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2019年8月20日火曜日

【感想】映画「カーマイン・ストリート・ギター」NYの廃材をギターにする男








「カーマイン・ストリート・ギター」という映画を見た。

リックというニューヨークの建物の廃材を利用してギターを創ってる男の店の話。

先に言います、今年1位です。「アベンジャーズ/エンドゲーム」でも「トイ・ストーリー4」でもありません、これです。

ニューヨークにあるギター工房「カーマイン・ストリート・ギター」の一週間に密着したドキュメンタリー映画である。

劇的な事件など起きることもない、言ってしまえば淡々と過ぎるギターが産み出され、訪れたミュージシャンたちが弾いていくだけの日々の記録だ。

それなのに、この映画が切り取った記録は、忘れがたい夏の記憶となった。

それは、この映画が「クリエイトすること」の喜びに満ち溢れているからだ。

少なくともエンターテイメントを求める人には勧められない映画だ(そういう人はドキュメンタリー見ないか)。

けれど僕は、こういう映画が見たかった。

映画「カーマイン・ストリート・ギター」感想








あらすじ








彼はギターに、ニューヨークの記憶を刻む。
グリニッジ・ヴィレッジに位置する「カーマイン・ストリート・ギター」。パソコンも携帯も持たないギター職人のリック・ケリーと、パンキッシュな装いの見習いシンディ、そしてリックの母親の3人で経営している。世界中のギタリストを魅了する、この店だけの"ルール"――それは、ニューヨークの建物の廃材を使ってギターを作ること。チェルシー・ホテル、街で最古のバー・マクソリーズ......、それらは長年愛されてきた街のシンボル。
工事の知らせを聞きつけるたび現場からヴィンテージ廃材を持ち帰るリックは、傷も染みもそのままにギターへ形を変えるのだった。
足早に表情を変えてゆくニューヨークと、変わらずにあり続けるギターショップの愛に満ちたドキュメンタリー。
ルー・リード、ボブ・ディラン、パティ・スミスら大御所がリックのギターを愛用。劇中ではビル・フリゼール、マーク・リーボウ、チャーリー・セクストンなど、人気ギタリストたちが次々と来店。彼らがリックのギターを手にし、幸せそうに演奏する姿が贅沢におさめられている。さらには、ニューヨーク・カルチャーを牽引する映画監督、ジムー・ジャームッシュの姿も。ギタリストたちを魅了し続ける、ユニークなギターショップの1週間が映し出される。

監督・製作
:ロン・マン
扇動者
:ジム・ジャームッシュ
編集
:ロバート・ケネディ
出演
:リック・ケリー、ジム・ジャームッシュ、ネルス・クライン、カーク・ダグラス、ビル・フリーゼル、マーク・リーボウ、チャーリー・セクストン
音楽
:ザ・セイディース


テアトルより





淡々とした映画




上記までの内容が全てである。この作品にネタバレとかそういう概念はない。

この映画には主に二つの映像で構成されている。

ギターを創っているか、誰かがギターを弾いているか、だけである。

ギター工房の店主であるリック・ケリーはニューヨークの街の廃材となった木材を利用してハンドメイドでギターを製作している。


どっからどう見てもいい人である。






取り壊しになったアパートや、時には火事になった大聖堂の木を貰ってきてギターにしている。ちなみに大聖堂は警察に「司教の許可をもらっている」と嘘をついて貰ってきている(本当は大聖堂に司教はいなかった)。


そんな木材から産み出されたギターたちはルー・リード等多くのギタリストを虜にしている。日本では斉藤和義が通っているようだ。






リックの弟子のシンディはデザインの勉強を経てリックに弟子入りすることになる。映画のタイミングで5年目で、ギターも製作しているが、目立つのはボディに施しているアートたちである。

