2021年6月17日木曜日

【Twitter】インターネットの発展をポルノと共に振り返る【mixi】








先日インターネットの発展の歴史を振り返るおっさんたちの座談会記事を読んだ。

その結果インターネットの初期の発展は男たちのゴリゴリの性欲と共にあるという知見を得た。エロコンテンツのために膨大な時間と通信料を費やす熱量が初期のインターネットを支えていたのだ。

インターネットとエロ、インターネットとポルノは相性がいいということだ。
なのでインターネットの発展をポルノグラフィティの歩みと共に振り返ってみようと思う。

あまりに強引すぎる展開のさせ方だが、やってみよう。最近まだ下がる余地があったのかと思えるほど記憶力の低下が著しく、おっさんとして覚えていることを後世に残さなければならない。

こういうことを懐かしく振り返る使命感にかられると、自分が着実におっさんになっているのだと実感する。

思いの外あまりに長くなってしまい1999年から10年まででストップしたが、こんなことあったなと思い出に浸ってもらえれば幸いだ。





1999年(平成11年)



【TOPIC】
・東海村JCO臨界事故発生
・「スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス」が公開
・NTTドコモのiモードやKDDIのEZwebサービスがスタート
・人工知能を搭載したアイボがインターネットで発売
・ポルノグラフィティがメジャーデビュー


ポルノグラフィティがデビューした年はiモードやEZwebサービスがスタートしたということで、いよいよ2000年代以降の携帯文化の幕開けを感じさせる。

総務省の統計を見ると、この年の携帯とPHSの普及率は約50%(携帯47.5%・PHS 1.8%)と2人に1人が携帯を持っていたことになる。


自分は当時12歳で中学校に入学した頃た。
携帯を持つのはもう少し後。

この年、無料ホームページ作成サービス「魔法のiらんど」がリリースされた。懐かしかったり黒歴史を思い出して身もだえてる方もいると思う。携帯のネットが普及するにつれ、こうしたサービスで個人がサイトを持つという文化も成熟していった。

それでもインターネットについてはまだPCが主流の時期だ。自分でPCは持っていなかったが、この頃建築系の学科に進んだ従兄弟がiMac G3を使っていた記憶がある。

あのスケルトンの筐体はとても可愛いから今でも通用するデザインだと思う。あれば復活させるべきだと思う。





デビュー曲の”アポロ”からして「人類は月まで行けるようになったのに、大昔から変わらずに愛のかたちを探してる」というヒトとテクノロジーの関係を捉えている。

あとスゲーどうでもいいけど「スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス」を友人たちと観に行った日とんでもない豪雨だったのを思い出した。



2000年(平成12年)



【TOPIC】
・シドニーオリンピックが開幕
・ソニーがPlayStation 2を発売
・Microsoft Windows 2000が日米欧同時発売
・J-PHONEが世界初のカメラ付携帯を発売


「ノストラダムスの予言」「2000年問題」と世界が大混乱になると思われていた1999年には結局何も起こらず、人類は普通に2000年を迎えた。その時代にはJ-PHONEが発売され、ここから今は死語という次元ではないが「写メ」という文化が発達していく。
※PHSでは1999年に京セラが発売していた(らしい)

それでも通信速度がまだ高くなかったインターネット界(当時は2.5G)ではまだまだ画像よりもテキストが盛んで、この頃くらいから「テキストサイト」が次々に誕生していく。


テキストサイトについては自分がちゃんとネットに触れたのはもう少し後なので、リアルタイムで楽しんだわけではない。

が、後からコピペになっていたものに触れたり、テキストサイトの影響を受けた方の文章に触れる機会も多かったので、今の自分への影響は大きいと思う。
なんせ、この文章は某テキストサイトの方の文体を盛大に意識している。

PlayStation 2が発売され、ゲームもさることながら家庭で映画などを見るのがビデオテープからDVDへと一気にシフトした。

当時のDVDプレーヤーは10万円前後で、4万円くらいで購入できたPS2で再生できたのが大きかったのだ。
※ちなみにこの時に一番売上に貢献したDVDソフトは「マトリックス」

