった」という主人公の姿と同時に「すべて聞いて欲しかったんだ」というものこそが変わらぬものであると感じた。

感情を吐露したいだけであればノートに書いて終わればいい。でも変わらぬ想いがあるからこそハルカは表現者で居続けてるのではないだろうか。

表現は全て種となり見た者の心へ届いていく。
どんな種で、どう育てるのか、それは受け取った者に委ねられる。
永遠に今日を探しながら、僕らは止まらない電車で明日へ進む。





ライヴの最後に演奏されたのは"Vanilla"
以前ほどの頻度ではやってなくて、かなり久しぶりに聴いた気がする。
※行ったライヴで演奏されなかっただけ

興味深く思えたのは、まさに「狂ってる」と思わざるを得ない程振り切れたライヴ本編を受けて、最後に演奏されたのが「狂えない」ともがき苦しむ"Vanilla"であったことだ。

だが、考えていくうちに"Vanilla"という曲が選ばれた理由が掴めたような気がする。

インタビューから言葉を引用したい。

――話を聞いていると、ミユキさんは人間として非常に強くて、ハルカさんは凄く人間臭さがあるなって思いました。

ハルカ : そうですね。私は至って普通のことを言いたいと思い続けてる。普通の人が普通のことを普通に言いたい。初期の作品に『Vanilla』という曲があって、そこで「狂えない」ってことを書いて、そこからずっと繋がってるんです。私は変人でもないし、奇人でもないし、狂人でもない。そういう人が大多数であって。狂えない人の方が辛くて、狂ってしまえた方が楽だってずっと思ってきたから、その普通である苦しさを書きたい。それは明るいことでも暗いことでもない、至って普通のこと。だから、音楽にした時に絶対にポップスであって欲しいんですよ。

ハルカトミユキ、狂ってしまえた方が楽だってずっと思ってきた


この地続きの果てに今回の野音はあったのだ。

中盤"近眼のゾンビ"にて拡声器を振りかざして歌ったハルカ。「狂ってる、何もかも」そんな瞬間だった。
だが、その姿でさえ狂えないことへのもがきなのだ。まともだからこそ、考えてしまう、怒りが湧く。狂えないことに狂った「まともな」人間の姿ではないか。

ゾンビ映画を見ていると「いっそ自分もゾンビになってしまえば楽になれるんじゃないか」と考えるようなシーンが出てくる。
自分がゾンビになってしまえば生き残る術を模索する必要も、人間同士で醜く争わず済む、ただ欲望に忠実に徘徊するだけの存在となる。

思考停止している姿は、まさにゾンビだ。
考えろ、怒れ、それは原動力であり、人間であることの証明だ。

"LIFE2"や"種を蒔く人"での生命への賛美も美しいが、こうした生命への問い掛けも大切なファクターである、そう感じた夜だった。

夏の夜が明けた。


ハルカトミユキ +5th Anniversary SPECIAL
@日比谷野外大音楽堂 2017/09/02



セットリスト


1. 世界
2. DRAG&HUG
3. 伝言ゲーム
4. インスタントラブ
5. Sunny, Cloudy
6. Pain
7. ドライアイス
8. 絶望ごっこ
9. 夏のうた
10. 宝物
11. 手紙(新曲)
12. 夜明けの月
13. わらべうた
14. 近眼のゾンビ
15. 終わりの始まり
16. Stand Up, Baby
17. 振り出しに戻る
18. バットエンドの続きを
19. ニュートンの林檎
20. LIFE2

EN-1. 種を蒔く人
EN-2. Vanilla





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