アニメ「さらざんまい」が面白い。
幾原邦彦監督(以下イクニ)による「つながり」と「欲望」がテーマのこのアニメは、一見すると意味不明なシュールギャグアニメなのだけど、その背後には恐ろしいほどの数のメッセージが込められている。
それについて語り出すと本題に入れないので、音楽ブログらしく、劇中歌である"さらざんまいのうた"と"カワウソイヤァ"の2曲の歌詞から考察したい。
Amazonプライムビデオでも配信しているので、見れる方は是非見て欲しい。
「1 つながりたいけど、偽りたい」
見てない人からすると言葉で説明してもわからないアニメなので、今回は割りきって見ている人向けに書いていくことをご了承いただきたい。
内容については5話までのストーリーを踏まえて考察する。
アニメ「さらざんまい」劇中歌"さらざんまいのうた"と"カワウソイヤァ"の歌詞から考察する
さらざんまいのうた
"さらざんまいのうた"。
終盤にカッパになった一希、久慈、燕太の3人がカパゾンビと対峙するときに毎回唄うこの曲である。
イクニ作品らしいシュール展開に、初回から度肝を抜かれた。
歌詞を改めて振り返ろう。
取り戻さなきゃ いけないものがある
ハコ ハコ
好きなアイツに知られちゃう前に
取り戻さなきゃ いけないものがある
ハコ ハコ
誰にも漏らしちゃいけない ヒミツさ
「カッ・パラ・エー」
「ハコ ハコ」のコーラスが頭に残り、油断するとすぐ頭に流れてしまう。
5話までの時点での欲望は「ハコ」「ネコ」「キス」「ソバ」「サシェ」が対象となっている。
そもそも3人が対峙するカパゾンビは、「欲望」を警官であるレオとマブによって搾取されたゾンビである。そんなゾンビがいるのは「人の世の裏側」。
カパゾンビはその欲望を満たすためたに、人の欲望まで奪おうとする。3人はそれを取り戻すために、カパゾンビから尻子玉を奪う。
それが「取り戻さなきゃいけないものがある」という歌詞に繋がる。
しかし「誰にも漏らしちゃいけない」という言葉と裏腹に、尻子玉をカッパラッタ後、ケッピに転送する際に3人のヒミツが一緒に漏洩されていく。
歌詞では「人に知られたくない」「知られる前に取り返さなきゃ」と唄っている。
しかし、人と真に繋がるとは、人とヒミツを共有し合うことでもある。
知られたくない欲望を知られてしまっていく中で、3人は繋がりを深め、信頼関係を築いていく。
さらざんまいだけに「皿」がキーワードなんだけど、「晒す(曝す)」のさらも掛けてあるのかなと考える。
僕と君とは つながれるはずなのさ
ヨー・クー・ボー!
生命(いのち)の意味を たしかめるのさ
は・じ・け・て
およげ人生 つかめ栄光(サクセス)
それは愛だと 信じていいのさ
Soul on dish 重ねて
Catch the ball 抜き取れ
願い叶え さらざんまい
「およげ」という言葉が意味深で。物語からいって、泳ぐのは隅田川に表される「川」だろう。川は劇中で「生と死の狭間」と言われている。云わば三途の川だ。
泳ぐことは流れに逆らうことだ。
ただ流されるだけの人間は、死んでいるのと同じ。欲望を欲し、泳ぎ続けるだけが、生と死の狭間を繋げることができる。
欲望
宇宙は無限に ふくらんでいるけれど
ヨー・クー・ボー!
僕の気持ちも 負けちゃいないさ
は・じ・け・て
また"カワウソイヤァ"でも同様に欲についてが唄われる。
去勢された負け犬ども 牙を剥け
惰性で生きる虫けらよ 身を焦がせ
欲望を 手離すな!
欲望を 手離すな!
欲望は、隠したいだけではない。
自分にとって本当に大切なつながりにこそ、そのヒミツを打ち明けることで、人生に栄光(サクセス)や愛がもたらされる。
作品のキャッチコピーが「手放すな、欲望は君の命だ」という点からも、ストレートに「欲望=生命」を示している。
欲といえばキリスト教の「7つの大罪」が浮かぶけど、作品としては仏教的な側面が大きいことから「五欲」だろうと思われる。それが
・食欲
・財欲
・色欲
・名誉欲
・睡眠欲
なのだけど、これが「悪」ということではない。
欲望とは人間を動かすためのモチベーションを司るものである。
本当に「悪」とされるのは、この欲望が限度なく出てしまうこと、それを「貪欲(とんよく)」と呼ぶ。
ふくらみ続ける宇宙のように、欲望は限りない。
どれだけ欲求を満たそうとしても、決して満たされることはない。
たとえば、僕がギターを何本も買ってしまうように、文字を打ち続けるように、際限ない。
人間は「煩悩具足」つまりは「煩悩だけでできている」
「欲望=生命」とはその様である。
そんな中で、欲望は終わることのないエネルギーでもある。
その欲望は自己、云わば「自己中心的」なものが優先されるとされている。「我利我利(ガリガリ)」と呼ばれる。
そうした時に一希たち3人、もしかしたらレオとマブも「利他的」な欲望を抱えている。
こうした利他的な幸せ、それを叶えるための自己犠牲というのは、イクニ作品で毎回描かれるテーマである(「ユリ熊嵐」まだ1話しか見てないが、熊のるるの「ガリガリ」は「我利我利」とも取れる?)。
特に「廻るピングドラム」は『銀河鉄道の夜』を下敷きに、顕著に描かれた。
つながり
「つながりたい」という欲望に対して、今は個人でいくらでも手段がある。
しかし、本当に大切な人とのつながりとは、数少ない。
「つながりたい」という欲望がどれだけ溢れても、大切な存在に対して過剰になってしまうばかりだ。
「さらざんまい」では、それぞれの登場キャラクターに大切な存在がいる。
家族や友人という垣根を越えたその存在に、自己犠牲も厭わない愛情を向ける。
つながる手段が多くあるからこそ、その中にある本当に大切なつながりを見過ごしてしまわないように、大切にし続けるというメッセージこそが「さらざんまい」における重要テーマのひとつだ。
我らの 願いは終わらない夜
我らの出会いは 始まらない朝
"カワウソイヤァ"について、あまり触れられてなかったので、最後に。
レオとマブのシーンには太鼓が登場する。
太鼓に対してのメタファ考察がいくつかあるけど、僕は太鼓の音が心臓の鼓動を表しているのだと思う。
ドン、ドンと脈打つそれは、レオがマブの心臓を取り出すことにも繋がる。結局だから何を示しているのかまでは考察できていないが。
レオの銃口は「はじまらず、おわらず、つながれないものたち」へ向けられる。
これはもう各所で語られているが5話での春河と一希の「はじめからおわりまで、まあるくつながってるよ」と対になっている。
けれど、終わりがないということは、それが円環状になっているから終わりがないとも取れる。
現在5話まで終わり、これから放送される6話で急展開が待っているという。
もしかしたら、この曲たちの歌詞がより大切になっていくかもしれない。
或いはそのメッセージが根本から覆るかもしれない。
折り返し地点を迎え、残されたストーリーを楽しみに、明日からも泳ぎ続けていこう。
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