DVDがまだ普及しきっていなかったので、ポルノグラフィティの初期の映像作品はビデオテープでも販売されている。そしてテクノロジーとポルノグラフィティといえば”ヒトリノ夜”におけるこのフレーズだろう。


まあ!なんてクリアな音で
お話できるケータイなんでしょう
君はそれで充分かい?
電波はどこまででも届くけど



新藤晴一の「~かい?」構文も使われている。
ポルノグラフィティとしてはこの年に”サウダージ”がミリオンヒットを記録する。



2001年(平成13年)



【TOPIC】
・アメリカ同時多発テロ事件
・東京ディズニーシーがグランドオープン
・NTTドコモが世界に先駆けて3G (W-CDMA) の商用サービスを開始
・MicrosoftがWindows XPを発表
・AppleのiPodが発表される


2001年を象徴する出来事はやはり「アメリカ同時多発テロ」だろう。
このテロに端を発してアフガニスタン紛争が勃発する。

Windows XPの時代になるといよいよ自分もPCを触り出す年頃なので、ぐっと身近な話題になった気がする。

音楽的な話題ではiPodが登場したことが大きいだろう。
当時はMDプレーヤーが全盛期だったので、CDからMDへダビングして持ち歩いたり、人によっては好きな子にプレイリストを作成して渡したりといったことが青春だった。

これを読んでる読者諸君はそんな経験したことないでしょ? 僕もありません。

この年にポルノグラフィティは「アゲハ蝶」がミリオンヒットを記録する。
僕は「アゲハ蝶」からのファンなので、ここで人生を大きく踏み外s……大きな転機となった。


2002年(平成14年)



【TOPIC】
・日韓ワールドカップ開催
・着うたサービスが開始
・多摩川にアゴヒゲアザラシのタマちゃん出現


この年のトピックはなんといっても日韓ワールドカップだろう。
我らがポルノグラフィティがNHKのテーマソングに抜擢され、”Mugen”が制作された。

携帯電話各社がカメラ付きケータイ開発に力を入れ、前年の3Gのサービスの開始もあり、メールでの写真や画像のやり取りが増えてきた時期だ。

音楽界において一つのエポックメイキングになったのが着うたの登場だ。CHEMISTRYの”My Gift to You”が初の着うたソングとなる。





今ではサブスクで当たり前のように音楽が聴き放題だが、これで「携帯で音楽を聴く」という文化が誕生するのだ。それまでは着メロのスーパーのBGMで掛かっているような打ち込みのインストメロディが鳴るサービスだ。

公式が販売していたのを購入するか、剛の者は自分で耳コピして着メロを作れるサービスで自作していた。

ウォークマンやiPodなどはCDなどからPC経由で音楽を取り込む必要があったし、音楽再生の専用の端末として持ち歩く必要があった。

それが、持ち歩く頻度の高い携帯電話で音楽が聴けることになったのは、とても大きなターニングポイントだ。
※iTunes Storeのダウンロード販売も2003年から開始とのこと

あとネットでいうと2002~2004年辺りはフラッシュ動画が全盛期で、数多くの動画が創られて伝説となった。
実際自分がラーメンズを初めて知ったのは本人たちではなく、フラッシュ動画で「千葉 滋賀 佐賀」の動画を見てである(後に「あれラーメンズだったのか」と知ることになる)。



2003年(平成15年)



【TOPIC】
・SARS(重症急性呼吸器症候群)が、新感染症に指定される
・宇宙航空研究開発機構(JAXA)が誕生
・六本木ヒルズがオープン
・岐阜県の山奥でパナウェーブ研究所と名乗る白装束の集団がワゴン車などを林道に停めて占拠


今は新型コロナウイルスが猛威を奮っているが、2003年はSARSが世界的に流行していた。
こうした感染症に怯える世界情勢になると、直接会わなくても人と接することができる通信テクノロジーの重要性を思い知らされる。

