サブスクって便利だけど、なんか疲れない?
という話。
サブスクリプションは僕らの周りに溢れている。
音楽であればSpotifyやAmazonミュージックなど、映画やドラマはNetflixにAmazonプライムビデオやディズニー+などがある。
他にも家具やらコーヒーやら、よくわからないくらいサブスクが溢れてる。
特に映像作品に関しては僕もよく使っているし、メインじゃなくともSpotifyも使っている。
他にもゲームではPlayStation
Plusの会員で、クラシックゲームまでサブスクで遊べるランクに登録している。
これだけでも一生分の娯楽を味わうことができる。
でも、どうしても何か味気なさも感じてしまう、そんな話を記しておく。
サブスクリプションという"便利"
サブスクを使用している感想としては「便利」以外に他ならない。
CDを買ってきてパソコンに取り込みウォークマン(最近iPodから鞍替えした)に取り込んだりしなくていい。
映像作品であればわざわざTSUTAYAに借りにいかなくていい。なんなら、番組表のあるスカパーですら不自由を感じるほどになってしまった。
ゲームであれば、わざわざPS3を起動しなくても「バイオハザード
コード:ベロニカ」がプレイできるし、評判の悪さから買うほどでもなかった「バイオハザード
オペレーション・ラクーンシティ」もクリアできた。
なんて便利な世の中なのだろう。
強いていえば読書とライヴ以外の娯楽は、僕はすべてサブスクリプションで補える。
でも、実際はそうではない。
どれだけサブスクリプションが便利になろうと、僕は満足しきれない。
たとえば映画。
わざわざお金を払ってチケットを買い、時間に合わせて映画館に足を運んで、ポップコーンを買って、映画を観る。約2時間スマホをいじることもなく、ただスクリーンの中の世界に没頭する。
たとえば音楽。
タワーレコードに足を運び、CDを買う。持って帰ったら開けづらいビニールを剥いで、ディスクを取り出し、CDプレーヤーに挿入して再生ボタンを押す。
これらがサブスクリプションさえあれば、パソコン、タブレット、スマートフォンを何回かタップすれば、その場で体感することができる。
Netflixとかのオリジナル作品もそうだし、音楽にも配信にしかないものがある。時には入手困難な作品に触れることもできる。
それがワンタップで味わえることは、ひと昔では想像つかない喜びだ。
けれどそれらの喜びは、100%の満足には繋がらない。
その時は楽しめてもどこか、味気ないなと思えてしまう。
たとえばポルノグラフィティが今年発表した「暁」というアルバム。
今回は特典の都合もあって通販で買ったけれど、もちろんCDで購入。家に届いて、ビニールを剥いでディスクを取り出し、CDプレーヤーに挿入、ブックレットを取り出して構え、再生ボタンを押した。
音が流れるまでのコンマ数秒の間、誇張ではなく僕は「いま世界で最も幸せな男」だった。
フラゲとかは置いておいて、たとえ同日に配信されていたとしても、この喜びに勝るものはない。
普通に考えたら、同じ作品を味わうのに手間など少ない方がいい。
でも僕はその手間が、たまらなく愛おしいのだ。
手間という趣味
趣味とは無駄を楽しむことだ。
効率化など仕事ですればいい。
趣味は人生を豊かな気持ちにさせてくれる、僕にとってはもはや合法ドラッグに近い存在だ。
最近最もそれを痛感させられたのがゲームだった。
名誉のために作品タイトルを出すのはやめておくが、個人的に興味がありながらも買っていなかったゲームがある。
それがPlayStation
Plusのカタログに追加された。つまり会員は無料でプレイできるようになったのだ。
ここぞとばかりにダウンロードしてプレイした。
結局その作品は、序盤でやめてしまって積みゲーのひとつになった。
あれだけ興味があった作品だったのに、評判だけある面白さも感じていたのに、今一つのめり込めなかった。
なんでかというと答えは1つしかなくて、「金を払ってない」からだ。
「推しに金を落としてない感覚」と書いた方がわかりやすいかもしれない。
実際サブスクリプションサービスに対しては料金を払っていても、それはプラットホームにであって、コンテンツにお金を払っているという感覚が薄い。
つまりは「俺のじゃないしな」という想いに繋がる。
僕にとって、これが趣味をサブスクに完全に委ねられない決定的な理由だ。もはや不便を楽しむことが趣味なのかもしれない。
意味がわからないと思うが同じ作品であっても、これが発売日にフルプライスで買っていたら、もっと愛着がわいた気がする。だってどれだけバグあっても「サイバーパンク2077」楽しかったもん。
というかゲームってなんだかんだでクリアまで何時間、何十時間費やすから物理的に限界もあって、どけだけ作品があっても音楽とか映画よりもサブスクのお得感が薄い気がする。
そんなゲームが買ってもないのに100本単位で積まれていたら「あ、お腹いっぱいス」となるのも仕方ないではないか。
詰まるところ貧乏性ということなんだけど、自分で"買った"コンテンツは「楽しみたい」という感情がより強まる。
サブスクでつまらないZ級サメ映画を観ても時間を無駄にしたと思うだけだが、わざわざ映画館に行ったり円盤を買ってつまらなかったらたぶん怒りたくなる。この差分は楽しみでも同じだ。
限られた、手元にある自分で選んだ存在たち。
だから愛おしい。
これはそもそも母方の凝り性の血が濃いせいだけど、自分は"買う"とか"手に入れる"という行為に対して喜びを覚える生物なのだと思う。
中学生の自分が購入した「アゲハ蝶」のシングルCD、収録された3曲を何度も何度も大切に聴き返していたように、お金は思い入れのために遣うのだ。
サブスクリプションの自由さ、その自由さに感じる疲れはなにか、最後に書こう。
自由
いつでも味わえる、その自由さこそがサブスクの魅力であり、ウィークポイントでもあると思う。
自由に楽しめるものに対して、人間は案外自由に楽しめない(日本人特有のものでもあるかもしれない)。
人は自由すぎることも苦手なのだ。
オープンワールドのゲームが流行れば沢山出て、あまりに膨大な世界観に追いつけなくなり、冒険はいつしか消化作業になっていく。
あまりに膨大なサブスクリプションというオープンワールドは、人の一生には大きすぎる。
サブスクで自由にコンテンツを選んでるつもりでも、そこにある基準が「話題になっているから」「トップページでオススメされたから」になっていないだろうか。
前にとあるミュージシャンが「サブスクで世界中の音楽が聴けるのに、結局みんな聴くのは流行してる曲になりがち」と言っていた。
サブスクって自由なようでいて、実はそうではないのでは、と最近感じ始めてきた。
サブスクリプションは確かに便利なサービスだし、助けられていることも多い。
でも、どれだけ便利になっても、僕はこれからもコンテンツを選んで買うという、不自由な喜びを楽しみに生きていくのだろう。
グダグダと書いてきた記事だが、一言で表すフレーズを最後に紹介しよう。
ラーメンズのコント「プーチンとマーチン」より。
時間は欲しいけどいざ自由って言われるとなにしていいか分からない命令されたい縛られたい自由が苦手な切ない人間
↑Spotifyはこのアルバムのために入れたといっても過言ではない
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