このセンスが抜群で、オープニングはまさにそのアートを施していくシンディの絵で始まるが、それだけでもう心は鷲掴みされる。見事なオープニングシーケンスだ。

職人気質なリックとパンキッシュな風貌のシンディの対比がとても面白い。しかしながら、しっかりお互いを認め合っている。

とりあえず終盤でシンディが働き始めて5年というお祝いのシーンで思わず涙してしまうシーンが最高にかわいい。テレキャスターでぶん殴って欲しい。







かわいいといえば、リックの母親のドロシーも、かなりお歳のはずなのに掃除したり電話に出たりと、カーマイン・ストリート・ギターを支える1人としてしっかり働いている。
伝票をたどたどしく叩く姿や、ロバート・クワインの写真が何度直しても傾いてしまうシーンはなんと微笑ましいことか。


リックは昔街の楽器店で見たテレキャスターに憧れ、そんなギターを産み出そうとギターを製作している。

主要なシェイプは一通り創っている(アコギやベースも創っている)が、映画でもとりわけテレキャスターに焦点が当てられる。
なので、おそらくこの映画を見た10人中100人がテレキャスターが欲しくなること間違いなしである。

このリックのギター製作への愛情は最後に出てくるチャーリー・セクストンとの会話で語られるが、散々店で創ってるのに家でもギターを創ってしまうほど楽しいのだそうだ。

ギターをやってる人間ならば、チャーリー・セクストンが友人に言われた「お前はギターを持ったのが運の尽きだ」という言葉にニヤリとしてしまうだろう。それに対するリックの返しもお見事だ。それは是非劇場で。


そして、もうひとつの主役たち、客として現れるミュージシャンたちの演奏がどれも素晴らしい。特に、最初に出てくるビル・フリゼールのギターがなんとまぁ素晴らしいことか。


個人的にいえばジム・ジャームッシュ大好きサブカルクソ野郎として、出てきただけで笑顔になってしまったし、Wilcoのネルスが出てきて、しかもヴォーカルのジェフへの50歳の誕生日プレゼントとしてだ。

そんなリックのギター製作だが、廃材を利用するということについて考えてみたい。










歴史を紡ぐこと








ポスターにあるコピー。


「彼はギターに、ニューヨークの歴史を刻む。」

或いは。

「ニューヨークの建物の廃材を利用してギターを創る」


それだけ見ると、ちょっと意識高い志を持ってやっているように見えるかもしれない。

しかし、リックにとってはそんな大それた目的でギターを創っている訳ではない。

リックがギターを創る理由はひとつ、「廃材でギターを創るのが楽しいから」に他ならない。
"ものづくり"において、これ以上醇乎(じゅんこ)たる動機はないだろう。

「ニューヨークの歴史を刻む」というのは、その行為がもたらした結果論でしかない。

「つくりたいから」ここまでクリエイティブとして清潔な衝動があるだろうか。

「お金を稼ぐため」「名を上げるため」生まれたものには越えられないラインがあって、それを越えるものが純粋なる「つくりたい」という衝動ではないかと思う。

それがカタチとなって僕らのもとへ届けられ、それに心を動かされる。

劇中において、大切なことはニューヨークの廃材を利用していくことではない。

その「つくりたい」というリックの意志を弟子のシンディがしっかり受け継いでいることだ。

ここに、本当の歴史の継承がある。

だからこそ、シンディを祝うリックの笑顔がどこまでも愛しいのだ。

そして、そんな衝動によって生まれたギターたち。

店を訪れるミュージシャンはどこまでも自然に「弾いていい?」とアンプに繋いでギターを鳴らす。

ここにもまた、純粋なるギターへの、音楽への情熱がある。

そんな日々が淡々と過ぎていく「日常」であること。

それこそが、この作品の世界をどこまでも愛しく思わせる本質ではないかと思う。

音楽を、ギターを愛する者たちが言葉と音で語り合う瞬間、そこに無限の宇宙が広がる。

ストーリーのない映画であっても、このミュージシャンたちの奏でるギターの美しさは、見たものにしか伝わらない。

このギター弾いてみたいという衝動から生まれるサウンドを、是非体感してみて欲しい。

廃材から生み出されたギターたちから生まれる音、この先どんな音楽が響くだろうか。

そう思うだけで、胸が高まってしまう。


そして、本当に。


カーマイン・ストリート・ギターの、


リックの創った、



ギターが欲しい。



※ちなみに価格については、海外サイトで見ると20万円ちょいくらい(2,000$)でした。日本では取り扱いがないので、ハードルはやはり高し…




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