個人的な話では記憶が正しければ、たぶんこの辺りで初めて携帯電話を持った気がする。別に間違えていても誰も困らないので、曖昧でもいいだろう。

当時のカタログを見返しておそらくauの「w11k」という機種にした記憶がある。たぶん。
auなのは学割のため。

カタログを見ていて思い出したが、この年auでINFOBAR(インフォバー)が発売される。




使っていたわけではないが久しぶりに画像を見て懐かしすぎて死ぬかと思った。タイル状のキーと配色が先鋭的で、今見ても画期的なデザインだと思う。

この辺りの時期は上の方でも触れた「魔法のiらんど」で作成されたサイトがかなり盛況で、多くの個人サイトが誕生しては消えていった。

どうせお前らみたいなのは黒地に白字の十字架で挟んだタイトルの黒歴史でも作っていたことと思う。

ネットにおける掲示板での交流がかなり盛んで、個人サイトだけでなくアーティストの公式ページにも掲示板が設置されていた。

ポルノグラフィティの公式掲示板も多くの人が書き込んでいた。

当時のポルノグラフィティのファンは、表の世界ではとにかく自分からアピールしない内弁慶で有名だったので、普段は澄ました顔で生活してるけど裏(ネット)ではポルノグラフィティのファンをやってるみたいな人が多かった。
自分がそうだった。

非公式のファンページも活発で「レッポル」(Let's Go! ポルノグラフィティ)や「jakejakejaken」などのサイト名に懐かしみを抱くファンも少なくないだろう。

前者は最大手のホームページで明るくワイワイとしたファンサイトで、後者は完全に2ちゃんのノリで掲示板に書き込みで、毎日のように荒れ陰鬱と湿った同じ日を繰り返してるようなファンサイトだった。
僕はもちろんジャケ住民(ほぼROM専)だった。




2004年(平成16年)



【TOPIC】
・スマトラ島沖地震が発生
・マーク・ザッカーバーグがSNSのfacebookを開設
・mixiが誕生
・ポルノグラフィティからベースのTamaが脱退し2人体制に


2004年はポルノグラフィティにとってはTama脱退という重大な出来事があった年だ。

facebookの登場もさることながら、日本のネットにおいてはmixiの誕生は避けて通れないトピックだ。
流行するのはもう少し後になるが、招待制だったこともあり掲示板での匿名の交流だったネットの世界が、現実との関わりが強くなる。

昨今のSNSはまさにこの潮流の先にある。

mixiで知り合い、実際にライヴ会場で会ったりオフ会をしたりといったことが、以前よりも活発になっていった。

周りにもmixi経由で知り合って付き合ったり結婚したりといった友人たちがいる。

それまでは「ネットで知り合う=出会い系」「ネットに顔出したら死ぬ」「ネットに実名を晒されたら死ぬ」みたいな全員参加型デスノートだったが、ここで空気がかなり変わっていく。

ネットではWinnyの流出の問題が起きて、所謂P2Pというファイル共有システムは数年かけて規制が強まっていく。
そういったネットにおける問題もあってか、この頃CDにはコピーコントロールが搭載されていってPCに取り込むのが凄まじく面倒だった。

もう一つのトピックとしてはauがこの年に初めて着うたフルを配信する。
いよいよ携帯電話でフルサイズの音楽を楽しめるようになったのだ。そうした流れを経て後に「配信限定シングル」などの音楽配信方法が生まれることになる。








2005年(平成17年)



【TOPIC】
・YouTube設立
・愛知万博「愛・地球博」が開幕
・JR福知山線脱線事故が発生


この年ついにYouTubeが登場する。といってもこの頃は日本語対応もしていないし、一世を風靡したというほどではない。
世の男たちにとってネットの動画といえばポルノ動画だった。動画コンテンツとしてはこの翌年にニコニコ動画もサービスが開始になる。内容としては相変わらずフラッシュ動画だったり、一部ではゲームの実況なども行っていた。

あと映画の「電車男」がヒットしたことでアキバ文化や2ちゃん文化が世間に浸透していった(2ちゃんはまとめブログが大流行したことも関係する)。

音楽面でいうとMDプレーヤーからiPodや各メーカーのMP3プレーヤーが普及してきていた。
僕はSONYのウォークマンNW-A608という機種を使用していた。



これは今思い返しても大好きだったプレーヤーだ。香水瓶をイメージしたデザインが秀逸であった。

INFOBARもそうだが、洗練されたデザインというのは時代を経ても古くならないものだ。
正直使えるなら今でも使いたいほどだが、今見ると容量が2GB※とかなので、少なくとも自分は全く入りきらない。
※約350曲くらい?

余談だがこの年ポルノグラフィティはC1000タケダの広告に出演。

お前らポルノグラフィティのライヴが見たいだろう? C1000タケダをひたすら買え、飲めという脅し、端的に言えば買ってシールを集めて応募すると抽選でライヴが当たるというキャンペーンをしていた。

翌年に死ぬほどポカリスエットを飲むはめになるポルノファンたちはそんなことを露とも知らず、C1000タケダを飲んではシールを集めていた。
僕は誉れと德が足りないので落選したが、2等のオリジナルmp3プレーヤーが当たった。あれどこに行ったんだろう。

あと更に余談で「総務省がブログの開設者数が三月末で延べ約335万人に達したと発表」というのを見かけた。たぶん0.01%くらいしか残ってないと思う。
まさに自分も、この頃に信じられないくらい中身のないブログを始めて、たまにmixiに書く感じだった。まさか2021年にもなってまだブログをやってるとは思ってもみなかった。


2006年(平成18年)



【TOPIC】
・ライブドアショック
・GoogleがYouTubeを16億5000万ドルで買収
・ニフティのパソコン通信サービスを終了
・ソニーがPlayStation 3を発売


ポルノグラフィティにとっては”ハネウマライダー”がヒットした2006年夏。

タイアップとなったポカリスエットでお前らポルノグラフィティのライヴが見たいだろう? ポカリをひたすら買え、飲めという脅し、端的に言えば買ってシールを集めて応募すると抽選でライヴが当たるというキャンペーンが行われた。

外れたポルノファンの多くがポカリのトラウマとなった夏であった。僕は品行方正な生き方が幸いし無事に当選した。

今思えば2年連続で清涼飲料水のキャンペーンが続いたのは狂気の沙汰だな。

今度やるならビールのキャンペーンでやってくれたら「いやービール控えたいけどキャンペーンだから仕方ないなあ」とぼやきながら浴びるように飲むのでお願いします。
そんなアル中キャンペーンは絶対やらないだろうけど。

日本ではライブドアショックでIT界隈がごたついていたが、世界ではGoogleがめきめきと伸びていて、この年にインテルと抜き、マイクロソフトに次ぐ時価総額世界2位となる。

この年に携帯電話で「ワンセグ」のサービスが始まる。ワンセグは携帯電話でテレビが見られるサービスだ。実際そんなに使わなかったけど、携帯で配信動画を見るという概念が強まっていった辺りではないだろうか。

僕はこの頃はソニーのウォークマンケータイW42S(au)を使用していた。



生粋のウォークマン信者だったわけでなく、ウォークマンを使っている関係でPCの音楽管理ソフトがSonicStageというクソ使いづらいものを使用していたからだった。

そもそもこの機種を選んだ理由としては「マトリックス」で使っていたスライド式の携帯がカッコ良かったからとか、そんな理由だった気がする(当時は2つ折りの所謂パカパカ携帯が主流)。



2007年(平成19年)



【TOPIC】
・アップルのカンファレンスでiPhoneの初代モデルがスティーブ・ジョブズにより発表
・アメリカでサブプライムローン問題
・船場𠮷兆、ミートホープ、不二家などで食品偽装などの問題が相次ぐ
・VOCALOID初音ミクが発売


サブプライムローンの問題からこの翌年にはリーマンブラザーズが破綻し、世界的に恐慌へとなっていく。ここから数年は本当に世相が暗かった。

一方でテクノロジーの面ではiPhoneが発表や初音ミクは登場したということもあり、現在にも直接繋がるツールが続々登場した。

初音ミクはまさか13年過ぎてもなお人気で「手を洗おう」CMに使われるほどになるとはこの時どれだけの人が思っただろうか。





ボカロの登場に合わせてDTM(Desk Top Music)の文化が更に進化を遂げた。それを更に加速させたのは、Pro ToolsやCubaseのようなDAWソフトの進歩もあるのだけど、それ以上にMyspace やSoundCloudみたいなネットに即座にアップロードして世界へ配信できるというスタイルが拡充されていったことが大きいと思う。

プロアマを問わず世界へ数クリックで即座に発信できる瞬発力は、今のYouTubeにも通ずるが、2010年代以降を象徴するムーブメントだ。

音楽の配信については、この年に象徴的な出来事があって、Radiohead(レディオヘッド)が「In Rainbows」というアルバムをリリースした。

このアルバムは全世界に向けてレコード会社などを通さず、バンドのセルフ作業で配信されたのだ。その上「価格は購入者が0円から自由に決めて購入できる」という前代未聞のリリースをして、業界中心に大きな話題をかっさらった。

これ以降ミュージシャンたちが配信に関しても様々な手法を凝らすようになった気がする。

ポルノグラフィティでいうと、2007年は初のデジタル配信限定曲”m-FLOOD”が発売される、後にベストに収録されてCD音源化されるが、配信限定という試みはこれが初めてだ。

あわせてこの年のツアー「OPEN MUSIC CABINET」では”m-FLOOD”の演出として、公式よりサビのPCと携帯向けにダンス動画が配信され、それを覚えてみんな一緒に踊ろうという企画があった。





この企画などに登場するツアーのアテンドキャラ「フラッディ」が発表されると、瞬く間に「なんだコイツ」「なんかキモイ」「怖い」などの評判が広がった。

しかしながらツアーを経ていつの間にかすっかり愛されキャラとなり、10周年ツアーで再登場すると歓声が上がった。広島焼を華麗に返せるほどの手のひら返しっぷりだ。

年の後半はアルバム「PORNO GRAFFITTI」リリースからアルバムツアーが行われたらしいが、僕は落選したので触れたくない。

この年は謝罪会見で話題になった船場吉兆をはじめ、食の問題が多くて他にも中国から輸入された冷凍餃子に殺虫剤が混入して食中毒が発生したり、同じく中国製の肉まんのひき肉に段ボールを混入させた段ボール肉まん事件などもあった。



2008年(平成20年)



【TOPIC】
・アメリカの大手投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破綻、世界的金融危機
・Twitter日本語版がサービス開始
・秋葉原で通り魔事件が発生し7人が死亡


この年に岡野昭仁は一般女性と、新藤晴一は女優の長谷川京子と結婚する。

長谷川京子の大きな写真に、修学旅行の欠席者みたいな小さい丸い新藤晴一の写真が載っていた絵面が忘れられない。

今でも覚えているがニュースが出た日は前の晩から大学の友人の家でしこたま酒(鏡月)を飲み雑魚寝をして起きた朝だった。母から「ハルイチ、びっくり!」とだけメールが来て「お、酔っぱらって不祥事でも起こしたか?」と思ってニュースを見て驚いた。

日本ではこの年にソフトバンクからiPhoneが発売された。反対にドコモがPHS やmoveを、KDDIがツーカーを終了するなど、2000年代前後の携帯文化が終了していく流れとなった。

あとこの年「アイアンマン」が公開された。今も続くMCUはここから始まったのだ。あとクリストファー・ノーランの「ダークナイト」もこの年で、ジョーカーを演じたヒース・レジャーは同年1月に亡くなる。

この年は何よりもリーマンショックだ。僕は2010年の大学新卒採用だったので、マジで就活において大打撃を受けた。一つ上の世代は逃げ切りやがった。1987年生まれはゆとり教育もされてないのに第一世代としてゆとり呼ばわりされたり、色々と不遇な目に遭しらし。

あとはTwitterのサービスが開始されたのが大きいだろう。
この頃はまだmixiが盛んだったけど、しばらくしてmixiのサービスであった呟き機能みたいなのとTwitterと連動させるのが主流になっていった。

それから徐々にmixi が衰退していったこともあって、mixi上からTwitter間でのやり取りへと切り替わっていってと思う。
ちなみにインスタは2010年からサービス開始。


2009年(平成21年)



【TOPIC】
・第45回衆院選にて民主党が圧勝し、政権交代
・新型インフルエンザが世界的に流行
・マイケル・ジャクソンが死去
・裁判員制度がスタート


ここまでで7000千字を超えてしまっているので、今回はここまでで区切ることにする。
この年はマジで就活がめっちゃ大変だった記憶ばかりだ。

マイケル・ジャクソンが亡くなった時のことは今でも記憶にある。
正直、僕はそこまで熱心に聴いていたファンではない。それでも、訃報のニュースを読み、気持ちにぽっかりと穴が開いた気がした。

大学に向かう途中、京王線の高幡不動の駅でぼんやり見上げた空がやたら青かったのを覚えている。





ポルノグラフィティは10周年のアリーナツアー「ロイヤル ストレート フラッシュ」を開催していて、5月下旬に追加公演が国立代々木競技場第一体育館で行われた。映像化もされている公演だ。まさにこの時期に新型インフルエンザが問題になり、この公演が行われるかどうかも一時危ぶまれたことを覚えている。

その時は「数十年に一度の感染症の流行だ」(SARSは海外の出来事だという印象だった)という認識でいた。しかしながら、その約10年後、世界はまたしても未知のウイルスの脅威に怯える日々を迎えた。

間違いなく、新型インフルエンザの時よりも更に厳しい状況が、先の見えないまま続いている。

当時大変だったり、大切な人を亡くされた方もいるかもしれないので心苦しいが、僕は新型インフルエンザという言葉を見た時に「そういえば、そんなこともあったな」と思えたのだ。

就活が大変だったりとか、色々なことが重なって本当に辛い時期だったんだけど、それでも僕が2009年という年を思い出せば、ポルノグラフィティの10周年をお祝いしたとか、初めての東京ドーム公演を見届けたとか、サマソニが最高だったとか、そんな幸せな思い出たちが溢れていた。

たとえ今は気づけなくとも、そんな幸せの種が今もきっと足下に落ちているんじゃないだろうか。



ということで後半はほとんど思い出話になってしまったが、ポルノグラフィティがデビューした1999年から2009年の10年間だけでも、テクノロジーは大幅に進歩した。

インターネットがPCのものだった時代から、徐々に携帯電話へとシフトしていった。通信速度も上がっていき、最初は画像の表示が精一杯だった通信が、当たり前のように動画が見られる時代となった。

2010年以降にそれは加速し、今ではスマホ1台あればPCさえ不要という時代になっている。

消費よりも創造が重要な時代になって、ツールもどんどん進化していって。それでも結局自分は変わらず、気持ちを言葉にして残すということしかできないのだけど、まぁそれでもいいか。


僕らが生きる2020年代は、どんな時代になるのだろうか。

結局のところ、何も変わらないのだと思う。

どれだけ技術が進歩しても、世界が変化しても、僕らは自分が愛するもののために日々を生きている。

どれだけ手段が変わっても、人が想いを伝えることに、伝えたい想いに変わらない。

“アポロ”の何年経っても色褪せないメッセージのように。

変わらない愛のかたちを探し続けるのだ。



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